七の十六
検閲を恐れて、電信を打てなかったが、ここでは検閲なしで電信を打てるということになったので、天原の虎兵衛へ現状を報せた。返信は一時間後にやってきて、
ヒキツヅキ ヤスムネヲ タスケテヤッテクレ
と、返ってきた。
じゃあ、助けてやるか。
扇も腰を上げて、本格的に戦争に身を入れることにした。
目下、反乱軍もとい革命軍は鳥取につながる線路を修理している。昨年、革命軍は大統領の政府軍に大打撃を与え、総崩れにさせた。慌てた政府軍は革命軍が追ってこれないように二十里ほどの鉄道線路を引っぺがして逃げた。そのため、革命軍の攻勢は頓挫したが、逆に言えば、その修理さえ終われば、首都まで装甲列車で一直線なのだ。修理は昼夜を問わず、行われていて、蒸気戦車と騎兵隊に守られた線路工夫たちが鉄道技師の指示のもと、線路を敷きなおしていた。
扇たち三人はその警備にまわされ、また扇と泰宗は剣術に長けることから、後には装甲列車の白兵戦要員として乗車することが決まった。
扇が革命軍に参加を決めた翌朝も早く、修理用資材を積んだ装甲列車は左右を蒸気戦車に守らせ、さらにその側面を騎兵隊に警戒させて東へと前進していた。やがて列車が破損箇所に到着すると、有蓋貨車から工夫頭に率いられた男たちがわあわあ騒ぎながら飛び降りた。工夫たちはいずれも屈強で向う鉢巻に腹掛股引姿で日焼けした肩をむき出しにして、レールを担いだり、枕木をドスンドスンと落としたり、大金槌で大釘を打ちこんでいる。レールを運ぶ蒸気トラクターが引っ切り無しにやってきては、工夫頭の指図でどんどんレールを下ろしていく。三時間に一里の速度で線路の修復は進んでいた。
「どんどんやれ、水をケチるな。どんどんかけてやれ」
工夫頭が女たちに声をかけていた。女たちは男たちの女房、あるいは娘、ひょっとすると母親でいつも軍隊にくっついていた。内戦で疲弊した土地では食料は常に軍隊に集まるので、飢えないためには何としてでも軍隊と一緒に動く必要があったのだ。その女たちが片道半里の泉から桶で水を汲んでこさせ、敷設作業に当たっている男たちに水をかけていた。水は男たちの赤く焼けた肌にぶつかるそばから湯気になって、ぶわりと消えた。
工夫たちはレールを敷くとすぐに新しいレールを取りに戻る。その途上、二人の齢を合わせて三十を越えるかも怪しい扇と時乃が見つかると、男たちは冷やかした。
「おーい、しっかり守れよ。小僧。敵が撃ってきたら、こっちは丸腰で線路を敷かなきゃならんのだからな」
「そっちのめんこい嬢ちゃんに水をかけさせてくれろ! きっとうちのババアのかける水よりも冷やっこいわあ!」
男たちはゲラゲラ笑っていた。笑いは機関士や他の兵士たちにも伝染した。そのうち仕事をほったらかしにしてふざけ始めた。すると士官や工夫頭がすっ飛んできて、何人か殴り始め、男たちは、ひゃあ、と魂消た声をあげて作業に戻っていった。ふざけてはいるが不屈の工夫たちは枕木を落とすときは、大統領を投げ落とすつもりで地面に叩きつけ、レールを固定する大釘を打つときは大統領の頭をカチ割るつもりで鉄槌をふるった。機関士たちが炉に石炭をくべるときは無様に命乞いをする大統領を炉にぶち込むつもりで罐を焚き、握り飯を食うときは、大統領を食い殺すつもりでむさぼり食べた。
線路の修復作業全体を任されているのは柳彦蔵という名の白い鬚の老将軍だった。戊辰戦争の古強者であるこの旧長州藩士はつばの広い中折れ帽をかぶって首から双眼鏡を下げ、ほこりっぽい灰色の背広に弾薬ベルトをたすき掛けにして、赤ビロードの飾り帯に大小を二本差し、鞍の銃嚢にベルギー製の大口径ライフルを突っ込んで悠然と馬上に背を伸ばしていた。そのすぐ横では二人の幕僚が地図を開いていて、老将軍は地図を指差しては東に盛り上がる砂丘の連なりや谷間を指差し、騎兵隊や蒸気戦車の進撃を命じていた。老将軍は忙しい人物らしく、馬で工事現場に現われ、山高帽の下に手ぬぐいを巻いてかぶった白いシャツの鉄道技師に修理を急がせたかと思うと、斥候隊とともに早駆けして前線へ行ったりしていた。後で聞いた話では斥候隊はまだ無事な線路を見つけ、爆弾等が仕掛けられていないことを調べる任務に従事していたらしい。
この雑多な革命軍をまとめる頭領はその名も名高き元長州藩士、高杉晋作だった。戊辰戦争で戦功があったが、長州藩に籠るよりは圧政と戦う革命を思う存分やってみたく思い出奔した。バラバラになった日本のあちこちで庶民をまとめあげて革命軍を打ちたてることを生きがいにした革命家であり、二つの独裁国家を打倒したことで令名を馳せ、ヤマシロ国のイタリア領事は彼のことを「東洋のガリバルディ」と呼んでいた。
ガリバルディはともかく、高杉晋作の名前は扇もその名前だけは聞いたことがあった。というのも、女遊びが好きらしく、時おり天原に姿を見せることがあったという。ただ、馴染みは宝鶴楼にいるので、白寿楼にいる扇が顔を合わせることはなかった。
「わたしも顔を見たことはないのです」
泰宗が砂丘の向こうに目を凝らしながら言った。
「ただ、めちゃくちゃな人物だということは聞いたことがあります。藩のお金で勝手に陸上軍艦を買ったり、内戦前には建設中のイギリス領事館を焼き討ちにしたこともあったとか」
「まさか、今でも攘夷にかぶれてるんじゃないよな?」
「それはないでしょう。この蒸気機関が全盛の世の中。異国を否定して生きていくのは愚か者のすることです。長州藩は一度、英仏米蘭を敵にまわして戦争したことがありましたが、そのとき散々にやられてさすがに懲りたようです。それからは一変して西洋の技術と知識を吸収しようと躍起になりました。留学生を送ったり、各国の軍事教練本を翻訳したり。当時としては異色の百姓や商人の子弟で部隊をつくったこともあるとか」
老将軍は順調に修復されつつある線路の前をゆっくり馬で闊歩していた。すると、砂煙を上げながらやってきた斥候騎兵が老将軍の目の前で思い切り手綱を引いた。扇が立ち番をしている位置からは距離があったので、何を言っているのか分からなかったが、どうやら敵襲があるらしい。斥候はかなり狼狽していたが、老将軍のほうはまるで能面のようで、感情らしいものを顔に出さない。
だが、報告が終わると、老将軍はすぐに二人の幕僚を連れて、前線へひとっ走りした。一時間もしないうちに老将軍が帰ってくると、歩兵たちにライフルを持つものは集まれ、と号令をかけた。飛び道具は手裏剣と拳銃、鉄線入りの散弾銃しか持っていない扇は、同じく回転式拳銃しか持っていない時乃とその場に残り、泰宗はシャープス銃を手に将軍の元へ急いだ。そのとき、老将軍のもとにあの銃殺隊の隊長が馬にまたがってやってきた。馬ごと真っ二つにできるのではないかと思うほどの長い太刀を鞍の銃嚢に突っ込んで、老将軍のそばに馬首を寄せた。
「どんな様子だね?」隊長が老将軍にまるで釣堀で出くわしたような軽い調子でたずねた。
「よくない」老将軍は無表情で言葉少なげに答えた。
「敵はどんくらいいる?」
「蒸気戦車が四両。騎兵は五百。徒歩の親衛隊は一個連隊はいるだろう」
「つまり、千は堅いってことか」
「ああ」
「それで? どうしたい?」
「線路の修復は中止しない。手持ちの兵で対応する」
老将軍の師団は騎兵千五百、歩兵五千、戦車六両を麾下に置いていた。だが、半分は線路の修復を待って後方で待機しているので、彼は手持ちの兵力である騎兵三百、歩兵八百、戦車二両で敵に当たらなければいけなかった。おまけに手元の歩兵のうち三百は線路工夫であり、彼らは単発式のピストルか薪割り用の鉈しか持っていなかった。他の歩兵でも後装式のライフルを持っているのは三分の二で、残り三分の一は拳銃しか持っていない。後方待機の兵を呼び寄せても前線到達は一日半はかかった。
「先込め式のエンフィールド銃くらいなら持ち込める」
「そうか」老将軍はいずれ敵が見えるであろう東の土埃を見ていた。「蒸気戦車が二両いるし、列車には長距離砲がある。陸上甲鉄艦も現場へ向かっているはずだ」
「弾と石炭、水と食料は?」
「三日持つ」
そのとき、左へ百間ほど離れた位置に敵の砲弾が落ちた。ヒューン、という嫌な音を引いた後、砲弾は轟音とともに豆の潅木の茂みに大穴を開けた。だが、線路工夫たちは誰一人伏せたりせず、まるで自分の男らしさを秤にかけるように軽口を叩きながら、作業を続けるのだった。
「きっと臼砲だな」
「馬鹿言うな。動かし辛い臼砲を政府軍の腰抜けどもがこんなとこまで持ってくるわけがない。ありゃあ四斤山砲の榴弾だよ」
「初っ端の弾にしちゃいい狙いをつけたな」
「やつらはもうちょい左を狙うべきだった」
「もう半刻粘れば、おれたちに命中するんじゃねえか?」
「違えないや!」
ゲラゲラ笑って怯むことなく線路を敷く工夫たちを見て、銃殺隊の隊長はうなずくと、老将軍に言った。
「よし、わかった。ところで、あんたの部隊に扇って名前の兵隊がいるだろう?」
「さあ、分からんな。古株か?」
「いや、たぶん昨日今日配属されたはずだ。ちょっと会いたい」
老将軍は副官に命じて、扇を探しに行かせた。十五分後、副官は緑色の弾薬馬車から先込め式銃と紙実包百発を積めた弾薬カバンを受け取っている扇を見つけた。
「扇というのはお前さんかい?」
「ああ」
「将軍がお呼びだ」
扇は老将軍と昨日の隊長が馬首を並べている小さな丘を見た。
「呼んでいるのはじいさんかい?」
「違う。高杉先生だ」
扇がやってくると例の銃殺隊の隊長――高杉晋作が手を上げて、挨拶した。
「なるほど。坂本さんの言ったとおりの面構えだ」
「坂本?」
「長崎で会っているはずなんだかな」
そこであの、ぱあっと明るいトサ国の海運商の顔を思い出した。
「ああ。あの男か」
「お前さんによろしくとさ」
「何でおれがあんたの革命軍にいることを知ってるんだ」
「坂本さんは商人だからなあ。商人にとって鮮度のいい情報は大金の卵だ。それにおれたちはあの人から武器と食料で援助を受けている」
「トサ国が反乱に関与しているのか?」
「まさか! 坂本さんはそんな危ない橋は国にも会社にも渡らせたりしない。これはあくまでも個人的な返礼だ」
「返礼?」
「昔、まだ幕府の世の中だったころ、上海に行ってね、坂本さんはあのとおり新し物好きだから、当時珍しかった回転式の拳銃を一丁土産に持っていった。ライル・アンド・ブリンクフィールド社製リヴォルヴィング・ハンド・カノン。輪胴に普通の弾を六発入れる代わりに四発の鹿撃ち散弾を込めたおそろしいほど大きな拳銃だったが、その銃のおかげで近江屋で見廻組にやられかけたところをきわどく撃退し、命を拾った。で、銃で受けた恩は銃で返すということで、こうして銃と弾をもらっているわけだ」
扇は素直に驚いた。情報を知る速さもそうだが、個人的な資金で一国の革命を援助できるだけの資産がある、しかも、それを昔、銃を一丁都合してもらった礼だといって、最新型の銃を何千丁も買い付け、それをこの高杉に送っているのだ。
「坂本さんはあんたのことを観察力があるって誉めてたぜ。何でも長崎の阿片騒動を解決したとか」
「誉めすぎだ」
「そうでもないだろう。あの人は付き合いやすいし、一緒にいると面白い人だが、何の根拠もなく人を誉めたりしない。なあ、将軍。斥候と伝令の両方が務まるやつを探してるって言っていたな。彼なんてどうだい?」
老将軍は奥まった目を扇に向け、言葉少なくたずねた。
「馬は?」
「乗れる」
「銃は?」
「使える」
「腕はいいほうか?」
「十分に近づければ」
扇は真面目に答えたつもりだったが、高杉は大笑いした。老将軍ですら苦笑いをしたくらいだった。