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廓雲と扇の剣士  作者: 実茂 譲
第七話 荒野の扇とネイヴィ・コルト
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七の十五

 翌朝、青みがかった雲に曙光が滲んで斑になった。

 薄暗い時間に起きて、自由主義者の隠れ家を出発した。

 砂の谷を挟んだ向こうにどちらの陣営か分からない騎兵隊がふいに現われて、また別の谷へと消えていくのが見えるようになった。まるで蜃気楼のようだった。

 このあたりは無人地帯で政府軍と反乱軍の小競り合いが続いているらしく、少数の騎兵分隊が索敵や偵察を盛んに行っていた。反乱軍の騎兵隊は内陸の山間部から出発して砂漠をぐるりとまわって、山脈のふもとの森のなかへと帰っていく。森林伐採で砂漠と化したイナバだったが、そのうち主要な燃料が木から石炭へ変遷したため、西部の山間はまだ緑と水が生きていた。反乱軍は崖と森と川が入り組んだ複雑な地形に陣地を置き、砂漠の占領地との連絡を絶やすことなく、政府軍を牽制し続けていた。

 扇たちは何度か両陣営の騎兵隊が鉢合って銃撃戦に及ぶのを見た。大統領親衛隊にはウィンチェスター・ライフルと揃いの軍服があった。反乱軍のほうは背広や印半纏、シャモ袴に陣羽織とバラバラの服に弾薬ベルトをたすき掛けにして、銃も先込め式のラッパ銃からヘンリー・ライフルまでバラバラだったが、巧みに岩や木立に隠れて、真っ赤に目立つ親衛隊の上衣に狙いをつけて発砲した。だいたいの撃ち合いは途中で大統領の軍勢が兵を退いて終了することが多かった。装備で勝っていても、命を賭けて戦う気概がないのだろう。反乱軍も深追いはせず、殿を残しつつ慎重に兵を退いた。彼らはいつだって谷や棘の鋭い草が繁茂した盆地を挟んで対峙し撃ち合った。蒸気兵器を投入することもなかった。

 しばらく歩いて、扇たちは初めて反乱軍の支配下にある町に辿り着いた。歩哨に立っていたのは野良着をつけた百姓兵だったが、彼はふたつバンドのエンフィールド銃を立てかけて、潅木の影にもぐりこむようにして横になっていた。扇たちを見ても、誰何することもないし、他の兵士を呼ぶつもりもないようだ。

「おい」扇はたまりかねて、その百姓兵にたずねた。「あんたは歩哨じゃないのか?」

「そうだな」百姓兵は慌てることもなく、まるで大名のように悠然とした口調で答えた。「おれは歩哨だ」

「おれたちを誰何すいかしないのか?」

「してほしいのか?」

「普通はするだろうな」

「おれは規格外なんだよ」百姓兵はくっくと笑った。「規格外。便利な言葉だよな。普通じゃないときに使うんだ。靴工場に出稼ぎにいったときに覚えた言葉だ」

「それで誰何は?」

「しないよ」百姓兵はうっとおしそうに答えた。「する必要がない。大統領を憎んでるやつは一目で分かる。そっちのお嬢ちゃんなんて、恨み骨髄にいたるって感じだ。あんたは誰を狙ってるんだい、お嬢ちゃん?」

「親衛隊の少佐で飯田という男を探してる」と時乃。

「ほう、こりゃ面白い偶然だな。今日、騎兵隊が珍しく捕虜を取ってきたんだがな、そのなかにえらくでぶった親衛隊の少佐がいて、飯田信正と名乗っているんだ」

 時乃の目の色が変わった。「そいつは今どこに?」

「そこの道を上ったところ、広場で裁判の真っ最中だ。はやくしないと銃殺されるぜ」

 時乃は最後まで聞かずに上り坂を駆けた。扇と泰宗がそれに続いた。広場に辿り着くと、もう裁判は結審したらしく、腹の出た中年の親衛隊少佐が引っ立てられるところだった広場の一角で崖が下っていて、太っちょの親衛隊少佐はその崖の二歩前に立たされていた。

 韮山笠をかぶった六名の銃殺隊が銃を肩に担って、号令を待っていた。隊長は美髯をたくわえた小柄だが目つきの鋭い男でフロックコートに大きなスジイリの麦藁帽をかぶって、体格にしては長すぎる気のする刀を抜いて、号令をかけるところだった。

「ちょっと待って」時乃が隊長に鋭く声をかけた。

 銃殺隊の百姓兵が、なんだなんだ、と言って、時乃のほうを見た。

「お嬢さん、こいつの命乞いかい?」隊長は言った。「残念だが、自由と民衆の名の下にこいつの銃殺刑は決定してるんだ」

「わたしに殺らせて」時乃が言った。

 おお、とか、見ろよ、と言った声が見物人たちのほうから聞こえてきた。

「聞いたか? 皆の衆!」隊長が口髭の撫でながら言った。「実に勇ましいじゃないか。こんなお嬢さんばかり集めた部隊をつくったら、さぞ華やかだろうなあ」

 銃殺隊は銃の構えを解くと、お互いをひじでつつき合って軽口を叩き始めた。敵を撃ち殺すときに冗談を挟むのは親衛隊でも反乱軍でも変わらないらしい。

「わたしは真面目よ。そいつに夫を殺された」

「お嬢さん、歳は?」

「十四」

「相手の歳は?」

「六十一」

 ゲラゲラと笑い声が湧いた。いつの間にか広場には見物が四十人近く集まり、屋根の上から処刑を見ているものもいた。

「おいおい、そいつぁ犯罪じゃねえの?」

「わたしは真面目よ。そいつに恩人を殺された。後ろにいる泰宗にもこいつを殺す権利がある」

 こいつ、と呼ばれた飯田少佐はうなだれたままでいる。どの道助からないなら、下手なことを言って殴られるよりもとっとと撃ち殺されようとしているようだ。

 隊長はまず扇を、そして泰宗を見た。

「どっちが泰宗だい?」

「わたしです」

「こいつを自分で殺したいと?」

「はい」

 ふうむ、と隊長は悩んでから、銃殺隊にたずねた。

「お前らのなかでこいつに仇を持ってるやつはいるか?」

 ずんぐりした達磨のような顔をした銃殺隊兵士が手を上げた。

「こいつに兄貴を殺されました」

「よし、こうしよう。おれが号令をかけ、こいつらが撃つ。ただし、両膝を撃つ。とどめの一発を二人でいっせいのせで撃てばいい――銃殺隊、整列!――構え!――撃て!」

 少佐の膝が砕けて、無様な肉塊と化した。悲鳴が上がった。隊長は顎で倒れている大佐をしゃくった。泰宗と時乃はそれぞれ銃を抜いて、少佐の頭に狙いをつけた。

「関介さまのために」

「夫、鏡条関介のために」

 二発の銃弾が頭に撃ち込まれた。

 わあっと見物人は騒いで、少しの躊躇もなく、処刑をやりきった泰宗と時乃の冷血ぶりを褒め称えた。戻ってきた二人に扇は声をかけた。

「終わったな」

「ええ」

「かなりあっけなくですが――」

「復讐を果たした感想は?」

 時乃は何も言わず、広場に面した茶屋の縁台に腰かけた。泰宗は、たとえ憎くても後ろ手に縛られた丸腰の男を撃つことは空しい、と言って、煙草を取り出し、一本つけた。

「エジプト煙草!」銃殺隊の隊長が感嘆の叫びを上げた。「麗しの紫煙、至高の両切りここにあり。なあ、一口吸わせてくれんか? この半年、まともな煙草を口にしていないんだ」

 泰宗は、どうぞ、と言って、封を開けたばかりの箱ごと渡した。歓声が沸き、黄燐マッチがすられ、男たちが寄ってきて、煙草を回し呑みにした。

「おれたちは何でも分け合う」隊長が言った。「武器も食い物も酒も煙草も、それに戦場に出る危険だってな! そうしたら、国を分け合って、みんなのための政府をつくる。それが奇兵隊主義ってもんさ。あんたたちをおれたちの革命軍に迎えたい。もし、そっちの都合がよければの話だが――」

 おやおや。扇はこの処刑劇が行われているあいだ、傍観者としての視点を保っていたつもりだ。ここに来るまでのあいだでは、復讐は関介を殺した飯田という男をやることで終わりと定めていた。その終わりが拍子抜けするくらいあっけなくやってきて、泰宗と時乃はきっちり恩人の仇を討った。二人が嬉しそうな顔をしていないのは丸腰の男を撃った後ろめたさよりも、復讐が本当に何ももたらさないことに気づいてしまったからだろう。

 隊長の革命軍への誘い――政府の言うところの反乱軍への誘いを聞いても、泰宗は何も言わない。時乃をここから逃がしたがっていた泰宗のことだから、誘いをきっぱり断り、時乃を天原に連れて行くと思っていたが、泰宗のなかには別の考えが湧き始めていたようだ。

 師、鏡条関介の遺志――この狂った国の狂った状態に終止符を打つという壮大な遺志を果たす。

 そして、その機会が今、目の前に差し出された手に宿っている。

 泰宗はただ、うなずいて、隊長の差し出した手を握り返して、革命軍へ参加することを了承した。時乃は海軍用コルトから空薬莢を弾き出して、新しい弾を込めると、わたしも参加する、と言った。

「扇」泰宗はすまなそうに言った。「あなたまで付き合う必要はありません。先に天原に――」

「戻るつもりはない」扇は泰宗の言葉を遮って言った。「興は湧かないし、国家元首を殺るのは骨が折れるが、でも、昨日も言ったとおりだ。やりたいところまでやればいい」

「あなたに一つ借りができましたね」

「貸し借り勘定なんてしなくてもいい。おれの任務はあんたたちを手伝うことだ」

 泰宗が微笑んだ。どこか哀しげな様子もあったが、迷いから吹っ切れた様子もあった。

 まあ、どっちでもいいさ。扇は肩をすくめた。虎兵衛も言っていたじゃないか。じゃんじゃん、無駄なことをしたほうが人間らしい、と。

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