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廓雲と扇の剣士  作者: 実茂 譲
第七話 荒野の扇とネイヴィ・コルト
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七の十四

 交代で寝て、敵襲に備えることになったが、時乃が眠ると、泰宗は例のクランクで扉を開けて、扇を外へ連れ出した。

「今夜は外で夜明かしです」

「どうして地下は駄目なんだ? 正直、外は冷えるから、地下で寝たい」

「夫でもない男性が未婚女性と同じ部屋に泊まるものではありません」

「だが、こないだ普通に三人で野宿したじゃないか」

「そのときは部屋がなかったから仕方なかったのですが、今回は部屋があります。こういうとき、男性たるもの女性に部屋を譲るものです」

「本人は未婚女性じゃなくて、未亡人だって主張しているぞ」

 そのことを言うと、ああ、とため息をついて、泰宗が額に手を当てた。

「しかし、何ら婚姻を認める手続きを踏んでいないのですよ。十四歳の少女が自分の祖父と同じほどの年齢の男性の妻になるといろいろと大変なのです」

 納得がいかないまま、扇は隠し扉の上に座り込んだ。夜の砂漠の風は冷たく、冷気が厚手のマントを貫いた。もう十一月だった。扇はぴったりした黒の上衣に、これまたぴったりと指先まで覆った長手甲をつけていたが、それでも冷たい空気が服と肌の隙間に入り込み、肌を粟立たせた。

「火は起こさないのか?」

「起こしません。敵に見つかるかもしれませんから」

「まるで馬鹿だ」

「これがジェントルマンシップというものです」

「なんだ、それは?」

「つまり、紳士たるものがどうあるべきか定めた心がけですな」

「これが紳士になるために必要な心がけだって言うなら――」扇は白い息を吐いて震えた。「紳士なんてなるもんじゃないな」

「女性というのはか弱いものなのです。男性が譲るべきところは譲らなければ――」

「ちょっと待ってくれ。あんた、今、女がか弱いって言ったのか?」

 それはひどく馬鹿げた冗談のように聞こえた。大夜、すずとりん、遣手のお登間、朱菊太夫、どこか抜けたくノ一の桔蝶、そして、下の部屋で寝ている時乃――全員精強と言っていい。むしろこっちが労わってもらいたいくらいだ。

「あくまで一般論ですよ」

 泰宗の説明は少々苦しい。扇が言った。

「あんた、ちょうちんあんこうって知ってるか?」

 これは数週間前、虎兵衛から聞いた話だった。虎兵衛曰く、ちょうちんあんこうほど遊廓を体現した生き物はいないらしい。そのとき虎兵衛が手にしていたのは海外の新聞を和訳したもので、新しい魚類に関する発見とその説明が掲載されていた。ちょうちんあんこうという深海魚はメスは重さ一貫を越える立派な体を持っていて、いかにもあんこう然としているが、オスはといえば、シシャモよりも細くて小さく、しかも自分で餌を取ることができないほど弱い。オスが生き残るにはどうするのかといえば、産まれ落ちたらすぐに立派なメスのちょうちんあんこうの体に噛みついて、そのままとけて一体化してしまうことなのだそうだ。一体化してしまうとオスのちょうちんあんこうの目だの鼻だな鰓だのがなくなって、精巣と心臓だけになってしまう。それからはメスが獲った栄養で生かされていく。メスのなかにはそんなオスを二匹も三匹もくっつけて泳いでいる猛者もいるらしい。

 ――いやあ、これぞまさに魚の世界のヒモだな。

 ――あんた、そんなことを説明するためにおれを呼んだのか?

 ――この感動を誰かと分かち合いたいと思ってな。

 ――この知識が役に立つことはあるのか?

 ――おいおい、扇。人間ってのは無駄なことをしても許される唯一の生き物なんだぞ。じゃんじゃん、無駄なことをしたほうが人間らしいんだ。

 ――そんなものか?

 ――そんなもんだ。

 そして、今、その無駄と思われた知識がこうして討論の武器として役に立っている。生き物というのはオスよりもメスのほうが頑丈に作られているという扇の主張を、海の底に住む不細工な魚の夫婦生活が補助してくれている。

「とにかく」泰宗は両手を上げて、首をふった。「わたしたちは今日は外で見張りです」

「ちょうちんあんこうは?」

「非常に興味深いお話でしたが、わたしたちは人間です。女の人に噛みついたら、そのまま女の人にくっついてしまったなんて気味の悪い話は聞いたことがありませんし、これからもないでしょう。だから、外で夜を明かすのです」

「納得いかない」

 夜の砂漠は星の光で蒼白く光っていた。丘の砂は風に転がされて、沢のような音を鳴らす。このあたりにはねじくれた矮性の松が数本生えているだけで、他にあるものといえばトカゲの巣穴くらいのものだった。

 二人はお互いに背を向けたまま隠し扉の上に腰を下ろして、別々の方向を見張ることにした。弾を装填したシャープス銃と散弾銃をそれぞれの膝にかかえて、絶え間なく砂が転がり落ち続ける丘を見張る。風は西から吹いていて、泰宗の長い髪が猫っ毛な扇の髪に絡みつき、そのたびに扇は手で髪を払わなければいけなかった。散弾銃をかかえて座ったまま、泰宗の髪が届かない位置まで動くと、おもむろに話題を切り出した。

「なあ」

「なんですか?」

「天原で用心番をやる前、あんたは何をしていたんだ?」

「ムサシ国にいました。実家は二千石取りの旗本です。九人兄弟の末の子として生まれましたが、まあ、家を継ぐこともできないし、かといって養子の先も見つからない、家に飼い殺しの状態でした。天原に渡ったのは十二歳のとき、父の揚代のカタに連れて行かれて、用心番として関介さまの下で修行したわけです」

「そうか」

「本当のところを言えば、わたしは必要のない子でした。男子はもう八人もいるのに、また生まれるのかと父は思ったそうです。それに母はわたしを産んで亡くなりました。よく言われたものです。お前が生まれなければ、母は死なずに済んだ。まあ、その通りでしょうな。わたしは兄たちに無視され、父に蔑まれて、生きてきました。発狂しないためには何かに没頭する必要がありました。それで剣の道を極めようとしたわけです。あのまま、関介さまに連れられて天原へ行かず、ムサシの屋敷の外れの埋もれ家で剣術に明け暮れていたら、わたしは修羅か何かに堕ちていたでしょう。自分でもゾッとします。だから、関介さまはわたしの恩人です。あの方はわたしにも生きる意味があることを教えてくださった」

「生きる意味っていうのは酒と煙草のことか?」

 扇の問いに泰宗は少しこらえつつ笑った。

「まあ、そうでしょうね。それにしても、時乃どのの言い分も分かる気がします。関介さまは真の紳士でした。幼心の恋をそのまま引きずるのも仕方ない気がします。それほど魅力的な人でした。その点は楼主と通じ合うところがあったらしく、よく二人で飲んでいるのを見かけたものです。時乃どのが関介さまに惚れたのは、朱菊太夫が年季明けをしても、白寿楼を離れようとしないのと似た理由です」

「朱菊はもう年季明けしているのか?」

「ええ。もうずいぶん前に。ですが、見世を離れたくないそうです。身寄りがないと言いますが、あの方でしたら、身請けしてくれる御大尽がそれこそ引く手数多です。何度もいい身請け話があったのを全部蹴ったのは朱菊太夫が楼主に恋心を抱いているからです。もちろん、彼女はそれが叶わぬ恋であることは承知しています。それでも、あそこに――白寿楼に残りたいのです。ひょっとすると、太夫が遣手になるかもしれませんね。そんなことがあれば、前代未聞ですが」

「お登間とはまた違った意味で手強そうだな」

「違いありません。ああ、あなたの言うとおり、やはり女性は強いですね」

「でも、おれたちはここで座って見張りをする」

「そうです。あきらめてください」

 扇は夜空を見上げた。天球を埋め尽くす星々が彼を慰めるように瞬いていた。

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