七の十三
追っ手が来るかもしれないと思い、弾を込めなおし、遮蔽物になりそうな窪みや潅木を目ざとく確保しながら、ジグザグに街道を進んでいるうちに太陽は西の砂漠へ飲み込まれるように沈んでいった。遥か南のまだ残っている山林の深い影が砂漠へと流れ出し、夜となる直前、時乃が足を止めた。空に残った雲の夕映えを頼りに地図を見て、間違いない、と言うと、足元の砂を靴で横にさらっていった。
砂の下には板床のようなものがあって、その板床にクランク用の正五角形の穴が開いていた。その穴に調整済みのクランクを突っ込んでぐるぐる回すと、逆回転防止の爪が歯車をカチカチと噛む音が聞こえ、一間四方はある隠し扉が砂を落としながら、ゆっくり立ち上がった。扉の下は砂一つ落ちていない階段が続いている。
「この穴は一体何の穴なのですか?」
「密輸業者の秘密の隠れ家」
「密輸? 一体何の密輸を?」
時乃は肩をすくめて、階段を降りていった。
地下室に置いてあったハリケーン・ランタンを灯して、天井から吊るし、例のクランクをまわして扉を閉じた。これで追っ手には見つからない。
一体、何の密輸だろう? 扇はちょっとした好奇心に動かされて、部屋を見た。壁は床から天井まで棚になっていて、棚には油を引いた紙に包まれた四角い箱のようなものが縦に隙間なく詰まっていた。阿片か無税の酒か、ひょっとすると武器かもしれない。というのも、その紙に包まれた〈商品〉が拳銃を保管するビロードの内張りをした胡桃材の箱に形が似ていたからだ。
部屋はくの字型になっていて、曲がり角を覗くと、書き物机に突っ伏した骸骨が見つかった。腐臭も尽きるほどに骨々しくなったその骸はどうやらこの隠れ家の主である密輸屋のものらしい。こめかみに一つ小さな穴が開いていて、手の平に隠せるくらい小さなデリンジャー銃がすっかり白骨化した指先にひっかかっていた。
ここに何があるか、泰宗と時乃は知らず、夕餉の仕度に取り掛かっている。泰宗は時乃が関介の妻を自称することによって被るであろう苦労と青春の浪費について諭していた。
扇は自殺者の机に戻り、遺書らしい一枚の紙を手に取って、読んでみた。
『食料が尽きて、もう一週間だ。やつらはいつだって上にいる。この国に真の自由をもたらそうと、一自由主義者として、この人生を捧げてきたが、もう限界だ。終わりにする。イナバ万歳! 自由万歳!』
扇はくの字の出口があるほうへ戻って、棚のなかの〈商品〉を一つ引き出して、紙を破ってみた。中身は赤いモロッコ革で装丁された本で表紙にはこうあった――ジョン・スチュアート・ミル著『自由論』。
時乃は缶詰を開けてフライパンで鯨とレンズ豆を落とし、干した米をざらざらと流し込んで煮つめている。泰宗は空き缶を灰皿代わりに一服つけていて、どこに隠していたのかケンタッキー・ウイスキーの瓶を一本取り出して、琺瑯びきのコップに少し注ぎ込んでいる。
米が大和煮のタレをしっかり吸い込み焦げつかないよう木さじで混ぜるうちに食事が出来上がった。
扇は鯨とレンズ豆の粥を盛った錫の皿を受け取ると、さっそく食べてみた。鯨は筋張っていて、噛み切りづらく、油断すると歯のあいだに繊維状の筋が突っかかりそうだった。奥歯で念入りに潰せば済む話だが、それをやると干し米から起こした粥がどろどろになり、今度は歯ごたえがなくなる。
扇が堅い鯨かどろどろの粥かの二者択一を迫られている横では、さっきまでいっぱい入っていたはずのウイスキーの壜が空になっていて、泰宗の隣にちょこんと鎮座していた。泰宗は白い顔が赤らむことなく静かに鯨粥を口に運んでいる。
食事が終わると、これから身を寄せることになる反乱軍のことが話題になった。
「反乱軍っていうのは、どんな連中だ?」扇がたずねた。
「大統領の敵全部。この国に自由と平等を持ち込むって本気で言って新しい憲法まで用意している革命家もいれば、大統領の手下に家族を殺された人もいる。盗賊もいるし、脱走兵もいる。アメリカの大学で勉強した学者もいれば、畑を耕すこと以外何も知らない農民もいる。それにダイナマイトを使える鉱山技師や鉄道技師もいる。機械の専門家や砂漠の航海術を研究している人もいる」
「つまり、寄せ集めか?」
「寄り合い所帯って言って」
その所帯に元暗殺者とうわばみの優男、自称未亡人の少女が加わろうとしている。なるほど、くの字の奥で自分の頭を撃った自由主義者も悲観的になるわけだ。
「銃は全員分行き渡ってないけど、装甲列車があるし、蒸気戦車もある」時乃は自分のネイヴィ・コルトに指を触れ、扇へ顔を向けた。「もうじき、反乱軍が大統領のいる鳥取市に攻勢をかけるって噂もある。今まで何度か失敗してきた首都攻撃だけど、今度のは最大規模だって」
「だから、それに加わりたいというわけですか?」
泰宗がたずねた。
時乃はこくりとうなずいた。
泰宗は不安げな顔をしていると自分でも感じたらしい、それを払うように小さく首をふった。
「止めはしませんが、大統領を成敗するのは反乱軍の方々におまかせしてもいいのでは?」
「だめ。わたしがあの人の仇をきっちり取る」
「関介さまはあなたが天原で無事暮らしてくれることを何よりも望んでいます。遺書は見たでしょう?」
「うん……」
「わたしも関介さまを撃った男を殺すことには賛成ですが、大統領が相手だとどれだけの時間がかかるか分かりません。扇、あなたはどう思いますか?」
「おれに意見はないよ。あんたたちがやりたいだけやればいい。虎兵衛からはあんたたちを助けるようにしか言われてないしな。ただ、昔、暗殺者をやってた経験から言わせてもらえば、国家元首を殺るのは難しい。おれだって、それでしくじって、ここにいるくらいだ。それに大統領を恨むやつは大勢いるんだから、その大勢が納得のいくやり方で裁きをつけるのが筋な気がする。正直、おれもこの国には参ってる。まったく興が乗らない。天原とは逆の意味でこの国は変な気がするな」
「その変な国をまともにするために反乱軍が戦ってる」
「それが成功すればいいな。ヤマトもひどかったが、ここは狂ってる」