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廓雲と扇の剣士  作者: 実茂 譲
第七話 荒野の扇とネイヴィ・コルト
109/611

七の十

 扇は外に置いた散弾銃を手にしてホテルのまわりをぐるりとまわってみた。すり鉢状の底にホテルがあるということは敵は姿を見せずに砂丘の上まで近寄れるということだった。もうじき、自分たちに賞金がかけられ、賞金に目が眩んだ命知らずたちが襲いかかってくるころだ。それどころか、あの時乃という少女は関介が殺されてから、結構な数の大統領の手下を処刑しているらしいから、既に賞金をかけられている可能性がある。

 泰宗もあの少女も、きっと関介の仇討ちをするつもりだろう。それに付き合うのはいいとしても、もっとマシな隠れ家を見つけないと二日と待たず殺られるのは目に見えていた。

 太陽と一緒に沈み損ねた光がわずかに西の砂丘を縁取っている。だが、天球はさめざめと泣くのがお似合いの冷たい夜の大気に満たされ、いくつかの星は際立った光を放っていた。夜が訪れても、泉の水は相変わらず透き通っていて、水そのものが淡い光を抱いているようだった。剣のように伸びた水草から杼のような小魚の群れが現われて、織り機へ投げ込まれるように素早く真っ直ぐに泳いでいた。川海老は湧き水の上を踊る砂の一粒一粒に魅了されたように見入っていて、池の水は新しい水に席を譲るように底へ染み込んで、地下の水脈に合流し、再び湧き出す日を待っている。

「ん?」

 一瞬、水面の揺れに違和感を感じた。足の裏にもごく微細だが、震動を感じる。

 扇は南の砂丘へ走った。丘を登った。てっぺんには『ホテルあり 快適な寝台と温かい食事』と書かれた看板がある。そこで伏せて丘の上縁からそっと様子を窺う。

 半里ほど南の道で、小さな蒸気機関車に鉄の脚をつけた二足歩行型の装甲兵器が三台、煙突から火花混じりの煤煙を吐きながらやってくるのが見えた。機械仕掛けの腕が二本生えていて、一本は大砲を、もう一本は巨大な刃を取りつけてあった。それに細長い亀のような蒸気戦車が一両。二本の煙突と国旗を掲揚する鉄の棒があり、側面に砲門が並び、正面には軍艦が敵の艦を突き刺すためにつける衝角がついていて、その上に砲台があった。そのまま装甲列車に転用できる代物だ。そして、赤い服の親衛隊員たちはめいめいライフルや拳銃で武装し、右と左へ散開していった。

 扇はすぐにホテルへ取って返し、一階にいた泰宗と時乃に敵襲を告げた。

「大型の蒸気戦車が一両、二本足の兵器が三台、あとは親衛隊が五十人。南から散開してやってくる」

 泰宗がシャープス銃を取って、用心金を動かした。薬室に実包が装填されているのを確認して、薬室を閉じると、窓を開けて、窓枠に銃身を預ける形で南の丘を狙った。

 時乃は食堂に下がると、置いてあったピアノの蓋に鍵を差し込んだ。

「悠長にピアノなんか弾いてる場合じゃないぞ」扇が眉をしかめて言った。「敵はその気になれば、五つ数えるあいだにホテルごとこちらを吹き飛ばせる」

 扇は正面扉のすぐ脇で膝をつき、自分の武器の射程に敵が来るのを待ち構えていた。

 時乃はピアノの蓋を開けながら、扇にたずねた。

「夜目は利くほう?」

「ああ」

「南の砂丘の看板は見える?」

「見える」

「そこに一番大きな兵器が到達したら合図して」

 時乃はポケットから取り出した小さなクランクをピアノの側面に開けた穴に差し込んで、数回回転させた。クランクは一回転するあいだに三度カチカチカチと音を鳴らした。クランクをまわしても音が鳴らなくなると、時乃は椅子に座り、指を鍵盤の上に浮かせて、扇の合図を待った。

 まず偵察らしい親衛隊が三人、看板に到達した。

「斥候。三人だ」

 時乃は鍵盤に向かい合ったまま、首をふった。

 丘の向こうに鉄の脚が生えた蒸気機関車が見えた。二脚装甲兵器は蟹のように横に歩き、そのまま稜線を右へ下っていった。その死角を援護するかのように八人の親衛隊員が付いていく。

 看板のそばに房付きの帽子をかぶった人影が見える。

「指揮官」

 扇の報告に時乃は首をふり、泰宗にたずねる。

「撃てる?」

「ええ」

「まだ撃たないで」

「わかりました」

 ホテルには灯はなく、親衛隊員たちは丘から次々と姿を見せた。南の丘とホテルのあいだには遮蔽物のない土地が広がっている。親衛隊は数とあの装甲戦車を頼みに力押しで来るのが分かっていた。

 地鳴りがして、あの装甲戦車が衝角で砂を割りながら、丘のてっぺんに乗りあがり、そのまま看板を踏み潰した。

「装甲戦車」

 扇の声を聞くと、時乃は、

「床に伏せて。ガラスの破片が飛ぶわよ」

 と、言って、優しく鍵盤に触れ、和音を奏でた。

 クランクの回転で接続された蓄電瓶から電線へ電気が流れ、電気は地中を南に走って、ホテルの南の丘のなかに埋められた十個の火薬樽の一つに火花を与えた。

 蒸気兵器など比較にならないほどの地鳴りがして、閃光と爆音が五感を麻痺させた。言われたとおり伏せていた扇と泰宗の上を割れたガラス片が窓枠と一緒に飛んでいった。

 扇が外を見ると、南の丘は火柱を上げる大穴に代わっていて、その溶鉱炉の口のような穴のなかに蒸気戦車がずるずると滑り落ちていった。縦に裂けた砲台からは火だるまになった砲兵や機関兵が這いずり出てきた。脚付きの装甲兵器はみな爆風で横に倒れていて、馬二十頭に匹敵する力のある蒸気トラクターがなければ、引っぱり起こすことは難しかった。

「もう一回、伏せて」

 時乃はそう言うなり、優しい和音を三度鳴らした。燃える縦穴とホテルのあいだの砂の平地に仕掛けられた地雷が三つ爆発した。

 親衛隊員と装甲兵器を呑んだ爆炎が空へ舞い上がり、焼けて赤くなった鉄の破片が地べたに伏せていた親衛隊員の上に降りかかった。

 地獄絵図とはまさにこのことだった。夜の闇は既に四つの縦穴から昇り狂う火柱に薙ぎ払われ、ちぎれた腕や足、形の崩れた首がそこらじゅうに転がっていた。親衛隊員たちを襲った災厄もさまざまだった。ひしゃげた鉄の下敷きになったもの、生きながら火だるまになったもの、両目と両耳から血を流しながら四つん這いになっているもの――まともに立って戦えるものは一人も残っていなかった。

 扇も何度も凄惨な場面は見てきたが、これよりひどいものはない。

 時乃はといえば、ピアノの蓋を静かに閉じて鍵をかけ、クランクをポケットに入れると、ゆっくり立ち上がった。そして弾薬ベルトに差したネイヴィ・コルトと予備の三二口径を抜いて、吹き飛んだ玄関から外に出た。

 時乃は死の喘鳴をあげて倒れている親衛隊員たちには見向きもせず、爆発で五感を失い、血の涙を流して四つん這いになっている指揮官のほうへ歩いていった。

「五秒よ。祈りなさい」

 おそらく鼓膜が破れて、聞こえていなかっただろう。親衛隊の指揮官は、くそったれ、おれの銃はどこだ?と呻きながら手探りしていた。

 懐中時計できっかり五秒後、時乃は至近距離で指揮官の頭を撃った。銃火で髪に火がつくと、それを踏んで消した。

 炎が渦を巻きながら黒煙へと変わっていく砂の原で突っ立って、薬室を開けると、輪胴から空薬莢を抜いた。そして、ベルトから新しい弾を抜いて、銃に込め、薬室を閉じた。

 時乃は焼かれるかつぶされるか手足をもがれるかした親衛隊員たちが苦しみぬいて死んでいくのをただ眺めていた。

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