七の九
扇はカウンターに腰かけ、少女は自分の銃をベルトの銃嚢に突っ込んだ。泰宗は壁によりかかって、たずねる。
「関介さまがここでホテルを開く前、どこにいたかはご存じですか?」
少女はうなずいた。「雲の上の国で用心棒をしていたって言ってた」
「その通りです」
「どうして、あなたたちはここに来たの? 大統領の手下たちに睨まれたら、それでおしまいなのに」
「関介さまはわたしにとって恩人なのです。そして、彼は手伝いです」
そう言いながら、扇が紹介された。疑り深い少女の目が向けられ、それを見返す。
「誰が関介さまを殺したのか、あなたはご存じで?」
「知ってる」
「名前を教えていただけますか?」
「知ってどうするの?」
「撃ち殺します」
「……大統領の親衛隊に飯田って名前の少佐がいる。撃ったのはそいつよ」
「その飯田という御仁、腕は立つのですか?」
「ぜんぜん。あの人を撃てるだけの腕前はなかった」
「では、どうして?」
「わたしが――」少女の大きな目が涙で潤んだ。「人質にされた。それで殺された」
「辛いことをきいて、すみませんでした」
少女は袖で涙を拭って、首をふった。
「いいわ。それより鍵を預かってる」
そう言って真鍮製の握りが丸い小さな鍵を泰宗に渡した。
「大統領の手下たちの嫌がらせがひどくなってきたとき、もし自分が死んで、昔の知り合いが来たら、渡してほしいって頼まれた」
「何の鍵です?」
「あの人の部屋にある書き物机の鍵よ。日誌か何かを書き残してあるって……」
ふむ、とうなずいて、泰宗は鍵を内ポケットにしまった。
「ところで、まだ名前を伺っていませんでしたね」
「時乃」少女が答える。「鏡条時乃。鏡条関介の妻です」
火薬主義者が火薬を食べることをやめ、すずが真面目に道場を経営し始めても、遣手のお登間が優しい言葉をかけてきても、これだけ驚くだろうか。泰宗の顔を見て、扇は思った。自分の顔も相当なものになっているはずだ。
鍵で机の蓋を開けると、数枚の便箋が重ねてあった。
『九郎泰宗――懐かしき友へ』
一番上の紙にそう記されている。泰宗は紙をめくった。
『きみがこれを読んでいるということはわたしはもう死んでいるということだろう――などと紋切り型の始め方で、筆を手にしているわたしもげんなりしているが、しかし、これが一番適当な始まり方だと思う。
この国のことをどう思っているかはなんとなく想像はつく。ひどい状態だ。わたしが引退して、ここに戻ったのは自分なりに何とかできないかと思ったからだ。
それと見慣れない少女の出現に戸惑っているといけないので、時乃のことを紹介し、なぜわたしと共に暮らしているかを説明しようと思う。きっかけは五年前、悪名を轟かせる大統領の親衛隊に新しい四五口径の銃が支給されたことだった。辻斬りが新身を試したがるのと同じ理屈で、親衛隊は新しい銃の試し撃ちにある自作農一家を選んだ。時乃はその生き残りだ。あのとき九歳だった。
食堂で出すスパイス・ソーセージの仕入れのために近くを旅行中だったわたしは小さな体に三発も撃ち込まれて虫の息だった彼女を拾った。彼女の父と母、兄、妹はもう死んでいた。家と畑に火を放たれ、家畜は持ち去られた後だった。
大統領絡みの殺人では密告の恐れがあったので普通の医者に連れて行けなかった。それで、わたしが手当てをした。ウイスキーとアルコールランプ、それに小さな折り畳みナイフで弾丸を摘出したわたしは時乃をホテルに匿った。熱が引かず、時乃は一週間死の縁を彷徨った。意識が戻ったとき、彼女は、わたしの銃を見て、もし体が元に戻ったら、銃の使い方を教えて欲しいと言った。
彼女が何を望んでいるかはわかっていた。復讐に意味はないと諭すには家族が殺され過ぎていた。瞼を閉じれば、彼女の目には焼きついたあの残酷な時間が再現されるのだ。
時乃のことをきみへの手紙に書かなかったのは、この国では手紙が検閲されていることと、年端もいかない少女に銃の撃ち方を覚えさせることに後ろめたさがあったからだ。きみに銃の使い方を教えたとき、きみは天原に住んでいた。だから、銃を使う機会はそうそう訪れない。だが、鳥取の砂漠は違う。時乃は大統領の手下ならば誰でも撃ち殺すつもりでいた。
できることなら、普通の少女が過ごせるであろう普通の幸せを用意したかった。時乃は自分から簡単なホテルの業務を手伝うと申し出た。銃の使い方を教えてくれた礼のつもりのようだった。わたしは計算や漢字を教えて、復讐を自然とあきらめさせようとした。彼女はここに来たとき、少しも笑うことはなかったが、一年共に暮らすとようやく笑顔を見せるようになった。料理を覚えたいといって、コックに弟子入りしたり、ベッドメイキングを習って、自分のベッドで実践したりと多忙だが、楽しい日々をおくった。もちろん、銃の撃ち方も教えてはいたし、手入れやちょっとした改造法を教えた。服や人形の代わりに銃を欲しがってもいた。ナイフの使い方も自己流で何とか体得しようとしていた。だが、それでも彼女は少しずつ険が取れて、物事はよい方向へ向かっていると思っていた。
十三歳になって一週間が経ったとき、時乃が突然姿を消した。わたしは三日三晩探したが見つからず、ホテルに戻ると、時乃がいた。
彼女の家族を殺した親衛隊の大尉が先日、わたしのホテルにやってきたらしく、彼女は後をつけて撃ち殺したと告白した。
結局、わたしは時乃を普通の少女にしてあげることができなかった。彼女は処刑人になってしまった。もし、わたしが殺されるとしたら、その罰が故に殺されるのだろう。
親衛隊を撃ち殺したことはそのうち知れ渡り、大統領の手下たちとの激しい戦いが予想される。それがいつ始まるかは分からない。
そうなる前にあの子を国外に逃がしてあげたい。泰宗。もし、これを読んでいたら、九十九屋の虎兵衛さんに話を通して、あの子を天原で保護してやってほしい。手遅れになる前に。この手紙の下にセッツの六代銀行の金貨預り証がある。イナバ以外の国で換金して、それを当座の生活費にしてあげてほしい。自慢ではないが、天原にここまでとはいかなくとも、それなりの小さなホテルを建てて暮らせるくらいの額は稼いだ。わたしが奴らに殺されれば、時乃は復讐を望むだろうが、わたしが望むのは彼女が天原に逃れることだけだ。あの子を納得させることは難しいと思うが、どうか天原へ連れていって欲しい。きみの友情につけこむようで心苦しいが、それだけが心残りなのだ。
そして、泰宗へ。
この国で暮らしていると天原を懐かしく思うこともあった。
だが、わたしは生まれ故郷をわたしなりに愛してもいたし、何とかしたいとも思っていた。目にする現実があまりにひどく、時おり心が折れそうにもなった。そのたびにわたしはきみを思い出した。自分で自分を心の牢獄に閉じ込めた十二歳の少年に生きる喜びを教えることができたこと、それを誇りに思い、自分を支えてきた。
泰宗。わたしはきみのよき模範となれただろうか?』
泰宗は手紙を置くと、下に敷かれていた金貨の預かり証を四つ折りに畳んで、懐に入れた。そして、エジプト煙草を一本くわえて、連続マッチをすった。
生きているあいだに教えてくれれば。
悔やんでも悔やみ切れなかった。
人の命が煙草の煙のように簡単に消え失せるこの国で、自分の師は命を落とした。最後まで保護した少女の安全を考えながら、この手紙を綴っている関介の年老いた背中が目に浮かんだ。
「あなたはよき師でした。そして、一つとして欠けるところのない完璧な紳士でした」
遅すぎる言葉だった。
灰皿に煙草を押しつけ、手紙の最後の欄に目を通した。
『追伸。ひょっとすると時乃がわたしの妻を自称しているかもしれない。大昔、彼女が笑うことができるようになったとき、大きくなったら、わたしのお嫁さんになりたいといい、まあ、子どもの言うことだと思って、自分でも詳しく覚えてはいないが、何か肯定的な返事をしたようだ。まさか、あれから五年経ち、思春期を迎えた今もそう本気で考えているとは思わなかった。誰か、年齢で釣り合う少年に恋をしてくれればよいのだが』
泰宗は笑った。最初は微笑んだのだが、そのうち膝を打ち、涙が目からこぼれるほど笑った。