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廓雲と扇の剣士  作者: 実茂 譲
第七話 荒野の扇とネイヴィ・コルト
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七の七

 ホテルは海の香りかすかな風がぐるぐると巻いて吹く、すり鉢状の土地の底に建ててあった。砂に囲まれた地形の真ん中には透明な水をたたえた大きな池がきらきらと輝いていて、池の岸辺は葦や白い花をつける柳のような樹が生えていた。ホテルそのものは漆喰造りの二階立てで、屋上には乾燥に強い南米産の葡萄を使った葡萄棚があり、そこで酒とちょっとした食事を楽しみながら、砂漠の夜風に当たることができた。二階は正面には枠を緑に塗った八つのガラス窓が並んでいて、一階は受付と食堂があるようだった。泰宗はおそらく一階には撞球室もあるはずだと言った。天原時代、天原に玉突きのできる場所がないことをさんざん苦情にしていたのだから、きっと自分のホテルには立派な撞球室をつけただろうというのだ。

 丘の上を西へまわりこむと、タイル張りの湧き水槽がある側面と船着き場に続く裏手が見えた。桟橋はホテルのガラス戸から直接つながっていて、その杭に手漕ぎボートが二艘もやい綱をひっかけていた。

 西へ傾きつつあった太陽を背にして、扇と泰宗は下りていった。扇はおそらくその関介が保護していた少女は、自分が見たあの処刑少女と同一人物に違いないと泰宗に教えた。泰宗はシャープス銃から弾を抜き取ると、担い革を通すための金具と用心金に白い手ぬぐいを結び、白旗をつくった。万国共通の血を流さず話し合いを望むものの証を銃身のほうで持って、高くかかげながら、ゆっくりと砂丘を下りていった。坂を下ると鞍から降り、二人は厩舎にはまわらず、ホテル正面の繋ぎ柵に馬の手綱を結んだ。

 玄関の扉の取っ手に手をかける。鍵がかかっていて、ガチャンと音がした。

「誰かいませんかー?」

 泰宗が少し声を張ってみるが、返事がなかった。手で庇を作って、ガラスに食いつくようにしてなかの様子を窺った。開いたままの宿帳が置かれた受付のカウンター、白いクロスをかけた正方形のテーブルがある食堂の入口、腰丈の壁でロビーと区切られた撞球室、よく見ると、受付の右に裏手への通りぬけ廊下があり、暮れなずむ空を映した水面が見えた。

「裏手は開いてる」

 扇は針金弾を込めてある散弾銃をホテル正面の板張りの歩道に置くと、狭い場所で斬り合いをやるのに使う大振りの苦無を抜いた。

「あんたは右からまわってみてくれ。おれは左からまわる。後ろで落ち合って、それからなかを調べよう」

「できれば、傷つけたくはないんですが……」

「それは相手の出方次第だ」

 扇は早々に左側面へと身を移した。漆喰壁から出っ張った半円型の水槽から水があふれ続けていて、水はそのまま小さな花の集まる窪地へと流れていた。水槽の上の二階には細長いガラス窓が四つ並んでいる。モール付きのカーテンは閉じてあるが、そこからいきなり撃たれることもないとは言えない。注意しつつ水槽から流れる細い水をまたいだ。厨房の裏口があったが、鎧戸にはしっかりと鍵がかかっていた。

 裏口から入るか。でも、都合よく開いているのも気になる。

 罠かもしれないとは思うが、泰宗もむざむざやられるようなタマではない。

 裏手にまわると、一瞬だが注意がおろそかになった。薔薇色の雲を映した池の美しさに目を奪われたのだ。茜色の空を戴いた砂丘は菫色に落ち着き、砂が丘を転がる音がさあさあと清流のように聞こえていた。泰宗の恩人はなかなかいい場所に永住の居を構えたというわけだ。裏手の壁に背をつけ、苦無を逆手持ちにしたまま桟橋とホテルの廊下を結ぶ開きっぱなしの扉のそばで待った。間もなく、ホテルの角から泰宗が姿を見せた。白旗を結びつけたシャープス銃を暗闇にかざす松明のように捧げ持っている。

「持つのは武器のほうがいいんじゃないか?」

「あくまで非交戦を貫きます」

「腹に銃弾がめり込んで悶絶しながら、ああ、あのとき扇が言ったことは正しかった、ちゃんと銃か刀を抜いておけばよかった、と後悔することにならないといいがな」

「また、そんな大夜どのみたいな皮肉を」

「今のおれ、大夜に似ていたか?」

「ええ」

 扇は肩ががっくりするほど深く息を吐くと、先に入る、と言って、ホテルのなかへ滑り込んだ。くすりとしながら、泰宗が続く。蔓草と花模様の壁紙を貼った廊下はまっすぐロビーへ伸びていて、先ほど二人がなかを窺うためにへばりついたガラス戸が見えた。壁付きの燭台があったが、灯はなく、暗い。裏口から見て、左側には扉が二つあって、手前の扉は持ち主の居室へ、奥の扉は受付裏の事務室につながっているようだった。廊下が尽きる右手には二階への階段があった。

 扇が目で合図した――一階を調べるから、そっちは二階へ。

 泰宗はうなずいた。

 泰宗がゆっくり階段を上るのを見届けて、扇はまず居室を調べた。緑に塗った扉の向こうは短い廊下で右側に扉が二つ、泰宗の恩人の関介の部屋とその関介が保護している娘――あの処刑前に五秒の時間をくれてやる少女の部屋だろう。

 まず手前の部屋を調べる。施錠可能な蓋付きの書き物机があり、蓋はぴったりと閉じられていた。えもん掛けには灰色の外套と帽子がかかっていた。反対側の窓のそばには銀貨もはじくほどシーツをピンとさせた寝台が一つ。寝台の枕脇にナイトテーブルがあった。その上にはランタンと自家製果実酒を入れた瓶、ビロードの切れ端の上に伏せた切り子ガラスのコップ、横になった火口から灰がこぼれているパイプがあった。樫材に森の生き物を彫らせた長持ちが一つあり、蓋の上には新聞から切り取ったらしい宿泊施設用蒸気昇降機の広告が雑に折り畳まれて、刻み煙草入りの青い缶の下敷きになっていた。部屋の主は死んだのに部屋に染みついた日常がまだ死んでいなかった。今にも部屋の主がひょっこり入ってきて、首をまわして疲れた体をほぐしながら、パイプに煙草をつめて、蒸気昇降機の広告を手にとって、いくら稼げば、自分のホテルに設置できるか、寝台に座って夢見心地に考えそうな雰囲気だった。

 隣は例の少女の部屋で家具什器も処刑屋らしい代物だった。年頃の少女が興味を持ちそうなものは一つもない。銀貨もはじく寝台は同じだが、こちらの机は銃を改造するための作業台で、銃身を固定するための金具や万力、弾薬筒を自作するための簡単な機械と雷管、空っぽの薬莢、坩堝、鉛を溶かすための小さな卓上炉と弾丸を鋳造するためのハサミ、そして分解途中の銃の部品が散乱していた。

壁に打った釘には黄金色に錆びた蹄鉄がひっかけてあって、その横には二朱金一枚に相当する金貨で買える大統領の肖像画があって、投擲用のほっそりとした短剣が十本以上、大統領の顔に刺さっていた。

 部屋に一つしかない椅子の背もたれにはつば広の帽子と黒い上衣、がかかっていて、鹿革の黄色い手袋が置いてあった。弾薬ベルトもあったが、ホルスターは空っぽだった。

 ――つまり、少なくとも一丁、銃を持っている。

 どうあっても平和的な解決は妨げられる定めにあるらしい。

 次に受付裏の事務室へ踏み込んだ。何かあれば、逆手に握った大ぶりの苦無をいつでも繰り出せるよう刃をまっすぐ前に向けた。事務室には厨房へつながる扉があり、宿帳を置いたカウンターの下には南京錠と鎖でつながった手提げ金庫が一つ、それと手の届く位置に作った吊り棚には銃身と銃床を切った二連式散弾銃があった。銃口はカウンターの向こうを向いていた。これで引き金を引けば、カウンター越しに銃か刀をちらつかせる強盗の股を吹き飛ばせる。泰宗の師匠は用心深い性格だったらしく、受付事務室だけでも五丁の小さな回転式拳銃が隠されていた。それらの銃は厨房につながる扉に手をつけて立たされたり、床に腹ばいになり、手を頭の上に重ねたときに手が届くよう巧妙に計算されていた。

 厨房は西洋式で、真っ黒な煙突をくっつけた二つ竃の石炭レンジの上にフライパンが乗ったままになっていた。反対側の棚には珈琲豆の壷、食塩釉薬がかかった小麦粉壷、果実酒を入れた広口のガラス瓶、パンやビスケットを入れる鉢、錫製の壷、ジャムを入れたガラス瓶が並んでいて、横には人の背丈ほどある木製冷蔵庫が二つあるうちの一つの扉を開けていた。亜鉛と陶器で断熱した空っぽの冷蔵室からサソリのハサミに似た氷つかみが半分落ちかけた格好で立てかけてあった。

 レンジのフライパンを覗く。今朝、油で炒めたらしい手作りビスケットが二つ、手つかずで残っていた。

 ――やはり、なかにいるな。

 こっちに害意はないが、それを言って信じるほど、向こうもおめでたくはないだろう。床を引っぱりあげる仕掛けがあったので、開けてみたが、コルクで栓をしたウイスキーや赤ワインの瓶が並んでいて、誰もいなかった。少なくとも少女が一人隠れることのできるような小部屋や隠し壁龕はない。

一階に戻り、地下の酒蔵の扉を戻す。すると、一つだけ開いていたはずの木製冷蔵庫の扉が両方とも開いているのを見つけた。

 カチリ。

 金属でできた小さな球がぶつかったような音が扇のすぐ後ろで鳴った。

 冷たい声がそれに続く。

「五秒あげるわ。祈りなさい」

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