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廓雲と扇の剣士  作者: 実茂 譲
第七話 荒野の扇とネイヴィ・コルト
105/611

七の六

 王子堂は周囲を三つの砂丘に囲まれていた。丘の一つに立って、その小さな町を俯瞰すると、町は斜面を這い登るように広がった瓦屋根が日光と砂まじりの風で白々としている一方で、町の中心では、大きな建物と建物のあいだを埋めるように柳の木立がこんもりと顔を出していた。鉄道は町の北をかするように過ぎていくだけで駅舎はなく、汽車から郵便袋を放り投げるためのプラットホームとそれを拾って町に持ち帰る番人の小屋があるだけだった。男たちは十一月にもかかわらず、股引一丁や両肩脱ぎ姿で涼しい日陰を求めて右往左往していた。ちょうどいい日陰には必ず大統領の貼り紙があり、貼り紙のなかの大統領はまるで木陰で涼めるのは大統領のおかげなのだといわんばかりにふんぞり返っていた。

 西洋蜜柑の樹がつくった日陰にだいぶ傷んだ畳を一枚置いて、花札賭博に興じている一団がいた。ならずものたちからなる博徒たちは町の入口を通っていく扇と泰宗の目に鋭い一瞥をくれた。秘密警察にも顔が利く一団は用心深い目を寄せていたが、泰宗がちらりと横目を流すと、すぐに目をそらした。男たちは頭のなかで計算をしてみた。密告で得られる報酬と、命中すると熊にちぎられたようなすさまじい傷を残す反逆者の銃の噂。男たちの目は扇と泰宗の背負っているシャープス銃と散弾銃を見ていた。足し引きしてワリにあわないと思ったのだろう、男たちは一人また一人と勝負に戻っていった。

 王子堂は西北西から東北東へと本町通りに貫かれていて、通りには治水技師の事務所や焼酎製造所、芝居小屋が三軒、柴垣で区切った時宗の道場、隊商たちの武装蒸気自動車を入れる車庫、地下牢と武器庫のある警察署、機械修理と銃砲店、品揃えの乏しい楽器店、裏庭に鶏小屋を持っている旅籠があった。ただ、近代的な銀行はなく、窓口に鉄格子を嵌めた両替商の土蔵があるだけだった。その裏手は売春宿になっていて、小袖を着崩した遊女たちが気だるげに縁側に座っていた。舗装された道はなく、住人は泥地に板を渡す以上のことはしない。

 関介のホテルがあるのは北にある砂丘をまわったところにある池だった。ホテル以外の建物はなく、週に一度、食料などを町から買っていった。泰宗は関介の死について、たずねてまわった。芝居小屋の呼び込み、いがぐり頭の念仏僧、酒屋の番頭、西洋家具の修理師――みな一様に何も知らないの一点張りだった。これだけでも、関介が政府に刃向かうか何かして殺されたことを暗示していた。石見銀山謹製殺鼠剤を売る老人はすり切れた股引越しに膝頭をがりがり掻きながら、二人に忠告した。

「悪いことは言わんから、おやめなされ。あの西洋宿屋は死神につかれておる」

「死神?」

「あれに関わるとろくなことにならんのじゃ。生きていくのは辛いことだが、それでも何とか、揉め事もなく長生きしたいもんじゃよ。そうだろう、お若い方々?」

「その西洋宿屋の主人はわたしの恩人なのです」

「あの子もそう言った。恩人だ。だから、許さないと」

「あの子? あの子とは?」

「知らんよ、わしは何も言っておらん。あの子なんて知らん。関わらないことだよ、お若い方々。わしはここでもう五十年鼠取りを売っている。鳥取が緑に溢れていたころからじゃ。長生きのコツは簡単じゃ。ただ鼠取りを売っていればいいだけのことだよ。砂漠も戦争も大統領の親衛隊も鼠取りを売っているあいだに、さーっと頭の上を通り過ぎてしまう。そうだろう、お若い方々?」

 二人が警察署の向かいにある小料理屋で食事を取ったのは、何も独裁者の出先機関を挑発しようと思ったからではなく、その店が二朱銀一枚を持っているものなら誰にでも、神戸から仕入れたケンタッキー・ウイスキーを一瓶売ってくれるからであった。店の半分は畳の入れ込みになっていて、獅子と牡丹の色あせた衝立で区切られていた。客たちは昼もはやい時間から焼酎をちびちびなめたり、麦飯をガツガツ食らっていた。常連らしい老人は横になって寝息を立てている。奥の畳の上がりではシャツに段袋を穿いたずんぐりとした浅黒い男たちが藁の脚絆を外しもせず、こそこそと何かを売ったり買ったりしていた。そして店は土間が残り半分を占めていて、厨と客の座る腰掛のあいだに長い帳場台、英語でいうところのカウンターがあった。泰宗は紙袋に入ったウイスキーの壜を手に取ると、軽い食事を所望した。

 店の親爺は背は低いが熊のように逞しい肩の上に太い首をのせた男で、この料理屋の専制君主然とした威風を放っていた。すぐに二人のために豆味噌と蕪の千枚漬の皿、焼き鰯を二尾のせた飯に熱い出汁をかけて二人の前に置いた。扇と泰宗は冷たい水の入った湯呑で喉を潤しながら、香ばしい湯漬けをさらさらと食べた。

 食事が終わると、泰宗は煙草をつけた。そして、風に揺れる暖簾越しに本町通りを挟んだ向かいの警察署を見つつ、店の親爺にたずねた。

「鏡条関介という人がやっているホテルがここにあるときいたのですが?」

 店じゅうの動作がぴたりと止まった。香の物を挟んだ箸が宙で止まり、焼酎をなめる音が止まり、奥で怪しげな取引をしているものたちですら、動きを止めて耳を澄ませていた。ただ老人の寝息だけが無垢な赤ん坊のもののようにすうすうと聞こえるだけだった。

「あの北の丘の向こうにある西洋風の宿屋のことかい?」

 そうたずねかえす親爺の口調はぶっきらぼうだが、何に対しても遠慮するつもりはない強い芯があった。

「ええ。その宿屋です」

「店主が殺されたから、もう営業はしていない」

「そのようですね。理由をご存じですか?」

「詳しくは知らんが、持ち主のじいさんは、まあ、ずいぶん前から強情を張っていた。政府の役人や憲兵が金を脅し取ろうとするたびに膝や肩を撃たれたりして帰ってきた」

「ここは独裁国家ですよね」

「そうだよ」

 他の客たちは慌しく、代金を置くと、我先にと店の外へと飛び出していった。

 親爺はねめつけるように泰宗を、扇を、そして二人の銃と刀を見た。

「あんたたち、よそから来たようだな?」

「ええ」

「今の見ただろ? この国の男はみんなタマなしになっちまった。情けない」

「でも、あなたは違うようですね」

 親爺はニヤリと笑った。

「おれはおれの店で好き勝手を許さないだけだ。秘密警察の手先が飯を食いに来るならよし。酒を欲しいならよし。酌婦の尻をちょいとつねるのも結構。だが、誰か密告するために来た場合は丁重にお帰りいただく。そして、そのやり方で、今日のところまではうまくいってるってだけだ」

「今のこの国ではあなたのような方は珍しいのでは?」

「そうでもないぞ。あの、ホテルを持ってたじいさんもそうだった。えらく銃の腕が立つらしくて、警官や憲兵はもちろん、軍や親衛隊どもですら敵にまわすのを恐れていた。だが、じいさんが銃を撃つのは奴さんの宿でなめた真似をしたときだけだ。そうじゃなければ、ここいら一帯でも一番の快適な宿屋だ。だが、それもじいさんが殺されて、パアだ。勿体無いことだ」

 後日、誰かがこの店主について同じような説明をする日がくるのだろうか? 扇は横で二人のやり取りを聞きながらそう思った――あの飯屋の親爺は一本筋が通ってたな。赤鰯の湯漬けは絶品で、銀か金を持っていればウイスキーも売ってくれた。ここらへんでは骨のある唯一の飯屋で、秘密警察の目を気にせずくつろげた快適な店だった。それが突然政府に逮捕されて、ズドン! 残念なことだ。

 ――そんなことが起こらないよう願うばかりだ。

「子どもを保護していたようですが?」泰宗がきいた。

「そうらしい。五年前か、六年前か忘れたが、いつのまにか、じいさんが引き取ってた。滅多に町に来ることはなかったが、たまに見かけた。じいさんの孫かもしれないし、そうじゃないかもしれない」

「というと?」

「いつも銃を持ち歩いていたよ。その娘。二人して銃を腰の弾薬ベルトに差して歩いていると、いかにも血がつながっているようだった。でも、じいさんが結婚していたって話は聞いたことがなかったしな。それに誰だって脛に傷持つ身だ。それをじろじろ見て探ったりすると、秘密警察の手先に間違えられる」

 まるで、ゴキブリに間違えられると言うような口ぶりだった。

「その娘――」扇が会話に割って入った。「小柄で細身、年齢は十四か五。黒い上下につば広の帽子をかぶっていて、男みたいに髪を短くしていなかったか?」

 おやおや、と親爺は驚き、指を組んだ両手を帳場台の上に置いた。

「うん、最後に見たときはそんな感じだった。髪は、そう、男の子にしちゃ長いが、女の子にしちゃ短く切っていたな。それに黄色い手袋をはめていた。あんなもの、このあたりじゃ珍しい。結局、じいさんとあの娘――そういえば名前も知らないんだった――がどんな関係だったのか、分からず終いだ。ただなあ――」

「ただ?」

「あの娘は長生きできんな。あと二三日も生きてはいられない」

「なぜです?」

「じいさんが殺された日、必ず復讐すると言っていた。じいさんを殺ったのはたぶん大統領の子飼いの誰かだろう。いくらなんでも、無茶だ」

「その娘が今どこにいるか、心当たりはありませんか?」

「心当たりも何も――」親爺は笑って、北のほうを手でいいかげんに差した。「まだ、住んでいるよ。そのホテルに」

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