表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
廓雲と扇の剣士  作者: 実茂 譲
第七話 荒野の扇とネイヴィ・コルト
103/611

七の四

 飛行船が発着場につくと、入国管理事務所で武器を返してもらうのに賄賂をくれてやらなければいけなかった。そうしなければ、没収すると官吏が言ったためだ。まあ、確かにレマット回転式拳銃だの、携帯用ミトレイユーズ砲だの、棒手裏剣だの、絞殺用の鉄線だのが税関で引っかかるのは分かるが、金さえもらえば通してしまうのもどうだろうとは思う。

「まあ、独裁者の官吏なんてこんなものです」泰宗が言った。「忠誠の隙間で甘い汁を吸いたがるんですからね」

 税関の建物から広場へ出た。顔に当たる砂の国の風は乾いていて、なぜか甘ったるい匂いがした。噴水のまわりに紫の小さな花がびっしりと咲き乱れている。家畜が噴水の水を飲むために花を踏みにじったりしないよう、二角帽をかぶった騎馬警官がスペンサー銃を手にぐるぐる噴水のまわりをまわっていた。斑のある馬は下をだらんと出して、噴水を恨めしげに眺めている。喉の渇きに負けて、噴水へ脚を運びそうになると、警官が口から血が出るほど残酷に手綱を引くのだ。

 扇と泰宗はイナバ国に着いて、十分と町を歩かないうちに独裁国家ならではの産物をあちこちに見出した。秘密警察の手先らしい団子売り、政治犯を閉じ込めるための石の監獄、堕落した新聞、横柄な憲兵、大統領の名を冠した記念施療院、今年で九十六歳になる大統領の母親の誕生日を祝うための横断幕、大統領万歳!とペンキで書きつけた蒸気自動車に乗って移動する音楽隊、大統領を称える歌を教える学校、金次第でどんな残酷なことでもする大統領親衛隊――赤い肋骨服と白いズボンを身につけた洒落た身なりの人殺したちのカマボコ型兵舎。

 そして、大統領を称える彩色貼り紙。

 これはパリの交差点を意識してつくった広告塔から俥宿の食堂まであらゆる場所に貼ってあり、剥がすと逮捕されて監獄に放り込まれて、二度と太陽を拝めないし、水も飲ませてもらえない。貼り紙の内容は大統領が自由の女神と天照大神を足して二で割ったような女性に手を取られ、栄光の玉座へ導かれていくというもので、貼り紙の大統領は軍服を着た背の高いカイゼル鬚の持ち主で男らしいキリリとした顔をしている。

 実際の大統領は禿でチビの老人で唇の両端まで生えた白い口髭があざらしの鬚のように力なく垂れていた。また彼の五十余年の人生で彼が軍人だった時間は一日もない。三流の蘭学者から法律家に転じ、代議士になり、大臣になり、そしてずるがしこさと抜け目のなさで『共和国終身大統領。自由党党首。祖国の恩人にして産業と進歩の理解者。自由を守る盾の騎士。レジオン・ド・ヌール勲章グラン・クロワ受勲者』に成り上がったのだ。

 軍は掌握しているが、公式の場で軍服を着ることは注意深く避けていた。軍服を着る栄誉は軍人のものだと主張する頑なな将軍たちと無用の対立をすると厄介なことになるからだ。というのも、これも苛烈な独裁国家にありがちなことだが、大統領は野党勢力に国の三分の一を占領されていて、終わりなき内戦の泥沼に足を突っ込んでいた。だから、反乱軍と戦うため、軍を必要以上に刺激することは避けなければならず、しぶしぶだが公式の場では法律家らしく燕尾服で通した。ただし、フランスかぶれの独裁者にありがちな三色旗風の綬を斜にかけ、自分で制定し自分に一番に受勲させた勲章で燕尾服の胸をめちゃくちゃに飾ることで溜飲を下げた。

 大統領にとって嬉しいことは彼の師匠であるフランスもまた独裁国と化していたことだった。普仏戦争での敗戦で帝政が解体し、生まれ変わった第三共和政は現在ジョルジュ・ブーランジェ将軍による独裁国家になっていた。この将軍は三年前に報復を叫ぶ世論に応える形で仏独戦争を引き起こして勝利することで終身大統領の椅子を手に入れた。

 もちろん、フランスを愛するイナバ共和国大統領もブーランジェ将軍に祝辞を送り、そして、憧れのレジオン・ド・ヌール勲章を手に入れた。階級は最上のグラン・クロワ。これは欧州列強の国家元首か偉大な芸術家、フランスを救った軍事指導者にのみ与えられる勲章でフランスかぶれの大統領はどうしてもこの勲章が欲しくて、様々な工作をした。ブーランジェ将軍がぞっこん惚れている愛人の弟が化学会社を持っていたので、大統領はイナバ国で産出される硝石取引の独占権をその会社に与えることで階級グラン・クロワのレジオン・ド・ヌール勲章を受勲したのだ。

 つまり、胸先にぶら下げる十字型の金属片のために国の財産を詞的に流用したということだったが、それについて少しでも批判めいたことを口にすれば、監獄の屋上に鎖でつながれて日干しにされる運命が待っていた。

 その他にもさまざまな奇行と悪事を働いていた。まず、パリに負けないブールヴァールを造ろうとした(そのために大統領を委員長とする都市計画委員会が発足したが、大統領を含む委員たちが集められた予算を懐に入れたことでブールヴァール建設は叶わなかった)。次にフランス外人部隊を真似して外人部隊を創設した(もちろん志願する外国人などいなかったから、中国人奴隷を大量に購入して部隊を充足させた)。それにワーテルローでナポレオンに引導を渡したウェリントン公を徹底的に貶める記事をお抱えの新聞に書かせたりした(これはイギリス領事から軍艦による砲撃をちらつかせた、かなり脅迫めいた警告を食らい、取り下げられた)。

 人で込み合う通りを歩きながら、泰宗は、虚栄心の塊のような愚か者のチビハゲがこうして一国の主となることがいかにして成し遂げられたのか実に興味深いと言った。

「とても滑稽です。大統領閣下はどうやら鳥取をパリか何かにしたいらしいですが、この風土をごらんなさい。どう考えても、メキシコか、それともフランスの植民地になっているアルジェリアです。宝石のような街もなく、火を吹くように激しいジャーナリズムもなく、何よりフランス革命の掲げた自由、平等、そして博愛なくして何がフランスでしょう。本当にフランスを愛するのであれば本家フランスが独裁に落ちた今こそ自由と平等と博愛を求めるべきなのでは? ギロチンとフォンテーヌブローだけを見ていてはフランスを知ったことにはなりません」

 気づくと、泰宗と扇のまわりは誰一人いなくなっていた。町の住人はこの二人と関わり合いがあると誤解されることを恐れて逃げてしまった。

「今、実際に目にして、分かりました」泰宗が悔しさを滲ませて言った。「関介さまはこんな故郷だからこそ、帰ったのです。何とかしたいと思ったのです」

「とりあえず、この場を離れるぞ。そこの角から蹄の音と蒸気機関の音がする」

 横町に身を隠すと、二騎の親衛隊騎兵に先導された蒸気自動車がやってきた。荷台には固い煙突のような軍帽をかぶった赤い肋骨服の親衛隊員をどっさり積んでいた。親衛隊騎兵が扇たちの反対側にある街路へ曲がった。甲高い泣き声が聞こえ、印半纏を着たしゃぼん玉売りの老人と十歳くらいの少女がサーベルの腹でぶたれながら、親衛隊騎兵に連れてこられた。

 蒸気自動車の助手席に乗っていた親衛隊大尉が車を降りた。勲章をつけた赤い肋骨服に白ズボン、房飾り付きの灰色の行縢を履き、つばが広い灰色の兎毛帽子をかぶっていて、袖には金糸のオーストリア織がきらめいている。洒落めかした大尉はひざまずいた老人と少女の前へ歩いた。大尉は老人が持っていたしゃぼん液の箱を蹴っ飛ばし、少女の顔を二度平手打ちにした。手にはフランス製のシャメロ・デルヴィン回転式拳銃が握られていて、銀色の銃身がぎらぎらと照りつける太陽に輝いていた。

「ここで大統領閣下のご治世に対して、不敬な文句を並べたやつらがいたはずだ!」

 大尉はブーランジェ将軍風の鬚を二三度しごくと、いきなり老人の頭を撃ち抜いた。

 老人は口から真っ赤な血を吐いて、白い街路に倒れた。どんどん広がる血だまりの横で少女が震えている。

「大統領閣下に対する反逆は自由と進歩に対する反逆である! そして、自由と進歩に対する反逆は死をもってして償わなければならない! もし、お前たちが犯人を突き出さないのなら、今度はこの娘を処刑する。そして、それでも犯人を突き出さないならば、貴様ら全員を処刑する。それが嫌なら――ホギャッ!」

 脅迫の文句が途切れた。見れば、大尉の両頬を棒手裏剣が左から右へ貫いていた。

 泰宗は右へ飛び出し、携帯用ミトレイユーズ砲を発射した。まず蒸気自動車のエンジンがバラバラに砕け、運転手が弾き飛ばされ、三〇口径の弾が荷台の親衛隊員たち自慢の赤服をズタズタに切り裂き、顔、頭、首、胸に次々とめり込んだ。

 弾切れの小型砲を捨て、スコフィールド銃とルマット銃を抜くと、壁に背をつけて、左右を素早く見やった。

 左では扇の棒手裏剣に顔をやられた親衛隊騎兵が二人、手綱を離して馬から真っ逆さまに落ちて、その頭蓋がたたらを踏んだ馬の蹄鉄の下でグシャリと音を鳴らした。少女はすぐに近所の家のなかに逃げ込んだ。

 右では頬を串刺しにされた親衛隊大尉が逃げていた。

 泰宗は銃身を左腕の上に据えて慎重に狙ったが、頭から帽子を弾き飛ばしただけで倒れはしなかった

「扇!」

 声をかけるまでもなく、扇は後を追って走った。板葺きの家並みが続き、棘のような葉を茂らせる潅木の庭を大尉は必死に逃げる。足に自信のあるつもりの扇でも舌を巻くほど逃げ足が速い。

 扇が街路に出たときには大尉は深い谷にかけられた跳ね上げ橋を登っていた。蒸気機関がタタンタタンと音を立てて、橋はどんどん傾斜が高くなっていくが、大尉はてっぺんまで登ると、対岸へと立ちつつある橋へ跳んだ。まるで猿のようなやつだ。扇は舌打ちした。もう橋は八十度の角度で上がっている。谷の幅は十間以上あり、飛び移るのも無理だ。棒手裏剣を投げるのも遠すぎる。

 そうだ。銃がある。

 腿に縛りつけた銃嚢からネイヴィ・コルトを抜き、橋の脇にある蒸気機関に六発撃ち込んだ。風穴から真っ白な蒸気が六本吹き出して、橋を支えていた力がなくなると、橋の桁は轟音とともに真横に倒れた。

 一気に視界が開け、対岸の大尉を確認する。

 銃を太腿の銃嚢にしまい、抜刀して斬り捨てようと駆けるが、橋の半ばで足が止まった。

 大尉の様子がおかしい。

 扇に背中を向けて、ひざまずいている。その様子はあの撃ち殺された老人とそっくりだった。違うのは大尉が必死に命乞いをしていることだった。胸の前で手を組んで震えながら頭を下げるその先には華奢な体つきの小柄な少女が一人大尉の額に扇と同じ銃を突きつけて立っていた。

 少年のように切った短い黒髪を大きいが決して笑いそうにない冷めた目が印象的だった。黒い上衣と灰のリボンネクタイ、色あせた赤いフランネルのシャツ、膝まである編み上げの長靴、横にボタンが並んだぴったりとしたズボン、黄色い鹿革の手袋。銃を握っていない左手にはつばが広いが高さがない帽子を手にしていた。銀の鎖が上衣のボタンからポケットのなかへと続いている。

 大きな目にみじめな敗残者を映しながら、冷たく告げた。

「五秒あげるわ。祈りなさい」

 少女は帽子を地面に落とし、ポケットから銀色の懐中時計を取り出し、蓋を開けた。

 大尉は頬を貫かれたまま、殺さないでくれ!と叫んだが、棒手裏剣が舌の邪魔をしたせいで、入れ歯を失った老人のどもりのようなものが喉から漏れるだけだった。

 懐中時計の蓋がパチンと閉じるとともに、破裂音がして、大尉の頭の上半分が吹き飛んだ。噴き上がる脳漿の上を扇が刺した棒手裏剣がくるくる舞っている。

 下顎と鼻の残骸をくっつけた大尉の骸が仰向けに倒れる。

 少女は既に背を向けて、拾い上げた帽子をかぶって街路のなかへと消えていた

 泰宗が憲兵の馬に乗り、もう一頭の手綱を握ったまま駆けてくる。

「大尉は?」

 扇は顎でしゃくった。

「先を越された」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ