七の一
「あなたには銃の使い方を覚えてほしいのです」
突如、扇は泰宗に言われて、六連発回転式拳銃〈ネイヴィ・コルト〉を手に握る。
恩人の訃報を受け取った泰宗はただならぬ事件が起きたことを察し、扇を助太刀に地上へと降りる。
行き先は砂漠と荒野の国、イナバ国。広大にして不毛な鳥取砂漠が二人の前に広がる……。
「少し、体を貸してください」
まるで悪霊か女衒のようなお願いを泰宗がしてきたのは、十一月の頭、寒々とした風が仲町をまいていった夜のことだった。この季節、天原じゅうの遊女たちが着物に綿を入れ始め、男衆も袷の仕度に忙しい。
用心番の控え部屋でも大夜が火鉢に炭火を熾いて、餅を焼き、半次郎はまた熱い汁粉のうまくなる季節がやってきたとゴツゴツした手をこすり合わせていた。扇も衣替えとまではいかないが、いつもの黒い上衣に長手甲、その上にマントを羽織って寒さの対策とした。
そんな日に、泰宗がやってきて、扇に言ったのだ。体を貸してくれ、と。
「貸すって、どのくらいだ?」
「一週間かもう少しかかるかもしれません」
扇は刀を立てて支えにしながら立ち上がり、刀をベルトに差した。
「下に降りたりするのか?」
下とは天原の下、地上を指す。
泰宗はうなずいた。
「ええ。ですが、今すぐではありません。ちょっと用意が必要なんです」
「このこと、楼主は?」
「もちろん存じています」
「わかった。仕度するから少し時間をくれ」
扇は泰宗に連れられて、勝手口のほうから見世を出た。泰宗はケープ付きの外套で腰に吊るした汽車切是永三尺二寸の鞘が出るよう、外套の後ろは打っ裂き仕立てになっていた。肩にかける革の装具でスミス・アンド・ウェッソン社製の四四口径スコフィールド回転式拳銃を吊るしている。銃身の長い銃には部品一つ一つの動きを滑らかにするための機械油がしっかり塗られていて、風で泰宗の外套がひらめくと、辻行灯の光が黒い撃鉄に跳ね返ったりした。
泰宗と扇は天原の舳先側――つまり時千穂道場や万膳町があるのとは反対側の惣門から廓を出て、右に曲がった。しばらくすると、道は二手に分かれていた。左は経師ヶ池につながっていて、右は機械職人や技師の住む機械町である。
泰宗は機械町への道を選んだ。洋風のガス灯が石敷きの道に並んだ近代的な道路で提灯を持たなくとも機械町へと行ける。ガス灯や配管はみな機械町の住人たちの自弁であり、彼らの住居はそのまま日本屈指の機械工場となっていた。
機械町に近づくにつれて、道沿いには畑や木立に混じって職人の工房が並び始めた。工房はどれも住居となる母屋と母屋と同じ大きさの納屋が渡り廊下でつながっていて、納屋からはトンカチの音や鋸の音、蒸気のしゅうしゅう言う音が常に聞こえてきた。煙出しからは化学薬品の臭いが混じった白い蒸気が吐き出されるそばから、木枯らしにさらわれて、ガス灯に照らされた夜空へと消え失せる。職人はいろいろなものがいた。西洋に追いつけ追い越せと新奇をこらした機械の製造に勤しむ蒸気技師から、古きよき鯨の鬚のゼンマイに価値を見出した茶運び人形の作り手、そのどちらの職人たちにも部品を供給できる問屋。問屋の主は金属研磨の工房と鯨や竹の加工を請け負う工房を敷地のなかに組み込んでいたので、注文があれば遅くて二日、早ければ二時間でお望みの部品を提供できた。日本で最高の精度を誇る歯車工場があれば、飛行機械の研究所もある。全ての部品の母である鋳物工場では黒眼鏡無しでは直視できない熔けた鉄を鋳型に流し込み、蒸気式計算機を備えた演算屋は自分の発明がきちんと作動するかどうかの理論上の数値を求めてやってくるのだが、演算屋は職務上、最新の発明の萌芽に触れる機会が多いため、たとえ総籬株会議でも顧客の実験内容を聞き出すことはできなかった。
白寿楼お抱えカラクリ番の久助が住んでいる都合で、扇も何度か訪れたことはあるが、あまり深く関わる町ではない。それは泰宗も同じはずだが、扇よりも長くここにいるためだろう、見慣れぬ機械に溢れた町をすいすいと、たまに顔見知りに会釈して、歩いていく。
機械町の頭上には針金でこさえた縄があちこちに張り巡らされていて、工具や食料を載せた桶や櫃が滑車で吊るされて、あちこちに移動していた。
機械職人たちの健康状態はお世辞にもいいとは言えなかった。寝食を忘れて研究に没頭し、危険な化学薬品の出す煙を吸い続け、食べ物は干した肉と味噌の一塊、それに焙烙で炒めた魚粉入りビスケットをかじるといった具合で、天原の住人で一番医者の世話になる連中だった。酒をやるにしても生のアルコールを適当に水で割って飲むような手合いだったので、量と質の両方にこだわる愛酒家の泰宗はいつも憐れむような目を機械のいじり屋たちに向けるのだった。
泰宗が立ち止まった。そこには鉄砲伝来の様子を描いた錦絵を看板にかけた店があった。天原では珍しい煉瓦の店の表は開けっぱなしにされていて、作業台らしい分厚い机の上に絵の描かれた美濃紙二つ折の紙に絵が数枚、無造作に散らされているのが見えた。どうやら表の看板にかける図案らしく、長篠の戦で種子島の三段撃ちに薙ぎ倒される武田の騎馬隊や鳥羽伏見でミトレイユーズ砲に吹き飛ばされる幕府軍の無様なやられようが実に細かく書き記されていた。裂けた腹から飛び出した自分のハラワタに足を絡ませて悶絶する馬たちの表情や、頭が吹き飛び首のあった場所には赤い血管の裂けたものや肉の筋がひょろりと伸びているだけの兵隊、速射砲の足元に転がった空薬莢の煌めきなど、銃砲を称讃する絵の意図が巧緻を極めた筆で表現されていた。
「おお、来た来た」
絵を手にして見ていた扇の耳に久助の声が届いた。声はすれども姿は見えず。と、思っていると、床板がカタカタと鳴りながら独りでに開き、地下に通ずる階段が現われた。カラクリ外套に帆布製の前掛けをした久助が、手の機械油を丹念に拭き取りながら、その階段を上がってきた。
「泰宗の旦那。用意はできてるよ。火薬中毒者もだいぶ前から来てる」
「あいつが来てるのか?」
あからさまな警戒に、泰宗が、まあまあ、と声をかける。
「今回は彼らの協力が欠かせないんですよ」
「協力?」
「ええ」
久助に続いて、地下への階段を下りながら、泰宗が言った。
「あなたには銃の使い方を覚えて欲しいのです」