第09話 霧嶋と森の民
森の民の村に滞在して十日ほどが過ぎていた。
京の東征軍に所属する神狩の霧嶋は順調に回復していた。
その回復ぶりは霧嶋自身にとっても驚くべきものだった。熊の獣神に付けられた傷は四筋。左の肩甲骨辺りをかなり深く抉られ、一時は左腕が満足に動かなくなっていた。背中の激痛に寝床から起きる事さえできなかったのだ。
それが今ではほとんど普通に生活できている。左腕こそ動かさないように吊っているが、激しい動きさえしなければ村の中を歩き回ることもできた。
呪い士サンシエの施した霊への治療は目覚ましい効果を上げていた。
命を落としてもおかしくなく、助かったとしても軽くない後遺症が残りかねない状態から、たったの十日でここまで回復させてくれたのだ。霧嶋はサンシエに感謝している。
ただ、どうしてもそれを素直に言えないのは、彼が一日に一度持ってくる、例の物凄い臭いと味の薬湯のせいだろうか。
霧嶋がその薬湯を飲むとなると、わざわざ見物にやって来る村人までいる始末で、苦労して飲み干せば「おおー!」と歓声が上がる。どういうことなのかと大男のコジカに問えば、
「あれはキリシマみたいに体の弱った時に飲むもんなんだが、とにかく臭くて不味い。俺達はめったに病気なんぞしないが、それはそいつを飲みたくないからなんだぞ」
と訳の分からないことを言われてしまった。
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村人の霧嶋に対する態度は気安いものだった。いずれ敵方になるかも知れない京の女であるとは知っているはずなのに。
自由に動き回れるのならば、それを利用しない手は無い。いずれ来る時の為に、森の民の内情を探っておこうと、霧嶋は積極的に森の民に接触していた。
霧嶋がこの村に来て数日後から、森の民の若い男が続々と集まってきていた。カムイの森にはいくつもの村があり、それぞれから戦力になる若い男が集められているのだ。
その人数を数え、装備をつぶさに観察していく。建物の配置や構造、村を囲う木柵の強度、そんなことも調べていく。
そんな霧嶋の後をいつも小さなカナが着いてくる。カナはサンシエから霧嶋の看護を任されており、背中に膏薬を塗り直したり、包帯を変えたりとかいがいしく世話を焼いてくれた。
カナと言えば、彼女と話をするとき、霧嶋はいつも不思議な感覚に襲われた。カナの口にする言葉は、そのまま言葉として普通に聞こえているのに、それとは別に直接頭の中にカナの意思が伝わってくるような感覚だ。
それについてサンシエは、
「カナの言葉にはそういう力があるんですよ。言葉に託した意思を、言葉そのものに頼らず相手に伝えられるんです。だから言葉を解さない鳥獣とも意思を交わすことができるんです」
と語っていた。
ある時にそれを裏付ける光景を目撃した。村でよく見かける一羽の鷹。松前の空に舞っているのを見たあの鷹だ。村人たちからコエイと呼ばれるその鷹と、カナが会話をしていたのだ。もちろん霧嶋にわかるのはカナの発している言葉だけだが、応じて上げるコエイの鳴き声と交互に聞いていると、実際に会話が成り立っているとしか思えないのだった。
サンシエはまたこうも言っていた。
「実は僕の呪いもカナに助けられています。僕は霊を見て操ることはできますけど、人間以外の霊と意思を交わすことはできません。カナが僕の代わりに霊に語りかけて、僕に協力するように説得してくれているんですよ」
呪いに用いられる霊の一端である蜘蛛の霊は霧嶋も見ている。とすれば、カナは蜘蛛のような虫とも意思を交わすのか。
神狩として様々な異能の力に接して来た霧嶋にしても、カナの能力は初めて見るものだった。そしてどこか微笑ましくも感じていた。
カナが動物達と会話している様子は、とても平和で、壊してはいけない光景のように霧嶋には思えたのだった。