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カムイの森  作者: 墨人
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第08話 呪い治療

 カムイの森の外縁近くにある「下の村」は、森の外との交易用に作られた村だ。周囲を囲む木柵や高床式の家屋など、基本的には他の村と同様の作りをしている。唯一違うのは外部から来た者が宿泊するための家屋を数軒用意してあるという事だ。


 そんな家の一軒にサンシエとカナはいた。囲炉裏には火が入り、湯を沸かした鍋が湯気を昇らせている。床に広げられた布の上には薬草や毒草が小分けにして並べてあり、適量を取りわけては手元の擂鉢に放り込み、ごりごりと擂り棒を動かしていた。カナは水を汲んだ桶や布を用意して待っている。


 これから治療が始まる。


 毛皮の敷物には森の中で発見した京の女がうつぶせに寝かせてある。発見現場で施したのは止血などの応急処置に過ぎず、本格的な治療を行わなければ完治はできない。そこで村に着いてすぐに、外来用の一軒に女を運び込んだのだった。


 ちなみに、一緒にやって来た松前のしろがねはがねには別の一軒を貸し与えてある。昨日の松前での決戦以降、夜通し移動を続けていたそうで、そうは見えなかったがかなり疲労していたらしい。話を聞くにしてもカムイの所に行っているシシリクが到着してからのほうが手間が省けるだろうという事で、まずは休ませることにしたのだった。


 夜通し移動を続けていたのは京の女も同様で、意識を取り戻していないのももしかしたら気絶から睡眠に移行してしまっているのではないかと思われた。

 意識が無かろうと眠っていようと、治療を行うにあたっては関係ない。普通ならそうなのだが、サンシエの治療方法と、松前で見た彼女の不思議な力を考えるとそうもいかなかった。


 サンシエは擂鉢の中身に水を加えて混ぜ合わせ、その汁を布に染み込ませた。刺激臭を漂わせるそれを女の鼻に近づける。

 女は刺激臭から逃れようとする動きと同時に目を見開いた。サンシエが調合した気付けの効果は覿面である。


「う……あうっ!」


 身を捩るような動きが背中の傷に障ったか、女は呻いた。


「動かないで。血が出ちゃう」


 カナがそっと女の体を抑えた。


「あなたは……」


 うつ伏せに寝かされた不自由な体勢から、女は首だけを動かして周囲を見回した。


「わたしはカナ。ここはカムイの森の村です。村の中は安全だから心配はいらないわ」


 カナの言葉には不思議な力があり、耳から聞こえる言葉の意味以上に、その内容を直接相手に伝える。鳥獣とも意思を交わすカナの言葉は人間相手にも通用した。

 女の顔から警戒心が薄れたところで、サンシエが声をかける。


「僕はサンシエ。これからあなたの治療を行います」

「治療……?」

「ええと、意識を失うまでのことは思い出せますか? 熊のこととか」


 女は「あっ!」と身を起こそうとしたが、またもや背中の傷が痛み、敷物に倒れ伏した。


「だ、だめですよう。動かないでください」


 慌てたカナが背中を抑えられ、女は大人しくなった。


「思い出したようですね。そんなわけであなたは背中に大きな傷を負っています。放っておいたら酷い事になるくらいの傷ですよ」

「……そのようね。左腕が動かないわ」

「はい、それを治療しますが、その前にあなたの……ところで名前を教えてもらえませんか? いつまでもあなたと呼ぶのもなんなので」


 女はしばらく逡巡したようだったが、「霧嶋よ」と答えた。

 そんな女の態度に「この人は情報を与えないようにしているのだな」と察しをつけた。


 松前を攻略した京の軍勢が次に向かうのはカムイの森だ。つまりはいずれ敵方になる。森の中に散乱していた死体などから、そこで何があったのか、おおよその事情は把握しているが、サンシエ達がそれらを把握しているという事を霧嶋はまだ知らない。先ほど「あっ!」と言って身を起しかけたときに、熊に襲われた仲間の事や追跡対象の銀達の事を思い出しただろうに、「仲間はどうなった」とか「他に誰かいなかったか」とか尋ねてこない。尋ねれば逆にサンシエ達に情報を与えることになってしまうから、それを避けるために何も言わないのだろう。


 多少の逡巡こそあれ名前を教えたのは、教えても構わない程度の情報だからか。(もっともそれが本名かどうかは確かめようもないが)

 ともあれ余計な受け答えをせずに済むのはサンシエにとっても有難かった。


「ではキリシマ、まず知ってほしいのは僕が呪い士だということです。つまり今から行うのも呪いによる治療です」

「呪い、とは何なの?」

「霊を見て、霊と対話し、霊を操る。それが呪いです。霊という概念は京にもありますか?」

「あるわ」

「なら話は早い。それでそんな呪いで行う治療ですが、簡単に言うとキリシマの霊を治療します」


 これには霧嶋が怪訝な表情になる。霊という概念を知り、呪いがどんなものかを理解しても、霊を治療するという意味が分からないらしい。


「人間にももちろん霊があります。この肉体に重なって同じ形の霊が存在するわけですね。同じ形、ここが重要です」


 そしてサンシエは自らの行う治療について説明した。

 人間は肉体と霊の双方からなっており、それらは全く同じ形をしている。そして形が食い違った時には、再び同じ形に戻ろうとする。肉体が傷ついた時、それは霊と違う形になった状態だ。だから肉体は霊と同じ形に戻ろうとする。ちょっとした怪我なら自然に治るのは、この働きのおかげだ。対して大怪我は自然には治らない。これは肉体側が大きく形を変えてしまったため、霊の方がそれに合わせて同じ形になり、つまり同様の傷を負ってしまうことが原因だ。霊が傷を負ってしまえば、それと同じ形になろうとする肉体の働きで傷がふさがる事はない。


「呪い士が霊を操る事は説明しましたね。今、キリシマの霊も背中に深い傷を負っています。僕は霊を操って、キリシマの霊の傷を治療します。そうすれば肉体の傷もいずれふさがるでしょう」

「……そんなことができるの?」

「僕にはできます。まあ、腕一本とか脚一本とか失くした場合は手に負えませんけどね。この程度の傷なら……」


 サンシエは脇に置いていた石刀を取り上げ、ゆらゆらと揺らしながら口中で呪言を唱える。すると石刀から数匹の蜘蛛が浮かび上がってきた。形は蜘蛛だが白く透き通っている。

「この蜘蛛の糸で縫い合わせられます。おっと、力は使わないでくださいよ。消されたら可哀そうだ」


 霊を見た途端に霧嶋が身構えたので、慌ててサンシエは言った。だがその言葉に、さらに霧嶋は警戒感をもったようだ。


「私の力を、知っているの!?」

「知っていますよ。昨日、松前でキリシマが屍を操る神を消してしまうのを見ましたからね。いきなり蜘蛛を使ったら消されてしまうと思って、ここまで詳しく話したんです」

「見たって……あなた、あそこにいたの?」

「あの時、鷹が飛んでいたでしょう。あれが僕です。自分の霊を鷹に移して空から見てたんですよ」


 霧嶋が絶句した。彼女自身も特異な力の持ち主で、おそらくは京のそういった集団に属しているようだが、カムイの森の呪い士が使う能力は驚きだったのだろう。


「なるほど、屍身中ししんちゅうの居場所を教えてくれたのはあなたというわけね。あの時は助かったわ、ありがとう」


 素直に礼を言った霧嶋の様子を、こちらの話を受け入れた証と判断して、サンシエは蜘蛛を指し示した。


「では治療を始めますけど、いいですね?」


 霧嶋は素直に「お願いするわ」と言った。


 *********************************


 霧嶋の治療を終えたサンシエは室外に出て一息ついていた。看護はカナに任せてある。


「おもしろい人だな。京の人はみんなああなんだろうか」


 治療中に交わした霧嶋とのやりとりを思い出し、サンシエは笑みを漏らした。

 例えば数種類の薬草から煮出した薬湯を飲ませようとした時の事だ。作ったサンシエ自身が「これはひどい」と思うような異臭を放つそれを飲まされそうになり、


「これは本当に飲んでも大丈夫なものなの?」


 と霧嶋は言った。サンシエは指先にそれを取って自ら舐め、「毒ではありませんよ」と示したのだが、それに対しては、


「毒か薬かではないのよ。薬も過ぎれば毒になるというし、毒も少量なら治療の役に立つでしょう。これは、この量を飲むのが適量なのかときいているの」


 と返された。異臭に顔をしかめながら、できれば飲みたく無いという意思を露骨に表していた。その様子にはサンシエも同情を禁じ得なかった。効能を完全に理解しているサンシエにしてから、自分でそれを飲むのは最後まで遠慮したい。

 やがてどうにか納得した霧嶋はそれを一息に飲み干した。飲み始めに「うっ!」と呻いたのは、臭いにもまして酷い味のせいだろうに、吐きだしもせずに最後まで飲み干したのは、彼女の強い精神力の証だろう。


 突然放り込まれた状況の中で、彼女が示した理解力や、理解できない部分はとりあえず置いておく柔軟さ、精神力などはサンシエにとって興味深いものだった。


「楽しそうだな。なにか良いことでもあったのか」


 そう声をかけてきたのはシシリクだった。朝から森主もりぬしのカムイの所に行っていたのだが、その用を終えて今到着したらしい。


「やあ。もうちょっと早く着くと思っていたんだけどね」

「カムイとの話がちょっと長引いたんだ。また狂神くるいがみが出たらしいな」


 ここに来るまでに村人から多少の話を聞いてきたようだ。


「ああ。こっちに着いた途端にその報せを受けてね。コジカ達と出たんだけど、先を越されたよ」

「松前の奴だそうだな。素手で狂神を狩ったというが本当なのか?」

「武器は持っていなかったし、解体前の骸にも傷は無かったね」


 ふうん、と言ったシシリクは、サンシエの背後の家を見上げる。


「で、こっちは京の奴、と?」

「昨日話した悪念を消していた人だよ。キリシマという名前だ」

「松前と京、両方の人間がいるとは、これは都合が良い」


 シシリクが言う。そもそも彼らが下の村に下りてきたのは、森の外の様子を探るためだ。情報を集めるために森の外に出ることになるだろうと予想していたのだが、期せずして松前の銀と鋼、京の霧嶋と、二つの勢力の人間を村に迎えることになった。確かに都合が良い。


「シロガネ達は今は寝てるだろうね。夜には話を聞くことになってる。キリシマは……どうかな、あまり情報をくれそうにないけど」

「難儀な奴なのか?」

「そういうのじゃなくて、話していい事とそうでない事をきっちり分けてる感じだね。だから京の不利益になるような事は話さないだろうけど、教えて構わない事、僕らに知らせた方が良い事ならどんどん話してくれそうだ」

「敵方になるかもしれないならそんなものか」

「ところでカムイのほうはどうだった?」


 サンシエはそっちのほうが気になっていた。今日明日にどうなるというほどには切迫していないだろうが、松前が京の支配下に置かれた今、いずれカムイの森も京と相対することになる。その時に森主カムイの意向は大きく影響する。


「当面の対応は俺達に任せるそうだ。人手はいるだろうからと他の村からの手配はしてくれる。数日すればここに人が集まる事になるな」

「へえ、信用されているね」

「任せると決まるまでには延々と問答があったよ。俺の考えがカムイの意に添っていると分かるまでな」


 なるほどねぇ、とサンシエは相槌を打つ。先ほど話が長引いたと言っていたのはこれのことなのだろう。シシリクがカムイをあまり好いていないことをサンシエは知っている。そんなカムイと差し向かいで問答とは、随分と気疲れしただろうと同情もした。


「ところで……」


 言いながらシシリクは懐に手を入れた。取り出されたのは筒状に丸められた紙の束だった。丸めた上から革紐が何重にも巻きつけられ固く結ばれている。

 それがカムイの所から持ってこられたのだとすぐにわかる。カムイの森では紙はほとんど使われない。使う必要も無いし、そもそも森の中では紙は作られておらず、交易で外から入手するしかない貴重品だ。サンシエの知る限りでは紙を使っているのはカムイだけだった。


「カムイからお前に渡すようにと預かってきた」


 躊躇うように渡されたそれを見て、サンシエは首を傾げた。良く見ると革紐は固く結ばれているだけでなく、結び目が樹脂で固められている。開くには革紐を切るしかなく、ここまで厳重に閉じているのは、いっそ封印としか思えない。


「これは読めということなのか、読むなということなのか、どっちなんだい」

「……京と戦うことになったとして、もうどうしようもないとお前が判断したときに開けと言っていた」

「僕が? シシリクがじゃなくて? それはまさか……」

「そうだ。それには『神喰い』について書かれている」


 シシリクは吐き捨てるようにそう言った。

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