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カムイの森  作者: 墨人
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第05話 京の東征軍

 京は隣接する数カ国を瞬く間に併合し、十分な兵力を揃えたうえで東と西の両方に軍を派遣した。

 松前を陥落させたのは京を進発して東に進んだ軍、東征軍だった。


 東征軍に所属する兵種は兵、武者、甲軍、神狩かみかりの四種となっている。


 数的には兵が最も多く、状況により槍や刀で戦ったり弓を射ったりとなんでもこなす。ただし練度は低い。農村出身者が最低限の訓練の後に、最小限の武器だけ与えられて組みこまれていたりするので、数で押す戦い方が主になった。全員が徒歩で移動するので徒歩兵かちへいとも呼ばれる。


 武者はその名の通り武芸に秀でた者達で、刀剣や槍や弓の扱いに習熟しており、軍の中核を担っている。武者は騎乗が許されているので、東征軍には多くの軍馬がいた。


 兵と武者が東征軍の通常戦力だとすると、甲軍と神狩は特殊戦力ということになる。


 甲軍は武者とは全く別の、もっと過酷な訓練を積んで単独でも武者の一隊に匹敵する戦闘能力を持つに至った者達だった。個々人が独自の戦技を極めている他、能力さえあれば女性でも部隊に組み込まれる。甲軍には極めて高い能力が要求されるため、その数は少なく、東征軍に同行しているのは二十人にも満たない。ちなみに甲軍の甲は甲乙の甲であり、より上級の軍、程度の意味である。


 最後に神狩。言わずと知れた異能の力の使い手達だ。その希少性は甲軍を上回り、東征軍には二名のみ参加している。

 これら四兵種に、輸送や土木関連の人足を加えて、現在東征軍の総数は約二千人の規模になっている。


 *********************************


 松前陥落の翌日。

 国主の館に京の東征軍の主だった面々が集まっていた。

 軍団長の御堂みどうを筆頭に、甲軍の長である千蔵ちくらや神狩の御雷みかずち、武者の隊長が数人。

 そして松前の有力者が数人同席している。


 東征軍の戦は力押しばかりではない。戦後にそれなりの地位を約束するなど利益を提供することで、敵方の有力者を離反させる事前工作を行い、敵戦力を可能な限り減らしてから攻め込むのである。自軍の被害を減らすとともに、離反した者たちの兵力を吸収して戦力の増強も計れる。極端な例としては事前工作に国主自らが応じ、戦わずして制圧できた国もある。東征軍が京を進発して以降、一度も引き返すことなく進み続けられた理由がこれだった。

 またこの場に松前の有力者が同席している理由もこれだ。

 彼らは戦が始まる前に離反して東征軍に投降してきた者たちだった。


「細々とした戦後処理は佐倉がやっているから俺達が気にする必要は無い」


 おもむろに御堂が言う。彼は軍団長であるが軍団の運営に関する細かい事には興味が無く、部隊編成や補給、今のような戦後処理などの細かい事は副団長の佐倉が一手に引き受けている。これは御堂が武者出身の軍団長で、細かな事に気を使うよりも自分自身が戦場に立つのを好む気質を持っていることに由来する。実際、御堂は槍を持たせれば甲軍にも引けを取らない強さを持ち、「槍の御堂」と言えば京で知らない者がないほどの勇名だ。


「だが戦後と言ったところで、本当にこの戦が終わったわけではない」


 言ってぐるりと一同を見渡す。


「国主側の残党ですな……というよりも、しろがねはがね、この二名がまだ逃げている」


 応じたのは甲軍長の千蔵だ。表情は渋い。

 昨日の決戦によって国主を始めとした松前の抵抗勢力はほとんど一掃された。生き残った者達も捕縛しており、恭順か恭順せずに死ぬかの選択を迫られている。

 だが討ち取りも捕らえもできていない者がまだ何人かいる。その中で最も警戒するべきが銀と鋼の兄弟だった。


「そうだ、あの二人だけは何があっても逃がすわけにはいかん。封神塚ほうしんづかを暴くような奴らだ、野放しにしては厄介の種になる」


 断固たる口調で御堂。

 前日の戦の終わり際、勝利は確定していたあの時に現れたのは銀と鋼が封神塚を暴いて解き放った古い神だったのだ。


 京に伝わる伝承には松前に封じられた神についても記されていた。神の名は『屍身中ししんちゅう』。屍に取り憑き、同種の屍を操る能力を持った神だ。離反者からの情報で屍身中の封神塚の場所も知れていた。それが戦場にほど近かったため、何かの拍子に塚が暴かれてしまう事も警戒していた。事前に屍身中についての情報を全軍に周知していたのもその一環で、だからこそ屍が動き出すという異常事態にあっても一時の混乱こそあれ体勢を立て直す事が出来たのだ。


 ただしこれは本当に事故を想定していたに過ぎず、甲軍数名と武者の一隊で封神塚を警護させていたのも万が一を考えての事である。そこに銀と鋼が手勢を率いて襲いかかり、意図的に神を解放したのだ。東征軍に損害と混乱を与え、自分達が逃げ伸びる時間を稼ぐために。

 その際に、守備についていた甲軍の者も二人に殺されている。千蔵の表情が渋いのはこのためだ。

 銀と鋼の兄弟は、甲軍以上の強さに加えて、封神塚を暴くという禁忌を容易く破る精神を併せ持っているのである。


「現在、私の手の者が追跡しています」


 千蔵の言に松前側の者達が首を傾げる。


「……しかし、発見したとして、捕らえられるのでしょうか。あの二人は松前で並ぶ者の無い法力の持ち主です」

「それは嫌というほど知っている。だが今回は……」

「霧嶋が同行している。銀達がどんな特異な力を使おうが、霧嶋には通用せん」


 千蔵の後を受けて御雷が言う。


「霧嶋というと、あの若い女性の?」

「そうだ。まともにやりあえば俺でも敵わん。ある意味最強の神狩だ」

「ほう! 御雷殿の勇名は聞いておりますが、彼女はそれ以上だとおっしゃる?」

「異能の力が強いほどそれに頼るようになるからな」


 小さな声で千蔵。


「おいおいセンゾー、それは俺への当てつけか?」


 苦笑する御雷。彼と千蔵ちくらは古くからの親交があり、漢字を読みかえてセンゾーと呼ぶ。


「よしんば捕らえる事は出来なくとも、返り討ちにあいさえしなければ動向は掴めるだろう」

「ふむ、歯がゆいが銀達については次の報告を待つしかないか」


 苦々しく御堂。一度大きく息を吐き、気分を入れ替えるようする。


「ならまあ仕方ない。俺達は次の戦についてを考えようじゃないか」


 これには松前の者達が呆気にとられた。松前が陥落したのが昨日の事。戦後処理も今後の統治体制の決定もまだなのだ。つまり彼ら松前から離反した者達の処遇も確定していない。

 彼らがその点を言えば、「それは佐倉がうまく納める」と言うだけだった。そんな御堂に慣れている千蔵や御雷、部隊長達は「またか」程度の反応だ。


「カムイの森、だったな?」

「そ、そうです。今はカムイの森と呼ばれています」


 戸惑いながらも答える松前の男。


「今は? 今はとはどういう事だ?」

「あの森に住む者達は自分達を森の民と呼んでいますが、彼らは土地に名前を付ける習慣を持っていないのです。ですから単に森と呼ぶか、そうでなければその時の森主もりぬしの名を冠します」

「なるほど。今の……その、森主か。それがカムイというから、カムイの森か」

「はい。カムイの森の連中との交流はそれほど深くないのであまり詳しくは語れませんが……そうだ、しばしお待ちを」


 そう言って男は一度退室し、戻ってきたときには筒状に丸めた紙を持っていた。

 広げると、それは松前と周辺国の地図だった。主要な町や村、それらをつなぐ道、山や川などの地形、そして国境くにざかいが詳しく書き込まれている。しかし松前の北側はほとんどが空白となっており、一本だけ伸びた道と、その突きあたりにある一つの村だけが描かれているに過ぎない。松前とカムイの森を仕切る境界線すら無かった。


「こいつは……」


 絶句する東征軍の面々。


「見ての通り、国境すらはっきりとは決まっていません。北の森に入っていってこのあたりからがカムイの森ということになっていますが、これもそのあたりに住む山人と森の民の間の暗黙の了解のようなものです。森の民には国という概念がありませんから、正式に国境を決める事も出来なかったんです」


 真っ白な地図を見ながら、男が語ったカムイの森に関する情報は以下のようなものだった。


 森の中にはいくつもの村があるが、その全てを合わせても森の民の総数は千人には届かないだろうという事。

 それらの村にも個別の名前は無く、呼び分けるときには村長むらおさの名を冠する事。

 外部との交易用に、そのための村が森の外縁近くに作られており、それは「下の村」と呼ばれている事。(これが地図に唯一書き込まれていた村だ)

 松前との交易に使われていた下の村から一番近い村は「シシリクの村」と呼ばれている事。

 しかし外部の人間は下の村より奥には行けないため、他の村がどこにあるのかは分からない事。

 そしてカムイの森には『獣神けものがみ』がおり、新たに生まれてもいるという事。

 獣神とは長く生きた獣が巨大化し、知恵を付けたものである事。


「獣神というのは、本当に神なのでしょうか。大きくなる、知恵がつくと言っても、長く生きればそれは当然そうなるのではないですか?」


 部隊長の一人が疑問を呈する。同感とばかりに頷いた御堂、御雷、千蔵から一斉に視線を向けられ、松前の男は身を縮めた。


「いや、私達も直接に見た事があるわけではないのです。ただ、さらに長ずれば人語を解するようになったり、御雷殿のような異能の力を持つようにもなるそうで、先代の森主は確かにそういった力を使えたそうです」

「ちょっと待て。森主というのは獣神なのか?」

「カムイは人間のようですが、先代の森主は山犬だったそうです。あれは……何年前だったろうか」


 松前の男が隣の男を見やると「十五年前だ」と即答が返った。なんでも彼の姪が生まれた年で、それでよく憶えているらしい。


「その時からカムイの森と呼ばれていますが、それ以前はイヌガミの森といいました。森の民が自分たちよりも上に置くほどの力を持っていたと見るべきでしょうし、その力で封神塚から出てきた神を相討ちにて殺したと聞いています」

「神殺しだと? ちょっと待ってくれ。そいつがどんな神だったかは聞いているか?」

「なんでも森の一部が人の形になったような姿で、その周りでは木や草が異常に生い茂り、また生き物のように動いて人や獣に襲いかかったとか」

「ふむ……」


 御雷は懐を探って帳面を取り出した。京に伝わる古い記録から、東征軍の行く先の国々にある封神塚の記述を書き写してきたものだ。


「ふむ、これだな。『森の人』とかいう神のようだ。その姿は樹木や蔦が絡み合って人の形になったもの。その力は周囲の草木そうもくを操る事、とある。これだけ一致すれば少なくとも森の人が復活したのは確かなようだが……昔の神狩にも殺せず、封じるしかなかった神だぞ? これを獣が殺したのか?」

「現在のカムイの森にはそのような神はいないようですから、まあそうなのではないかと。そうそう、昨日の鷹、あれは獣神ではないかと私は思っているのですが」


 前日の屍身中討伐には、神本体の居所を示した鷹の果たした役割が大きい。あれが無ければ討伐までにはもっと長い時間がかかり、それだけ被害も大きくなっていた事だろう。神本体の位置を探る能力や、戦場いくさばの状況を理解して東征軍に協力する知性があったのは確かで、尋常な獣のはずはなく、獣神だろうという推測は妥当だった。


「なるほど、だとすればただ大きいだけ、かしこいだけの獣とは言えんな。しかし神狩と同じような力を使うとなると、これはいろいろと難しい事になるか?」


 腕組みをした御堂が面倒そうに言う。


「例の『神の生まれた理由』ですかな?」


 千蔵の問いに御堂は頷く。


「神の生まれた理由、とはなんです?」


 興味深そうに松前の男が尋ねると、御雷が多少気の進まぬ様子ながら応じた。


「建国神話において倭割神わかつかみという強大かつ倭族にとって都合の良い神が現れた理由。その後の昇陽に溢れるほどの神が生まれた理由。まあそういった事について京の学者どもが延々と議論をしているのだ。結論が出るような話ではないし、仮に何らかの結論が出たとしてもそれを確かめる術もない。とは言え、最近主流になっている説に照らすと、獣神を我々の定義する神と認めるのは少々都合が悪い」

「良く判りませんね。学説云々はともかくとして、それが東征軍にどんな関係が?」

「森の民は獣神を自分たちよりも上に扱っているのだろう? それにふさわしい獣神がいれば森の主にするほどだからな。だが我々は獣神を神とは認めず、ただの獣として扱う。その認識の違いは今後の森の民と我々の関係に大きく影響する。主には事前工作の段階で、だが」


 事前工作と聞いて松前の男は納得した表情になった。彼ら自身、その事前工作に応じた結果としてここにいるわけだから身に覚えがある。彼らの場合は戦後の処遇などを交渉の材料としたのだが、例えばその段階で彼らが価値を見出しているものを東征軍が全否定してきたとしたら、さすがに離反はしなかっただろう。


「あ、ああ、なるほど。いや、しかし……それはどちらでも同じことなのではありませんか? 獣神を神だと認めた場合、神狩りの末裔を名乗るあなた方としては獣神を狩らなければならない。森の民との関係と言うなら、どちらにしろ良くはならないでしょう?」


 間髪いれずに出てきた反論に、聞いていた御堂が「ほう」という感心したような表情を浮かべる。御堂としては自分達がそう仕向けたのではあっても、寝返ってきた彼らに「戦力」として以上の興味は無かった。ところが即座に逆の場合の結果を想定する頭の回転の速さと、寝返ってきた身でありながら多少の皮肉も込みで発言する胆力を見せたことで、これまでよりも多少の興味を持つようになったのだ。

 だから御堂自身が彼に声をかけた。


「向井、だったな。それも含めて難しいと言ったのだ」

「そうでしたか。これは失礼を……」


 松前から寝返った男、向井は恐縮して頭を下げた。

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