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カムイの森  作者: 墨人
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第44話 降伏の条件

 シシリクの降伏宣言を受けた霧嶋は、ほっと胸を撫で下ろしていた。


 もしもシシリクが降伏を宣言しなかった場合、彼らはここで捕縛される。厄介な能力を持つサンシエ、カムイ、カナは戦線を離脱し、中心となるシシリクとコジカをも失えば、森の民はもうまともに戦えないだろう。今夜の被害を差し引いたとしても東征軍にはまだまだ余力があり、残った森の民を一掃するのは可能だ。

 しかしその過程ではどうしても少なからず犠牲者は出る。森の中で森の民を相手にして、誰も死なないなどという事は有り得ないのだ。


 ここで降伏してくれるなら、それは今後失われるだろう多くの命を救う選択だと言える。だから霧嶋にとってもシシリクの決断は有難い。有り難いのだが、霧嶋の立場としてはこう言うしかない。


「私はそれを話し合える立場にはないわ。条件などは御堂様と話し合って貰わないと」


 これが事前に御堂の出した条件に沿っての降伏ならば問題は無かった。神狩りは東征軍を構成する四兵種の中でも上位に位置しており、敵方からの降伏宣言を受け入れる程度の権限は認められているからだ。しかしシシリクが条件を提示して、それを呑むか否かを最終的に判断できるのは軍団長の御堂だけだ。この場で霧嶋が判断してしまっては、それが受諾にしろ拒否にしろ、御堂を蔑ろにしてしまう。


 霧嶋の返答はシシリク達も予想していた。

 重要なのは、シシリクが発言して霧嶋が返答した時点で、状況が『交戦』から『交渉』に変わったという点だ。敵同士であるのは変わらなくとも、明確な戦闘状態からは抜け出せたことになる。


 この結果をコジカが大きな声で周囲に知らせ、残っていた森の男達を呼び寄せた。

 集まったのは三十人程度。下の村での戦いから続けて参加している者ばかりで、誰もがくたびれていた。しかし疲労よりも先のカナや降伏の件に関する疑問の方が強く顔に出ている。


 シシリクがカナの狂神化やカムイの死について説明すると、男達の疑問は解け、諦め交じりの納得が広がった。同時に父と妹を同時に失う事になったシシリクに同情の視線も注がれるが、シシリクはそれを振り払うように毅然としていた。


「カナは帰ると言っていた。となれば目指すのは俺の村だろう。足の速い者で先回りして村にいるみんなを避難させてくれ」


 現在、シシリクの村には多くの森の民がいる。戦に参加せずとも食事や治療その他で後方から支えてくれていた女や子供、これまでの戦いで傷ついた者たち。そんな彼らにカナが無体な行いに及ぶと考えたくないが、なにしろ狂神である。先ほども感情の起伏によって豹変ともいえる変化を繰り返していた。

 この報せを出す件については、霧嶋も即座に了承した。

 非戦闘状態になっているし、目的が後方の非戦闘員の避難となれば拒否する理由は無い。シシリクを始めとして主だった者がこの場に残るなら、重要度の低い数人が森に帰った所で大勢に影響しないのもある。


 足に自信のある者が数人名乗り出た。下手にカナの近くを通れば狂神の威圧で動けなくなる。大きく迂回して走ることになるのだが、相手は子供の足だ。どうにか先回りできるだろう。


 サンシエは出発しようとする伝令を呼び止め、カムイから託されていた神喰いについてを記した書簡を渡した。中身を知らない彼らは怪訝な顔になる


「交渉が上手くいくとは限らない。もしもの場合はこれを他の村の呪い士に渡してくれ」


 と、内容がカムイの神喰いに関する考察である事、これを読めばどうしてカナがああなったのかも判るだろう事を伝える。それはある意味では禁忌の塊だ。受け取った男は即座に投げ捨てたそうな顔になったが、サンシエの気迫に負けてそれを懐に捩じ込み、北に向けて駆けていった。




 降伏に関する交渉は本営の天幕で行われることになった。

 シシリク、コジカ、サンシエの三人が宿営地に入り、残った森の男達は東征軍兵の監視のもと一塊りになって留め置かれる。

 先導しようとした霧嶋は右足がぼろぼろのため歩行も困難となっており、両側から兵に支えられている。


 本営では御堂だけでなく、佐倉と千蔵も待っていた。狂神の群れは討伐できたようだが、その立役者であるはずの御雷の姿が無い。その点を霧嶋が問うと、千蔵が痛ましげな顔になる。

 狂神と戦っている最中に御雷の様子がおかしくなり始め、どうにか最後の一体を倒すと同時に大量の血を吐いて倒れてしまった。今は意識を失ったまま目を覚ます気配も無いそうだ。


「……サンシエ、これはあなたの薬のせいではないの?」

「効果が切れてきたら無理はしないようにと言ったでしょう? まあ今の時点で生きているなら大丈夫、しばらくすれば目を覚まします。……とは言え困りましたね。ミカズチの力も貸してもらおうかと思っていたのですが」

「……おい、どう言う事なんだ?」


 天幕の隅に横たわるカムイの遺体を何とも表現の出来ない顔で見やっていたシシリクだった。事情を知らないシシリク達に力を回復させるための薬を御雷に与えた件を話す。


「うへ、あの薬か」


 コジカは単純に薬の味を思い出して顔を顰め、シシリクは不満と不快が混じったような顔になる。せっかく消耗させた御雷の力を回復させるのは敵を利する行為だ。が、そうするに至ったのはカムイの計略による獣神の狂神化が理由。どちらかというならカムイのやりように対する不快の方が強い。

 と、そこでシシリクは重大な事を思い出した。


「ミドウ、狂神の死体から血晶石を回収させてくれ」

「む……その石を飲み込むとそいつが狂神になるんだったか。確かに放っておくのはまずいか」


 宿営地の中だから獣はいない。すぐにどうなるものではないにしても、危険の種をそうと知りつつ放置するのも座りが悪い。御堂は兵に命じて血晶石の回収を行う事にした。


「残った者の中に狂神狩りの経験者がいたはずだ。そちらが構わないなら手伝わせる」


 御堂はこの申し出も受けた。もちろん森の男が宿営地内を動き回るのには十分な監視を付ける事になる。森の男達への説明と、その後自分も血晶石の回収に回るためにコジカが本営を出て行った。

 そういった手配の間に、応急処置しかしていなかった霧嶋とサンシエはしっかりとした治療を行い、霧嶋は荒れ果てた自分の天幕から無事な衣服を探し出して着替えてもいた。

サンシエは例の薬を普通の濃さで調合し、皆に配る。


「交渉するにも疲れきっていては良い話し合いはできないでしょう。これで少しはましになります」


 そう言われて、シシリクが実際に飲むのを見ても、御雷の状況を知っている御堂たちは飲むのを渋ったものだ。が、霧嶋が以前に飲んでいたのと同じだと請け合って飲んだので、結局は味に文句を言いつつも飲む事になる。

 負傷している千蔵や霧嶋だけでなく、昼間からほとんど休む間もなかった御堂や佐倉も相当に消耗しており、サンシエの作った薬は疲労を取り除き、頭をすっきりとさせてくれた。御堂は銀の透徹を受けて以来鈍い痛みを訴えていた腹までが楽になり、効果のほどに目を瞠っていた。


「実際に治った訳じゃないのはミカズチ同様です」


 サンシエに釘を刺されたものだが、だとしても劇的な効果であるのは違いない。交渉の末に停戦がなったなら、この薬の製法を手に入れなくてはと御堂は考えていた。


 ともあれ気力も回復したところで交渉の始まりである。軍議用の卓を挟んで森の民側はシシリクとサンシエ、東征軍側は御堂と佐倉が座す。千蔵が御堂の背後に達、霧嶋は佐倉の後ろで床机に腰を下ろしている。本来なら霧嶋も立っているべき場面ではあるが、足の負傷を慮った御堂から座るように言われていた。


「さて、シシリクよ。降伏するに当たって条件があるそうだな」

「そうだ」


 前置き無く訊ねた御堂に、シシリクも簡潔に応じた。


「もっとも条件を付けるのではなく、そちらが出した条件を変えて貰いたいということだ」

「それは獣神の扱いに関する事か?」


 御堂は事前交渉の内容を思い出す。

 シシリクは自分達がこれまで通りに暮らせるのなら、京の支配を受け入れると言っていた。ところが、その『これまで通り』に獣神を神として扱い続けるという事も含まれていたために決裂した。

 シシリクは一つ頷く。


「京は獣神を神として認めない。ならば別の呼び方をすれば良い、というのは前に言ったな」

「そうだな」

「俺達もその呼び方を受け入れる。これで妥協してくれ」

「……ん? それは……どうなんだ?」


 首を傾げた御堂は傍らの佐倉に意見を求める。

 話を振られた佐倉は「そうですね……」と黙考に入り、しばらくすると顔を上げた。


「君達がその呼び名を受け入れるというのは、獣神という呼び名を後世に伝えないという事で良いのか? 普段使わないだけでなく、これから生まれてくる子供達には獣神という呼び名があったという事実そのものを教えないという事だが」

「……そうだ」

「それをどうやって保証する?」

「保証は……できない。獣神という名を使うな、伝えるなと言う事はできるが、それに反する者がいないか、森の全てを見張る事などできはしない」


 御堂は「それでは何の意味も無い」と溜め息を吐くが、佐倉は違った。


「では逆はどうだ?」

「逆、とは?」

「そうだな……例えば、獣神を『老獣』と呼ぶ事にしたとして、新たに生まれてくる者に『昔は獣神と呼ばれていたが、今は老獣と呼ばれている』と必ず教えるのだ」

「……それならできるな。なんならそちら側の人間がいる前で教えるようにしてもいい」


 伝えるな、の場合は四六時中見張っていなければならないが、伝えろ、なら伝えるその場を確認すれば済む。十分に実行可能だった。


「御堂殿、長い目で見ればそれで良いかもしれません」

「そうか、佐倉がそう言うなら間違いない」


 もともと運営上の細かい事や交渉事は佐倉に任せて来た御堂である。今回も、そう判断するに至った経緯を問いもせずに、あっさりと受け入れていた。


 ところがこれはシシリクとサンシエにとっては不可解だった。自分達の出した条件が受けられたのだから喜ぶべきところではあるのだが、こうも簡単だと何か裏があるのではないかと疑ってしまうのだった。

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