第42話 再会2
殺意に塗り潰された意思を受け、シシリクとコジカは思い知らされた。
カナは生来優しい性格をしていた。獣を率いるのにも相当の決意を必要としており、獣と東征軍と、失われる双方の命を思って心を痛めていた。
そんなカナが今は「殺す」と口にし、伝わる意思は殺意の一色に染まっている。
外見は変わらず、一見して正気を残しているように見えても、やはり破壊と殺戮の権化である狂神に他ならない。
獣神への影響云々ではなく、カナは森の民とも――否、人間とも相容れない存在になってしまっていた。
シシリクは矢筒から矢を取り出し、コジカは剣を構えた。
それを誤解したのか、カナは邪気の無い、それだからこそ恐ろしい笑みを浮かべていた。
「行こう。そしてみんな殺してしまったら森に帰ろう。コエイの力があれば簡単にできるわ」
そうして踵を返し、出て来たばかりの宿営地に向かって行く。
シシリクとコジカは無言で顔を見合わせ、お互いの意思を確認して頷きあった。
「待……」
「カナ!」
シシリクが「待て」と言おうとした矢先、遮るように宿営地の方から声が掛かっていた。それはシシリク達にも聞き覚えのある若い女の声で、姿が見えるより先に霧嶋が来たのだと知れた。
現れた霧嶋は怪我をしているのか首に布を巻き付けている。カナはぴたりと足を止め、じっと霧嶋を凝視していた。
「カエデ……」
「カナ、まだその名で呼んでくれるのね」
霧嶋が浮かべる嬉しいような悲しいような表情を見て、始めて聞く「カエデ」という呼び名が、カナと霧嶋の間では特別な意味を持つのだろうとシシリク達にも察する事ができた。
「カエデ、また邪魔をするの? コエイを殺して、父様を殺して、そうして私も殺すの? 友達だと思っていたのに……」
「私はまだあなたの友達のつもりよ。あなただけは死なせたくなかった。もちろん殺したくなんてなかった。あなたが戦場にでなければ……ううん、大人しく捕まったままでいてくれればこんなことにはならなかったのに」
「こんなこと……こんなこと? こんなことになったのはキリシマ達が来たからじゃない! 私達を、カムイの森をそっとしておいてくれれば戦いなんてしなくて済んだのに!」
霧嶋は咄嗟に返せる言葉が出てこないようだった。カナの主張は子供らしい率直さで核心を突いている。京が掲げる昇陽統一の大義名分など関係無い。東征軍がカムイの森に進軍しなければ、カナと霧嶋は友誼を結んだまま敵対することも無かったのだ。
だがシシリクは霧嶋の言葉もまた彼女の真情なのだと知っていた。霧嶋は偽りなくカナには死んでほしくないと考えている。より積極的に守ろうとさえしていた。下の村での降伏勧告の際、シシリクはカナに向けて二本の矢を放っている。一本目は肩を狙っており、二本目は霧嶋が防ぐだろうと期待していた。技量的にはできるだろうし、彼女ならカナを庇うだろうと確信していたからだ。
敵と味方に分かれていても、霧嶋は常にカナの身を案じていた。
今のカナの言葉と、放たれる意思は、霧嶋の心に突き刺さっていることだろう。
「沢山の人が死んだ。父様もサンシエも……みんなあなた達が来たから!」
「待って! サンシエは生きているわ!」
「嘘もつくの? 私は聞いたもの。ミカズチが呪い士を倒したって」
「だからそれは勘違いなのよ。確かにサンシエは御雷様に倒されたけど、生きたまま捕らえられたわ。今はあなたを追ってここに向かっている」
「……え?」
カナは表情を取り戻し、戸惑いを面に浮かべていた。
捕らわれていた天幕で外から聞こえてきた声は「神狩りの御雷が呪い士を倒した」という言葉。明確にサンシエの死を告げていたわけではない。
「本当に生きているの?」
「うん、僕は生きているよ。この通りにね」
一転しておずおずとしたカナの問いに答えたのは、当のサンシエ本人だった。
現れたサンシエは酷い怪我をしていた。頭に巻いた布は血塗れで、吸いきれなくなった血が額から頬へと流れており、痛みに耐えるかのように胸に手を当てている。その痛みが原因で霧嶋の足についていけず、到着が遅れたのだった。
「本当に……生きてた! キリシマが連れてきてくれたのね! ありがとう!」
カナの面は喜色に彩られていた。一度は死んだと思った許嫁が生きていたのだ。まさに絶望の底から掬い上げられた心持だろう。
しかし一方のサンシエは笑うどころではなかった。
カナの外見に変化が無いのは鋼から聞いている。そして今なら外見と同じく変化の無いカナの霊も見えている。
やはりカナはカムイよりも深く神と合一したのだ。
神喰いに関するカムイの考察の正しさが証明されたようなものだが、サンシエは何の感慨も抱けなかった。
そんなことよりも、こうして自分の無事を喜んでくれているカナを、これから殺さなければならない、それがサンシエの胸を締め付けていた。それが必要な事だと割り切って覚悟を決めたつもりでも、いざとなれば心が揺らぐ。
「シシリク、コジカ。カナは……」
「ああ、判ってる」
シシリクは矢筒から矢を取り出し、コジカは剣の柄に手を掛けた。今のカナはサンシエの登場で大人しくなっているが、威圧と悪念は依然として放たれている。シシリクとコジカ、サンシエと霧嶋。合流してからそれらしい会話はしていなくても、やらなければならない事は双方で共通の認識となっていた。
四人が放つ剣呑な雰囲気を感じ、カナが不安を露わにした。
「サンシエ、どうしたの?」
辛そうな顔をしているサンシエを心配してカナが歩み寄る。接近する狂神の気配に、石刀を持った右手がぴくりと反応する。反射的に構えそうになった右手を抑え込み、サンシエはカナを待った。
「顔色が悪いわ。怪我が酷いの?」
そっと伸ばされた手が、血の伝い落ちる頬に優しく触れ、サンシエはどうしようもない悪寒を感じて身を震わせた。頬に触れる少しひんやりとした感触は良く知るカナの手のそれに違いないのに、触れた部位から悪念を直接流し込まれるような、そんな感覚がサンシエの身を震わせたのだ。
体を腐らせそうにも思えるほどの濃密な悪念に当てられながら、サンシエはそっとカナの小さな体を抱きしめた。
「ごめんよ、カナ。辛かっただろう」
カナは恥ずかしそうに身をよじったが、許嫁の腕の中で安心したように体の力を抜いていた。
サンシエは正面からカナの顔を覗き込んだ。二人の顔の距離が徐々に縮まり、そうしてサンシエはそっとカナの唇に己の唇を重ねた。驚きに目を見開き、しかしカナは大人しく口付けを受けていた。
幼いころから許嫁同士の二人だったが、これが初めての接吻だった。
同時に最後の接吻であり、別れのそれでもある。
唇を離したサンシエはカナを抱いていた腕を解き、一歩二歩と身体も離した。
「サンシエ?」
「すまない……ほんとうに、すまない……」
様々なことへの詫びを絞り出しながら、サンシエは石刀を左手に持ち替えて、右手に短刀を抜いた。不吉に月明かりを映す刃を、カナは呆然と見つめていた。死をもたらす凶器が許嫁の手にあり、それが自分に向けられているという光景に、どう反応して良いのか判らずにいる。
助けを求めてシシリク、コジカ、霧嶋を順に見回すが、硬い表情で見守るばかりで誰も救いの手を差し伸べてはくれない。サンシエがカナを殺す行為を受け入れている。
「カナ、お前を森に帰すわけには行かないんだ」
告げたシシリクの持つ弓に矢が番えられている。視線を転じればコジカは剣の柄に手を掛け、霧嶋もまた短刀に手を伸ばしている。サンシエだけではない。全員がカナを殺そうとしている。
「ど、どうして、みんなで私を……私が神喰いをしたからなの!? 神喰いは禁忌だけど!? でもこんなの……酷過ぎる!」
「神喰いは良いんだ! でも君は……君が喰ったコエイは狂神だった! 君は狂神になってしまったんだ!」
「嘘! コエイは狂神なんかじゃなかった! カエデは知っているでしょう? だってコエイはカエデが殺したんだもの。カエデが殺した時コエイは狂神じゃなかったでしょ!?」
言い募るカナに対し、霧嶋はゆるゆると首を横に振るしかなかった。
生きている獣神だけでなく、死後に取り出された血晶石だけでも悪念を吸って狂神化する。その事実をカナが知らないのだとしたら、カナは自分が狂神になったことすら理解していないことになる。
「嘘! 嘘! 嘘! みんな嘘を吐いてる! 私は森に帰りたいだけなのに! みんなで嘘を吐いて私の邪魔をする!」
聞く者の胸を抉る悲痛な叫びだった。
「ああ! ああああっ!」
カナの体がぶるぶると震えていた。激情に身を震わせているのだろうが、まるでカナの小さな体の内側から、膨れ上がる何かが溢れ出ようとして暴れているようにも見える、そんな光景だった。
「サンシエ! 早くやってくれ! これ以上は見ていられない!」
泣き叫ぶ妹の姿に耐えかねたシシリクの声に押されてサンシエは短刀をカナの胸に突き込んでいた。




