第40話 狩らねばならない相手
――僕が幽鬼を使ったせいでコエイの血晶は黒く染まってしまった。そしてカナはカムイと僕が死んだと思って……絶望……していた? これじゃあカムイの考えた完全な神喰いの条件を……!
カムイが考えていたのは、喰う側の人間と喰われる側の獣神が近い状態にあるほどに、神喰いの成功率が上がるだろうということだった。
人の悪念に染まって狂神となった獣の血晶石を、悪念に支配された人間が喰う。
絶望もまた強く悪念を放つ感情の一つだ。
「……ハガネ、カナは……カナに変化はありましたか?」
「変化、だと? だから狂神に変わったと」
「そうではなく、外見の変化です。あそこのカムイのように、獣のように変化したりは?」
サンシエは視線でカムイの痛いの方向を示した。鋼はここで初めてカムイの異形の死体に気付いて愕然としている。カムイがその姿を晒したのは鋼達が東征軍に捕らえられた後だから、鋼はカムイがこういう姿だとは知らなかったのだ。
「こいつがカムイ!? カムイはイヌガミを……神喰いってのは姿形も変わるものなのか? いや、しかしカナの見た目は変わっていなかったが」
「……そう、ですか」
鋼の返答はサンシエが抱いていた微かな希望を打ち砕くものだった。
神喰いを呪い士的に解釈するならば、死とともに血晶石に宿った獣神の霊を、血晶石ごと取り込むことで自らの霊と融合させる行為だ。融合が不完全であるなら、サンシエの呪い士としての霊への支配力を使って引き剥がせないかと考えたのだ。当然ながら前例など無いのだから、本当にできるのかどうかは判らなかった。
しかし「できるかどうか判らない」のは、「できるかも知れない」という希望を残している。
鋼の話ではコエイの血晶石を飲み込んだカナに外見の変化は見られず、しかし狂神特有の禍々しい気配を放ち、コエイが有していた風を操る異能力を自在に使っていたという。これはカムイが想定していたとおりに、神喰いが成功してしまったと示している。
できるかどうか判らないのではなく、できないと判ってしまったのだった。
いくらサンシエの支配力が強くても、一つに混ざり合ってしまった霊を分離するなど不可能だ。引き剥がすのと、分離するのでは話が全く違う。
「おい、サンシエ、黙るな。カナはどうにかならないのか?」
「どうにか? どうにかするには……ミドウ、お願いします。僕とハガネを自由にしてください。僕はカナを追いたい」
「ああ? 何を言っているんだお前は。調子に乗るなよ。さっきの警告くらいならともかく、お前みたいな危険な奴を解き放つわけないだろうが」
「いいんですか? カナを放置すればそちらの被害も大きいでしょうに。カナをどうにかするには僕たちの力も必要になるはずです。もちろんキリシマやミカズチにも協力してほしいところですが……」
サンシエの言葉に御堂だけでなく霧嶋や鋼も自分の耳を疑っていた。
「いや待て、どうにかというのは……」
「サンシエ、てめえまさかカナを!」
「あなた何を考えているの!?」
三者三様の声と言葉が重なる。
「決まっているでしょう。狂神は狩らなければなりません。カナを、殺します」
「サンシエ! 見損なったぞ! カナはお前の許婚なんだろう!? それで良いのか!?」
「手の平を返すにも程があるでしょう! 狂神になった途端にそんなことを言うなんて!」
鋼や霧嶋の声はサンシエへの非難を多分に含んでいた。
「黙ってくれ! こんなこと僕だってしたくはない! でもカナは……カナはもうっ……二人とも狂神がどんなものか知っているだろう!? 悪念に狂った狂神は人だろうが獣だろうが殺してしまう。もう……駄目なんだ!」
サンシエは感情の高ぶりをそのまま声に乗せて叫んでいた。
もうカナがどう、サンシエの想いがどうという問題ではない。狂神そのものが危険である以上に、狂神が放つ悪念もまた危険なのだ。しかも完全な神喰いの結果なのか、カナの悪念は普通の狂神よりも遥かに強い。
カナが森に留まれば、森に残っている獣神も遠からず全て狂神になってしまうだろう。
もう、駄目なのだった。
「あなた……」
霧島の面に諦めの色が滲み始める。霧嶋はどうしたところで共存するなど不可能な相手がいることも実体験として知っている。それ自身の意思がどうであれ、存在するだけで周囲にとって害悪となる存在だ。
狂神はまさにそれだ。
「もう覚悟を決めちまったってことか」
鋼もまた狂神と戦った経験がある。
当時は狂神について理解していなかったが後から知った事実と照らし合わせれば一々頷けることばかりだった。人間の負の感情に狂わされた熊は破壊欲と殺意の塊だった。目に入る全ての生きるものを殺すことしか考えていない。
「狂神は殺さなければならないんです」
サンシエはもう一度繰り返した。それは誰に言うのでもなく、自分自身に言い聞かせているのだった。
「ふむ……いいだろう、お前は行かせてやる」
おもむろに御堂は言った。
「行かせるのは呪い士、お前と霧嶋だけだ。霧嶋、呪い士を見張ってこちらに害を為すようなら殺せ」
「おい、俺はどうなるんだ!? 俺も解放してくれ!」
「お前たちを信用しているわけじゃない。特に鋼、貴様が松前でやったことを忘れると思うな」
御堂の判断基準は明白だ。サンシエが良からぬことを企んだとしても、霧嶋に呪いの力は通用しない。対して鋼は鋼蓋抜きでも、加えて足に負傷を抱えていたとしても、素の格闘者としての技量も厄介だ。松前での屍身中の件もあり、御堂としては鋼を野放しにはできない。
「判りました。こちらは任せてください」
霧嶋の短刀でサンシエを縛める縄が切断される。長時間縛られて滞った血行が蘇るのを感じつつ、サンシエは縛られたままの鋼を見る。ここで鋼を置いていくのは見殺しにするのと同義だ。
それを判っているだろうに、鋼は野太い笑みを浮かべた。
「いや、いい。俺のことは構わず行け。カナが本当にもうどうしようもないのなら、せめてお前がけりをつけてやってくれ。それがせめてもの……」
東征軍に捕らわれたままでいれば、鋼はいずれ間違いなく殺される。それだけのことを松前でしているから、本人も承知しているだろう。それでもこうしてサンシエの背中を押してくれる。
「ハガネ、すまない」
「さあ、行くわよ!」
霧嶋が投げて寄越した石刀を受け取り、サンシエは本営の天幕を後にした。
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「まっすぐ追うわよ」
霧嶋に先導されてサンシエは走った。天幕が吹き飛ばされ、宿営地の中に一直線の道ができている。
「っ……! くっ!」
サンシエの口から苦悶の声が漏れた。御雷に砕かれた胸の骨は呪いで応急処置を施しただけだ。地面を蹴る足から衝撃が伝わるたびに激しい痛みを発生させている。
「急ぎなさい!」
そんなサンシエの状態を知っているはずの霧嶋に容赦は無い。厳しく叱咤して急かしてくる。酷いとは思わない。サンシエには一刻も早くカナの元に行きたいという霧嶋の思いが伝わって来ていた。
サンシエも霧嶋もカナを心配していて、早く無事な姿を確かめたかったのだ。直後にそのカナを殺す事になるのだから相反する心情だったが。
「……キリシマ、あなたはカナを殺せると思いますか?」
サンシエは霧嶋に問いかけていた。
狂神は殺さなければならない。それは一貫してサンシエの中にあるのだが、いざカナを目の前にしてその決意が揺らがないのかと言われれば些か自信がない。殊に外見上の変化が無いとなれば。
「コエイが吹かせた風は破神で破れたわ。カナはもっと強い風を使えるみたいだけど、強弱は関係ないから大丈夫なはず」
霧嶋が返した答えはサンシエの問いの真意とは微妙にずれていた。
霧嶋とカナの接点は、霧嶋が下の村で療養生活をしていた期間に限定される。その短い期間でどれくらいの交流があったのか、サンシエも全てを知っているわけではない。が、ここまでの言動から霧嶋のカナに対しての拘りはけして小さなものでは無いとは察せられた。
敢えて感情面の話を避けて実際的な戦力比較などしているのは、一種の現実逃避なのかもしれないと思われた。
「そう言うあなたこそ、殺せるの?」
その問い返しがどちらの意味なのか、サンシエには判らなかったが、直前の霧嶋の言に合わせて実際的な返答をする。
「幽鬼で直接害するのは無理ですが、押し包んでしまえば動きを封じるくらいはできます。その間に……止めを刺すことになりますね」
サンシエが操る動物霊や幽鬼は、相手の霊体に直接攻撃を加える。東征軍兵が防ぐ手段も無く倒されていたように、武器も防具も無視する凶悪な攻撃手段だ。しかし獣神や狂神は霊体自体が強いため、他の霊で傷付けるのが難しい。
これまでの狂神狩りでもサンシエが霊を用いて狂神の動きを封じ、シシリクやコジカが直接仕留める方法を採っていた。
「ふうん……それなら、あなたも武器を持ってなさい」
霧嶋は僅かに進路を逸れ、地面に落ちていた短刀を拾い上げるとサンシエに向けて軽く放る。危うく取り落としそうになりながらも受け取ったサンシエは斜め前を走る霧嶋をまじまじと見つめた。
「言っておくけれど、その短刀を私に向けたら容赦しないから」
「……そんな無謀な事はしませんよ」
サンシエは力無く首を振る。
破神が強力過ぎる能力のため印象が薄くなりがちではあるが、霧嶋は単純な肉弾戦でも結構強い。鋼に後れをとったのは、鋼が格闘専門である上に体格でも大きな差があるからだ。一般兵や武者を上回る、甲軍並みの実力である。少なくともサンシエが太刀打ちできる相手ではない。
貰った短刀は素直に本来の目的だけに使おうと心に決めた。
そこでずきりと胸が痛んだ。
痛んだのは御雷にやられた傷ではなく、もっと体の奥深い所だった。




