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カムイの森  作者: 墨人
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第35話 本営にて

 東征軍宿営地の中心近くに、本営として機能する一際大きな天幕があった。

 軍団長の御堂、副団長の佐倉は夕刻以降、この天幕に詰めている。


「こうも立て続けだと、いっそ最初から示し合わせていたのかと疑いたくなる」


 未だに本調子でない御堂は床机にどっかりと腰を下ろしたままぼやく。

 軍馬の暴走と脱走、火災。それが終われば獣神の群れと幽鬼の群れの襲来。

 さらには森の民が宿営地に向けて弓を射かけてきている。


「まあ、馬に関しては間が悪かっただけでしょうが」


 佐倉は苦笑して言った。

 これまで大人しかった軍馬が突然暴れ出したのは、間違いなくカナの仕業だろう。そこは間違いなく、宿営地に大きな混乱をもたらしたのも確かだ。が、そのために幼い娘をわざと捕らえさせるなどしないだろう。


 森の民が行ったのは『獣神の群れの襲撃』『幽鬼の軍勢の襲撃』『森の民による襲撃』の三段階に分けた夜襲だ。時期と方向をずらしてこちらの対応を遅らせる遣り口と、ここに来ての新規戦力の投入は御堂や佐倉にとっても意外の一語に尽きた。


 が、混乱も今は収まりつつある。

 宿営地の各所から次々に報告が入り、獣神の群れを率いていたカムイは霧嶋が、幽鬼の軍勢を率いていた呪い士は御雷が、それぞれ討ち取ったと判明している。統率者を失った獣神は千蔵が兵を指揮して対処中であり、森の民には武者隊を中心として対応に当たっている。


 現状で手が掛かりそうなのは森の民の方だった。

 遠間から矢を射てくる森の民は夜の闇に紛れてしまっていてどこにいるのかも判然としない。

 見える見えないは森の多中でも同様だったのだが、闇のせいで矢の飛んでくる方向もはっきりしない。刺さり具合から大凡の見当をつけて応射するのが精々だ。

 とは言え、森の民の数は少ないようで、東征軍側の被害も微々たるものだった。時間はかかりこそすれ、いずれ夜が明ければ状況は一変する。視界が確保できてから数で押せば決着も早いだろうと思われた。



 天幕に兵の一団が入ってきた。

 先頭の霧嶋は首に血の滲んだ布を巻き付けており、幾分か顔色が優れない。


「おう、霧嶋か。カムイの討伐、良くやってくれ……そ、そいつがカムイか!?」


 霧嶋に労いの言葉をかけようとした御堂が、彼女の背後の兵達が抱えている物を見て驚きの声を上げていた。一足先に駆け付けた伝令の兵から、カムイが異形であることは聞いていた。しかし目の当たりにしてみると犬頭人身のカムイの姿には息を飲むしかない。


「常であれば首だけお持ちするところですが……」


 霧嶋が言葉を濁す。

 敵将の首を持ち帰るのが通常であるが、カムイの場合、頭部だけにしてしまうと犬の首と見分けがつかない。そう思った霧嶋は首を取らず、死体をまるごと運ばせてきたのだった。

 それによって御堂も佐倉もカムイがどういう存在なのかをこの上もなく容易に理解できた。


「この者は自らカムイだと名乗っていましたし、カナと同じ声の能力も持っていました。カムイ本人に間違いないかと」

「ふむ……先代の森主は山犬の獣神だったというが、この姿は何か関係があるのか」


 十五年前、イヌガミの森に現れた古い神『森の人』。森主がイヌガミからカムイに代わり、森の人は討伐された。人間であるはずのカムイが犬頭人身の異形と化しているのも何か関係しているのではないかと考えてしまうのは当然の流れだった。



 続けて本営にやって来たのは御雷の一団だった。

 一見して判るほどにげっそりとやつれた御雷と、木蓋に縛り付けられて運ばれてきたサンシエ。サンシエの頭には一応の手当てとして布が巻き付けられている。


「御堂殿、森の民の呪い士を連れて来た」


 そう言った御雷は、御堂の返事も待たずに地面に座り込んでしまった。軍団長を前にして無礼な振る舞いであるが、御雷をして礼を気にする余裕が無いほどに消耗しているのだから、サンシエとの戦いがいかに困難だったのかを窺わせた。


「そいつが呪い士か……しかし御雷、随分と手こずったようだな」

「……まあ、相討ちみたいなものだが」

「相討ちとは? 勝ったのではないのか?」

「あいつはあの様で、俺はここまで自分の足で歩いて来れた。勝ったと言うならそうなのだろうが、俺も力を使い果たした。しばらく休まなければ雷は使えん」


 形はどうあれ、戦闘が終わった時点で双方が戦う力を失ってしまっている。それをして御雷は相討ちと評していた。


「この男、そこまでですか。一人で一軍に匹敵すると言われた御雷殿をそこまで消耗させるとは」

「そうだ。俺が勝てたのは運もある。もう少し違う場所だったら負けていたかも知れん」


 御雷はサンシエとの戦いを掻い摘んで説明し、御堂たちの肝を冷やした。御雷の説明通りなら、サンシエこそ一人で一軍に匹敵する能力の持ち主。対応が遅れていればサンシエの幽鬼によって東征軍が壊滅していてもおかしくなかった。


 話題に上ったサンシエは木蓋ごと地面に下ろされて、目を閉じて荒い呼吸をしている。口の周りには血がこびりついており、それはまだ乾いていない。運ばれてくる間にも断続的に血を吐いていたのだ。


「森の民の中でも相応に地位のある奴だ。何かの役に立つかと思い連れて来た」

「しかしこれでは……長くはないのではないか」


 御堂がサンシエの胸部を見て言う。サンシエの胸は胸骨を砕かれて浅く陥没している。常識的に言って助かる状態ではない。


「おい、呪い士、聞こえているか」


 御堂が話し掛けると、サンシエは薄っすらと目を開いた。


「聞こえていますよ。意識を失っていたわけではありませんから」

「ほう? この状態で良くも。痛みを感じていないのか?」


 息が荒いのを除けばサンシエの応答は平静だった。放っておけば死に至るほどの傷を負っているだ。痛みは相当なはずだし、死への恐怖もあるだろう。なのにサンシエの声には僅かな苦痛が滲んでいるだけだ。


「痛くないわけないでしょう。でも痛い痛いと喚いていても意味がありません。今はじっとしていないと」


 動けば折れた胸骨がさらに内側を傷つけるから、とサンシエは説明した。


「そうか、貴様は治療士でもあったな。そういえば霧嶋も世話になったのだったか。こんな状況でなんだが一応礼を言っておこう」


 怪我に対する冷静な分析と対処に、御堂はサンシエのもう一つの顔を思い出していた。


「あの状況では当たり前のことをしただけですから、礼には及びませんよ。ところで僕を殺さないんですね?」

「貴様にも人質になってもらう。森の民にとって呪い士がどれほど重要なのかは知らんが、人数が増えるだけでも効果は代わるだろう」

「そうですか……」

「なんだ? 止めを刺して欲しいのか?」


 味方の兵であれば、止めを刺して楽にしてやるという行為も選択肢に入る状態だ。それを望むのかと訊ねてみれば、サンシエは小さく首を振った。


「違いますよ。当面殺すつもりがないなら治療させてくれませんか? このままだと、そちらにそのつもりがなくても、いずれ僕は死にますよ」

「それはそうだが……」


 御堂は言い淀んだ。本人の言うとおり、このままではサンシエは死ぬ。かと言って施せる手と言えば痛みを和らげる薬を飲ませるか、止めを刺すかのどちらかだ。


「呪いで治療します。僕の石刀を握らせてくれるだけいいです」

「石刀か。やはりお前が呪いを使うには、あの石の刀が必要なんだな?」


 サンシエの石刀は御雷が兵に命じて運び込ませている。が、それをサンシエに持たせるのは危険過ぎる。先ほどとは場所が代わっているから、ここでならサンシエは新たな幽鬼を呼び出せるはずだ。

 そんな逡巡を感じ取ったか、サンシエは続けてこう言った。


「キリシマがそこにいるんですから、別に心配はないでしょう?」

「む、そう言えばそうか」


 サンシエと戦っている間、ここに霧嶋がいればと何度思ったか知れない御雷。霧嶋の破神があればサンシエが何かしようとしても問題なく対処できる。


「ふむ、良いだろう。霧嶋、何かあれば」


 御堂の許可も出て、御雷は縛られたままのサンシエの手に石刀を握らせた。


「石刀に宿らせている、小さな蛇の霊を呼び出します」


 そう予告してから、サンシエは口中で何事かを呟き、手首の返しだけで僅かに石刀を揺らめかせる。すると石刀から滲み出るようにして白い半透明の蛇が現れた。

 蛇は石刀から腕へ、腕から胸へ、胸から顔へと移動し、おもむろにサンシエの口の中に消えた。

 異様な光景に皆が息を飲む中、サンシエの胸部が内側から押し上げられるような動きを見せた。微かな音とともに陥没した胸部が元通りになる。


「貴様……今なにをしたのだ?」

「さっきの霊に体の中から骨を押し上げて貰いました。元の位置に戻して押さえて貰っていますので、いずれくっつくでしょう」


 続けて小さな蜘蛛の霊も呼び出して飲み込むサンシエ。蜘蛛が出す糸で肺腑の傷を塞ぐと言われても、もはや御堂たちの理解の埒外だった。


「これが呪い士の治療か……なんとも呆れたものだな」


 目に見えて呼吸が楽になった様子のサンシエに、御雷は言葉通りの呆れたような声を掛ける。幽鬼を操る戦い方を見て呪い士の力を実感したばかりだが、こうした使い方こそが呪い士の本来の姿なのだろうとも思う。


 それにしても、と御堂は考えていた。

 敵地で捕らわれ、敵の総大将の前に引き出されていながらのこの落ち着きよう。森の民にしてはひょろりとした外見ながら、相当に肝が太いようだ。


 治療を終えて人心地ついたのか、周囲を見わしたサンシエがいきなり表情を変えた。

 その視線の先には地面に横たえられたカムイの死体がある。


「まさか、カムイまで!?」

「……そっちは死んでいるわ。生きたまま捕らえられる状態では無かったから」


 サンシエが「カムイ」と呼んだことで、あれは本当にカムイなのだと納得しながら、霧嶋が言う。カムイを殺したのは自分だと白状しているようなもので、それはサンシエにも伝わっていた。「キリシマがカムイを……」との呟きが聞こえる。


「あの時、私を助けなければ良かったと思っているでしょうね」


 そういう霧嶋には答えず、サンシエは真剣な表情でなにやら考え込んでいる。ついさっきまであった余裕のようなものは影を潜めていた。

 無理もない。三方向から夜襲を掛けた内、戦力的に大きな割合を占めるカムイとサンシエが早々に敗れてしまったのだから、森の民の目論見は完全に潰えたと言える。


 森の民は戦力を出す順番を間違えたのだ、というのが御堂や佐倉の共通する見解だ。

 獣を操るカナ、獣神を率いるカムイ、幽鬼を出現させるサンシエ。もっと効果的な局面で出されていれば状況は全く異なっていたはずであり、劣勢になってから泥縄式に繰り出したあげくが各個に撃破されての現状なのである。いくら戦を知らないとはいえお粗末すぎる。


 これ以上の奥の手はもはやあるまい、再度の降伏勧告を行うなら今だろうと、御堂と佐倉は目配せを交わした。丁度サンシエが手元にいるのだし、夜が明け次第にでも他の人質とカムイの死体を加えて晒せば、いかにシシリクでも自分達の負けを認めざるを得なはずだ。

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