第33話 増殖
カムイの森には何百という東征軍兵の骸がある。
数度の戦闘と、特に水の罠や獣の襲撃で命を落とした兵が多い。
当初は悪念の放出を最小限に抑えるために可能な限りの弔いが行われていた。状況の悪化とともにそれすらもおぼつかずに放置されていた。
サンシエはそれら東征軍兵の骸に残留していた死霊を幽鬼と化さしめ、東征軍宿営地を襲撃した。
圧倒的な戦力になり得る幽鬼の軍団を率いながら、サンシエの胸中には相反する二つの感情がせめぎ合っていた。
一つは高揚感だ。
サンシエは呪い士として高い能力を持っている。霊を見るだけでなく、操ることもできるのだ。しかし実際に霊を操る事はほとんどない。
何故ならば、それは悪念の発生を抑制するという役目と相反してしまうからだ。
操る、というのは本人の意思を無視する行為だ。強制的に使役されれば霊は多くの悪念を放つようになる。だからサンシエは霊を操る能力を持ちながら、その能力を使えなかった。せいぜいがカナに頼んで鳥獣の霊と友好的な関係を築き、同意の上で協力してもらうくらいだった。
自分の持つ力を極限まで行使したならば、いったいどれほどのことができるのだろうか。それはサンシエのような特異な能力を持つ者なら一度は感じる疑問だろう。しかしサンシエはそれを確認できず、さらには東征軍相手の戦にあっても参戦することすらできずに、さらにはカナが捕らわれるという結果にもなった。
正直なところ、サンシエの忍耐もそろそろ限界が近かった。
自分ならどうにかできると思いながら、禁忌に縛られてそれができなかった。一転して、今は何の制約もなく力を振るうことができる。
生れて初めての経験と、自分の力でカナを救いに行けるという事実はサンシエを高揚させている。
だが同時に不安も感じていた。
数百の死者を幽鬼として使役している現在、サンシエの周囲には濃密なまでの悪念が渦を巻いている。罠に嵌ったり、獣に喰い殺されたり。不本意な死に方をした上に死体は森の中に放置されて朽ちるに任せられ、その上幽鬼として使役されてかつての仲間と戦わされている。
幽鬼となった元東征軍兵にしてみれば、死体に鞭打つどころではないくらいの酷過ぎる扱いだ。
屍身中に操られていた死体と同じように強烈に悪念を発するのも当然だった。
ここが森の外だから良いとは言い切れない。宿営地襲撃にはカムイが連れて来た獣神が参加しているからだ。
サンシエの見積もりでは、この濃度の悪念に晒されれば獣神は短時間で狂神になってしまうはずだ。これについてはカムイに何か腹積もりがあるらしく、事前の話し合いの際に「悪念については私の方で考えていることがある。お前は後のことを考えずに持てる力の全てを使え」と言っていた。「私も無為に狂神になどなりたくないからな」とも。
カムイは体内にイヌガミの血晶石を持っている。人でありながら獣神でもあるから、悪念の影響を受ければ狂神化しかねない。
森主という立場にありながら東征軍との戦をシシリクに任せていたのも、悪念の濃い南側にいては危険だと判断していたからだ。
そんなカムイが自ら参戦してきたのだから、何らかの悪念対策はできているのだろうとサンシエは考えている。いや、そう考えざるを得なかった、というのが本当だ。
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幽鬼の軍勢を率いての宿営地襲撃は順調だった。
もともと実体を持たない幽鬼だから、サンシエが命じれば存在を薄れさせて常人の目には見えないようにもできる。東征軍が宿営地の周辺に警戒の目を向けていたとしても、それはある程度の人数が纏まった『戦力』と呼べる相手に対する警戒だ。一人でなら掻い潜る隙もある。
そして宿営地の外縁に達したところで幽鬼を出現させ、手近にいた東征軍兵に襲いかからせたのだった。これはシシリク達が潜入するための陽動だ。騒ぎは大きければ大きいほど良い。サンシエは幽鬼を広く散開させ、宿営地の奥に向かって進んだ。
東征軍の兵は幽鬼について詳しくないようで、敵うはずもないのに前に立ち塞がっては無為に死んでゆく。なにしろ敵の攻撃は幽鬼に通じず、幽鬼の攻撃を敵は防げない。それは戦などではなく、一方的な殺戮だった。
じわじわと進んでいたサンシエだったが、突然鳴り響いた轟音とともに数体の幽鬼が消滅する光景を目の当たりにした。
――あれは雷を使う男。確かミカズチだったか。これは幸先が良い。
過日、コエイに憑依して目にした松前での光景が甦る。普通の攻撃は通用しない幽鬼を易々と消滅させている辺り、御雷の放つ雷撃が自然現象としての雷とは異なるのだと見て取れた。
兵を退かせた御雷がサンシエに向かって駆けてくる。
難儀な相手に見つかったと思いもするが、遭遇したのが御雷だというのはサンシエにとって最良の結果だとも言える。二人いる神狩りの内、破神を持つ霧嶋は絶望的なまでに相性が悪い。触れるだけで古い神を消し去ってしまう能力だ。幽鬼の攻撃など通用しないどころか、攻撃するために触れるだけで幽鬼の方が消滅してしまう。
そんな霧嶋も異能力を持たないシシリク達にとっては、単に少々素早く動くだけの相手だ。唯一透徹を無効化される銀にしても、ならば普通に格闘戦を行えば良いだけなので問題にならない。シシリク達にとっては御雷こそが脅威だ。
だからここで遭遇したのが御雷なのは、相性的にも陽動の効果としても最良だ。
といって危険な相手なのも確かだ。
サンシエは手近にいた幽鬼を自分の周りに集めて防壁として配置した。
駆けて来た御雷の、その全身が紫電を帯び、幾条もの雷撃が撃ち込まれてきた。
サンシエの前にいた幽鬼が雷撃と同じ数だけ消滅している。
内心で冷汗を掻きながらも、サンシエは表面上だけでも平静を取り繕った。
とりあえず雷撃が幽鬼を貫通しないのだけは事前に見て取っていたとはいえ、これまで前線に立ったことの無いサンシエにとって、自分に向けられた明確に殺意の籠った攻撃は恐ろしいものだった。
次撃を警戒してさらに幽鬼を集めつつ、本来の目的も果たすべく他の幽鬼はさらに宿営地の奥へと向かわせる。
「行かせるか!」
一喝とともに進行する幽鬼に片っ端から雷撃を放つ御雷。矢継ぎ早に放たれる雷撃のために、今以上に奥へと進めた幽鬼はいなかった。
見ているサンシエがいっそ呆れてしまうほどの無茶苦茶な火力だった。
「……どうやら、あなたを倒さない限り先へは進めないようですね」
サンシエは石刀を揺らめかせ、残っている幽鬼を御雷に殺到させた。
百体近い幽鬼に取り囲まれながらも、御雷は不敵に笑う。
「幽鬼なんぞうざったいだけだ!」
その言葉を証明するように、御雷が四方八方へと放つ雷撃は瞬く間に幽鬼の数を減らしていく。周りを取り囲んでいるから狙いを付ける必要もなく、一撃放てば一体の幽鬼が消滅していた。
それほどの時を置かず、戦場にはサンシエを守る配置の幽鬼しか残っていなかった。
「ぜぇ……ぜぇ……どうだ! あとはそいつらだけだぞ」
息を切らしながら、御雷はサンシエを睨め付けた。普通なら震え上がるような激しい視線を受け、それでもサンシエは動じない。
なぜならば、彼が操れる幽鬼はまだまだ沢山いるからだ。
石刀をゆらゆらと揺らめかせ、己の持つ霊への支配力を広げていく。
目には見えないその広がりに触れ、新たな幽鬼がいたる所から立ち出でてくる。
その光景にさしもの御雷も目を剥いた。新たな幽鬼は、ついさっき幽鬼に殺されたばかりの東征軍兵の死体から出て来たのだ。
「て、てめえ……これは……」
息を飲んだ御雷が何を考えているのか、サンシエには想像できた。
松前で猛威を振るった屍身中。
動く死体に殺された兵の死体は即座に動きだして生者に襲いかかっていった。戦えば戦うほどに数を増やしていく死者の軍勢。死体そのものなのか、霊体だけなのか、その違いはあってもサンシエは屍身中と同じ事をやっていた。
殺された直後に、殺した側の人間に使役される状況。さらに濃くなる悪念にサンシエは胸を締め付けられる。いっそ悪念を感じられない御雷が羨ましくさえなって来るほどだ。
そんなサンシエの気持ちは知らず、えげつないまでのやり方に憤った御雷は、その憤りで疲れを吹き飛ばしたのか凄まじい勢いで雷撃を連射した。新たな数十体の幽鬼も全て片づけてしまった。
「……あなたは本当に人間ですか?」
自分の操る幽鬼が殲滅されたというのに、サンシエはまず呆れに似た感情にとらわれていた。随分疲れたようで息を切らしているのだが、二百にも迫ろうという数の幽鬼を失った結果が、ただ疲れさせただけなのだ。呆れたくもなろうというものだった。
「俺は……俺達は……人間だ……!」
どうやら彼の中の何か大切な部分に触れる発言だったようだ。乱れる息の中でもさらに声を荒げていた。
「それより……これでタネも切れただろ……!」
最初に連れて来た幽鬼も、その幽鬼が殺した兵から呼び出した幽鬼もいなくなった。残るのはサンシエを守る十数体のみ。使いようによっては冗談抜きで一軍に匹敵するはずの幽鬼の軍勢も、増殖の連鎖を断ち切られてしまえばたった一人に食い止められてしまう。御雷もまた人間離れした能力の持ち主とはいえ、これはサンシエにとって誤算だった。
「でも、まだ終わりというわけじゃないですよ」
「なん……だと……! まだ、いるってのか……!?」
「そりゃあいますよ。関係無い人達に迷惑かけたく無かったんですがね」
心の中で「ごめんなさい」と謝罪の言葉を述べつつ、サンシエは石刀を地面に突き刺し、支配力を展開した。ただし、今度はただ周囲に広げるだけではない。広さとともに地面に染み込ませるようにして深さも拡大した。
そして再び、いたる所から幽鬼が立ち上がって来る。
「なん……だ……!? なんなんだ、こいつらは!?」
さしもの御雷も声が震えている。
現れた幽鬼は東征軍の兵ではない。何時の時代の物かも判別しずらい古めかしい武具に身を固めた男達。それだけではない。粗末な衣服をまとっただけの農民のような格好をした人々。
「およそ人の住む土地で、人の死んでいない場所などありません。ここでは昔戦もあったようですし。こうして無念を残して土地に染み込んでいる霊もいるんですよ」
本来ならこの戦には無関係な人々だ。無念を残しているにしても、年月がたてば自然と薄れていくはずだ。その眠りを覚まさせたことによって、またも悪念が湧き出してくる。
悪念は宿営地全体に広がりつつあった。




