第30話 森主と呪い士
シシリクは下の森を迂回し、昼間であれば東征軍宿営地が望める距離にまで近付いていた。コジカを始めとする森の民の戦力五十名程度が共に居り、片腕を失った銀も同行している。
「シロガネ、おめえ帰った方が良いんじゃないか?」
薄い月明かりでも銀の顔色の悪さははっきりと見て取れ、コジカは堪りかねたように言う。御堂との一戦で左腕を失った銀。サンシエの霊を用いた治療も、さすがに欠損した部位を再生するのは不可能で、血止めを施しつつ体力を失わないように特製の薬湯を飲ませるにとどまっていた。
その甲斐あって、こうして東征軍宿営地間近までの夜間行軍にも送れずに同行できるだけの体力を取り戻している。しかしこの先に予想される激しい戦闘に耐えられるのか、それは銀の気力次第だろう。
「足手まといになるつもりはない。邪魔になれば見捨てていってくれて構わない」
そうまで言われればコジカも強くは言えない。森の民は弓の扱いに長けてはいても、近接戦の技術をほとんど有していない。剣を扱えるコジカの方が例外なのであり、だから銀が参戦してくれるのは有難くもある。期待できるのなら期待したいのが正直なところなのだ。
「それより、カムイ……はともかく、サンシエは大丈夫なのだろうな?」
この場にいない二人の名を口にした銀。
カムイの名で口ごもったのは、昼間見たばかりのカムイの姿を思い出したからだろう。
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下の村での降伏勧告拒否と、カナと銀が東征軍に連れ帰られた件。
話を聞いた銀は、それについてシシリクを責めることはなかった。自ら人質に弓を向けたのは、ただ勧告を蹴るよりも人質の安全に繋がるだろうとの判断は妥当だと思えたし、なにより降伏をされてしまったら銀や鋼は間違いなく殺される。それだけの事を松前ではしてきた。
だからシシリクを責めはしないが、ならば次はどうするのかとなると、手詰まりになった感が強い。東征軍の物量作戦によって森の民の戦力は大きく数を減らしており、カナの参戦によって見えた光明も潰えた。捕らえられた二人は東征軍の宿営地に連れ去られたのだから、現在の戦力での救出は難しい。
そこに現れたのがカムイだった。
人以外とも意思の疎通を図れるカナとカムイ。森の獣に助力を依頼したカナに比べ、獣神を戦力として集めに行ったカムイは時間がかかった。それというのも戦場になる森の南側には、あまり獣神がいないからだ。
カムイの森を東西南北に四分する。東征軍の北上によって発生した悪念に晒された南側の獣神は、ほとんどが狂神化して狩られてしまっていた。そのためカムイは残る三方から健常な獣神を集めなければならなかったのだ。
カナが捕らわれたと聞き、カムイの雰囲気は一変した。
神喰いついては一種の禁忌としてあまり口に上らなくなっており、カムイが昔『森の人』討伐にあたって重要な役割を果たしたという点だけが広まっている。英雄のように扱われているカムイが、対東征軍の戦では息子のシシリクにほぼ丸投げして一歩引いたような態度を取っていた。外から来た銀には奇妙に見えたものだった。
そのカムイが、一転して積極的に参戦の意思を表明したのだ。
獣神を集めていたのも、当初は森の民に協力してもらうための橋渡し的な役割を自任していた節があるが、ここにきて自ら獣神を率いて前線に出ると言い出したのだ。
「三十ほど集められた。サンシエの能力を合わせれば東征軍を相当に混乱させられるだろう。シシリク、お前はその間にカナを助け出せ」
普段はカムイを嫌っているシシリクも、これは従容として受け入れていた。兄として、妹を守り切れなかったばかりか、理由のあることとはいえ自ら傷付けてしまったのだ。また理性的に考えればカムイの参戦自体は森の民にとって大きな戦力になる。断る理由など見当たらなかった。
カムイの言に否定的な反応をしたのはサンシエだった。
これまで呪い士としての役割から、直接戦に関わることができず、敵味方問わずに弔いをして悪念の放出を可能な限り抑えていた。常に後方にいなければならない自分に嫌気が差してきていたのも事実であり、カナまでが戦いに身を投じ、しかも敵の手に落ちてしまった現状に心を痛めていたのも事実。それでもなお、サンシエは自分の呪い士としての能力を戦いに用いる事には躊躇いを感じずにはいられない。
それは森の民としての禁忌を犯す行為に他ならないからだ。
だからだろう。
カムイは自らの顔を隠す頭巾に手をかけた。その手が濃い獣毛に覆われいるのを見てどよめきが生まれ、頭巾が引き下ろされ山犬のそれとなった頭部が露わになると、悲鳴にも似た声が上がった。森主の異形の姿は十五年前の出来事に結び付く。
霊視によってそれをサンシエですら、直接肉眼で見るカムイの姿には血の気が引いていた。
神喰いという禁忌を犯した者の姿は森の民に凄まじい衝撃をもたらしていた。
「皆見るが良い。これが十五年前、森を守るために禁忌を犯した報いだ。だが私は後悔などしていない。たとえ人の姿でなくなろうとも、守りたいと願ったものを守ることができたのだからな」
――カナを守りたいと願うなら、禁忌を理由に能力の行使を躊躇うな。
耳に聞こえる声とは別に、サンシエにはカムイの意思が直接届いている。
サンシエにはそのように届いた意思だが、実はサンシエ以外には別の意味合いで届いている。
――サンシエが禁忌を犯すとしても、それはカナのためだ。大目に見てやれ。
幼い許嫁のために力を振るうのだとすれば、それが例え禁忌であっても許せるのではないか。
カムイの意思を受け取った森の民の中に、そんな認識が急速に生まれていった。言葉だけでの説得だったらこうはならなかったかもしれない。カムイが自らの姿を晒し、直接届く意思によったからこその結果だろう。
森の民の誰もが、今自分達が生きているのをカムイのお陰だと思っている。カムイの行いを禁忌を犯したとして非難すれば、遠まわしに自分達の生を否定することになってしまう。
「東征軍がいるのは森の外だ。そこで力を使っても森の禁忌には触れないんじゃないか」
それは言ったコジカ自身が詭弁だろうと思うような言葉だったが、サンシエにとっては最後の一押しになった。まだ何か言いたそうにカムイを見ていたサンシエはやがて頷く。
「判りました。僕は、僕の振るえる全ての力を使います。そして……必ずカナを連れて帰ります」
こうして呪い士サンシエの参戦が決まったのである。
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作戦と呼べるほどのものではないが、一応の手順は打ち合わせされていた。
まずは獣神を率いるカムイが宿営地に突入して東征軍を混乱させる。
次に、カムイとは別の方向からサンシエが仕掛けて混乱を増大させる。
その隙にシシリク達がカナと鋼の救出に向かう。
銀などからすれば大雑把過ぎると苦言を呈したくなるような内容だ。特にサンシエの能力を今一つ理解できていないだけに、一抹の不安を拭いきれない。森の民は、獣神を率いるカムイと、たった一人のサンシエを同等の戦力として評価している。霊を操るという呪い士の力とはそれほどに協力なのだろうかと思ってしまうのだ。
「俺達もサンシエが本気になった所は見たことがない。禁忌だからってよりも、奴らが来るまではそんな必要がそもそも無かったからだが……だが想像はできるし、その想像の半分だとしても、想像したのを後悔するくらいに酷い」
そう言うシシリクは幾分表情を歪めていた。
味方からもそう評されるほどだとすれば、戦力として信用できるのかもしれない。銀はそのように結論して考えるのを止めた。知らないものをいくら考えても埒が明かないし、ならば知っているシシリク達の判断を信じておくべきだった。
そうして息を潜めて待機していると、俄かに東征軍宿営地が騒がしくなった。
いよいよカムイが突入したのかと思えば、しかしどうにも様子がおかしい。
騒動の発生がカムイやサンシエが突入する地点から離れている。その上戦闘の音が聞こえないままに騒動は広がっていき、所々で火の手まで上がっている。
「どうしたんだ、ありゃあ?」
「どうやら馬が暴れているようだが……」
騒動の中から数多くの馬のいななきを聞き取って銀は言った。
「馬、か……とするとカナが何かやったか?」
「自力で脱出しようとしてるのか? 意外とやるな、カナの奴」
カナが連れて行かれたその夜に馬が暴れ出したとなれば、カナが声の力を使っているとしか考えられない。荒事に向かないカナがそこまでやったとすれば意外であり、コジカは口笛でも吹きたそうな顔をしている。隠れている身なので実際には吹かなかったが。
しかしシシリクは表情を引き締めていた。
カナがそこまでやったとなれば、そうしなければならない差し迫った事態になっているに違いない。
そうこうする内に、宿営地からは沢山の馬が群れをなして走り出してきた。馬蹄の響きが夜の闇の中に木霊する。
「こっちに来るな。森を目指しているのか」
馬の群れは真っ直ぐにカムイの森を目指している。シシリク達は身を潜めるために多少ずれた地点にいたが、弓の使い手として目の良い者が揃っている。薄い月明かりでも背に人を乗せている馬はいないと見て取れた。この騒動を引き起こしたのがカナだとしても、脱出は失敗したらしい。
少なからず自力脱出も期待してだけに落胆もあった。
「まあ混乱を誘う手が一枚増えたと思えばいい。さっきの馬はカムイやサンシエからも見えていたはずだ。この混乱がある程度治まったらカムイが仕掛けるだろう」
「ふむ? この機に畳みかけるのではないのか?」
「騒動が一段落して『終わった』と気の緩みかけたところを狙った方が効果的だ。カムイならそう考える」
「……なるほど」
果たしてシシリクの言うとおりになった。各所で上がっていた火が消しとめられ、宿営地の灯りは通常の篝火だけになった。馬の暴走と火災。二つの騒ぎが収まって、空気が緩んだその時を狙いすまし、獣の方向が轟いた。
数は少ない。しかしカムイが率いているのはいずれも獣神。咆哮一つをとっても並の獣とは比較にならない力強さだった。
「始まったな」
再び騒々しくなった宿営地に向け、シシリク達も移動を開始した。




