第29話 暴走
カナと鋼は東征軍宿営地の天幕の一つに捕らわれていた。
もともと物資を蓄えるために使われていた天幕のため、米や塩の俵、葉物を詰め込んだ籠などが積み上げてある。人質に死なれては困るという配慮からか怪我の治療はされていた。
とは言え鋼は足首を片方折られている。大きな体が災いし、また東征軍兵の手を借りるのを鋼自身が良しとしなかったせいで、下の村から自分の足で歩いてきた。鋼蓋で足首の関節を固めたとしても、地面に足を着くたびに激痛に襲われ、脂汗を流しながらも歩き切ったのだ。
その様には敵である東征軍兵ですら感嘆していたほどだ。
鋼は下の村で受けた拘束がそのままされているが、カナは手の縛りを後ろから前へと変えられていた。東征軍側からすれば、獣を操る能力いがいではカナに脅威を感じない。兄に見捨てられた少女、という認識もあって扱いはそれほど酷くなかった。
天幕の外には監視の兵が立っていて、時折中の様子を確認してくる。
鋼はカナの様子を窺い、怪訝に思っていた。
家族同然のコエイを霧嶋に殺され、さらには家族そのものであるシシリクに殺されそうになった。幼い少女には耐えがたい状況であるはずなのに、鋼の目から見てもカナは異常なほど落ち着いている。顔色良くないけれど、それは単純に怪我のせいで、悲嘆に暮れたりということもない。
二人きりで閉じ込められている時に、相手がめそめそしていたら堪らないので、カナの落ち着きようは鋼にとっても有り難い。が、やはりどうにも得心できずに訊ねてみると、カナは仄かな笑みを見せた。
「兄様は私たちを見捨ててない。でも降伏はできないから、せめて私たちが殺されないようにしてくれたの」
外に声が漏れないように、小さな声でカナが囁く。
「いや、でもお前、シシリクに射られたろうが」
同じく囁き声で鋼は言った。射られたのは鋼も同じで、鋼蓋を使うのが遅れていたら確実に殺されていた。カナも肩に矢を受けている。
その点を指摘してもカナの笑みは消えない。
「兄様が弓で狙いを外す筈がない。これは最初から肩を狙っていたの。ハガネは固くなれるし、兄様には最初から私たちを殺すつもりなんて無かった」
「しかし……」
鋼もシシリクも弓の腕は知っている。木々が密生した森の中、樹木の間に開いた僅かな隙間を縫って的を射る『通し矢』がその最たるものだ。なるほど、あれほどの精密射撃ができるシシリクが、降伏勧告の場で開いていた程度の距離で狙いを外すとは考えにくい。端から肩を狙っていたと言われる方が納得できるも確かだ。
東征軍側はカナを殺そうとしたが狙いを誤った、と取っただろうが。
「降伏しなければ私たちを殺すと、ここの人たちは言っていた。でも兄様は降伏しなくて、それでも私たちはこうして生きている」
「ふむ、そうなのかもしれんな……」
カナの声に重なって聞こえる彼女の意思も、まったくずれずに同じことを伝えてくる。つまり強がりでも何でも無く、カナはそう信じているということだ。
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日も暮れて東征軍宿営地も徐々に寝静まっていく。
囚われの身でする事もなく、暇を持て余した鋼は早々に寝入ってしまっていた。
そんな中、カナは寝付けずにいた。
シシリクが撫ぜ自分を射たのか、それについては鋼に語ったように確信している。だからその点での不安は無いけれど、カナは一刻も早く森に帰りたかった。
この宿営地には馬以外の獣がいない。もともとはいたのだろうが、東征軍が居座ったせいで逃げ散ってしまったのだ。
――ここは嫌な所。早く森に帰りたい……。
強くそう思った。
ここでは人間だけが我が物顔をしている。森の獣とともに生きて来たカナには、人間と、人間に支配された馬しかいないこの場所は相当に居心地が悪かった。
しかし森に帰りたい主な理由は別にあった。
カナの懐には一つの血晶石がしまわれている。下の村で霧嶋に斬られたコエイの石だ。偶然こぼれ落ちたそれを咄嗟に拾って来たカナっだが、その血晶石は赤黒い色をしていた。獣神の血晶石は、本来なら短時間で溶けるように消えてしまうはずだ。それが今もって懐の中に確かな存在を主張している。色も赤黒かったし、コエイは狂神になりかけていたのだ。
森の中での連日の戦、下の村での攻防。幼いカナにも相当量の悪念が放たれただろうことは想像できる。これまでコエイが狂神にならずにいられたのは、空には悪念が溜まり難いからだと思う。だが既に悪念を吸い始めており、このままここにいればどんどん悪念を吸って血晶石は黒く染まってしまう。森に持ち帰り、浄化の滝で悪念を抜かなくてはならない。
コエイを狂神にしてはいけない。
それが、森に帰りたいと願うカナの理由だった。
兄やサンシエが助けに来てくれる。きっと来てくれると、そう信じている。でもそれはいつになるのだろうかとも思う。
カナも森の民の現状は理解しているのだ。兵士に溢れたこの宿営地においそれとやって来れるわけがない。
自分でどうにかしないと。
カナは天幕の外の様子を窺う。
宿営地に連れて来られた時に見た馬たち。ここは馬が囲われている場所からは遠い。獣と意思を交わすカナを警戒して、声が届かない場所が選ばれたからだ。
カナ一人の声は届かないとしても、沢山いる馬の気配は感じられた。馬が鼻を鳴らす声や、蹄が地面を踏みならす音。一つ一つは小さくても数が集まれば遠くの天幕まで届いてくる。
「ハガネ、起きて」
「……どうした? 眠れないのか?」
熟睡していたように見えた鋼は即座に目を覚ました。敵陣の中、眠りが浅かったようだ。
「ハガネ、森に帰ろう」
カナは決意を込めてそう言い、逃亡の手段を鋼に説明した。
そして東征軍宿営地は混乱に包まれた。
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霧嶋は混乱する宿営地を走り抜け、カナたちを捕らえている天幕へと急いでいた。
宿営地はあちらこちらから火の手が上がり、兵たちの怒号が飛び交っている。
原因は馬だった。
宿営地の一角には武者たちの連れて来た馬が囲われていたのだが、それらが一斉に柵を壊したり跳び越えたりして暴れ出したのだ。
暴走する馬に蹴散らされた篝火が天幕に引火して火の手が上がり、兵の混乱に拍車をかけていた。
獣と意思を交わす能力を持ったカナが来た夜に馬が暴れ出したのだ。
カナの能力を警戒して、馬の囲いから遠く離れた天幕に捕らえていたのだが、だからと言って関係を否定するのは無理がある。仮にカナとは無関係だったとしても、この混乱に乗じて森の民がカナ救出のために忍び込んでいるかもしれない。
そうして急行した霧嶋は異様な光景を目にすることになった。
カナたちの天幕の周りには沢山の馬が集まっていた。
馬の群れの中にカナたちがいた。一頭の馬がカナの襟首を咥えて持ち上げ、もう一頭の背にまたがらせる。足を縛られていて跨がれない鋼は馬の背に上半身を乗り上げるようにしている。
そして馬の群れは走り出した。北の方向、カムイの森に向かって。
「これは……やっぱりカナが!?」
状況に疑問を抱いたまま、霧嶋も走り出した。群れの最後尾に追いついて飛び乗る。
前方にカナたちが見えた。
鞍も鐙もない裸馬に手を縛られたまま跨っているカナは危なっかしく体を揺らしている。カムイの森に馬はいなかったから乗馬自体初めての経験だろう。今にも落馬しそうなのだが、落ちそうになるたびに左右を走る馬が長い首を使って押し戻している。
馬の背に引っかかったような状態の鋼もまた、周囲の馬の助けで落ちずにいた。
群れはカナたちを中心に置いて走っており、二人に気付いた兵がいたとしても周囲の馬が邪魔で手が出せない。馬たちは明らかに二人を守っていた。
「カナ……やはりあの娘の力は危険だわ」
この力で再び森の獣を操られたら厄介極まりない。霧嶋は馬の背に立ち上がった。揺れる馬の背の上でも、卓越した平衡感覚で平地と同じように立っている。そして跳躍。また跳躍。馬の背伝いに跳躍を繰り返し、次第にカナに近付いて行く。
「カナ!」
何度か叫ぶと、やがてカナが振り返った。馬の背に立っている霧嶋を見て目を瞠っている。
その口が動いたが馬の群れが走る音は大きく、カナの声は聞こえない。
――私は、森に帰る。
声は聞こえないのに、その強固な意志だけが伝わってきた。
「っ! そうか! 声は届かなくても意思だけは届く!」
声が届かないはずの馬たちを、どうやってカナは呼び寄せたのか。ようやく霧嶋は理解していた。思えば下の村でカナと別れる時、彼女は声を出さずに「カエデは友達」と、意思だけを伝えてきていた。
その場面を忘れていたわけではない。それどころか大事な思い出として胸にしまってあった。
迂闊としか言いようがない。単なる思い出にせず、きちんと考察していれば、カナが声の届かない相手にも意思を伝えられる可能性に気付けたはずだ。
霧嶋はさらに跳躍して、カナの前を走る馬の背に跳び移った。
「カナ……まさかこんな力があるとはね。声も届かない距離から馬を操れるなんて」
「操ってなんかいない。私はお願いしただけ。この子たちも逃げたがっていた。戦いに……殺し合いに使われるのも嫌がってる」
「馬が、自分であなたに協力していると言うの?」
「私にできるのは話をする事だけ。頼んで、断られたらそこまでだもの」
霧嶋は周囲を走る馬を見回した。戦場で怯えないように訓練され、人の言うことを聞くように躾けられた軍馬だ。考えたことも無かった。馬には馬の意思があり、戦いに厭っているなどと。
「カエ……キリシマ、このまま行かせて」
カナが期待するかのような視線を向けてくる。村での生活の中で育まれた友情に一縷の望みをかけているのだ。
しかし霧嶋には、その友情に応えることができない。
「悪いけど、見逃せないのよ」
霧嶋は投擲針を取り出した。十数本をまとめて掴み出している。
「おい! 霧嶋! 恩を仇で返すのか!? カナだけでも森に帰してやれ!」
会話を聞いていた鋼が叫ぶ。狂神に背中を抉られ、身動きもままならなかった霧嶋を献身的に介抱したのはカナだ。村の中で鋼と一触即発の雰囲気になった時にもカナが割って入って事無きを得ている。恩と言うなら大きな恩である。
しかし霧嶋は鋼を無視した。カナを森に帰してあげたい気持ちももちろんある。だが霧嶋は東征軍なのだ。霧嶋は針を持った手を振りかぶる。
「カエデ! 私は森に帰りたいだけなのに!」
とうとう「カエデ」と呼んだカナの悲痛な声を努めて聞かないようにして。
それでも直接届いてしまうカナの意思をも無視して、霧嶋は針を投じた。
一斉に投じた針はカナと鋼が乗る馬と、その周囲を走る数頭の眉間に正確に突き刺さっていた。
「ああっ!」
突然崩れた馬の背から放り出され、カナが悲鳴を上げる。蘭はカナめがけて跳躍し、空中で小さな体を抱き止めた。着地と同時に迫りくる後続の馬に向けて強烈な殺気を放った。
続けて走ってきた馬は殺気に怯えて霧嶋を避けていった。
馬が逃げ去った後、残ったのは霧嶋と、霧嶋に抱かれたカナ。そして地面に投げ出された鋼だった。鋼は身動きもままならないまま後続の馬に散々踏みつけられていたが、鋼蓋のお陰で大事に至らなかったようだ。霧嶋にとってはどうでも良いことだったが。
霧嶋の腕の中でカナが震えている。
「ごめん……でもあなたを逃がして、もう一度戦場で出会ったら……次はあなたを殺さなくてはならないから……」
霧嶋はカナを抱く腕に力を込めていた。




