第28話 人質と降伏勧告
切り拓かれた森の境目辺りから鋼が駈け出してきて、それを迎え撃つべく千蔵もまた駈け出す。
千蔵が村を出るのと時を同じくして、霧嶋も下の村を後にしていた。ただし千蔵とは逆側からだ。
獣の襲撃が始まると同時に霧嶋はカナを探していた。森の民が弓戦を仕掛けて来た時、これはカナの居場所から注意を逸らせる意図があるのではないかと考えた。獣の進行線を挟んだ反対側を子細に観察してみれば案の定カナがいて、その傍に鋼がいるのも発見できた。
千蔵に報告すれば、「お前と鋼は相性が悪い。私が鋼を抑えるから、お前がカナを確保しろ」と言われた。先日は鋼に後れを取っているし、千蔵の実力を良く知る霧嶋としては反論できなかった。カナの確保を自らの手で行えるという点から反論しなかった面もある。
今回、御堂や佐倉はカナの「殺害」ではなく「確保」を命じている。
それは幼い娘を殺すことを忌避したのではなく、もっと実際的な思惑からだった。
森の民の中心人物であるシシリクの妹であり、恐らくは森主カムイの血縁でもある。そんなカナを人質にできれば、戦に関して何らかの交渉を森の民と行えるかもしれない。
カナを人質にすることに積極的には賛成できない霧嶋だったが、人質にするなら少なくとも命は保障されるのだからと消極的に受け入れていた。
カナたちから見えない反対側から村を出て、森の中を大きく迂回してカナ達の背後に移動する。木々の隙間からは千蔵と鋼が戦っているのが見え、それを見守るカナや森の男達の後ろ姿も見えた。カナ達の注意は完全に千蔵達の方向に向かっており、全く背後を気にしていない。
――全く不用心にもほどがある。あれでは護衛として失格ね。
カナはともかくとして、護衛らしい四人の男達までが前方しか見ていないのは頂けない。戦に不慣れな彼らは、護衛という役割にも慣れていないのだろう。
霧嶋は懐から投擲用の針を取り出し、気配を殺しながら慎重に進んだ。十分に距離が詰まったと判断したところで、針を投じながら走り出す。
投げた針は二本。それで同じ数の森の男が絶命した。針は後ろから正確に首筋を捉えている。
残りの男達が振り向いた。彼らはまず倒れた男達を見て、次いで霧嶋の方を見、慌てて弓に矢を番えようとしている。霧嶋の目から見れば後手に回り過ぎな対応だ。男達が弓を引き絞るよりも早く、近接戦の距離に到達していた。
短刀を閃かせてまず一人の喉を切り裂き、振り向きざまにもう一人を同様にして仕留めた。
戦前に下の村で観察した通り、森の民は近接戦闘の技術を持っていなかった。
カナが振り向いたのは四人の護衛を倒した後だった。
「え? あれ? みんな?」
霧嶋を認めて驚きの顔をしたカナは、倒れている男たちを見て慌てていた。そして霧嶋が手にしている血濡れた短刀を見て徐々に理解の色が広がる。
「カエデがみんなを……?」
「ええ。こんな形で再会したくはなかったのだけど」
怯えを含んだ目で見られて霧嶋の胸が痛む。
だがカナが「カエデ」と呼んだことが嬉しくかった。カナはまだ自分を友達だと思ってくれている。
「獣を退かせるように言うつもりだったけど、もうやってたみたいね」
村の方向を見れば、明らかに獣の動きが変わっている。攻撃命令を撤回しないままカナを捕らえた場合、少々面倒なことになると予想していただけに、これには霧嶋も一安心だった。
「カナ、私と一緒に来てもらうわよ」
「っ……!」
伸ばした手の先でカナが後ずさる。霧嶋個人を友達だと思ってくれていても、東征軍が敵だという認識はカナにもある。大人しくついてくるはずはなかった。逃げの体勢になったカナを捕らえようとした霧嶋の眼前に突然飛び込んで来たものがある。
コエイだった。
翼を一杯に広げて威嚇してくるコエイ。近付こうとすれば嘴や爪で攻撃してきそうだ。
「カナ、コエイを退かせなさい。邪魔をするなら……排除しなければならないから」
羽ばたきもせずに対空しているコエイに不審を感じつつも、カムイの森の獣神は稀に特異な能力を持つとも聞いているので、その一種だろうと結論しておく。
「私は村に帰るの」
「……帰らせるわけにはいかないのよ」
逃げようとするカナ。捕らえようとする霧嶋。
コエイが鋭く鳴き、翼を大きく打ち振った。
「うっ!?」
体を押し返そうとする風を感じ、これがコエイの持つ特異能力かと確信する。地面を踏む足が風圧でずるりと滑るほどの風だったが、霧嶋は破神を発動させて前に出た。どれだけコエイが風が巻き起こそうとも、能力で生み出された風は霧嶋に一切影響を与えられない。
風を無効化されたコエイが鋭い嘴で攻撃をしてきた。
「くっ! 仕方ない!」
カナがコエイを大切にしているから躊躇っていたが、カナを捕らえる障害になるのなら致し方無かった。
霧嶋はコエイに短刀を振り下した。
「コエイ!」
詰まったような声でカナが叫ぶ。ざっくりと胴を裂かれたコエイはひとしきり地面で暴れ、すぐに動かなくなった。その傷口から血濡れた赤黒い球体がこぼれ落ちる。
「あ……ああ……!」
カナは逃げるのも忘れて、わなわなと震える手で球体を拾い上げた。
「コエイ……コエイが! カエデ! どうして!」
「だから退かせろと!」
カナは取り乱していてまともな会話が成り立ちそうない。霧嶋はカナの首筋に手刀を落として気絶させた。
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獣が退き、静寂を取り戻した下の村。
木柵の内側に東征軍が、切り拓かれた森の外縁部に森の民が位置している。
東征軍側の中央には捕らえられたカナと鋼がいた。
二人とも縄で拘束されていた。
カナは両手を後ろに回して縛られており、縄尻は霧嶋の手にある。
鋼に施された拘束はカナの比ではないくらいに厳重に為されている。使われている縄が太く頑丈なのは当然として、後ろ手に縛った上で首に巻いた縄と連結して上半身の動きその物を阻害するようにしてあり、両足首を短い縄でいて小さな歩幅で歩くのがようやくという状態だ。さらには猿轡も噛まされていて喋ることもできない。
森の民は外縁部から一歩進み出て姿を晒している。
これから行われるのが戦闘ではなく、交渉事であると理解していた。
森の民の数は三十人程度。その中からシシリクだけがさらに前に出ていた。
銀の姿が無いのは、御堂との一戦で重傷を負っているからだと思われた。
「シシリク! 見ての通り、お前の妹と銀の弟はこちらの手にある。これを踏まえて今一度交渉しようじゃないか!」
千蔵が張り上げる声を聞きながら、霧嶋は千蔵の心中を思う。
本当なら千蔵もこんな事をしたくないはずだ。人質を取るという行為そのものに拒否感があるのではなく、武力に優れた甲軍の長として、これは己の武力だけでは相手を屈服させられないと認める行為になるからだ。
それでもこの役目を引き受けたのは、森の民の予想外のしぶとさだった。
地形を利用し、獣の力も借り、森の民は当初予想されていた以上の抵抗を示している。東征軍側の損害も相手の規模を考えれば無視できないほどになっており、手段はどうあれ早期に決着する必要があった。
シシリク達に対して、千蔵は降伏勧告を行う。多少婉曲な表現がされていたものの、平たく言えば「人質の命が惜しかったら武器を捨てて降伏しろ」となる。普通ならたった二人の人質で戦を終わらせる降伏勧告などできない。その二人がカナと鋼であるのが大きい。一人はシシリクの妹であり森主の血縁でもある。今一人の鋼も森の民中では主力となっている銀の弟。人質としての価値はある。
だがシシリクからの返答は思いもしない形で為された。
シシリクはいきなり弓に矢を番えたのだ。
「!」
東征軍に緊張が走り、木盾を持っている者は一斉にそれを構えた。
シシリクが矢を放った。風を斬って飛来したそれは、しかし東征軍の誰をも狙っていなかった。
「んあっ!」
カナが左の肩に矢を受け、もんどりうって倒れた。上げたのは悲鳴ではなく驚きの声で、地面に転がったまま呆然としている。痛みよりも何よりも、兄に射られたことに驚き、それだけで頭が一杯になっているようだった。
「むが!」
続けて鋼が声を上げた。凄まじいまでの早技で放たれた二の矢が鋼の胸板を直撃していた。これは鋼自身が咄嗟に鋼蓋で防いだが、そうでなければ心臓を貫いていただろう。
「な、なにをする!?」
まさかシシリクが人質を殺そうとするとは思わない。さしもの千蔵も狼狽の声を上げた。
東征軍からの矢を警戒して再び木に身を隠したシシリクから、良く通る声で返答がある。
「俺達は降伏などしない。人質を取っても無駄だ」
「だとしてもこの娘はお前の妹だろう! 自ら矢を射かけるなど木でも違ったのか!」
「人質にしたそちらから言われる筋合いはない。俺達はキリシマをそのまま帰したぞ。それを忘れたのか」
シシリクの糾弾に千蔵は言葉を詰まらせた。
「繰り返すが俺達は降伏しない。ならばカナたちを殺すというのだろうが、そうはさせない! 貴様らに殺させるくらいならばいっそ俺の手で!」
シシリクが再び現れた。弓は既に引き絞られている。
そして放たれた矢は再びカナを狙っていた。
急な展開に呆然としている者が多い中、霧嶋がいち早く動いていた。
カナの前に躍り出し、飛来した矢を短刀で斬り払う。
身を挺してカナを守りながら、霧嶋は酷い違和感に襲われていた。カナの命と引き換えに降伏を迫っているのは自分達東征軍だ。なのにカナを殺そうとしているのはシシリクで、守ろうとしているのは自分。何かが間違っているとしか思えない。
我に返った兵たちがカナと鋼を守るように木盾で囲むと、シシリクは森に姿を消した。
「俺達は降伏しないぞ!」
最後にもう一度言って、その気配が遠ざかっていく。
人質を殺すのは無理とあきらめて引き揚げていくのだ。
「……一晩頭を冷やせ! 明日、また来る!」
シシリク達に向けて放たれたその言葉に、霧嶋は内心でほっと胸を撫で下ろす。人質を取っての交渉を相手から蹴られたのだから、ここは言明した通りに人質を殺すべき場面だ。人質を殺さないと知られれば、今後同様のことあった時に相手を脅す効果が無くってしまうだろう。
だから、カナが殺されないことを喜びつつも、霧島は千蔵に確認した。
「いいんですか? ここは鋼だけでも殺しておくべきでは」
霧嶋にとって鋼の生き死にはどうでも良いからそう言った。名前を出された鋼が睨み付けてくるが無視する。
「いや、まだだな。シシリクはああだったが、森の民の総意とは思えん。人質の扱いに関して意見が割れれば仲違いもあり得るだろう。殺すならいつでも殺せるのだし、まだ生かしておいた方が良いだろう」
それにな、と千蔵は霧嶋にしか聞こえないくらいに声を落として続けた。
ここで人質を殺すと兵から不満が出かねない。むさ苦しい大男の鋼は松前の件もあるから問題ないとしても、幼く愛らしいカナは駄目だ。兄にも見放され殺されそうになった不憫な少女を殺しては、非情な指揮官として兵たちから不信を買ってしまう。
それはカナを気遣う霧嶋を慮っての言でもあったのだろう。
霧嶋は黙って千蔵に頭を下げた。
「さて、一旦宿営地に戻るとするか」
千蔵の指揮で東征軍は撤収していく。
降伏勧告こそ蹴られたものの、カナを抑えたことで森の獣による脅威は除かれたのだった。




