第26話 森の獣
下の村を占領した東征軍は、さらに先への進軍を急がなかった。まずは下の村をカムイの森攻略の拠点とするために、周辺の整備を行っていた。
具体的には宿営地から下の村までの道造りと、村周辺の木々を伐採することだった。
京は支配地域の拡大とともに道を敷いてきた。これは支配地域のさらに先へと速やかに軍勢を送るための経路であり、補給物資の輸送を円滑に行うためでもある。
佐倉の指揮のもとに行われたのも、この延長である。本格的な工事をする余裕はなくても、真っ直ぐ歩ける程度に木を切るだけでも大きく変わった。
村の周りの木を切るのは、主に森の民への対策である。密生した木々は森の民の姿を隠してしまうし、東征軍側からの射撃は木の密度が低いほど効果的だ。村の周囲は森の民によってもある程度切り拓かれていたので、さらにその外側で間伐を繰り返していた。
下の村には武者と兵からなる二百名ほどが戦闘要員として駐留し、百名ほどの人足が実際の作業にあたっている。作業の進捗は宿営地の佐倉へと逐一報告されていた。
佐倉は宿営地の一角に構えられた大型の天幕にやって来た。
天幕の中では東征軍団長の御堂が宿営地用の簡易寝台に身を横たえている。
「今日の経過報告です。作業は順調に進んでいますよ」
問題無く進捗しているならわざわざ御堂の手を煩わせることは無い。佐倉は端的に問題の無い旨だけを告げた。
「森の民に動きは無いのか?」
寝台から身を起こしながら御堂が問うてくる。その動作には多少のぎこちなさこそあったが、数日前に比べれば随分とましになっている。
下の村を陥落せしめたあの日、御堂は銀の法力を腹に受けて負傷している。
御堂の負傷については佐倉も申し訳なく思っている。
東征軍の人員と物量を最大限に活かした侵攻策として実行された弓の大量投入と二方向からの同時侵攻。一方の指揮を御堂が、もう一方の指揮を佐倉が執っていた。そして個人的な武力では劣る佐倉の方に御雷と千蔵がついていたのだが、もしもどちらか一人が御堂についていたら、銀や鋼に良いようにはさせなかったはずだ。
もっともそれを言えば御堂は首を横に振るだろう。結局のところ、どちらか一方の部隊が囮になる予定だったのだし、それは森の民の動き次第、東征軍の側からすれば運に過ぎない。もしも森の民が佐倉の側に喰いついたとすれば、御雷と千蔵のどちらか一人で佐倉を守りきるのは難しいだろう。
「今のところは大人しいものです。その大人しさが不気味でもありますが、森の民も先日の戦で大きな被害を出していますし、体勢の立て直しが必要なのでしょう」
「大きな被害なあ……」
御堂が大きく息を吐く。大きな被害というなら御堂が率いていた軍にこそ大きな被害が出ている。森の民が仕掛けた水の罠は百人以上の死者と、それに数倍する負傷者を生み出していた。
この被害は負傷によって御堂が直接指揮を取れなくなった事が大きく影響している。結果の出た戦にたらればは禁物だが、もしも御堂が指揮をしていたならむざむざ森の民の罠にはかからなかったのではないだろうか。誰よりも御堂自身がそう考え、自分を責めていた。
「下の村の砦化は近日中に終了するでしょう。現状でも森の民に対する防備は十分に固めています。御堂殿は養生に専念していてください」
「ああ、佐倉に任せておけば間違いないだろう。よろしく頼むぞ」
一礼して佐倉は天幕を辞去する。以前から実務的な細かい事は佐倉に一任してきた御堂だ。それは信頼の証であり、佐倉はそれに応えなければならない。
佐倉の読みでは森の民が体勢を立て直し、逆襲に転じるまでにはまだ三、四日は必要だ。失われた人員を補充するにも、負傷の軽い者が復帰するにも、それなりの日数が必要になるからだ。
しかし、佐倉の読みは外れてしまった。
翌日の未明、宿営地に駆けこんできたのは下の村に駐留していた兵の一人だった。息も絶え絶えの兵がもたらしたのは獣の大群に襲われ、下の村にいた東征軍がほぼ壊滅したという報せだった。
急遽、御堂の天幕に東征軍幹部が集まっていた。
こうしている間にも下の村を逃れてきた兵や人足がばらばらに宿営地に辿りついている。誰もが着の身着のまま、無傷の者は皆無という有様だ。逃げてきた者たちから話を聞けば、ひどく混乱した様子ながらも皆が口を揃えて獣の大群に襲われたのだと言う。山犬や猪、鼠などが大挙して押し寄せてきて、それはさながら森が溢れ出して来たかのような光景だったという。
「……これはカナの仕業だと思います」
幾分青ざめた顔で霧嶋が言う。
「カナと言えばシシリクの妹で、確か獣とも言葉を交わせるとか」
千蔵が確認すると、霧嶋は頷きを返した。霧嶋が下の村に滞在した期間、カナが様々な獣と意思の疎通を図っている場面を目撃しているし、サンシエなどからもカナの能力については聞き及んでいる。
「しかし、まさかカナがこれほどのことをするとは……」
霧嶋が報告として上げていた中には、森の民の主要な人物として、シシリクの妹カナについても含まれている。獣との意思疎通能力ももちろん報告していたが、それ以外で極めて人畜無害、戦に際して注意する人物であるとは評価していなかった。
獣と対話する能力が、獣を戦力に変える能力に通じるかもしれないとはどこかで考えていたが、カナの性格的にそれはできないだろうと言うのが根拠だったのだが。
「事実獣は襲ってきたのだから認めんわけにはいかんだろう。霧嶋、私情は挟むな」
千蔵に叱責されて霧島は下がる。神狩の霧嶋を甲軍の千蔵が叱責するのは本来なら越権行為になるが、師弟とも言える二人の関係をこの場にいる全員が知っている。
「しかし、これは森の民が相当に追い詰められている証でもあるな」
寝台から御堂が言う。
「そのカナという娘が霧嶋の言うとおりの性格ならば、それを押してでも戦力として組み込まざるを得ない状況になっているという事だろう」
「それは……そうでしょうな」
「で、あれば次はその娘一人を押さえれば、戦局は一気に傾くことになる。佐倉、早急に部隊を編成して村に向かわせろ。御雷、千蔵、霧嶋もだ。数よりも質を優先させた部隊で行け」
急遽編成された部隊は二百五十名規模だった。千蔵を部隊長として残った甲軍や武者を中心に、兵の中でも比較的熟練した者たちで編成されており、加えて御雷と霧嶋の神狩二名も同行する。
格として神狩の方が上位になるが、千蔵は曲がりなりにも甲軍長として部隊指揮に慣れており、逆に単独行動の多い神狩にそれは無いため、千蔵が部隊を指揮することになった。
下の村までの道行は慎重に、しかし急がれた。木を伐採して道幅を広げてあったお陰で行軍は速やかだった。
進むにつれて道端に転がる死体が目に付くようになるが、回収している暇は無い。申し訳ないと思いつつも放置して先に進む。
そうして辿りついた下の村は地獄の様相を呈していた。累々と横たわる屍、獣の屍もあるが、割合は東征軍兵士の方が圧倒的に多い。
「よし、打ち合わせ通り、遺体の回収作業を行え。他の物は周囲の警戒だ」
千蔵の号令で百名ほどが作業を開始、残りが周囲に散って森に警戒の目を向ける。回収とは言ってもそこらに散らばっている遺体を一カ所に集めるだけの作業だ。安全が確保されいていない状況ではそれすらも危険すぎる行為だが、そういう目的で来たのだと森の民に思わせなければならない。
回収作業をする兵達から時折悲鳴に近い声が上がる。戦場で嫌というほどに死体を見慣れている武者ですら、時には目を背けるような状況だ。
遺体はどれも酷い状況だった。ほとんどの遺体が部位を欠損している。
喰われているのだ。
腕や足の肉がごっそりと食いちぎられていたり、まるごと失われていたり。腹を喰い破られ内臓を貪り食われたような遺体もある。顔面が白骨化している遺体は無数の鼠にたかられたのだろうか。
とにかく人に殺された遺体を見慣れた者でさえ、獣に喰い殺された遺体は正視に堪えない。
「霧嶋、怖いのか?」
村の中心近くで御雷は霧嶋に訊ねる。霧嶋はずっと顔色が悪かった。
「怖いわけではありません。ただ……これをやった……いえ、やってしまったカナが今どんな気持ちなのかと考えると」
「……そうか。子供を戦場に出すなと言いたいところだが、そうせざるを得ない状況に追い込んだのは俺達だしな……とにかく痩せ我慢でもいい、しゃんとしていろ。神狩のお前が動揺していては兵たちが不安がる」
「……はい」
霧嶋は内心が表に出ないように表情を改めた。
不意に笛の音が響いた。周囲を警戒していた兵が獣の接近を察知したのだ。
「作業を中断! 配置に着け!」
千蔵が指示を飛ばす。
伐採によって隙間の広がった木々の向こうから山犬や猪の大群が真っ直ぐに向かってくる。
まずは距離のあるうちに弓での一斉射撃が行われた。本来は森の民対策として行われた伐採は、獣に対しても有効だった。矢を受けた獣が次々に倒れていく。しかし逆に獣側にも利していた。残った切り株などは軽く跳び越え、直線的に駆けてくる。
「後方半数は引き続き弓だ。前方半数は近接戦に移るぞ!」
千蔵の声で前方にいた兵たちは弓を捨て、刀は槍を構える。
「一発大きいのいくぞ!」
そこに御雷の声が響き渡り、何条もの雷が森を走った。獣が密集している場所を的確に狙い撃ち、何頭をもまとめて薙ぎ倒していく。その圧倒的な威力に東征軍兵から歓声が上がった。
しかし獣も数が多い。御雷の雷撃に晒されなかった群れが次々に村に雪崩れこんでくる。
「全力で支えろ!」
ここまでは千蔵達の予定通りだ。獣を操っているカナの能力は、獣と意思の疎通を図る事。ならば必ず獣たちに声の届く範囲にいる。
村の中に戦場を移動させたのは、カナを出来るだけ村の近くに誘き寄せるためだった。




