第25話 神喰いの条件
サンシエはまっすぐにカムイを見る。
編み笠とゆったりした衣服で全身を隠しているカムイであるが、霊を直接視認できるサンシエには山犬のようになった姿が見えていた。
「問題なのは血晶石に宿った獣神の霊だ。呪い士のお前ならそれがどういう意味なのか判るな?」
「それはもちろん判ります。霊が実際に見えている分、実感しやすいですしね」
カムイの問いに肯定を返したサンシエ。
呪い士として霊の扱いに慣れ、その特性を深く理解しているから、カムイの言う神喰いを行うに当たっての問題点は容易に理解できた。
獣神の霊は肉体が死んだ後は血晶石に宿る。そこにどんな理が働くのかは知りようがないが、獣神の大きな霊が、あの小さな球体の中に収まってしまう。狂神も同様で、だからこそサンシエ達は狂神の黒い血晶石を清浄な土地に安置して悪念を抜く。悪念を抜いて血晶石を自然消滅させないと狂神の霊はいつまでもこの世に留まってしまうからだ。
これは獣神(もしくは狂神)としての力を同じ種の獣に受け継がせるための仕組みなのかもしれなかった。
しかしこれを「神喰いを行う」という前提で見ると厄介な事になる。
獣神の力を受け継ぐために血晶石を喰えば、かならずその獣神の霊も取り込んでしまうからだ。
一つの体に霊は一つだけだ。新たな霊を取り込んでしまえば、どちらかが弾きだされるか融合するかのいずれかになる。サンシエがコエイに憑依する時には、これが起こらないように細心の注意を払っているし、万が一を考えて長時間は続けないようにもしている。
獣と獣神の場合にどちらになるのかは分からないが、人と獣神の場合は融合が起こった。少なくともカムイや、カムイの後に続いた者達ではそうなった。
人の霊と獣神の霊が融合した結果、霊は姿を変えてしまう。
ここで呪い士にとっては常識である肉体と霊の関係が問題となってくるのだった。
肉体と霊は同じ形をしており、その形が異なってしまったら同じ形に戻ろうとする力が働くということだ。怪我の治療にも用いられる基本的な概念である。
霊が融合によって形を変え、肉体には霊と同じ形になろうとする力が働く。その結果としてカムイの今の姿がある。
「カムイ以外の人達が死んでしまったのは、霊の形が人間よりも獣に近い形になってしまったからですね?」
「そうだ。私も経験したから良く判るが、あの体が作り変わる苦しみは途轍もないものだった。比較的人に近い形の私ですらそうだったのだ。より獣に近い形に変わるとなればどれほどになるのか……」
「少なくとも、耐えきれずに死んでしまうほどの苦しみということですね」
仮に強靭な精神で苦しみに耐えられとしても、死なずに済むのかは分かったものではない。なにしろ人間の形から獣の形へと骨格からなにからが急激に変化するのだ。その過程で内臓などが損傷しないとも限らない。
「私は私自身を一応の成功例として考えている。ならば失敗例との違い、霊の形が比較的人の姿に近くなった理由は何だったのかと考えた」
死んでしまった十数人を「失敗例」と言った事に、サンシエは多少の反感を持った。当時の状況からすれば無理のないことなのかもしれないが、それはカムイの提案によって為されたことなのだ。彼らの死の原因は間接的にもせよカムイにあると言っても良い。それを失敗例の一言で片づけてしまうとは。
「イヌガミが他の獣神と比べて人間に近かったから、というカムイの推測には僕も同意しますよ」
成功例と失敗例(と言ってしまうのはサンシエには抵抗があるが)の間の明確な違いは、喰ったのが森主イヌガミかそれ以外の獣神か、つまりは人間と同等の知性を備えていたのか否かという点だった。
「高い知性を持つという意味で他の獣神よりも人間に近いイヌガミだったからこそ、霊が混じった後も私は比較的人間に近い姿でいられた。ならば……」
その後に続く内容をサンシエは既に知っている。手にしている紙束には全てが書かれていたからだ。
神喰いを行うならば、より人に近い獣神を喰えば良い。姿形はどうしようもないにしても、それ以外の部分で可能な限り人間に近くなるようにする。
結論としてはそうなる。だが姿形以外の部分で人間に近くなるようにする方法は限られている。
一つはカムイとイヌガミのように、獣神側に高い知性が備わっていた場合だが、現在のカムイの森には森主になれるほどの知性を備えた獣神はいない。
もう一つは姿形と知性以外の部分で人間に近い獣神を喰うということ。
その条件を満たす獣神は、もう獣神とは呼べない。
「狂神の血晶石、ですか……」
狂神が生まれる原因となる悪念は、主に人間が放つ負の想念だ。絶望や諦念、怒りや悲しみ、言ってみれば極めて人間らしい感情の想念を取り込んで狂ったのが狂神なのだから、狂神はある意味とても人間に近い存在となっている。ならば狂神の黒い血晶石を喰えば、高い確率で神喰いは成功するだろう。
ただしより成功率を高めるために、神喰いを行う者自身も何らかの負の想念に囚われている方が望ましい。
森の民の価値観からすれば吐き気を催すような話だったが、呪い士としの知識や経験をもとに冷静に吟味すれば、カムイの説は理に適っているのだった。
あの滝に行けば狂神の血晶石は手に入るとは言え、カムイの説は気軽に試せる類のものではない。
失敗すれば人ではない姿になって死に、成功しても人の姿を失うだろうし、なにより狂神の血晶石を喰って成功したら狂神になってしまうかもしれない。神喰いがそもそも禁忌であるのだから、そんな危険を犯そうという者などいるはずも無かった。仮にいたとするば「神喰いをして強い力を手に入れてやる」という強い正の想念を持ってのことになり、負の想念に囚われているのが望ましいという条件からは外れてしまう。
「森を守るために森の禁忌を破るという矛盾を抱えることになる」
そう言ったカムイは喉の奥で笑った。
「お前には同情するぞ。この苦境において、お前には状況を好転させ得る力があり、知識も得た。だというのにどちらもが禁忌なのだからな」
「カムイ!」
サンシエは声を荒げていた。東征軍との戦いに積極的に関われない自分の立場は嫌というほど身にしみている。それを揶揄されるのは相手がカムイといえども許せない。
「すまんな。だが、いずれどちらかを選ばなければならない事態になるかも知れん。その覚悟はしておけ」
カムイの声にはサンシエに対する気遣いの意思が乗っている。
十五年前、森を守るために神喰いの禁忌を犯したカムイだからこそ、今のサンシエの立場や心情が理解できるのだろう。




