第24話 神喰い
十五年前、当時はイヌガミの森と呼ばれていたこの森で、一体の古い神が解き放たれた。
森の人、と呼ばれる神である。
封神塚がなぜ壊れたのかは分からない。なにかしらの自然災害的なものなのか、偶然獣が壊してしまったのか。人為的に、というのも可能性は低いがないわけではない。
重要なのはそこに森の人という神が解き放たれたという事だ。
最初の異常は森で狩りをしていた男によって報せられた。
ある場所の木々が明らかに異常な成長をしている。数日前には普通に通過できた場所が密生した木々によって塞がれていたのだ。
それだけであれば勘違いや見間違いかとも思われるが、数日してその範囲がさらに拡大していることが確認されると、さすがにおかしいと皆が感じ始めた。
これはどうした事だろうと調べに行った者達は、まず木々が異常に成長している場所の外周を回って大体の範囲を把握すると、次にその中心を目指した。絡み合うように伸びた枝葉を鉈で切り払いながら進むと、中心はぽっかりと開いた空間だった。そこだけが木々の異常成長の無い、以前どおりの森の姿っだのだ。
だがそこには明らかに異質なものが存在していた。
感じる雰囲気は狂神に相対した時に似ている。肌に絡みつくような悪念を感じ、彼らはそれが尋常な生き物ではないと知った。
だが狂神でもない。獣ではなく、植物だった。蔦を束ねて組み合わせて、おおよそ人間に似せた形に作り上げた。そんな見た目だった。
人間の存在を身近に感じた森の人は突如荒れ狂った。
腕を振れば蔦が鞭のように伸びて森の男を打ち倒し、足で地面を踏みしめれば土中を這い進んだ根が突如足元から襲いかかってくる。
鉈で斬りつけ、矢を射かけても効いた様子もなく、逃げようとすれば周囲の木々が蠢いて行く手を塞いでしまう。無事に逃げ帰れたのはわずか数人だった。
そしてこれを機に森の人は暴れ出した。
森の人が移動するにつれて森の木々は歪に成長し、人や獣に行きあえば無差別に襲いかかる。尖った枝に貫かれ、蔦や根に巻き付かれ、多くの命が奪われた。
この事態に対処しようとしたのが、森の民の男達と、森主イヌガミに率いられた古い獣神達だった。
イヌガミは当時最古の獣神で、高い知性と大きな体、そして不思議な能力を二つ持っていた。
一つは異なる種族との意思疎通の能力。
イヌガミ自身は人語を解するとはいえ、人語を発声することはできない。イヌガミの口から出るのはあくまでも鳴き声吠え声でしかない。
ところがそうして発された声は、耳には獣の吠え声としか聞こえないのに、頭には直接イヌガミの意思が伝わって来た。
このイヌガミの能力によって森の民と獣神達は共同で事に当たる事ができた。
もう一つの能力が爪に宿る『引き裂く力』だった。
森の民には普通の攻撃が効かない。鉈で斬れば斬れるし、矢を射かければ刺さる。火を放てば燃え上がるのだが、それらはそれだけのことでしかなかった。
斬れば新しい蔦が伸びてくるし、刺さった矢は成長する組織に押し出されて抜けてしまう。挙句に燃え尽きた灰の中から新たな芽が出て、あっという間に元の姿に戻ってしまう。
実際の所、目に見える植物の姿は森の人の本体ではなかった。森の人は実体を持たない神であり、植物は依り代にすぎない。どれほど傷つけられようとも、近くに植物があればそちらに乗り移って再生してしまうのだ。
だからこそ古の神狩達も森の人を殺すことができず、やむなく封神塚に封じるしかなかった。
イヌガミの引き裂く力は、実体のない森の人にも通用した。
森の民と他の獣神が道を切り拓き、イヌガミが森の人を攻める。そうしてあと一歩のところまで追い詰めたのだが、思わぬ反撃によってイヌガミが致命的な傷を負ってしまった。
一時撤退した森の民と獣神達。
双方とも数は大きく減り、半死半生の者も多かった。
そしてイヌガミもまた今にも消えそうな命を辛うじてつなぎとめているような状態だ。
イヌガミの命が失われれば、もう森の人に対抗するすべはない。
イヌガミの断末魔の咆哮が響き渡り、そこに込められた意思が森の民や獣神に伝わった。
我が死んだら、我の血晶石を喰え。そして我の力を受け継いでくれ。
イヌガミが息絶え、しかし誰もイヌガミの最後の言葉を実行しようとはしなかった。
獣神の体内にある血晶石は、これを同種の獣が取り込んだ時のみ、その獣を新たな獣神にする。
「のみ」と限定されるのは、異なる種の獣は絶対に血晶石を取り込もうとしないからだ。そしてその場に山犬はいなかった。
意思を受け取っても、実行できる獣はいなかったのだ。
しかしこのまま放置すればイヌガミの血晶石は消えてしまう。
意を決してイヌガミの血晶石を喰ったのは、人間であるカムイだった。
カムイは禁忌とされていた神喰いを行ったのだ。
変化は劇的に訪れた。
カムイは絶叫を上げ、もがき苦しみ、のたうち回った。そしてカムイの全身から獣毛が生え、骨格から変形して顔は山犬のそれとなる。
急激な肉体の変化は凄まじい痛みをもたらしたのだろう。カムイの血を吐くような絶叫は絶えることなく、実際に血も吐いた。
やがてその絶叫が絶え、人の姿ではなくなったカムイはぐったりと地に伏していた。
荒い息を吐きながら起き上った時、カムイはイヌガミの能力を受け継いでいた。
彼の話す言葉は獣神達にも通じ、獣神の意思を感じることができた。
彼の両手の爪にはイヌガミと同じ引き裂く力が宿っていたのだ。
だが、これではまだ足りない。
イヌガミがカムイに置き換わっただけなのだから、前回よりも数を減らしてしまった今の状況では森の人には勝てない。
カムイは、大怪我をしてもう戦えない獣神達に言った。
お前達の血晶石を森の民に与えてくれ。
森の民が俺のように獣神の力を得れば、あの神にも勝てるだろう。
これには当の獣神達よりも森の民の方が驚き、最初は拒絶した。神喰いは禁忌であり、それを破ったカムイは人の姿を失った。
それを眼前に見て、なおそれを行おうという者はいなかった。
それでもカムイに重ねて説得されれば、その声の力と意思に心は動く。
このまま森の人に挑めば勝てない。間違いなく犬死だろう。
どうせ失くす命と覚悟するなら、人の姿を捨ててでも森の人だけは葬ろう。
森の民は傷ついた獣神に止めを刺し、血晶石を引きずり出した。
十数人が神を喰った。
そして全員が死んだ。
人の姿を失ったとはいえ、カムイのそれは「獣のような姿の人間」と言えなくもない。しかし死んだ者達はもやは人の原型をとどめない「ほぼ獣」の姿になっていた。
それほどまでのかけ離れた形への変化に、誰も耐えられなかったのだ。
十数人の森の民と、十数体の獣神が無駄に死ぬことになった。
その後どうにか森の人を殺すことには成功したが、払った犠牲は大きすぎるものだった。




