第20話 カムイ
下の村が東征軍に襲われて、カナ達はシシリクの村に逃げてきた。兄達の帰りを心配しながら待っていると、そこにカムイがやって来たのである。
いつもは森の深いところにある庵から一歩も外に出ないカムイがやって来たので、村の誰もが驚いていた。カムイを目にするのは初めてだという者も大勢いる。
かくいうカナもカムイに会ったことはあっても、その姿を見たことは無かった。
カムイは大きな深編み笠を被っていて顔は隠しており、さらに布をたくさん使った衣服で体をすっぽりと覆っていて、指先すらも見えないのだ。
これだと全然別の人間が中に入っていたとしても分からないようなものだが、カナにはそれが間違いなくカムイであると分かる。
なぜならば。
「久しいな、カナ。元気そうでなによりだ」
編み笠の中から聞こえる声は、声として耳に聞こえると同時に、そこに込められた意思が直接頭に伝わってくる。カナと話す相手が感じているという不思議な感覚を、カムイと話す時だけはカナも感じる。だから話しさえすれば、それがカムイだと分かるのだ。
この、声とは別に意思を伝える能力は森の民の中でもカナとカムイだけに備わっている。
正確に言えば、カムイがこの能力を持っていたからカナにも同様の能力がある、となる。
「父様……」
カナが口にしたようにカムイとカナは親子である。カムイの持つ能力が、血と一緒にカナに伝わったのだ。
親子であるが、カナはカムイの顔を見たことが無い。記憶にある一番古い記憶の中でも、カムイは顔を隠し、体を隠していた。父親の体の一部でも直接に見た記憶がない。そして触れあったこともない。抱きしめられたことも、頭を撫でられたこともない。カナは父親の体温というものを感じたことがなかった。
それでもカナはカムイが大好きだった。
それは二人だけが持つ直接に意思を伝える能力のお陰だった。
喋っている内容とは別に意思を直接伝える能力は、同時にカムイとカナから嘘を吐く能力を奪っている。口でどう喋ろうとも、喋っている内容とは関係なく意思が直接伝わってしまうのだから、嘘など吐きようが無い。
カムイがカナにかける言葉は時には厳しいものもあったけれど、伝わってくる意思はいつもカナに対する愛情で満ちていたのだ。顔を見ることも、触れあうこともできなくても、そして普段は別々に暮らしていても、カムイの愛情はカナに伝わっていた。
「下の村が奪われたな。シシリクやコジカなら上手くやると思ったのだが、どうも相手が悪いようだ」
「父様、兄様を叱らないでください」
カナが言うと、カムイが「ふふ」と笑った。
「カナは優しいな。お前の優しい声は本当に心地良い。心配するな。シシリクは良くやっている。叱りはしない」
伝わってくる意思もシシリクを叱らないと言っていて、カナは安心した。
「ただ、やはりどうにも相手が悪い。私も森の中でなら、森の民が外の者に後れをとることは無いと思っていたのだが……京とやらは侮れない」
「兄様が負けてしまうのですか?」
「このままではそうなる。京を退けるには、この森の総力を結集しなければ無理だろう」
総力、という言葉に辺りがざわついた。今でさえ、それぞれの村から最大限の人数を集めているのだ。これ以上男手を取られ、そして犠牲者が増えていけば、例え東征軍を退けたとしても森の民は滅んでしまう。そんな不安が人々の顔にはあった。
「誤解するな。森の総力と言ったのは森の民だけではない。森に住む獣たち、そして獣神たちにも力を貸してもらうということだ」
カムイの言葉はさらなるざわめきを呼んだ。「そんなことができるのか?」という声も聞こえる。
「私とカナならばそれもできる……とはまだ言い切れぬがな。同じ森に住む者同士、森を守るために協力してくれと頼むことはできる。そうだな、カナ」
「そ、それはできます……けど……でも……」
震える声でカナが言うと、「ふっ」とカムイが息を漏らす音が聞こえた。
「できるがやりたくない、か。お前ならそう言うだろうと思っていたが」
はっとして顔を上げるカナ。口にはしなかった拒否の意思がそのまま伝わってしまっていた。
これが嘘を吐けないということだ。
昔から他者と話をしている時、自分が口にしていないことに相手が返事をしてくるという経験が多くあった。成長して自分の声が持つ能力を理解してからは、だから意識して思った通りの事を口にするように努めてきたのだ。
「戦えばどうしても犠牲は出る。それは避けようがない。カナが獣たちを心配するのはわかるが、それでは森を守るのは難しいぞ。それこそシシリク達がどんなに大きな犠牲を払おうともな」
「兄様が、ですか」
「ああ。だからカナ、お前の力でシシリクを助けてやれ」
大好きな父の言うことでも、カナはすぐに「はい」と答えられなかった。




