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カムイの森  作者: 墨人
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第02話 獣神と狂神

 シシリク達は村を出て柵の外周を辿る様にして北側に回り、そこからさらに北へと進む。

 森の中、うっすらと獣道のように道筋がついている。何度も人が行き来した結果、下生えが薄くなったりして歩きやすくなっていた。

 その道とは言えない程度の道をたどっていくと、やがて急な登りになる。広大な森は標高こそそれほどではないにしてもいくつもの山を飲み込んでおり起伏に富んでいる。二人はそんな山の一つを登っていた。


 前方から水音が聞こえる。目的地である滝に到着したのだ。

 山の水源に端を発する細い水の流れが、人の背丈の倍ほどの高さの岩場から流れ落ちている。水量も落差もささやであるため、滝壺も小さなものだ。ちょっとした泉のようになったところから、さらに下流へと流れが続いていた。


 シシリクとコジカは滝壺へ踏む込む。水深は浅く、シシリクの膝にも届かない。

 滝が流れ落ちている岩にはいくつもの裂け目が刻まれ、それぞれに球体がはめ込まれていた。シシリク達が持ってきたのと同じ真っ黒や、赤黒い物、多少黒みがかった赤など色合いはさまざまだ。

 裂け目全てに球体がはまっている。


「やはりまだ空きは無いな。コジカ、頼む」

「ああ、少し下がっててくれ」


 滝壺にコジカを残してシシリクが下がる。十分に距離を取ったのを確認して、コジカは背中の巨剣を抜いた。


「この辺りか……」


 水平に構えた剣の切っ先を岩肌に当てる。一度大きく剣を引き、鋭い呼気とともに突き込めば、剣先は岩肌に食い込んでいた。少し角度を変えてもう一度同じ動作を繰り返すと、小さな岩の破片が飛び散り、そこには他と同じような裂け目が刻まれていた。


「こんなもんだろ。入れてみてくれ」


 立ち位置を入れ替えたシシリクが懐から例の球体を取り出す。裂け目に押し込むとがっちりとはめ込む事が出来た。流れ落ちる水に負けて落ちることはないだろう。

 二人は球体に向けて瞑目した。


「せっかく神になれたというのに狂ってしまったのは残念なことだ。ここで悪念を抜いて安らかに逝ってくれ」


 囁くように球体に語りかける。豪放なコジカも神妙にしている。

 ゆっくりと目を開いたシシリクは、もう一度岩壁を見渡した。安置されている球体は二十を超える数で、それを納めている裂け目は色合いなどからとても古い物と判別できるものもあるが、半数近くはごく最近刻まれたと見て取れる新しいさだ。


「やはり異常だな。ここしばらく狂神くるいがみになる奴が多すぎる」

「それだけの悪念がどこから来てるかだが……やはり『京』の奴らのせいだろうな」

「ああ。しばらく前の話でもうすぐ松前に攻め入るって事だった。サンシエも南の方から流れてくる悪念を感じると言っていたし、このままだとどんどん狂神が増えてしまうぞ」

「いや、まあ……ある程度増えたらそれ以上にはならんだろうがな」

「ん? どういうことだ?」


 やけにきっぱりと言ったコジカに、シシリクは不思議そうに問う。


「狂神になれるのは獣神だけだし、獣神になれるのは長く生きた獣だけだ。数は限られている。その全部を狩り尽くしたらそこでしまいだ」

「それはそうだろうが、俺達がそんなことを言ったら駄目だろう」

「おいおい、俺がそうなる事を望んでいるとは思わないでくれよ。ただな、そうなりかねないって覚悟はしといたほうが良いかも知れないぜ」


 少々わざとらしく、さも心外であるというようにコジカだったが、すぐに真剣な口調で言い足した。


 *********************************


 この森で長く生きた獣は神になる。

 他の個体よりも大きな体を持つようになるのは長く生きていれば当然の事としても、度を過ぎれば当然とも言えなくなってくる。今日シシリク達が狩った猪のような巨大な個体だ。


 それらを『獣神けものがみ』と呼ぶ。獣神は最初のうちはただ大きいだけの獣である。そのまま更に年月を経ると次第に知性を得て深めていき、いずれは人と同じかそれ以上になる。個体によっては特殊な力を使えるようになることもある。そこまで生き永らえた獣神を『ぬし』と呼ぶ。

 もっとも現在は純粋な意味での主は存在しない。十数年前までは山犬の主がいたのだが、とある事情でいなくなってしまったのだ。


 ところでそうした獣神の体内には小さな球体が存在する。これは普通の獣と大差ないくらいの若い獣神が狩りの獲物として狩られた時に発見された事から判明した。

 球体は鮮血を固めたように赤く、だから血晶石けっしょうせきと呼ばれた。


 ところが獣神が『悪念』にさらされると、この血晶石は次第に色を濃くしていく。鮮紅色から次第に赤黒くなり、完全に黒く染まった時、獣神は狂う。これが『狂神くるいがみ』だ。


 悪念とは、生き物が放つ絶望や諦念、怒りや悲しみなど、負の感情の想念全般を指す。森には数多くの生物が生き、また多くの生物が日々死んでいる。小動物でさえ死に瀕すれば絶望の悪念を放つだろう。とはいえ、通常であればそういった悪念は短時間で拡散し、獣神に影響を及ぼすことはない。まれに周囲の地形や風の流れなどの条件が重なって悪念が溜まる場所が生まれ、運悪くその場所にとどまった獣神が狂神と化す事は古くからあった。


 狂神はその名の通り狂っている。普通の獣神は本来の獣の習性のまま行動するし、知性を高めてくればより思慮深い行動をとる。だが狂神は本来の習性とも思慮とも無縁の行動をとる様になるのだった。具体的には喰う目的も無く他の獣を殺し、また意味も無く樹木をなぎ倒したりする。当然、出会ってしまえば人間も襲われる側だ。


 ただし、シシリク達が狂神を狩るのは己の身を守るためだけではない。

 悪念によって狂った神は、自らも強烈な悪念を放つのだ。

 狩りに際してコジカが感じていたまとわりつくような気配。それこそが狂神の放つ悪念だ。前述の通り悪念とは想念であるから、本来ならば人間に知覚できるものではない。ちょっと鋭い者なら「なんだか雰囲気が悪いな」と感じる程度だろう。それが皮膚で感じ取れるほどになっているのだから、どれほど濃密かつ強烈なのか推して知るべしだ。これを放置すれば鼠算で狂神が増えてしまうから、シシリク達は狂神を狩る。


 狂神の厄介なところは生きている間だけではない。

 血晶石を同種の獣が飲み込むと、どんなに若い個体でも間をおかずに神となってしまうのである。

 これが普通の獣神ならばあまり問題にならない。普通の赤い血晶石は獣神の死後、四半日もしないうちに溶けるように消えてしまうから他の獣が口にしてしまう機会は少ないし、仮にそれで獣神になったとしても何ら問題は無い。


 対して悪念に凝り固まった狂神の黒い血晶石は何日経っても消えない。屍が腐って肉が落ちれば、黒い血晶石が零れおちる。そしてそれを喰った獣は当然ながら狂神となってしまうのだ。

 狂神の災いを除くためには狂神を狩り、その体内から血晶石を回収しなければならなかった。

 そうして回収した血晶石を、今度は悪念を抜くために清浄な土地に安置する。


 シシリク達が訪れた滝もそういった土地の一つだ。周囲の地形や風、また流水によって悪念を寄せ付けない場となっている。期間はまちまちであるが、おおよそ数カ月から数年程度で血晶石から悪念が抜け、元の色を取り戻す。そうなれば通常の血晶石と同様に自然と溶けて消える。

 そうやって森の民は自分達と獣達を守ってきたのである。


 *********************************


 二人が村に戻ったのは日も暮れかかった頃合いだった。村ではそこかしこで煮炊きの煙が上がっている。

 村の奥の方、シシリクとカナの家からも煙は上がっていた。カナが夕餉の支度をしているのだろう。

 コジカと別れたシシリクは一人で自分の家へと帰る。


「サンシエは戻っているかな」


 しかし出迎えたカナは首を横に振った。


「まだなのか……」


 梯子状の階段を上り室内に入る。村では扉や戸のある家屋は無く、入口には毛皮を吊り下げてその代わりとしている。

 毛皮をまくって入った室内は仕切りのない一間だけの作りで、入口わきには水を溜めた甕や保存用に加工した肉や山菜、木の実などを入れた籠が集めてある。

 部屋の中央には室内でも火が使えるように、高床式家屋独自の囲炉裏があり、今は梁から下げられた鉤に鍋が取り付けられ、夕餉の支度が整えられていた。


 入口から囲炉裏を挟んで反対側の壁際に毛皮を敷いた寝床があり、そこには一人の少年が横たわっていた。

 シシリクと同年代くらいの少年で、ほっそりとした体を布を多めに使ったぞろりとした衣服で包んでいる。動きやすさを重視したシシリク達の装いとは対照的だった。

 浅い呼吸を繰り返す少年は、見ようによってはただ眠っているようにも見えた。


「ふーむ、まあ気にはなるが、ただサンシエの顔を見ていてもどうにもならない。飯にしよう……ん?」


 鍋を覗き込んだシシリクは怪訝な顔になる。量がいつもより多い。ということにシシリクが気付いたと察したカナが多少言い訳めいた感じで言い募る。


「これから帰ってきてご飯の用意するのはサンシエも大変だろうと思って……」


 シシリクは優しくカナの頭を撫ぜた。


「良い事をしたな。サンシエも喜ぶだろう」


 嬉しそうに、くすぐったそうに、カナは笑う。

 囲炉裏の火と、獣脂に燈芯を刺しただけの簡単な照明でぼんやりと照らされた室内。兄妹差し向かいで夕食を摂って一息ついたころ、屋外で羽ばたきの音がした。


「あ! サンシエが帰ってきた!」


 ぱたぱたと入口に駆け寄り、仕切りの毛皮を捲り上げるカナ。

 開けてもらった入口から、昼間シシリク達と共に狂神狩りをおこなったあの鷹が入ってきた。妙に人間くさい仕草で歩いている。

 鷹は奥で寝ている少年の枕元まで歩み、少年の額に自分の頭を乗せた。鷹から人間臭い雰囲気が抜けていく。


「う……」


 これまで微動だにせず横たわっていた少年が呻き声を上げ、目を開いた。大儀そうに上体を起こす。


「サンシエ、おかえりなさい」

「ただいま、カナ。シシリクも」

「ああ。しかしいったいどうしたんだ? こんなに遅くまで」

「ちょっとね、森の外まで……松前まで行ってきたんだ。それについては話さなきゃならない事があるんだけど……ごめん、なにか食べる物ないかな。コエイの影響で凄くお腹が空いているような気がするんだ」


 松前は森の外、南側にある土地の名前だ。空を飛べるとしてもかなりの距離がある。


「松前まで飛んだならコエイもくたびれているだろうな。憑依しているとそういうところまで感覚を共有するものなのか?」


 シシリクはちらりと鷹――コエイを見やる。コエイはカナから与えられた干し肉を貪り食っていた。

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