第18話 水の罠
シシリク達と別れたコジカは浅い谷底にある涸れた川の跡を上流へと辿り、天然の堰へと辿りついていた。横合いの山肌から崩落した岩石が堰となり、遮られた川の流れは池となり、溢れた水は別の場所から新たな川筋となって流れている。
崩落はかなり昔の事で、堰となっている岩石は苔むしており、まるで最初からそういう地形であったと思わせる風格さえあった。
「よーし、急げ、急げよ」
コジカの号令で森の男達は斜面を駆け下りて谷底に立つ。この時のために前もって用意してあった丸太を担ぎあげ、堰に打ちつけ始めた。
後から降り立ったコジカは、堰を構成する岩石の中で一番大きな岩の前に陣取った。大柄なコジカよりもさらに大きな岩で、おそらくはこの堰の要になっている岩だ。
岩の前でコジカは大剣を抜き、大きく振りかぶった。呼吸を整え、自分の五体と剣と目の前の岩だけに意識を集中する。男達が作業を続けながらも横目で見ている。
「おりゃあ!」
コジカが斜めに剣を振り下ろし、そのまま弾かれずに振りきった。大きな岩には袈裟斬りに一筋の斬線が生まれていた。
「すげえ……岩を斬ったぞ!」
男達がどよめく。岩を砕くのではなく斬る。刀剣を使わない森の男達にもその凄まじさは伝わった。
もう一度、今度は逆袈裟で斬れば、岩には二本の斬線が交差している。コジカは二本の線が交わる個所に鉄の楔を差し込んだ。
男達が丸太を打ち付けるにつれ、堰は所どこから軋むような、岩がこすれ合うような、異様な音を上げるようになった。
「おっと、とりあえずここまでだ。お前らは上がっておいてくれ。それとシシリクへの合図も頼むぞ」
「わかった。コジカ、あんたも気を付けてくれよ」
森の男達は作業を止めて斜面を登る。谷の上に出ると一人が弓に矢を番えた。鏃の代わりに小さな笛が取り付けられている。空に向けて放てば、鳥の鳴き声のように笛を鳴らしながら、矢は遠くシシリク達のいる方向へと飛んで行った。
あとは待つだけである。
上手くやってくれよ、シシリク。とコジカは祈るような気持ちでじっと待つ。待つのはあまり好きではないが、ここは待つしかなかった。
どれくらい待っただろうか、やがてシシリク達がいると思われる方向から微かに、しかし確かに鳥の鳴き声のような笛の音が聞こえた。
「成功したか! さすがシシリクだ!」
崖上の男達も「おお!」と歓声を上げる。
「さて、やるぞ」
コジカは再び剣を手にする。今度は振りかぶらず、剣を握った両手を右脇に絞るように引く。突きの構えだ。
どんっ、と力強く踏み込んでの突きが捉えたのは、先ほど岩に差し込んでおいた楔の頭だ。金属同士のぶつかりあう耳障りな音が響き、そしてコジカの強烈な突きは大槌の一撃にも等しく、楔を打ち込まれた岩は斬線に沿って割れ目を広げ、四つに分断された。
大急ぎで斜面を駆け上がるコジカの背後で、要の岩が砕かれた堰は長年の均衡を失って崩れ去った。
堰止められていた膨大な量の水が、堰を構成していた岩さえも押し流す勢いで涸れた谷を流れ下っていく。
「これは、凄まじいな!」
暴れる流れが飛び散らせる水飛沫を浴びながら、コジカや森の男達は水の流れゆく方へと目をやった。
そちらにはシシリク達に誘導された東征軍がいるはずだ。奔流は情け容赦なく東征軍へと襲いかかり、押し流しただろう。溺れ死ぬか、そうでなくともこの勢いの水になぎ倒され、流れに混じった岩にでも当たればただでは済むまい。
やがて遠くからまた笛の音が聞こえてきた。続けて二度、「成功」の合図だ。
「よっしゃ!」
コジカが大仰に喜んでみせると、周囲の男達も喝采を上げる。しかし一人、浮かない顔をしている男がいた。
「喜んでいばかりもいられないぞ。これで今回はしのげても、二度使える手じゃないんだ。しかも後が大変だ。流された死体を全部探さなきゃならない」
「おいおい、水を差すなよ。今回をしのがなきゃ次も後も無いんだぜ。素直に喜べって」
苦笑しながらコジカが言うと、その男も「そうだな……」といってようやく笑みを浮かべた。
森の地形を罠として東征軍に大きな被害を与える計画は一応の成功を見た。しかし男が言った通り、二度使える手では無いし後始末も大変である。なにせ水だけに低いところにどんどん流れて行ってしまう。もちろん東征軍兵の死体も一緒にだ。悪念対策の為に東征軍の死者をも弔わなければならない森の民にとっては、大きな戦果はそのまま重労働へと直結していた。
それでもなお、当面の敵を撃退できたことを、コジカは素直に喜んでいた。




