第17話 破神と鋼蓋
「霧嶋、無粋な事はするなよ。お前の相手は俺だ。ここにはカナはいないぜ。村での続きをやろうじゃないか」
鋼は挑発するように霧嶋に言った。
霧嶋は御堂を気にしているようだが、ここで銀の邪魔をさせるわけにはいかない。
「鋼……私はあなたの相手をしているほど暇じゃないのよ!」
「おっと、連れないことを言うなよ」
御堂の元に戻ろうとする霧嶋を牽制する。自分から注意を逸らしたら危険だぞ、とそう思わせるだけでいい。
「あっちは兄貴と御堂の一騎打ちだ。邪魔をするもんじゃない」
「一騎打ちだなどと……え!? 御堂様!?」
霧嶋が愕然として叫ぶ。周囲の空気がいきなり張り詰め、強烈な殺気が充満したのだ。
殺気は銀と御堂を中心に渦巻いている。周囲にいる武者や甲軍兵が殺気に当てられて金縛りのようになっていた。
「たまらない空気だな! 兄貴はともかく御堂もなかなかやるようだ!」
剛胆な鋼は金縛りにはならず、予想外にやりそうな御堂に驚いていた。
「御堂様を侮るな! 槍の御堂と言えば京では知らぬ者のない勇名だぞ!」
霧嶋が心外そうに言ってきて、鋼はまたも軽く驚いた。霧嶋もこの殺気渦巻く空間で金縛りにもならず、自由に動いている。殺気も碌に感じられない未熟者のわけは無し、感じながらもそれに縛られない胆力を持っているのだ。
「その槍の御堂とやらはやる気になってるようだ。今さら割って入るつもりはあるまいな」
「……仕方ない」
霧嶋が短刀を抜いた。
常であれば、鋼にとって短刀は脅威ではない。短刀に限らず、いかなる刀剣も鋼の法力『鋼蓋』には通用しないからだ。だが霧嶋には「異能力を消してしまう能力」があるとサンシエから聞いていた。それが事実であれば短刀は本来の役割を果たすことになる。
「試してみるか」
鋼は徒手格闘の構えをとる。普段の鋼を知っている者が見れば「おや?」と首を傾げるに違いない。普段であればだらりとした大雑把な構えを取るところを、今はきっちりと構えている。軽く踵を浮かせて両手も体に近い位置に構え、対応力を上げている。
霧嶋がひょいと何かを空中に放り投げた。それは短刀の鞘だった。投げつけたとかではなく、ただ無意味に放り投げられた鞘。
「なに!?」
無意味では無かった。投げられた鞘に無意識に視線を飛ばしたその瞬間を逃さず、霧嶋が急接近していた。視線を下げた時にはもう手の届く所に霧嶋がいる。
霧嶋が短刀を閃かせ、鋼は巨体に似合わぬ敏捷さでこれを避けるが、一筋の朱線が鋼の腕に生まれていた。避けたつもりが避けきれず、紙一重の差で刃を受けていたのだ。
ひりつくような痛みを感じ、ながれる朱を見て、鋼は嬉しげな笑みを浮かべた。
「どうやら本当に俺の法力を消せるようだな。おもしろい!」
鋼は牽制の拳打で距離を調整する。大きな拳が風を切る小気味の良い音が連続する。牽制とはいえ剛腕から繰り出される拳だから、体が華奢な霧嶋は一撃も受けまいと避け続ける。そのしなやかな動きに鋼は見惚れそうになってしまった。
危ない危ない、と鋼は自分を戒めた。確かに霧嶋は美しいし体つきも良い。初めて見た時にもいい女だと思ったものだが、今は戦いの最中、それも鋼蓋の効かない危険な相手だ。見惚れてしまって良いはずがない。
内心の動揺を隠すかのように渾身の右拳を打ち込むが、霧嶋は身軽に避けて間合いを取ってしまう。
仕切り直すか、と構え直そうとして、鋼は両腕が赤く染まっているのに気付いた。肘から先にいくつもの浅い切り傷ができている。
「避けながら斬りつけていたのか。抜け目ないな」
褒めるつもりでそう言ってやると、霧嶋は信じられないものを見るような眼をした。
「まさか今まで気づいていなかったの!?」
「まあ皮一枚斬られた程度は気にしてられんからな」
本当に皮一枚というわけでもないが、傷は全て浅い。力を込めて筋肉を膨張させると傷口はぴたりと閉じて出血も止まった。
霧嶋にとっては誤算だっただろう。絶対的な防御力を誇る鋼蓋を無効化したとしても、鍛え抜いた筋肉は意外と固いのだ。拳打を避けながらの腰が引けた斬撃では深手を負わせるのは難しいだろう。
「面倒な男ね」
またも霧嶋が飛び込んできて、鋼は拳を連続で繰り出す。それを避ける霧嶋の立ち位置が先ほどよりも近い。半歩ほどだろうが、鋼の剛腕を前にしてその半歩を詰められる胆力は大したものだ。
――懐に入る隙を狙っているな。
詰まった半歩の意味を鋼はそう考える。体格の違いから鋼と霧嶋では間合いが随分と違う。短刀の分を加えても鋼の拳の方が遠くまで届くのだ。腕などの末端部を狙うならばともかく、霧嶋が鋼の胴を狙うには懐に入り込まなくてはならない。
ならばとばかりに、鋼は微妙に力を込めて拳を打ち込んだ。霧嶋ならこれを避けて懐に入って来るだろうと予想しての誘いだった。
その予想は外れた。
正確には予想の上を行かれた。
霧嶋は誘いの拳を完全には避けず、紙一重どころか頬の皮一枚を削られながら突進して来たのだ。
避ける動きを最小限以下に抑えた霧嶋の動きは鋼の予想を超え、鋭い突きが真っ直ぐ左胸に伸びてくる。
冷たい物が胸の筋肉に潜り込んでくるのを感じながら、鋼は右足を振り上げた。
つま先が霧嶋の腹にめり込む感触。霧嶋の体が大きく吹き飛ぶ。飛ばされた霧嶋は空中で姿勢を整え、着地と同時に自ら後ろに一回転して勢いを殺し、片膝をついた姿勢でぴたりと止まった。一瞬何かを我慢するような表情を見せ、しかし我慢しきれずに胃の内容物を地面にぶちまけた。
「自分で後ろに跳びやがったか……」
霧嶋の吐瀉物は胃の内容物だけで、血は混じっていない。鋼のように分厚い腹筋で守られているわけではない。まともに当たれば一発で内臓まで破壊するだけの蹴りだったのだが、霧嶋が自分から後ろに跳んだことで威力を弱められてしまった。
「はは! 本当に面白い女だな、お前は」
左胸から流れる血を手に取り、鋼は笑う。さっきは本当に死を身近に感じた。鋼蓋を身につけてからというものついぞ感じることの無かった感覚だった。
霧嶋はまだ立ち上がれないようだが、目から生気は失せていない。
まだまだ楽しめそうだと思った矢先、甲高い笛の音が聞こえた。シシリクからの合図である。
「間の悪い……霧嶋! 勝負は預けるぞ!」
「何を勝手なことを……」
「すまんな」
片手を上げて拝むようにしてやると、霧嶋の表情が何ともいえないものに変わった。
「鋼! ここは退くぞ!」
銀の声が聞こえ、鋼は「おう!」と応じ、霧嶋を残して走り出した。
合流した銀は酷い有様になっていた。左腕が千切れかかっており、僅かな肉と皮でかろうじてぶら下がっているような状態だ。
「うお! 兄貴、その腕は!?」
思わず叫んだ鋼だったが、銀もまた鋼の様子を見て目を剥いた。
「お前こそそれは……いや、それは後だ! 逃げるぞ!」
銀が走り出す。ちらりと銀が来た方向を見やると、御堂がふらつきながら立ち上がるところだった。
銀と一騎打ちを演じ生きている。しかも銀にこれほどの手傷を負わせて。京では知られているという「槍の御堂」の名を鋼もまた胸に刻んだ。
「奴らを逃がすな! 追え!」
そんな御堂の声を背に、鋼は銀を守りながら走った。




