第15話 葛藤
報せを受けたシシリク達が到着した時、東征軍は予想よりも随分と奥に進んでいた。警戒と足止めにあたっていた男達は数を大分減らし、残りの半数も矢傷を受けて血に塗れていた。
「こっちが一本射る間に、向こうからは百本の矢が飛んでくる。堪らないぜ、全く。奴ら、この間とは随分様子が違うぞ」
そう報告した男も肩口に矢傷を負っている。聞けば東征軍は前回とは大きく陣容を変えており、大量の弓を使った戦法に切り替えてきたとのことだ。
「あれだけの数を射られれば偶然通る矢もある。ちくしょう、数にものをいわせやがって!」
男は憎々しげに言う。
森の民が弓を扱うにあたっては「通し矢」という技術が必須となる。シシリクが最も秀でているこの技術は、木々の隙間を通して獲物を射るという、狩猟においては必須の技術でもある。東征軍の兵が通し矢をできないのは銀達からの話で知っていた。大きな軍団が行う弓戦では敵の個人を正確に狙ったりはしない。敵の集団に向けて大量の矢を放ち、接近する前に数を削る目的なので狙いは大雑把だ。普通に弓の射掛け合いをするなら、通し矢のできる森の民の方が圧倒的に有利なはずなのに、東征軍は数の多さで不利を覆してしまった。
「前回はあっさりと引き上げたが、対策を練るためだったのか」
シシリクは木々の向こうの東征軍を透かすように目を細めながら呟いた。
「よし、例の谷に誘い込もう。コジカ、何人か連れていって準備してくれ。合図は分かってるな」
「任せろ。だが、できるだけ時を稼いでくれ」
言い置いて、コジカは付近にいた森の民を数人伴って姿を消す。
「怪我人は下げるぞ。サンシエ、治療をしてやってくれ」
「ああ、わかったよ」
サンシエが頷き、負傷者と一緒に後退していった。サンシエの役割はこういった怪我人の治療の他に、戦いで命を落とした者達(それは東征軍も含めてだ)の弔いを行うことにある。死者は悪念を放ち、悪念が強まれば狂神を生んでしまう。悪念は死の瞬間にだけ放たれるのではない。霊は死後もしばらくは遺体に留まり、悪念を放ち続ける。サンシエは弔いによって悪念の放出を最小限に抑えなければならなかった。
遺体の捜索と弔いには少なからず人手を割かねばならず、東征軍に対処しなければならない森の民にとって大きな負担となっている。しかしだからこそ疎かにはできなかった。東征軍だけでも手一杯なのに、この上狂神狩りなどやっていられない。
シシリクは残った面々に改めて言う。
「俺達は東征軍の足を遅らせながら誘導する。聞いたように前回とは勝手が違うようだ。十分に注意してくれ」
森の男達は森の中に散って配置に着く。
「我らは待機かな」
「そうだな。まずは様子を見る。流れ矢に当たらないように下がっていてくれ」
銀達も後退していく。
銀達が森の民に加勢する事について、シシリクは有難く思いつつも困惑している部分もあった。これは森の民と東征軍の戦いである。東征軍に恨みを持つとはいえ、銀達は結局のところ部外者なのだ。その部外者に自分達の戦いで命を賭けさせること、そしていざという時に森の民を守るために銀達を犠牲にしてしまいそうな自分。
例えば今この時、仕掛けの為にコジカを離脱させ銀達をこの場に残したのは、それにあたらないか。仕掛けを使うのは森の地形を熟知したコジカの方が適している。が、それを建前としてコジカに安全な仕事を、銀達に危険な役割を割り振ってはいないか。そんなふうに思ってしまうのだ。
そういったシシリクの葛藤を、銀などは察してもいるようで助言のようなことも言ってくれる。
「戦をするのならば、手持ちの戦力を一度駒として考えてみろ。例えばシシリクは弓の上手い駒、コジカは剣を使える駒。そうやって俺達がどういう駒かも考えれば、どんな状況で俺達を使えばいいのか、おのずとわかるはずだ」
これは東征軍との交渉が決裂し、銀達が共に戦うと宣言した後に言っていた事だ。言われた直後は意味が分からなかった。怪訝な顔をしていると、「そうか、ここには将棋がないのか」と得心した銀が改めて将棋という盤上遊戯と、将棋で使われる駒について説明してくれて、ようやく理解できたという経緯もあった。
大勢が移動する音が聞こえてくる。
シシリクは見える範囲の仲間に合図を送り、弓に矢を番えた。木々の隙間に見える東征軍の前衛部隊に向け、シシリクは狙いを付ける。猪の狂神を射た時よりは距離も近い。シシリクにとっては必中の距離だ。
射放すと同時に傍らの木の幹に体を隠す。射た瞬間に当たることは確信できたので、矢の行方は確認しない。シシリクに続いて他の森の民も一斉に矢を放っていた。
数十本の矢が東征軍に降り注ぐが、上がった苦鳴は思ったよりも少ない。盾で防いでいるのもあるが、遠目に見ても前衛にいる者達は前回に比べて鎧が立派だ。前回は胴にしか鎧を着けていない兵が殆どだったのだが、今前衛にいるのは籠手や具足で手足も覆った武者達だ。盾で防げなかったとしても鎧の面積が広い分、被害が少なかったのだろう。
そんな推測をしている余裕は、次の瞬間に消し飛んだ。
東征軍の後衛四百名が一斉に矢を放ったのだ。
矢が風を切る音、外れた矢が木に突き刺さる音が連続し、耳を聾するばかりだ。
「なんだ、これは……!」
シシリクはその光景に呆然としてしまった。矢の雨に晒された木々は多くの枝葉を散らし、滝のように地面に降らせている。数を頼んで、と話には聞いていても、実際目にするとその迫力は相当なものだった。東征軍からの一斉射は三度繰り返され、シシリクが隠れている木の脇を飛び過ぎる矢もあった。
「なるほど、偶然通る矢もあるか……」
そう呟いて周囲を見回すと、何人かの森の民が矢を受けて倒れていた。
隠れていたのにと思い、東征軍の配置から思い当たることがあった。
東征軍の後衛は横に大きく広がっている。その一部に正対するように木の幹に身を隠しても、他の一部に対しては十分に隠れきれていないことになる。東征軍側も狙って射ているわけではないが、今の三回の応射で射込まれた矢は千を超える。その内の数本が偶然森の民に当たったのだ。
東征軍前衛は盾を構えて前進してくる。距離が詰まりすぎると危険だった。シシリク達森の民は素早く走って後退し、距離を取ってからまた矢を射かける。それに対して東征軍からの応射があり、とそれを何度か繰り返すことになった。繰り返すたびに、数人ずつだが森の民には犠牲が増えていく。
何度目かの後退の後、銀達がシシリクに駆け寄って来る。
「おい、大丈夫なのか?」
鋼の端的な質問にシシリクも簡潔に答える。
「不味い状況だ。このままだとコジカの仕掛けが間に合わない」
東征軍からの圧力が強すぎるのだ。数百の矢を立て続けに射込まれては、その間森の民側からは攻撃できない。その隙を突くように前衛がどんどん前進し、進んだ距離を後衛も詰めてくる。シシリクが当初想定していたよりも大きな距離を進まれてしまっていた。
「前衛の足を止められればなんとかなるのだろうが……」
「ならば我らが一当てしてこよう。十分だと判断したら合図をしてくれ」
「いや、しかし」
百人の集団にたった二人で挑む。法力という不思議な力を使うとは言っても、それは無謀なのではないか。シシリクはそう思う。
「シシリク、俺達はお前にとってどういう駒だ? 今の状況では使いようのない駒なのか?」
「それは……」
言い淀むシシリク。今の状況で、と言うならば確かに銀達は前衛の足を止める事のできる有効な駒だ。ただし駒の生還は難しい。
「心配なのは分かるがな。シシリクは俺達の力を過小評価しているぞ」
鋼が獰猛な笑みを浮かべて言った。
「狂神を素手で殺した俺達の力、忘れたわけではあるまいな。見ろ、奴らが狂神以上に強いように見えるのか?」
「分かった。では二人で前衛の足を止めてくれ」
今この時にも東征軍は前進を続けており、シシリクに迷っている暇は無かった。
「承知した」
短くそれだけ言って、銀と鋼は走り出した。
急接近する銀達に気付き、東征軍後衛から矢が放たれる。
何本もの矢が鋼に当たるが、鋼蓋を発動した鋼には傷一つつかない。銀はそんな鋼の後ろを走って矢を避けている。
そうやってある程度まで近付いてしまえば、前衛を巻き込む危険があるため矢は飛んでこなくなる。
シシリクの視線の先、銀と鋼は東征軍前衛に突入した。




