第11話 霧嶋と森の民3
そうして村人達とは友好的な関係を築いてきた霧嶋であったが、さすがに銀や鋼と馴れあうことはできなかった。
霧嶋としては、松前決戦後の屍身中の件もあり、その際に甲軍の昔馴染みを殺されている。銀達からすれば霧嶋は彼らが故郷を追われる身となった元凶である東征軍の一員である。そもそも友好的な関係など築きようが無かった。
そんな銀達も村人とはそれなりには打ち解けていた。特に弟の鋼は豪放な性格で、コジカにどこか通じるところがあるらしく、二人が豪快に笑いながら何やら話している光景は何度か目にすることがあった。陰鬱というほどではなくとも寡黙な銀はあまり村人と話している様子がない。シシリクやサンシエ、コジカなど、いわゆる村の幹部と話し込んでいる事はあり、おそらく松前での東征軍との戦について話しているのだろうと思えた。
お互いに接触を避けていた両者だったが、カナとともに散策中、ばったりと鋼に行きあった事がある。幼いながらに二人が相いれない間柄であるとは察しているカナが心配そうに服の裾を引っ張るのを感じながら、こうも正面切って対峙してしまえばまるきり無視もできない。
それは鋼も同様だったようだ。気に入らぬように「ふん」と鼻を鳴らし、「霧嶋だったな」と言う。実のところ直接言葉を交わすのはこれが初めてだった。
「あの時はよくもやってくれたな。俺達を利用しやがって」
あの時、が熊の狂神を彼らに押しつけた時を指すのは間違いない。この頃にはあれがただの獣神ではなく、狂神であるということ、そして狂神とはなんであるか、サンシエから教えられていた。それを踏まえれば悪いことをしたかと思わないでもない霧嶋だったが、口から出たのは挑発の言葉だった。
「……お陰で私は助かったわ。感謝の言葉が欲しい?」
「おいっ! てめえのせいでこっちは三人死んだんだぞ!」
掴みかからんばかりの勢いで怒りを露わにした鋼だったが、気まずそうに手を元に戻した。霧嶋と鋼の間にカナが割って入ったのだ。
並はずれて大きい鋼に比べると、ただでさえ小さいカナはもっと小さく見える。カナの顔が鋼の腹のあたりにあった。
「だめ。キリシマはけがをしているの」
「そりゃあわかってるが……」
「兄様が言っていた。森の中では京も松前も関係ないって」
「いや、そうは言ってもだな」
次第に鋼の語調が弱々しくなっていく。カナの言葉に宿る力が憤った大男を鎮める様は見ていて愉快だった。
やがて根負けした鋼が「わかった、もう喧嘩はしないよ」とカナに約束した。
「子供にはかなわねぇ。ここは退いといてやる」
毒気を抜かれたように歩き去る鋼の背を見つつ、霧嶋はほっと息を吐いた。勢いに任せて挑発してしまったが、カナが止めてくれなければ危険だった。鋼の法力は破神で無効化する自信はあっても、そもそもの体格が違ううえに療養中の身だ。満足に戦うこともできず打ち倒されていたに違いない。
「助かったわ。ありがとう、カナ」
「ありがとうじゃないの。森では争ってはいけないのよ」
どうやら怒らせてしまったようだ。
「ごめんなさい。そうだ、カナ、私の名前を教えるから許して」
「名前? キリシマの名前はキリシマでしょう?」
「そうだけど、もう一つの名前があるのよ。普通なら教えないもう一つの名前が」
森の民の名前には姓名の区別が無いからカナには分かり難いようだった。京を始めとした多くの国で(おそらくはカムイの森以外の全ての地で)、名前は所属する一族を表す姓と、個人を表す名からなる。通常使われるのは姓で、霧嶋も東征軍では霧嶋としか呼ばれない。名で呼び合うのは家族や恋人、親しい友人などに限られる。
「この名前を教えるのは……大切な友達にだけなの」
「友達……キリシマがカナの友達になるの?」
「そうよ。カナは私の友達になってくれる?」
「なる! カナはキリシマと友達になるよ!」
怒っていたのも忘れたようにカナは一生懸命にそう言ってくれた。
「なら教えるけれど……これは他の人がいない、二人だけのときにしか呼んではだめよ。ちゃんと友達になった人にしか教えられないんだから」
こくこくと頷くカナ。
「私の名前はね、楓というの。霧嶋楓」
「カエデ……」
下の名前で呼ばれるのは子供の時分に千蔵に呼ばれていた頃以来だったので、何やら妙な感じがしたが、断じて不愉快ではなかった。
少し深入りしすぎているような、そんな不安も胸を過ぎる。森の民と東征軍が戦を始めれば敵同士となる相手と、名前を教えるほどに仲を深めてどうするのかと。
それでも霧嶋は後悔しなかった。カナのような子供が戦場に出てくることはあるまいし、直接敵として相まみえることなど無いと思ったのだ。
*********************************
いずれ敵地になるだろう村にいて、京にいた時よりも心安らかに過ごせるという奇妙な状況はある日終わりを告げた。
その日、シシリクが霧嶋を訪れ、こう言ったのだ。
「京の軍勢が森の外に陣取っている。そろそろ始まるようだ」
サンシエが鷹に霊を憑かせて森の外の様子を探っていたのは、コエイが頻繁に村に出入りしているのを見て察していた。
過去の例からすれば一国を落とした後に次の国の攻略にとりかかるにはもっと期間を空けるはずなのだが、カムイの森の特殊な地形が東征軍の動きを早めたのかもしれない。
「キリシマには傷が完治するまでこの村にいてもらうつもりだったが、そうも言っていられなくなった。いずれ京の使者が来るのだろうが、その結果によってはキリシマを帰せなくなるかもしれない。だから今のうちに……」
「驚いたわ。敵になるかもしれないのに、みすみす無事に帰すと言うの?」
「キリシマはかなりやるようだからな、俺としては縛り上げてどこかに閉じ込めておきたいところだが……」
そこで殺しておくと言えないあたりが、シシリクもまた戦の厳しさを知らない森の民なのだろうと思わせた。
「カナの友達に酷い事はしたくない。だからこのまま帰すことにした」
「ふうん、またカナに助けられたことになるのかしらね」
「そうだ。それを恩に思うならカナの敵になるようなことはしないでくれ」
「それはちょっと約束できないわね」
「だろうな……まあいい、これは返しておくぞ」
そう言ってシシリクが渡してきたのは霧嶋の短刀だった。あの日、熊の狂神に投げつけたままもう無くなったものと思っていたが、シシリク達が回収してくれていたのだ。
「銀や鋼もいるからな。まあ余計な心配だとは思ったが、今日までは返せなかったんだ」
「なるほど。有難く受け取っておくわ」
半月ほど空になっていた鞘に短刀を納め、霧嶋は座を立つ。
「それではね」
「ああ」
辞去の挨拶はあっさりとしたものだった。そのままいつもの調子で村の中を歩き、出口まで行ったところで、
「キリシマ!」
振り返ればカナがいた。サンシエが後ろに立って様子を見守っている。
「それじゃあね、カナ。世話になったわ」
「キリシマ……」
泣き出しそうな様子のカナに胸が痛むがどうしようもない。軽く手を振って踵を返そうとした時、カナの口が動くのが見えた。声は聞こえない。それでも声にせず発せられた言葉の意思だけが確かに伝わって来た。
――カエデは友達。
と。




