表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
カムイの森  作者: 墨人
1/48

第01話 狂神狩り

 密度の濃い緑の中を二人の男が駆けていた。


 一人は十代半ばと見える少年、今一人は二十代も半ばくらいの年頃だ。

 二人とも武装している。少年は腰に短刀を差し、背には弓と矢筒を負っている。弓籠手としてだろうか、左腕にだけ毛足の短い毛皮を巻き付けていた。

 年嵩の男は、これも腰に短刀を差し、そして背には剣を負っていた。が、それは一口に「剣」と称するのが憚られる代物でもある。反りは無く両側に刃が付いている、という点では紛れもなく剣であるのだが、大きさが尋常ではない。斜めに負ってなお切っ先が地面すれすれにまで届き、体格に恵まれた男の背中をほとんど隠すほどの幅もある。

 比較的軽装な弓の少年も、計り知れない重量を持つであろう巨剣を背負う男も、森の中を風のように走り抜けていた。


 木々を避けながら、時には下生えを掻き分け、ちょっとした高低差は一息に跳び越える。それでいて走る速度は衰えず、障害物の無い平地を全力疾走しているかのようだ。

 そして走る二人の前方を鷹が飛んでいる。こちらも小刻みに進路を変更して木々の間を縫うように飛び続ける。

 一見すれば逃げる鷹を二人が追っている構図だが、その実、鷹は二人を導いているのだった。

 やがて鷹は不自然なほどの急制動で一本の枝に止まり、ふいっと一方を指すように視線を向けた。

 男達も足を止め、鷹の視線を追って同じ方向に目を向ける。


「……どこだ? 見えねえぞ」


 大男が目を細めながら言う。


「俺は見つけたぞ、あそこだ」


 少年は前方を指差した。より具体的に方向が示されたことで、男も『それ』を発見することができた。

 重なり合う木々の向こうに、わずかばかり焦げ茶色の毛皮の塊が見て取れる。


「さすがに弓使い。シシリクは目が良いな」


 男に言われても少年、シシリクは特に反応しない。弓使いだから目が良いのではなく、目が良いから弓使いになったのだし、また目が良いだけでは弓使いとしてやっていけない。

 黙々と背から下した弓に弦を張り、具合を確かめるように何度か素引きをしていた。

 シシリクは矢筒から一本の矢を抜き出す。他は鉄の鏃であるのに、その一本だけは黒い石の鏃が取り付けられていた。


「コジカ、すぐにやるぞ」

「って、おい。これ、通せるのか?」


 コジカと呼ばれた大男は今一度前方を見やる。

 標的たる焦げ茶色との間にはまだまだ距離もあり、また密生する木々の為に未だ全体像を見ることすらできない。普通なら弓で射れる状況ではない。


「見えてるんだから射線は通ってるんだ。何とかなるさ」

「なんとかって……いや、お前の腕を知らんわけじゃないが……」


 シシリクの言うとおり、視線が通っているなら射線も確保されている。それをそのままなぞって矢を飛ばせば、それは届くという理屈になるのだが。


「サンシエがここで止まったんだ。これ以上近づけば気付かれるんだろう。やるしかない」


 枝に止まっている鷹を見やると「そのとおりだ」と言うようにこくこくと首を上下に振っている。


「しゃあねぇな。ならまあ足止め、よろしく頼むぜ」


 背中の巨剣の柄を握り、位置を確かめつつコジカはにやりと笑う。


「ああ、まかせてくれ」


 矢を番え、弓を引く。その動作を合図としてコジカはわずかに腰を落とし、鷹は標的に正対するように体の向きを変える。

 難しい一射にも関わらず、シシリクは迷うことなく射放した。そこには己の技量に対する絶対の信頼が感じられた。

 矢はまさしくシシリクの視線の通りに飛ぶ。木々の隙間を抜け、さらには僅かとはいえ矢の軌道に影響を与えるだろう風の流れさえも物ともせず、一直線に標的めがけて飛んで行く。


 それを追ってコジカもまた駆けだしていた。低く落とした重心によって溜められていた下肢の力を一挙に解放して突進する。その速さは先ほどまで鷹を追っていた時よりもさらに速い。

 速さを得た反面、音や気配も格段に大きくなっている。単純に近づいたからというのもあり、相手がコジカに気付いたのが感じ取れる。焦げ茶色にそれの意識がコジカに向けられる。

 途端にコジカの体は重くなった。と言って実際に重量が増したわけではない。体中に何かがまとわりつき動きを阻害するような、そんな感覚だ。


 ひたすら走るコジカの前方で、神業ともいえる一矢はついに標的に到達した。同時、鷹が両の翼の先端を標的に向けて打ち振った。

 すると矢の先端、黒い石の鏃から巨大な白い影が溢れ出した。

 それは蛇だった。人の背丈の何倍もあるような大蛇が何匹も現れ標的に絡みついてゆく。蛇は大きいということと、突如出現にしたということ以外にも尋常ならざるところがあった。白い蛇身は半透明で絡め取った標的の体を透かし見ることができるのだ。


 蛇に巻きつかれ動きを封じられた標的が獣の咆哮を上げる。近づいたことでコジカにもその正体が見て取れた。

 遠目には焦げ茶色の塊としか見えなかったのも無理はない。そう思えるほどに大きな、それは猪だった。

 普通の猪でも大型の個体であれば大人の男以上の大きさ重さになるものだが、獰猛な唸りを上げるそれは『普通』の範疇から大きく逸脱している。大男と称されるコジカの背と、ほとんど同じくらいの体高なのだ。


「こりゃまた……」


 巨大な猪の威容にしかし呆れたような声を上げつつ、コジカは最後の距離を走破、猪の正面に躍り込む。

 ぎろりと猪がコジカを睨みつける。先ほどから全身にまとわりつく何かが急激に強くなる。

 それは猪の放つ気配である。尋常でない獣が放つ気配はまるで実体のある物のように周囲にいる者に影響するのだ。気の弱い人間なら失禁しつつ失神しかねない強烈なそれを浴びながら、しかしコジカは恐れるでもなく剣を抜き、上段に振りかぶった。


「おめえが悪いわけじゃねえんだがな。そうなっちまったおめえは、いるだけで周りに悪い影響を与える。すまんな」


 この男としては神妙な口調で猪に語りかけ、そして剣は振り下ろされた。


 *********************************


 シシリクが駆け付けた時、ことは既に終わっていた。

 あの白い蛇はもう姿も見えず、巨大な猪だけが体を横たえている。絶命しているのは一目で分かった。なにしろ頭部が縦に両断されているのだから、これで生きていられる訳がない。

 見れば断たれた頭部の下、赤い液体の染み込んだ地面にも深い溝ができている。

 コジカの渾身の一撃は猪の分厚い毛皮や硬い頭骨を断っただけでなく、勢い余って地面までを抉っていたのだ。


「相変わらず凄いな。獣神けものがみはただでさえ硬いのに」


 地面に落ちていた矢を拾い上げるシシリク。先に当たっていた彼の矢は猪の毛皮に阻まれて刺さる事が出来なかったのだ。必ずしも刺さる必要は無かったにしても、圧倒的な破壊力を見せたコジカの剣と比べると釈然としないものがあるのだろう。


「贅沢言うなって。あの遠間で射て獣神の毛皮を貫くなんて、そんな弓はあったとしても誰にも引けねえだろ」

「弓は力だけで引くわけじゃ無いが……確かに俺には無理だろうな。でもコジカこそ自分なら引けるとか思ってるんじゃないのか?」

「思ってねえよ。それに引けたとしても俺じゃ当てられん。何事も役割分担だ。弓の上手いお前が石の鏃の矢を飛ばし、サンシエが石に宿らせた蛇の霊で動きを封じ、そして俺が止めを刺す。打ち合わせ通り上手くいったんだ、それでいいじゃねえか」


 並ぶ者の無い弓の腕を持ちながら、腕力や剣で劣る事を不満がるシシリクに苦笑を向けるコジカ。


「まあいい、とっととやる事やって帰ろう。飛んで帰れるサンシエが羨ましいぜ」


 ここから先の作業に必要なのは人の手だ。出番の終わった鷹は一足先に帰路に就いたのだろう。


「あれはあれで苦労があるそうだけどな。じゃあ丁度割れてるし、頭の方から探してみるか」


 ふぅっと一息ついて、シシリクはおもむろに猪の頭部の断面に手を突っ込んだ。半ば毀れ出ていた猪の脳を掻き混ぜるように手を動かしていく。やがてその指先が小さな硬い塊を探り当てた。


「おっと、あったぞ」


 引きずり出されたそれは雀の頭大の球体だった。こびり付いた血などを拭うとそれが真っ黒であると分かった。


「これはまた……黒いな」


 二人は顔を見合わせる。猪の体内から取り出されたこの球体の黒さは、二人にとって深刻な意味を持っているのだ。

 懐から取り出した布で球体を包み、シシリクは踵を返した。


「俺達も帰ろう。早いところサンシエに渡さないとな」


 その背を追う前に、コジカはちらりと猪の巨体を見やった。猪の屍は、言い換えると巨大な肉でもある。普通の狩猟でこれほどの大物を仕留めることはまずない。

 これは尋常な獣ではなく、また食料を得るために狩ったのでもない。勿体なくはあるが、このまま土に返すしかないのだった。


 *********************************


 シシリクとコジカはまだ日が高いうちに村に帰りついた。全力ではないにせよずっと森の中を走ってきたのだ。

 切り拓かれた土地は周囲を木柵で囲まれ、点在する家屋も高床式となっている。柵にしろ家屋にしろ、森のただなかに存在する村として獣の侵入に備える造りになっていた。

 村の入り口は、そこだけ木柵が二重三重に配置されている。柵の途切れた部分から人の出入りは普通にできるように、しかし内側の柵によって獣が偶然入り込むことはない。そのように配置されていた。もちろん人の出入りがなくなる夜間においては、この隙間も柵を移動させて塞がれる。


 行きあう村人達から「首尾はどうだった?」だの「おう、無事に帰ってきたな」だのと声をかけられ、それぞれに軽く応じながら歩いていくと、その声を聞き付けたのだろうか、村の中でも奥まった一軒から一人の少女が現れた。

 年の頃なら十を過ぎたころだろうか、気弱そうな雰囲気を漂わせているものの、どことなくシシリクに面差しが似ている。それもそのはずで、


「おかえりなさい、兄様」


 と言うように、シシリクの妹で、名をカナと言う。


「あの、狩りは恙無く?」

「ん? サンシエから聞いていないのか?」

「それが、まだ戻っていないんです」


 シシリクとコジカは顔を見合わせた。


「狩りは上手くいったし、サンシエは先に帰ったとばかり思っていたが……あいつが寄り道とは珍しいな」

「そうだな。無意味に飛び回るような奴じゃないはずだが。空からなにか見つけたのか?」

「穏やかに眠っていますから、何か大事があったというわけではないようですけど……」


 言葉とは裏腹に心配そうに出てきた家を見上げる。

 今までに無かった事だけにシシリク達も一抹の不安を感じる。とは言え、彼らにはやらなければ無い事がある。


「サンシエと合流してからと思ったが……」


 シシリクは懐を探る。そこには例の黒い球体が収まっている。


「しようがねえ、滝には俺達だけで行こう。サンシエの役だが、待ってるわけにもいかない。シシリクが代理を務めるなら問題も無かろう」

「そうだな。カナ、俺達は滝に行ってくる。お前はサンシエに付いていて、戻ったら俺達が滝に行った事を伝えておいてくれ」

「分かりました」


 素直に頷き、カナは家に戻って行った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ