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脳裏に天の啓示が

 俺はその後風邪みたいな症状もなくぴんぴんしたものだったよ。要は体のどこかから膿が出てきたらアウトってことだから、ニキビ一つにも細心の注意を払った。だが何故か本当に何も無かった。あの日の出来事が嘘のようだが、指の傷があるから夢じゃないんだろう。


 ただ、平穏無事というわけじゃなかった。俺に異変があったのではなく、町に異変がおき始めた。


 町に鳥の死骸が増え始めたんだ。普通鳥の死骸は事故で急死したようなのしか見ないだろう? だが、落鳥した死骸があちこちで見られるようになった。同時に町に風邪が流行り始めたんだよ。一番疑わしい俺は風邪らしい症状がないのに……


 ついに幼馴染で同じ学科のノアデアとエステルが風邪で寝込じまった。ノアデアは花屋の息子で、小さい頃から家業の手伝いをして空っ風吹きすさぶ寒空の下でも平気で水仕事を何時間も行うような鉄の体してたのに…見舞いに行ったら奴は「初めて高熱でた」と何故か喜んでいた。何考えてるんだよこいつ…人の気も知らないで。

 エステルも見舞いに行くと彼女のご両親から「もう家には来ないほうがいい」と言われた。エステルが女だからって意味じゃないのは分かる。俺が錬金術師の家柄だから邪険に見ているわけでもない。まだ無事である俺の身を案じてくれているのは明白だった。その意味は…考えたくもなかった。


 何故俺が無事なのに周りがフェ・ラジカに感染していくんだ?


 俺はパンドラの箱を開けちまったのだろうか。親にも相談出来ないし、一体どうしたらいいんだろう…俺は休学状態になって静まり返った大学のキャンパスのベンチで呆然としていたよ。死ねば楽になるだろうかと思ったが、死んだところで皆が元気になるわけじゃない。逃げたところで俺がフェ・ラジカの胞子を撒き散らす事になっちまう。一体どうしたらいいんだろう…本当に、どうしたらいいのか分からなくてずっとどうしたらいいんだ、どうしたらいいんだとバカみたいに繰り返し自問していた。


 どれくらい自問したんだろう。不意にその問いに答える声が聞こえてきた。どこから聞こえたのかは分からない。誰もいないはずの大学なのに……しかしその声は確かに言った。


『迷うならばマサース第一研究所に来い』


 マサース第一研究所…昔から何度か世話になったことがあるうちの研究所じゃないか。家の異臭騒ぎの時に緊急避難したのもここだ。だが現在は風邪騒ぎで一時閉鎖されているはずだ。現在動いている研究所は人里から離れた第七・八館だけ。あそこは医療特化で特殊な薬品や病原体のサンプルなんかも保存してあるから、一般人である俺は決して近寄ってはいけないときつく言われている厳重な研究所だ。

 第一研究所は研究所というよりは倉庫や資料室、会議室みたいなものが多い。だからただアブラメリン家の人間というだけの一般人である俺でも入れるのだが、比較的家に近い事もあってソロモンのラボもそこにある。


 誰もいない大学で頭を抱えていても仕方ない。誰の声なのかは分からないし何故そこに誘うのかは知らんが、俺はとにかくマサース第一研究所に向かう事にした。


 大学は自転車で通学できる距離だ。といっても自転車でおよそ20分強。家業の関係でハイスクールに通っていた頃に既に免許を取得したノアデアにたまに送ってもらうが、10分くらいで到着出来る代わりに駐車場を探すのに時間を食うし、後から作られた新駐車場は大学から妙に離れてて歩いてキャンバスに到着すると約5分くらいかかるから結局所有時間は変わらない気がする。だから車がほしいとは思っちゃいない。でもこういう時はほしいと思った。研究所も家に程近いところにあるし、時間的にはさほどかわらないだろうがな。


 静まり返った町中を自転車で走りながら俺はずっと考えていた。そういえば親父も錬金術師だが、何故かフェ・ラジカを積極的に研究しようとはしていなかったような気がする。興味がないわけではなかったようだが何故だろう? 何より街中にある第一研究所でフェ・ラジカの研究をさせるなんて危険なことをさせるなんて親父らしくない。うちの親父はソロモンみたいなアッパラパーが多い錬金術師にしては珍しく良識のある常識人だ。街中で研究させていれば何か悪い事が起きると想定できなかったはずはない。


 親父には親父なりの何か策略があってソロモンに任せたのだろうか。俺にはよく分からない。こうなってしまった以上、うちはきっと今まで以上に糾弾されるだろう。俺たちはどうなってしまうんだろうな。3世紀つづいた名門アブラメリン家もおしまいか……


 先行きの不安さのせいか、俺はよく見知った道を何度か間違えて迂回を繰り返しながらどうにか第一研究所に到着した。正門は堅く閉ざされているので、勝手口の鍵を使って中に入ってみた。白を基調とした綺麗な廊下は太陽の光を受けてなお明るく輝いているようだったが、人の気配がないというのはやはり薄気味悪い。……人気がない? そういえば俺に話しかけてきたのは誰だったんだ?


 いざ研究所に侵入したものの一体何をすればいいのかと途方にくれていると、グッドタイミングに次の指令が聞こえてきた。大学にいたときと同じで妙にか細い声だ。か細くとも何かにかき消される事のない、なんとも不思議な声だ。 


『本当に来てくれたのか…ありがたい。1階の臨時倉庫を知っているか? そこに来てほしい』


 一階の臨時倉庫…名前だけじゃどこだか分からん。色々考えて一階をうろついたが、階段下の少し奥ばった所に扉があったのを見て思い出した。小さい頃ここの掃除の手伝いをしていた事があるのだが、ここはいらなくなった書類やゴミをいったん保存しておく場所だったはず。ここが臨時倉庫かどうかは分からないが、それらしい倉庫といったらここしか思い当たらない。俺は急いであけようとしたが、ドアは無情にもガンという何かつっかえているような音をたてて俺の侵入を拒んだ。ゴミ捨て場といえど元は大事な資料だから勝手に持ち出されないように鍵がかけられているらしい。


 俺は焦って鍵を壊しかねない勢いでノブを回してガンガンやったが、鍵は俺の力じゃ壊せそうもない。鍵が保管されているのは…確か事務所の給水室の側だ。俺は急いで事務所まで走ったが、事務所で待っていたのはまたしても鍵だった。こちらはさらに頑丈そうだ。とても俺では壊せないだろうし、形状からしてピッキングなんて出来そうもない。そもそもそんな芸当やったことがないけど。


 もういっそガラスを破ってやろうかと思ったが、側にあった消火器に手をかけたところでふと思い出した。小さい頃家の鍵を忘れて帰れなくなったことがあったんだ。親父もお袋もたまたま留守で、ソロモンは一人で勝手にどこかに言ってて俺はよく分からない。今思い返すと多分図書館にでもいたんだろうな。うちは確かに大きいが親父の持ち物には機密書類が多いからセキュリティシステムを強固にする反面ハウスキーパーは基本雇わない。だからお手伝いさんみたいな人は家にいない。

 研究所で待っていようとしたらここも閉まっていた。研究所周辺は通常一般人は立ち入り禁止だから研究所の敷地内にいさえすればそこまで心配は要らないんだが、どんどんあたりが暗くなるし俺は怖くなってめそめそ泣いてた。小さい頃は誰でも可愛いもんだね。で、運よく丁度用事があって研究所に寄ったらしい事務員が俺を見つけて研究所に入れてくれたんだ。

 その時の事務員は輝いて見えたよ。今でも覚えてる。いつも俺が遊びに来ると可愛がってくれた女の人で、鍵には赤くて可愛らしいキーホルダーがついていた。…外の鍵を開けて、その足で事務所をあけたはず。その時のキーホルダーは赤いままだった。


 もしかすると勝手口の鍵と事務所の鍵は同じなのか? セキュリティ面では難ありだが、勝手口は事務員達が頻繁に使うから同じであってもおかしくはない。むしろ逆転の発想で同じであるはずがないと思い込むから、本来なら開かずの扉なのかもしれない。だったら俺の持ってる勝手口の鍵で事務所の鍵が開くはずだ。10年近く前の話だから取り替えられてるかもしれないが、取り替えられていないことを祈るしか……


 天に祈りながら勝手口の鍵を事務所の鍵口に差込み回すと、随分あっけなくかちゃりと音を立てた。俺は思わずガッツポーズをしたが、そんな事をしている場合じゃない。俺は急いで事務所に入ると倉庫の鍵を探した。各部屋の鍵が壁にかけてあるが、臨時と書かれているこれがそうだろうか? タグを見ると会議室の鍵はあっても資料室のような重要そうな鍵はここにはないようだ。俺があけたいのはゴミ溜め倉庫だから関係ないか。資料室を指定されなくて良かった。


 急いで階段下の倉庫の前に戻って鍵を開けた俺は少し緊張しつつドアを開けた。一体誰がここを指定したのだろう?


 扉の向こうにあったのは、うずたかく詰まれた本と大きな箱、ビニール袋に入った細切れの紙だ。いらない本やシュレッダーによって処分された紙はここに保管されて、回収に来る業者に渡すようになっているらしい。箱の中は電球や空き缶、電池、インクがなくなったトナーなんかが箱ごとにしっかり分けられて入れてある。そのうちプラスチックゴミの箱の中に見覚えのある箱が放り込まれている。この黒くて可愛げのない箱は……

 俺はその箱を拾い上げてみた。プラスチック製の小箱だが、重さが少しあるから空ではなさそうだ。堅そうな蓋を開けるために俺はすこし力をこめた。あの晩は音を立てないように注意を払っていたが、今は気にする事もない。だから以前よりは難なく開ける事ができた。


 箱の中にあったものは、あの時見た白いもちのような物体……殺人カビ『フェ・ラジカ』だった。

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