第三章:豊穣の女神
俺は相棒と共に家を出てモンマルトルを歩いていた。
格好はスーツではなく私服だ。
俺も相棒も黒で統一した格好で、良いかどうかと訊かれると分からないな。
そんな事を思いながら歩けば歩くほど思う。
『パリ一猥雑な街』
これがモンマルトルの街を表した言葉だが、その通りだ。
ここは何処を歩いてもアダルト店が立ち並んでいて、何処を見てもそればかりだ。
お陰で目のやり場に困る時もある。
間違っても、こんな所で幼い子を育てようなどとは思わないし勧める気は欠片も無い。
「何で、こんな場所にパン屋を作ったんだ?」
「昔は芸術家たちが集まる街と言われていたからな。その時に建てたんだ」
それが今ではこんな街へと変わった・・・・・・・・歴史って皮肉だよな。
俺は煙草---ジタンを相棒から貰い吸った。
こいつはゴロワーズと並びフランスでは人気を2分する煙草なんだが、俺的には余り好みじゃない。
味が薄いというか、余り感じないのが理由だしどうも洒落た感じがして好きになれない。
だが、これしか相棒は持っていないからこれで我慢する。
煙草を吸いながら俺は街を見まわして口を開いた。
「しかし、幾ら両親が残した遺産の為とは言え・・・こんな街でよく暮らせるよな」
「金が無いからな。それに生まれ育った街・・・故郷だ。その故郷を出る、というのはやはり抵抗があるんだろう」
「豪く感傷的じゃねぇか」
こいつなら生きる為なら故郷など捨ててしまえ、とか言いそうなのに。
「あの娘の瞳を見れば感傷的にもなる」
「・・・・惚れたか?」
こいつがこんな言葉を言うから、強ち惚れているのか?と思った。
「惚れた所で俺がパン屋の主になれると思うか?」
こいつがパン屋の主・・・こんな顔で「いらっしゃいませ」なんて言われた時には子供が泣き出すな。
それを思うと・・・・・・・・
「無理だな」
「だろ?」
俺の言葉に相棒は頷いて見せると足を更に進めた。
パン屋はモンマルトルのピガール区にあった。
ここはパリ一猥雑な歓楽街であり風俗街で有名だ。
モンマルトル全体がそうではないが、ここが余りに有名過ぎてモンマルトル=猥雑と思われている、と相棒は言った。
金が無いとは言え、こんな所でパン屋を営むとは・・・・・・健気だな。
俺は煙草を携帯灰皿に捨てた。
道端に捨てるのは子供の教育上、良くないし俺らみたいな奴等は証拠品は髪の毛一本だろうと残さないのが鉄則なのさ。
だから、煙草にも細心の注意を払っている。
道を進んで行くと、アダルトな店が立ち並ぶ中で唯一まともな店が見えた。
些か古臭い感じは否めないが、それが逆に歴史を感じさせて味がある店だ。
2階建てで恐らく2階が居住となっているのだろう。
表はガラス張りでパンなどが並べられている。
内装も清潔感で溢れているから店としては合格点だ。
名前はフランス語で「黒猫」を意味するLe Chat Noirだった。
黒猫が店名とは昔は芸術家が集まる街と言われた所から取っているのだろうな、と俺は思った。
今は猥雑な街と言われているが、昔は芸術家たちが集まる街だった。
それを思わせる店名に俺は心惹かれた。
窓ガラス越しには焼き立てのパンが並べられていたが、客は居なかった。
「繁盛していないのか?」
あれだけ美味いパンなら行列が出来ても可笑しくないのに・・・・・・・
「味は美味い。それは確認済みだろ?」
相棒は確認するように訊いてきた。
確かに、あの味なら遠い所からだろうと足を俺は運んででも買いに来るだろう。
それだけ美味かったんだ。
「だが、ここを見れば幼い子を連れて来れる場所ではないのは明白」
相棒の言葉を聞いて俺は納得した。
・・・・なるほどね。
こんな所では進んで買いに来れる訳ないな。
それに今は昼間だ。
ここは夜こそ商売が出来るし繁盛する。
だから、客は見えないし来ない訳だ。
俺は納得したから次の事を質問した。
「で、家族は?」
「姉、妹、弟の3人暮らしだ」
3人でこんな所に住んでいるとは・・・・いやはや、何とも。
「さぁて、行くか」
相棒は黒のハンチング帽を深く被り直すとサングラスまで掛けた。
「強盗でもやる気か?」
これでスカーフかマスクでもすれば立派な強盗の出来上がりだ。
「違う。眩しいからサングラスはしただけだ」
相棒の言葉を聞いてもサッパリ分からなかったが、直ぐに俺は理解した。
店のドアを開けると、鈴が鳴った。
カサブランカの鈴よりも洒落ており何処か幼い音色に聞こえた。
そして中に入ると・・・・・・・・・
「いらっしゃいませ。ようこそ、ル・シャ・ノワールへ」
店内から明るい声が響くと同時に目の前が光に包まれた。
「な、何だ!!この光は!?」
閃光弾か?
いや、閃光弾なら筒が見えた筈だし、爆発する音だってした筈だ。
それがしない。
どう言う事だ?
俺は片手で顔を覆いながらも隙間を作り覗いてみた。
光に包まれていたのは、女性だった。
純白色のロングスカートに青を薄めた水色のブラウスの格好で、その上からビブ・エプロンをしていた。
ブラウスの袖は腕の関節まで託し上げており白い肌が見えた。
髪の色は神々しく育てられた小麦のように金色に輝いておりそれを頭の上で纏めていた。
だが、生き生きとしており淡い水色の瞳の色もまた生き生きとしていた。
芸術家は永遠に美を追求していると誰かが言っていたが、その芸術家たちが追求して行き着いたのが、目の前に居る。
そんな女性だった。
『名のある芸術家たちが手を入れて長い年月を掛けて完成させた清楚な美人の像だな』
そしてもし、題名を与えるなら『豊穣の女神』という題名が相応しい。
この題名が俺の中に浮かんだ。
まさに目の前に居る女性は、この言葉が一番合うと思う。
「相変わらず神々しくてまともに見れないぜ」
相棒が何で帽子を深く被りサングラスをしたのか理解できた。
こんな光り輝いていては直視できない。
だから、サングラスをしたんだ。
「ベルトランさんっ」
豊穣の女神が俺・・・もとい相棒に近付いてきた。
近づいて来て余計に眩しいが、何とか見えるようになった。
改めて見るが年齢は俺より年下・・・まだ20にもなっていない。
「今日は連れも一緒だ」
相棒は俺を親指で指すと俺を紹介した。
「こいつはショウ・ローランド。俺の仕事仲間で仕事では俺より先輩に当たる」
「ベルトランさんの仕事と言うとビジネスマンですか?」
ビジネスマン・・・・こいつが?
幾ら何でもこの男がビジネスマンなんて有り得ない。
いや、ビジネスマンって言うなら他にもあるか。
かなり危ないビジネスマンだが。
というか、一体どんな風に自分を説明しているのか知りたい。
「今回、俺と同じくパリ勤務になってな。俺がここの仕事をすると言ったら是非ともあんな美味いパンを作れるか教えてくれ、と言って聞かないんだ」
おいおい、俺を置いて勝手に話を進めてやがる!!
俺は急いで止めようとしたが、相棒は「黙ってろ」と眼で言ってきた。
眼を見て、ここは仕方無いと俺は直ぐに悟り自己紹介を始めた。
「初めまして。俺・・・いえ、私はショウ・ローランドと言います。てつ・・・・ベルトランさんとは同じビジネスマンをしています。今回、パリ勤務となりまして新しい住まいを見つけるまでベルトランさんの家に住まわせて頂いております」
自分でもよく舌が回るな、と思えるほど俺は自己紹介をした。
そして言葉遣いにも細心の注意を払った。
「そうですか。私は、ここル・シャ・ノワールの店主でソニア・クリスチノフです」
年齢は19歳です、と名乗った。
19・・・・・まだ高校を卒業したばかりじゃねぇか。
19で妹と弟を育てながらよく店を切り盛り出来るな、と俺は感心した。
そしてこんな美人に惚れられる相棒を見ながら、「どうやったらモテルのか知りたい」と改めて思った。