第五章:国家機密
行きつけのBARとはパリの8区---シャリンゼ通りの中にある。
シャリンゼ通りはパリの凱旋門があるなどパリの歴史を学ぶにはちょうど良い場所だ。
とは言っても路地裏の方だから表舞台とは一線を画しているが。
「随分と洒落たBARだな」
目の前にあるBARは寂れた看板に「オペラ座」と書かれている。
とてもじゃないがオペラ座とはまったく違うしお門違いも甚だしいと思う奴は大勢いる筈だ。
だが、こういう所こそ穴場でもある。
「まぁな。やっと来たぜ」
ショウは駐車場を見て言い俺も釣られる形で眼をやった。
来たのは一台の車---ポルシェ911型の“993”だった。
最後の空冷モデルで4人乗りで2ドア。
色は青みがかった暗い灰色---スレートグレーという渋みがある。
「ポルシェか・・・しかも最後の空冷モデルとは・・・・・・・」
「ポルシェの最新車は常に最良という言葉もある。最後の空冷モデルもまた最良と言えるな」
「まぁな。やはりドイツ車は凄いな」
そう言っているとドアが開いた。
左から出てきたから左ハンドルだ。
先ほど女に話しかけられていた男で年齢は30代で荒鑿で削られた容姿でふてぶてしいイメージを受ける。
「誰だ?そいつは」
男はサングラスを外してショウを見ながら訊ねる。
声は鉄が錆びたような感じでしゃがれている。
「戦争ジャーナリストのブレイズだ。ペスに尻を舐められそうになったから助けた」
「ほぉう。見た所日本人だな」
「ブレイズです。現在パリ編集社に勤めています」
俺は一歩前に出て名前と会社を言い頭を下げた。
「ベルトラン・デュ・ゲクランだ。日本名は鷹見徹夜」
どちらでも好きなように呼べと言われたが、俺は別の名前で呼ぶ事にした。
「兄貴」
「兄貴?」
「はい。年齢は年上ですし何だか兄貴と呼びたくなったので」
理由は俺にも不明だが、何だか見ていると「兄貴」と呼びたくなったんだ。
「なら好きにしろ。それから・・・仕事だ」
「仕事?」
ショウが訊ねると兄貴は懐から一枚の紙を取り出した。
「あの女に頼まれた」
「ホテルでお前さんにしがみ付いていた外交官の女か?」
「あぁ。盛りのついた犬だが、今回は厄介な仕事を持って来やがった」
「モテル男の宿命だな」
「だな。立ち話も何だ。入るぞ」
「え?だけど、まだ時間は・・・・・」
BARは夜が仕事の時間だ。
「ここはやっているのさ」
そう言って兄貴はドアを開けて中に入り俺らも後に続いた。
中は少し汚れた印象を受けて昔の喫茶店を連想させる落書きなどがある。
後は名も知らない画家が描いた下手くそとも言える絵が飾られているし蓄音機で擦り切れたジャズが流れているだけだ。
「よぉ、ベルトラン」
頭が見事なツルツルの壮年男が兄貴を見て笑ってきた。
「久し振りだな」
「何を飲む?」
「モルトを」
「俺はバカルディを」
「お、同じく」
ショウが頼んだ物を俺も頼んだ。
兄貴の方はスコッチ・ウィスキーの大麦麦芽を原料としたモルトを注文した。
「あいよ」
そう言って男は酒を作り始めた。
「で、仕事とは?」
「ある奴から黒いアタッシュケースを奪えという依頼だ」
「中身は?」
「国家機密だ」
「外交官の奥方にしては大きな依頼だな」
「まぁな。俺らの他に後数人は居るらしい」
「チームを組めって事か」
「そういう事だ」
俺はその話を聞きながら出されたバカルディを飲む。
2人の話に首を突っ込む気にはないが興味は隠せない。
一体どんな仕事なのか・・・ああ、身体がウズウズしてきた。
「こいつも入れるか?」
ショウが事も何気に俺を指差し言ってきた。
「銃の扱いには慣れているのか?」
「あぁ。それにジャーナリストなら万が一の事を考えれば世間に公表できる」
「まぁ良いだろ。人手が足りないとか言っていたしな」
「え?あ、あの・・・・・・」
話がトントン拍子に進んで行く事に俺は口を挟もうとしたが何を言えば良いのやらで分からない。
「おい、こいつが困っているぞ」
見かねたマスターが助け船を出した。
「それは失礼。ブレイズ。俺らと仕事をしないか?」
「あの、国家機密の入ったアタッシュケースを奪う仕事ですか?」
「あぁ。行き成りで困るだろうが、お前さんはジャーナリストだろ。良い記事が書けるかもしれないぜ?」
そりゃそんな機密なら良い記事が書けるとは確信している。
だが言うなれば強盗の仕事を手伝えと言われているようなものだ。
それに国家機密の代物を記事にしたらどうなる?
今の仕事などを含めて全てを無くすかもしれない・・・・・・・・
断るのも手だ。
いや、断るのが身のためなのだが・・・・面白そうな展開になると思うと乗りたくなるのが男の性だ。
卵は半熟が好みだが、今回は固ゆでにしよう。
「良いですよ」
「ありがとよ。今夜廃倉庫で落ち合う約束だから一緒に行くぞ」
「出来るなら兄貴の運転でお願いします」
「俺の運転じゃ嫌なのか?」
ショウが不服そうに俺を見てきた。
「赤ん坊にジェット・コースターを乗せるような横暴をするお前のは嫌だ」
「赤ん坊にジェット・コースターとは良い表現だな」
「ありがとうございます。兄貴」
「では乾杯するか」
3人の出会いに、と兄貴はそれらしい言葉を言いグラスを掲げた。
ショウと俺もそれに倣い乾杯した。
『3人の出会いに・・・・・・・・』
映画のワン・シーンみたいだが、そこがまた良い。
B級映画みたいだが、な・・・・・
それから夜まで酒を飲み・・・依頼人が居る場所へ兄貴の車に乗り向かった。
行くと車が数台ほど停まっていた。
「アウディ、ルノー・・・典型的なヨーロッパ車ですね」
どちらもフランスを始め乗り回されている車だ。
俺的にはルノーよりアウディの方が好みだ。
ドイツ車らしい造りにスタイリッシュな所が気に入っている。
ああ・・・欲しいな。
だが、金が・・・・・
などと思っている内に兄貴たちはさっさと倉庫の中へと入ってしまうから慌てて追い掛ける。
中に入ると数人の男が居た。
数人と言っても2、3人だし1人は女だ。
「来たわね」
・・・アイルランド系の訛りがあるからアイルランド人か?
と俺はついつい職業柄で推測してしまう。
「あんたが依頼人か?」
「正確に言えば貴方に助けを求めた人の代理人よ」
女自身もこの作戦に参加し見届けるという。
「そうかい。で、そちらの男は?」
「今回雇った人。貴方達と私を合わせて計6人で行うわ。ちなみに私の名前はディアドラ」
ディアドラ、か・・・名前では判らんが、アイルランド系と思うか。
「おいおい。そいつら日本人だろ?日本人は平和ボケしてるって話じゃねぇのか?」
数人の1人が俺らを見て馬鹿にするように言ってきた。
こちらはイングランド---イギリス訛りが強いな。
「初対面の相手に失礼と思うが?“トミー”さん」
俺はイギリス軍の蔑称で男に言ってやった。
「・・・良い度胸だな。餓鬼。S.A.Sに居た俺に喧嘩を売るとは・・・・・・・・・」
S.A.S・・・ね。
イギリスが誇る特殊部隊の始祖であるSAS。
入隊条件は厳しいし日本で設立された“G”も最初はSを採用しようとしたが、あまりに過酷故にGに変更したと言われているほど入隊条件は厳しい。
しかも、自分が所属しているという事も言えないから「偽物」が多いんだよな。
果たしてこいつは本物かどうか・・・・・・・・・・
「ブレイズ。こんな馬鹿は放っておけ」
兄貴が俺に煙草を差し出して宥めてきた。
煙草はジタンだ。
「ですが・・・・・・」
「平和ボケしているかどうかは現場で証明する。それが男ってもんだぜ?」
これまた口端を上げて笑う兄貴に俺は納得してしまった。
そうだ。
何もここで証明しなくても現場で実力を見せれば俺らが平和ボケしているかどうか見極められる。
無論・・・トミーもだ。
「ベルトランの言う通りね。仲間割れする暇があるなら作戦を練るわよ」
ディアドラがパンパンと手を叩いてホワイト・ボードに描かれた写真を指差し作戦内容を教え始めた。
これが俺と兄貴たちが組んだ初めての仕事だ。