第十章:旧友の家
刺客を退けた俺たちは南東に向かって車を走らせ続けていた。
俺は地図を広げて相棒に指示を出している。
「そこの道を左に曲がって500km進んでくれ。そうすればスイス国境に近い場所に行ける」
本来ならスイス国境に近い場所を走らない予定だった。
だが、刺客の事も考えるとそのままの道を行くのは危険。
かと言って在り来たりな道では敵に気付かれてしまう。
だから、敢えてスイス国境に近い場所を走る必要性が出たんだよ。
「大した運転技術だね?ムッシュ・ベルトラン」
ウォルターが葉巻を蒸かしながら相棒の運転を褒めた。
「F1レーサーとしてもやっていけるよ」
「そりゃどうも。しかし、あんたも大した爺だぜ」
あんな事をしたら普通は取り乱す筈なのに、この男は葉巻を蒸かしていた。
とてもじゃないが常人には出来る芸当ではない。
「これでも若い頃は無茶をしたものだ」
「と言うと?」
「WWⅡ時代だが、これでも英国諜報部員として働いていたんだよ。その前は戦闘機乗りだった」
英国を救った救国戦闘機として有名な“スピット・ファイアー”に乗り“バトル・オブ・ブリテン”に出撃しドイツ軍を苦しめたらしい。
「後1機でエースにもなれたんだが・・・功を焦ってな」
世界で初めて“一撃離脱戦法”を前提に設計された“メッサーシュミット Bf109”に撃墜されたらしい。
「お陰で翼を捥ぎ取られた」
そこから諜報部員となったらしい。
活動場所は当たり前だがヨーロッパだ。
レジスタンスの協力から破壊工作に諜報活動・・・・・・・・・・・
「まるで007だな」
「あんな軽薄な男と一緒にしないでくれ」
ウォルターは初めて怒気を含んだ声で喋った。
「これは失礼した。007はお嫌いか?」
「作者も元諜報部員らしいが、元同僚から言わせればお粗末にも程がある」
あれは諜報部員に対する冒涜だ、とまでウォルターは言い切った。
ここまで毛嫌いするとは・・・かなり嫌いなようだ。
「そこまで嫌いとは恐れいる」
「いや、すまん。どうも、血が騒いだのかもしれないな」
「男ってのは何時まで経っても血が騒ぐ者だ。それに俺も諜報部員とは知り合いが居るんだが、皆口を揃えて007は大嫌いと公言していた」
諜報部員とも知り合いが居るとは驚きだ。
そこへまたRPGをぶっ放すようにエレーヌが口を開いた。
「差別用語よ」
エレーヌがポツリと漏らした。
「女だって血が騒ぐわ。あんたの発言だと女は血が騒がない、と取れるわ」
「失礼した」
相棒はまた謝罪した。
誠意の欠片も込められていないが、まぁ気にしないでおこう。
「そんな顔と性格じゃ女には不自由しているでしょうね」
「それはあんたに関係ないだろ」
実際の所は女に不自由などしていない。
寧ろ掃いて捨てる程、女に困らないから凄い話だ。
「まぁね。それで宿はどうする気?」
「野宿は覚悟できているんだろ?」
「野宿ですって?私に野宿させる気?」
「誰もあんたに言っていない。俺はウォルター爺さんに言っているんだ」
「私は構わんよ。昔は下水道で一夜を過ごした事もある」
野宿など造作もない、とウォルターは言い切った。
それにエレーヌは眉を顰めながらも沈黙した。
こりゃ野宿決定か?と俺は思った。
別に嫌ではない。
寧ろ嫌と言うほど慣れ切った。
だが、それは違っていた。
野宿ではないということだ。
夜も間近という所で相棒はハンドルを左に切った。
地図でも左だから、問題ないと俺は思った。
しかし、それから暫く進んで行くと道路から外れて別の道に入った。
「何処に行くんだ?」
「昔馴染みの奴が居るんだ」
今日はそこに泊る、と相棒は言った。
「連絡しないで大丈夫なのか?」
「あぁ。今も生きていれば俺らを匿ってくれる筈だ」
一体どんな奴だ?と俺は思いながら相棒が言うのだから任せる事にした。
暫く行くとボルボがやっと通れる位の小さな道に入った。
しかも凸凹していて安定した道ではない。
「もう少し、楽な道は無いの?」
エレーヌが苦言を漏らしたが相棒は「ここしかない」と言ってハンドルを握り続けた。
やっとの思いで到着した場所には一軒の家があった。
鶏小屋と牛小屋があり、牛の鳴き声が聞こえてくる。
家の方はもうそろそろ寿命では?と言いたくなるほど見るからに粗末だ。
相棒は車から降りてジタンに煙草を点けた。
すると、牛小屋からカシャ、という音がした。
散弾銃・・・ポンプアクション独自のスライドを引く音だ。
相棒は直ぐに懐からコルトを抜いて構えた。
それと同時にカウボーイ・ハットを被った中年の男が出て来た。
見るからに安っぽい服装だが銃だけは手入れが行き届いている感じだ。
「・・・ブルドックか?」
男が相棒の渾名とも言える名前を言った。
「あぁ。久し振りだな」
相棒はコルトを向けたまま男に頷いてみせた。
「たっく。相変わらず予告なしに来る野郎だな」
男は呆れながらもショットガンを肩に掛けた。
それを見てから相棒はコルトの撃鉄を親指で押した。
その時、人差し指で引き金を引いている。
既に撃鉄を起こした銃を戻す時は引き金をゆっくりと引きながら戻すんだよ。
「女以外には予告なしで来るって話しただろ?」
「そうだったか?まったく相変わらずだな。・・・・・追われているのか?」
男が俺たちの方を見て訊ねた。
「正確には違う。今晩の宿を探しているんだ」
「泊めろって事か。まぁ、良いぜ。おーい、ブルドックが来たぞ!!」
するどドアが開いて小さな子供が5人も走って来た。
「ブルドック小父さん!!」
子供たちは相棒に抱き付いた。
「よぉ、大きくなったな?」
相棒は子供たちを一人ずつ抱き上げて笑った。
「こらこら、貴方達。ベルトランさんを困らせるんじゃないの」
苦笑まじりに出て来たのは、豊穣の女神が歳を取り更に大人になった感じの女性だった。
「久し振りだな」
相棒は口端を上げて笑ってみせた。
「そうね。それで車に居る方達は?」
「助手席に乗っているのは俺の相棒。後ろの二人は依頼人だ」
「依頼人?なるほどね。チャールズから頼まれたの」
「あぁ。相変わらず耳が良いな」
「これでも情報屋としての腕は落ちていないわ。今は引退しているけど、今でも入って来るわ」
情報屋だったのか・・・・・・・・・・
「悪いが、泊めてくれないか?」
「構わないわ。貴方には命を助けられたんだから。さぁ、入って」
「分かった。おい、行くぞ」
相棒は俺達に顎で合図した。
俺たちはボルボから降りて家に入った。
家の中は割と清潔感に溢れていた。
「テーブルに座ってて。ほら、貴方達は部屋に行く」
子供たちは「えー」と不平不満を漏らしたが、母親の言うことに素直に従った。
「子供たちはもう食べたから安心して」
「そうか」
相棒は簡潔に頷くと椅子に腰を降ろし俺達も倣った。
「おい、ブルドック。酒は何が良い?」
「そうだな・・・“マール”はあるか?」
「あぁ。あるぜ。そちらの方も良いかな?」
俺達にも訊いてくる男。
「俺は構わないぜ」
「私もだ」
「私は仕事中だから遠慮しとくわ」
エレーヌだけ断った。
ただし、俺達に棘のある眼差しを送りつけて来た。
まぁ、俺達も仕事中だから咎めるのも無理はない。
男は俺達にグラスを渡すとマールを注いだ。
ラベルには会社名が書かれていた。
モエ・エ・シャンドン社の物だ。
マールは独特の味と香りが特徴の癖のある酒だ。
だが、この癖に嵌る奴は多い。
俺たちは注がれたマールを飲んだ。
「で、そちらは元軍人かな?」
男は上座の席に腰を降ろしてウォルター爺さんを見た。
「なぜそう思うんだい?」
「分からないようにしているが、独特の動きがあるし眼も鋭い。それに・・・臭いがあるからな」
血と硝煙が混ざり合った場所を生きて来た男だと。
「鋭いね。元英国諜報部員だよ」
「英国のか。なら、俺の上さんと同じだな」
「何と。あの御婦人も英国諜報部員だったのか」
「あぁ。元Mi5だ」
「私の方はMi6だ。いや、今はSISに名前が変わったんだな」
「あぁ。年齢から察するにWWⅡ世代かい?」
「その通り。昔は飛行機の操縦もしたが、負傷してから諜報部員となった」
「なるほどな」
男は納得したように頷いた。
そこへ女が料理を運んで来てテーブルに乗せて行く。
「さぁ、食ってくれ。俺の上さん直伝の料理だ。残さず食べてくれよ?」
「分かっているさ」
相棒はナプキンを挟みながら頷くとナイフとフォークを手にした。
俺達もそれに倣い食べ始めた。
食事を進めながら男は他愛ない話を俺達にしてきた。
仕事に関しては一切、話をしないのはプロとして優秀だ。
そこへ女も混ざり賑やかになった。
そして眠る時間となった。
しかし、その前にエレーヌがリヒテンシュタイン公国にある会社に電話をしたいと言ってきた。
あまりお勧めは出来ない。
電話を盗聴される可能性もあるからだ。
ウォルター爺さんも同じようで「しなくて良い」とだけ言った。
エレーヌは雇い主に言われては仕方無いと割り切ったのか案内された部屋に消えた。
俺と相棒も同じだが、一度車に戻りトランクから武器を取り出して置いた。
俺はルガー・ミニ14を。
相棒はウィンチェスターM1300を。
予備弾などもポケットに入れてから部屋へと戻り床に着いた。