悪いのは誰だろうか? 〜婚約破棄とその後の騒動の傍観者〜
子爵令嬢エリーネ・テア・イアゲンは、付き合いのある家の夜会に参加していた。
夜会は煌びやかで賑やかだが、エリーネは自分にそういった雰囲気の場所は何となく合わないと思っている。見た目も赤茶色の髪にムーンストーンのようなグレーの目で地味であることを自覚している。
エリーネは夜会において、気心知れた友人達と壁際で話しているのが常である。
そして今回気心知れた友人達と話をしている時に、騒ぎが起こった。
「イングリット・エイラ・ファルセン! 今を以ってこの俺トルモッド・シンドレ・ブロッケンフースはお前との婚約を破棄する!」
夜会会場中央で、そんな声が聞こえた。
友人達と話をしていたエリーネは驚き、声の方へ視線を向ける。
そこには令嬢が二人、令息が一人いた。
艶やかな黒褐色の真っ直ぐ伸びた髪にアクアマリンのような青い目の、控えめで儚げな令嬢。
(あの方は、ファルセン伯爵令嬢イングリット様……)
先程婚約破棄を告げられた、イングリットである。
エリーネはイングリットの向かいに立つ令息に目を向けた。
ダークブロンドの髪にスギライトのような紫の目で、見た目は良いが何となく中身が空っぽに見える令息。彼はイングリットの向かいに立ち、そのスギライトの目で彼女を睨みつけている。
(ブロッケンフース侯爵令息のトルモッド様ね……)
エリーネは次に、トルモッドの隣に立つ令嬢に目を向ける。
ふわふわとしたストロベリーブロンドの髪にエメラルドのような緑の目。華やかな顔立ちである。
(ヴィルデ・エンブラ・ランツァウ様。ランツァウ男爵令嬢だわ)
「トルモッド様、この場で婚約破棄だなんて……理由を教えてもらえますか?」
イングリットは眉を八の字にして困惑気味である。声も少し震えていた。その様子が、周囲の庇護欲をそそる。イングリットに同情的な目を向ける者達がいたのだ。
「俺にはお前のような奴じゃなく、この美しいヴィルデの方が未来のブロッケンフース侯爵夫人として相応しいからだ!」
会場にトルモッドの声が響き渡る。
無駄に堂々としている声だ。
(トルモッド様……控えめに言ってもクズだわ)
エリーネのムーンストーンの目はスッと冷え、トルモッドを軽蔑していた。友人達も、「トルモッド様、最低じゃない?」、「イングリット様が可哀想だわ」とヒソヒソと話している。
「イングリット、お前のその冴えない顔は不快だ! 今すぐ俺の前から消えろ! この夜会から出ていけ!」
「イングリット様、恨むなら私みたいな華やかさのない容姿を恨みましょうね」
トルモッドとヴィルデ。二人揃って最低な言葉を放つ。
「そんな……」
イングリットは悲しそうな表情になる。
(冴えない……ね。あの二人の目は節穴なのかしら?)
エリーネから見ても、世間的に見ても、イングリットはかなり美人な部類に入る。
(この騒ぎ、何とかしようとしても私は子爵家の人間。格上の侯爵家相手にどうにも出来ないわね)
エリーネは軽くため息をつき、友人達と傍観するしか出来ない。
その時、会場に凛とした声が響き渡る。
「そこまでにしたらどうだ?」
エリーネはハッとし、その声の方向に目を向ける。
アッシュブロンドの髪にマラカイトのような緑の目の令息。最高の芸術家が作った最高傑作のような見た目である。
「見て、イェルゲン様よ!」
「ギュレンレーヴェ公爵家次期当主の……!」
「相変わらず素敵ね」
その令息――イェルゲンを見て令嬢達は表情をうっとりさせ、令息達は尊敬の眼差しを向けている。
(うわ……眩しい……)
エリーネはイェルゲンの美しさをまともに直視出来なかった。
「ねえ、エリーネ様、イェルゲン様よ。初めて見るわ」
「ええ、私もよ」
エリーネは友人からの言葉にそう答える。
(イェルゲン・トルステイン・ギュレンレーヴェ様……! このウォーンリー王国貴族の中でもかなり大きな力を持つ、ギュレンレーヴェ公爵家の長男……!)
エリーネは自身にとって雲の上の存在の登場で恐縮してしまった。友人達も、畏敬の眼差しをイェルゲンに向けている。
「公然の場において身勝手な理由でイングリット嬢に婚約破棄を突き付け、更には侮辱する。君達二人は最低だな。紳士淑女としてあるまじき行為だ」
イェルゲンはイングリットの前に庇い立ち、トルモッドとヴィルデを糾弾する。
そして、イングリットに対して微笑む。そのマラカイトの目は、とても優しく見えた。先程トルモッドとヴィルデに向けていた冷たい目とは大違いである。
「イングリット嬢、私は君の味方だ」
王子様のようなその表情は、見ていてうっとりする程である。
エリーネの友人達も、「素敵……」と呟いていた。
(確かに素敵だけれど、力を持たないイアゲン子爵家の私には縁のない話ね)
エリーネも思わず胸をときめかせつつも苦笑した。
「ありがとうございます、イェルゲン様」
イングリットも白磁の頬をほんのりと赤く染め、アクアマリンの目を輝かせていた。
その後、トルモッドとヴィルデはイェルゲンと夜会主催者が呼んだ騎士達により会場から追い出され、この騒動は一旦収まるのであった。
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翌日。
エリーネは友人が主催したお茶会に参加していた。
「エリーネ様は、今日の新聞お読みになったかしら?」
友人に聞かれ、エリーネは「ええ」と頷く。
エリーネは朝読んだ新聞の内容を思い出した。
新聞には時々貴族のゴシップ記事が書かれていることがある。
この日は先日のトルモッドとヴィルデが起こした騒動のことが書かれていた。
一方的に婚約破棄を告げられたファルケン伯爵令嬢イングリットはギュレンレーヴェ公爵令息イェルゲンに華麗に助け出され、ブロッケンフース侯爵令息トルモッドとランツァウ男爵令嬢ヴィルデは成敗された。おまけにイェルゲンは元々密かにイングリットに好意を寄せていたとか。
記事の内容をまとめるとこんな感じである。
記事によると、目撃者多数ということで、イングリットとトルモッドの婚約はトルモッド有責で破棄されたようだ。ブロッケンフース侯爵家とランツァウ男爵家は、ファルケン伯爵家に賠償金を支払う羽目になったのである。
更にあの後、イングリットは新たにイェルゲンと婚約したようだ。
「ピンチの時に王子様のように登場して助けられる。素敵よね」
友人は焼き菓子を食べながらうっとりとしている。
「まあ……分からなくもないわ。昨日の今日で婚約破棄して新しい婚約は……早すぎる気もするけれど」
エリーネは音もなく紅茶を啜り苦笑した。
すると別の友人が口を開く。
「きっとそれだけイェルゲン様がイングリット様を想っていたということではないかしら。イングリット様も、イェルゲン様に助けられたことで憎からず思っていることでしょうし」
「そうよね。まあ私達下級貴族には上級貴族の素敵な男性が迎えに来てくれるなんてきっと縁のないことだけど、こうして見ている分は楽しいわよね」
「そうそう。まるで演劇を鑑賞しているみたいだわ」
友人達は鈴の音がなるような声でクスクスと笑いながら楽しんでいる。
「演劇鑑賞ね。確かに、言い得て妙だわ」
エリーネはフッと笑い、再び紅茶を音もなく啜った。
(きっと社交界の中心にいるのはイングリット様やイェルゲン様。私達は隅の方にいる傍観者ね)
数日後の夜会にて。
エリーネが思った通り、イングリットとイェルゲンは多くの人に囲まれていた。
二人は微笑みながら対応している。
その時、会場にトルモッドとヴィルデが入場して来た。
騒ぎを起こした当事者なので当然冷たい視線が彼らへ向けられる。
その時、丁度イングリットの声が聞こえる位置にいたエリーネは、彼女の声を聞く。
「私……もうトルモッド様とヴィルデ様には会いたくないわ」
生糸のように細く控えめな声だったが、はっきりと聞こえた。
イングリットはアクアマリンの目を少し悲しそうに潤ませている。庇護欲をそそる表情だ。
「確かにイングリットを傷付けた奴らだ。許せはしないな」
イェルゲンはイングリットを守るように肩を抱いた。
すると周囲に群がっていた者達は動き出す。
「おい、どうしてお前らが夜会にいる?」
「この前イングリット様を傷付けて騒ぎを起こしたお二人達に対して他の皆様も疎ましく思っていますのよ」
「早く会場から出て行ってくださらない?」
「こうしたら出ていけるよな」
トルモッドとヴィルデは囲まれた挙句、来ていたジャケットやドレスにワインをかけられてしまった。二人揃って淡い色のジャケットやドレスだったので、真っ赤なワインの染みが目立ってしまう。
「とんでもないことになったわね」
「ええ。まるで演劇の演目が変わったかのよう」
「でも、私達力のない下級貴族が下手に関わるべきじゃないわよ」
エリーネの友人達は、夜会会場の隅の方で軽食を食べながらただ呑気に傍観するだけである。
「まあ……確かにそうね。イェルゲン様とイングリット様は未来のギュレンレーヴェ公爵家当主と未来のギュレンレーヴェ公爵夫人。忖度するわよね。下手に関わって家が取り潰されたりでもしたら大変だわ」
エリーネも苦笑しながら友人達と同じように傍観するのであった。
ふとイングリットとイェルゲンに目を向けると、二人は幸せそうにお互い顔を見合わせて談笑している。
二人の世界に浸っていた。
イングリットとイェルゲンは別にトルモッドとヴィルデを排除しろと命令したわけではない。周囲が二人に忖度して動いただけである。
その後の夜会や晩餐会などの社交界イベントでも、このようなことは続いた。
イングリットとイェルゲンは決してトルモッドとヴィルデを攻撃して排除しろとは言わない。周囲が勝手に忖度してトルモッドとヴィルデを徹底的に攻撃するだけである。
「俺達は確かにイングリットに酷いことをしたと思ってるし反省もした! だからもうやめてくれ!」
「これ以上私達に何をしろと言うのです!?」
過剰な制裁を受け続けているトルモッドとヴィルデはそう泣き叫ぶ。
イングリットとイェルゲンは、トルモッドとヴィルデに制裁をしろと命じたわけではない。周囲が勝手に忖度してやっているだけである。おまけにイングリットはトルモッドとヴィルデの話を聞きたくない、もう忘れたいと言うので周囲はまだまだ二人に制裁を加え続けていることを話さない。
「こんな目に遭いたくないならイングリット様に謝罪しろ!」
イングリットとイェルゲンに忖度して動く者の中にはそう言う者もいた。
「正直な話、トルモッド様とヴィルデ様には絶対に会いたくないの。手紙も届くのだけど、読まずに捨てているわ」
一方、イングリットはアクアマリンの目を潤ませて困ったような表情をしながらこう言うのである。
それにより、直接の謝罪も手紙による謝罪も出来ないトルモッドとヴィルデは、いつまでもイングリットに謝罪しない最低な人間と後ろ指を指され、ずっと陰湿な嫌がらせをを受け続けるのであった。
イングリットとイェルゲンはトルモッドとヴィルデの現状を知らずに幸せを享受しているのだ。
そして、月日が経過したある日。
エリーネは仲間内で開催されるお茶会に来ていた。
ここ最近友人達とはそれぞれ予定が合わず、十日振りに会うのだ。
「エリーネ様、一週間前の新聞読みました? トルモッド様とヴィルデ様のこと」
「ええ。……トルモッド様とヴィルデ様、自殺なさったことでしょう」
エリーネは一週間前の記憶を呼び起こす。その時読んだ新聞の一面記事には、トルモッドとヴィルデが自殺したと書かれていた。
「自殺は宗教上最も禁忌と。神への冒涜とされる。だから、自殺者の家族も連座で罰を受けることになるのよね……」
エリーネの友人の一人がポツリと呟く。
「丁度一週間前に参加した夜会ではその話題で持ち切りだったわ。奴らはついに神を冒涜したと仰る方もいらしたし、今までの過剰な制裁のせいだと仰る方もいらしたわ」
「でも、私が参加した夜会では過剰な制裁のせいだと言った方が攻撃されていましたわ。イェルゲン様とイングリット様を悲しませることを言うなと」
「……やはり賛否両論あるのね」
エリーネは友人達から夜会の様子を聞き、ポツリと呟いた。
(イングリット様を侮辱して、家同士の契約のはずの婚約を身勝手な理由で破棄したトルモッド様。未来のブロッケンフース侯爵夫人の座を奪おうとしたヴィルデ様。この二人が悪いのは確か。だけど……)
エリーネは婚約破棄騒動の後、二人が受けた過剰な制裁について思い出す。
(イングリット様とイェルゲン様。あの二人はトルモッド様とヴィルデ様を排除するよう命じてはいない。ただイングリット様がトルモッド様とヴィルデ様の顔を見たくない、会いたくないと言い、イェルゲン様がイングリット様を守ろうとしただけ。周囲が勝手に忖度して動いていた。イングリット様とイェルゲン様は何も知らなかったみたいだし……悪いわけではないわね。問題は……)
エリーネの脳裏に、トルモッドとヴィルデに制裁を与えていた者達の表情が浮かぶ。
「トルモッド様とヴィルデ様に色々とやっていた人達、自分は正義の為にやっていると言っていた人もいたわ」
「確かにいたわね。でも、あの二人が自殺したことが新聞に出た日の夜会では、何度も殴って遊べる玩具がなくなってつまらなくなったと言う人もいたわ」
友人達は紅茶を飲みながらそんなことを話す。
(正義……ね。それって本当に正義なのかしら? それに、やらかした相手ならどんな扱いをしても良いという考えは……正直どうかと思うわ)
エリーネはムーンストーンの目を曇らせた。
紅茶は、いつもより味気なく感じてしまう。
「でも、私達力をほとんど持たない下級貴族に何か出来ることはあったのかしら?」
「イェルゲン様のギュレンレーヴェ公爵家に睨まれてしまえば、弱小貴族なんてすぐ潰れてしまうわ」
「そうよね。私達は社交界で繰り広げられるゴシップを端っこで鑑賞するのが一番よね。平和に行きましょう」
エリーネの友人達はそんな風に話をしている。
(まあ、止めずに傍観していた私達も問題があるかもしれないけれど。まあ、誰かが何かをやらかしても、必要以上に責め立てないことね)
エリーネはフッと苦笑するのであった。
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現代でも少しやらかしただけで徹底的に叩いて来る人いますよね。




