表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

5/7

第5話 SS5 瀬戸際のお嬢様と、不屈の「夜学」、そして…

1

 ニセコでのクラッシュから二週間。場所を再び陸別に戻しての強化合宿だが、練習走行テストの現場には重苦しい空気が流れていた。

 陽葵の走りは、誰の目にも明らかに変質していた。


「……また、ブレーキを早く踏みすぎですわ」

 インカムから流れる麗華の声に、陽葵はビクッと肩を揺らす。

 かつての「パニック全開」の勢いは消え、今の彼女はコーナーの手前で執拗に減速し、恐る恐るハンドルを切る。紗季の動きをトレースした輝きは、深い森の向こうに隠れてしまった。


 コースサイドで見守る紗季が、ため息をつく。

 (完全にトラウマやな。あいつの目ぇには、コーナーの先に死神でも見えとるんか……)


2

 その日の夜。陽葵はコテージの影で、麗華が実家と電話で話しているのを偶然耳にしてしまった。

 「……ええ、分かっておりますわ。お父様。……はい、ラリー北海道の結果がすべて、ですわね。……もし入賞を逃せば、自動車部の廃部と、マシンの売却。……学園理事のお言葉、異存はありませんわ」


 電話を切った麗華の、いつもの余裕を感じさせない横顔。

 陽葵は衝撃に立ち尽くした。麗華がこれまで惜しみなく注いできた財力も、あのパステルピンクのヤリスも、すべては彼女が実家と取り交わした、退路のない「賭け」の上に成立していたのだ。


(麗華先輩は、自分の居場所を懸けてまで、私を信じてくれたのに……!)

 情けなさと申し訳なさで、陽葵はその場に座り込んだ。

 自分がブレーキを踏むたびに、麗華の野望が、自動車部の未来が削られていく。

 そう思うと、余計に身体が竦んで動かなかった。


3

「……自分、何地べたに根ぇ生やしとんねん。筋トレの最中か?」

 不意に背後から声をかけられた。

 見上げると、月明かりを背に、紗季がいつもの不敵なニヤケ顔で立っていた。その横には、ボコボコの、しかし凶暴なまでの威圧感を放つランエボIII。


「紗季さん……私、もうダメかもしれません。麗華先輩の期待も、部の未来も、全部私のせいで……」

「アホ。麗華の家の事情なんて、麗華が自分でカタつければええことや。自分に関係あるんは、この先の道だけやろ」

 紗季はエボの助手席のドアを乱暴に開けた。

「乗れ。今夜は寝かせへんで。……約束通り『横転女王』の、ホンマもんの授業を見せたるわ」


4

 深夜、一般車をシャットアウトした私有地の林道。漆黒の闇の中、エボIIIの四連補助灯が鋭く夜を切り裂く。

 「ええか陽葵。ラリーはな、綺麗に走る競技やない。……泥を啜ってでも、必ず最後に帰ってくる、そんな競技なんや!」


 紗季が叫ぶと同時に、エボIIIは狂気のような速度でコーナーへ突っ込んだ。

 次の瞬間、過重移動をわざと破綻させたかのように、車体がふわりと浮き上がる。

 「あ……っ!」

 陽葵の視界が、スローモーションで回転した。


 ガシャ、ガシャ、ガシャァッ!

 金属が地面を叩く絶望的な音。世界が3回転し、凄まじい衝撃とともに天地が逆転する。

 静寂。

 陽葵は恐怖で息もできない。

 逆さまの視界。

 フロントガラスはクモの巣状に割れ、屋根はひしゃげ、右のライトは死んでいる。 だが、紗季は真っ暗な車内で、血の混じった唾を吐き捨てると、不敵に笑ってイグニッションキーを回した。


 ドォォン!  爆音とともに、4G63エンジンが再び咆哮を上げた。

 「……紗季さん、車が……もうボロボロです……」

 「アホ。どこがや? エンジンは回っとる。足も動く。ステアリングも生きとる!」


 紗季は力強くギアを叩き込み、片目になったエボIIIを再び猛加速させた。ひしゃげたボディを振り回しながら、以前よりも激しいドリフトで闇を駆け抜ける。


「見たか陽葵! マシンが生きてる限り、ドライバーが諦める理由なんて、この世に一行も書かれてへんのや!あんたがビビってブレーキを踏むんは、道が怖いんやない。……傷つくのを恐れとるだけや!」


 その横顔を見て、陽葵の目から涙が消えた。

 崖から落ちたって、車がひっくり返ったって、エンジンさえ生きていれば、また前を向ける。

 完璧じゃなくていい。お嬢様らしくなくていい。

 泥だらけになって、格好悪く、這いつくばってでも——あのゴールまで、麗華先輩を連れて行きたい。


「……紗季さん。……もう一度、お願いします! 今度は、私にハンドルを握らせてください!」

「ははっ! ええ目になったやんけ! ほな、夜明けまで全開フラットアウトで行くでぇ!」


 

5

 朝日が稜線をなぞる頃、ようやくエボⅢはコテージへと帰還した。

 リアバンパーをどこかの森に置き去りにし、歪んだボディに新たな「勲章」を刻んだその姿は、夜通しの激闘を物語っていた。


「ええつらになったな、陽葵」

「すみません……なんか、やりすぎました」

 陽葵は笑った。昨日までの怯えを脱ぎ捨てた、強さと脆さが同居する、ドライバーの顔だった。


 エボから降りると、朝もやの中に人影があった。麗華だった。

 すでにレーシングスーツを纏い、ヤリスを背に凛と立っている。

「モーニングサービス前に、もう一本いかがかしら?」


 促されるまま、パステルピンクのヤリスに乗り込む。アイドリングの鼓動だけが、冷たい朝の空気を震わせていた。

 

 沈黙を破ったのは、麗華だった。

「桜華女子大自動車部は、わたくしが入学と同時に立ち上げたサークルですわ」

 フロントガラスの向こう、霧に煙る林道を見つめたまま、彼女は独白するように続けた。

「北欧でラリーに出会い、この競技にすべてを奪われました。……いえ、すべてを与えられました」

「……」

「三年間。部員は、わたくし一人でした」

 淡々とした言葉。だが、陽葵にはその「三年」という歳月の重みが、心臓を直接掴まれたように響いた。

「諦めることも考えました。……ですが」

 麗華が、初めて陽葵を射貫くように見る。

「あなたが現れた」


 陽葵の胸が、静かに、そして激しく熱を帯びる。

「路面を恐れず、路面を愛し、走ることを心から楽しんでいるドライバー。……そんな方を、わたくしは初めて見ました」

「……先輩」

「ラリー北海道は、わたくしの賭けですわ。部の未来も、わたくしの未来も。――そして」


 一瞬だけ、麗華の声が揺れた。


「あなたと走り続けられるかどうかも」


 陽葵は、深く、深く息を吸い込んだ。

 もう、恐怖の居場所はどこにもなかった。

 崖も、クラッシュも、横転も。その痛みと、その先の光を、昨夜、紗季から教わった。


 壊れても、また始めればいい。

 そして、泥を啜ってでも、たどり着けばいい。


 ――それが、ラリーだ。


「……私、走ります」

 麗華が、驚いたように目を見開く。

「綺麗じゃなくていい。格好悪くてもいい。……それでも」

 陽葵は、麗華の瞳をまっすぐに見つめ返した。

「麗華さんと、一緒にその先へ行きたいです」


 静寂。

 やがて麗華の唇が、震えながら弧を描いた。

「……ありがとうございます」

 その声は、万感の想いを堪えるように潤んでいた。

「陽葵さんは――本当に素敵な淑女。……いえ」

 誇らしげに、確信を込めて言い直す。

「最高の、ラリードライバーですわ」


 朝日が林道を黄金色に染め上げる。

 新しい一日が、そして成瀬陽葵というドライバーの、本当の物語が始まろうとしていた。

 陽葵はステアリングを握りしめ、アクセルを床まで蹴り込む。


 ――私は、走る。


 それは、パニックによる暴走ではない。

 自分自身の意志で選んだ、覚醒のフラットアウトだった。


※続きが気になりましたら、ブックマークや下の「☆☆☆☆☆」から評価をいただけると、陽葵ひまりたちの挑戦を応援する大きな力になります!

桜華女子大自動車部の物語を、ぜひ最後まで見守ってください。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ