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第3話 SS3 熱砂の監獄! 陸別合宿は地獄(三ツ星)の味

1

 この三ヶ月、成瀬陽葵の日常は、マニキュアの色を選ぶ時間が「減衰力のセッティング」に悩む時間へと塗り替えられていた。


 五月。北海道地区ダートトライアル選手権。半ば強制的に参加させられたと思った次の瞬間には、現場で国内B級ライセンスを取得。さらにその勢いのまま、全日本ダートトライアル選手権・砂川戦へ。

 初めての全日本公式戦で砂埃に巻かれ、パニックでアクセルを床まで踏み抜いた陽葵は、なぜかクラス上位に食い込むタイムを叩き出し、周囲を唖然とさせていた。その翌週、麗華に「お祝いですわ」と高級スパへ連行され、とろけるようなマッサージを受けた直後、微笑みと共に差し出されたのは、国内A級ライセンスの申請書だった。


 六月。TGRラリーチャレンジ、蘭越ニセコ戦。

「ニセコの美味しいジェラートを食べに行きましょう」という麗華の言葉を信じた陽葵を待っていたのは、初心者向けのラリーと言われながら、圧倒的な完成度を誇るパステルピンクのGRヤリスのステアリングと、インカム越しに響く冷酷なまでに正確な麗華のペースノートの囁きだった。


 七月。全日本ラリー選手権、ラリーカムイ。

 オープンクラスでの参戦。もはや陽葵に拒否権はなかった。

「次のSSをノーミスで走りきれば、小樽の隠れ家カフェでアフタヌーンティーを予約してありますわ」

 麗華の差し出す「飴」に釣られ、陽葵は泥を跳ね上げ、岩を削り、林道を爆走した。気づけば、かつて白く細かった彼女の手のひらには、ステアリングを握りしめた証として、小さな肉刺まめが消えずに残るようになっていた。

 

 そして、八月。

 日本一寒い町として知られる十勝・陸別町は、この時期、ラリーストたちにとっては日本一「熱い」修羅の聖地へと変貌する。十月に控えた国内最大級のラリーイベント——アジアパシフィックラリー選手権(APRC)と併催される全日本ラリー選手権、その三日間に及ぶ長丁場の大舞台に向けて、各チームがテストに余念がないからだ。

 もちろん桜華女子大学自動車部にとっても同様だ。各チームのスケジュールに混じり、彼女たちは強化合宿を敢行していた。


「あうぅ……もう、腕が上がりません……」

 陽葵は、ヤリスのボンネットに突っ伏していた。

 合宿三日目。早朝から陸別の超高速グラベル(砂利道)を何百キロと走り込み、路面からの激しいキックバックで陽葵の細い腕の神経は擦り切れるように痛み、握力は限界を迎えていた。


「あら陽葵さん、情けないですわ。まだ午前の”お散歩”セッションが終わったばかりですわよ?」

 麗華は、激しい走行後とは思えない涼しげな顔でノートを整理している。その横では、紗季が泥だらけのエボIIIの影に寝転がり、オイルの染みたタオルを顔に乗せていた。

「……陽葵、あきらめろ。麗華の『お散歩』は、普通の人間にとっては死の行軍や……」


2

 時計の針が正午を回った。

「さて、ランチにしましょうか。今日は林道を出る時間が惜しいので、こちらに用意させましたわ」

 麗華がスマートフォンの画面を優雅にスワイプする。

「えっ、でもここ、携帯の電波も怪しい山奥ですよ? コンビニなんて車で三十分は……」


 陽葵が言いかけたその時、上空からバリバリバリという巨大な重低音が響いてきた。ヤリスやエボIIIの排気音とは違う、空気を引き裂くような音。

「……ヘリ?」

 呆然と見上げる陽葵たちの前で、九条院物産のロゴが入った真っ白なヘリコプターが、林道のわずかな開けたスペースにホバリングを始めた。


 ロープが降ろされ、白い制服を着たスタッフが次々と降りてくる。彼らは手際よく折り畳み式のテーブルに真っ白なクロスを広げ、銀の食器を並べ始めた。

「本日は、札幌の三ツ星フレンチからシェフを呼び寄せましたの。過酷な道には、やはりしっかりとしたフォアグラのパテが必要ですわ」

「林道でフォアグラ!? 先輩、これケータリングの域を超えてますって!」

「お嬢、自分……ほんま、えげつないな……」

 紗季ですら、ヘリが巻き上げる風に金髪をなびかせながら、口をあんぐりと開けていた。


3

 午後のセッション。贅沢なランチで体力を回復させた(胃は重くなった)陽葵に、紗季の「夜学」が始まる。

 宿泊先は、麗華が押さえた陸別のコテージ。だが、そこは安らぎの場ではなかった。


「ええか、陽葵。昼は麗華の金でフレンチやけど、夜は陸別の『野生』を食らうんや。それがここの掟や!」

 コテージのテラスで用意されていたのは、地元の猟師から仕入れたばかりの鹿肉ジビエの炭火焼きだった。

「鹿肉……! 迫力ありますね」

「こいつを食うて、エゾ鹿の瞬発力を自分の血にするんや。……なあ麗華、お嬢様にはちょっとワイルドすぎたか?」

 紗季がからかうように言うが、麗華はナイフとフォークを鮮やかに使い、鹿のロースを一口運ぶと、満足げに微笑んだ。


「素晴らしいわ。この命の力強さ……。陽葵さん、この鹿のように、次のSSスペシャルステージでは路面を力強く蹴り飛ばすイメージを忘れないでくださいませ」

「は、はい! (……この先輩、やっぱり一番ワイルドだ……)」


4

 ジビエの宴の最中、麗華がふと夜空を見上げて呟いた。

「陽葵さん。……ARK300のエントリー、完了しましたわ」

「ARK300……地区戦ですけど、ラリー北海道の前哨戦ですね」

「ええ。そこが、貴女が本当の意味で『ラリースト』になれるかどうかの最後の試金石。今の貴女の、恐怖を置き去りにするフラットアウトの才能なら、完走は容易でしょう。ですが――」


 麗華がゆっくりと陽葵を振り返る。その澄み渡った瞳に、月の光が冷たく反射した。

「……勝ちに行きますわよ、陽葵さん。並みいる強豪の鼻を明かしてこそ、桜華の名にふさわしいですわ」


 陽葵は、鹿肉を噛みしめながら、自分の中に眠る「何か」が熱く疼くのを感じた。

 恐怖は消えない。けれど、この異常なまでの環境と、背中を押す――あるいは逃げ場を塞ぐ――先輩たちの期待が、陽葵を未知の領域へと押し上げようとしていた。


「……やってやります。私、勝ちたいです!」

「言うたな陽葵! ほな、今晩から全開走行の距離を二倍にするで! 人生横向きや!」


 陸別の星降る夜に、女子大生たちの笑い声と、時折響くエボIIIの乾いた空ぶかしの音が静かに溶けていった。


※続きが気になりましたら、ブックマークや下の「☆☆☆☆☆」から評価をいただけると、陽葵ひまりたちの挑戦を応援する大きな力になります!

桜華女子大自動車部の物語を、ぜひ最後まで見守ってください。

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