第1話 SS1 お嬢様、その「ドライブ」は命がけですわ
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北の大地、北海道の心臓部——札幌市。
四月、雪解けの泥濘が春の光に乾きはじめ、大通公園の芝がかすかに緑を取り戻していた。中心部を貫く整然とした碁盤の目の街並みには、真新しいスーツや制服に身を包んだ若者たちが溢れ、期待と不安の入り混じった熱を帯びていた。
その札幌の歴史を象徴する北区の一角。創立100周年を超える名門・桜華女子大学のキャンパスでは、新入生たちの「サークル選び」という名の楽しくも激しい格付けレースが繰り広げられていた。
「……ああ、どうしよう。やっぱりテニスサークルやダンスサークルは、あんなに大人数で騒いで……キラキラしすぎて私には場違いだわ。もっとこう、一人一人の時間を大切にするような、品のある活動はないかしら」
成瀬陽葵は、新入生を強引に連れ去ろうとする運動部の喧騒から逃げるように、サークル案内を抱え直した。
彼女の育った関東圏に比べて、日差しは春だが、まだまだ寒風のあるキャンパスの通りに歩みを進める。
ゆるく巻いた新入生らしい柔らかいダークブラウンの髪を揺らし、フリルのついた白いワンピースの裾を気にする彼女は、集団のノリは苦手だが、自分を高める「優雅な嗜み」には人一倍の憧れを持っていた。
この北の大地へやってきた陽葵には、静かな夢があった。
「週末には可愛い車で一人、北の大地をドライブ。湖畔のカフェでシフォンケーキと一緒にティータイムを楽しんだり、かわいい車で『お上品な大人の運転』ができる素敵な女性……私みたいのでも、似合うかな。」
関東でも山間だった実家の両親からは「北海道の道は、状況に応じてギアを選べるMTの方が絶対に安全だ」と強く説得され、必死の思いでMT免許を取得した。路上経験は周囲の山道をそれなりに走ってきたが「MT車を運転できる私、もしかして知的で格好いい女性っぽくて素敵かも!」と、親の言葉を自分に都合よく解釈していた。
そんな時、メインストリートの端で、新入生も含めて女子学生たちが遠巻きに眺めている一角があった。
視線の先にあったのは、一枚の看板と、その横に展示されたパステルピンクの小さな車。
『初心者歓迎。最新シミュレーターで素敵なドライブ・マナー、お教えいたしますわ。 ——桜華女子大学 自動車部』
「自動車部……? 名前は少し武骨だけど……あのピンクの車、3ドアですっごくおしゃれ! それに『マナーをお教えしますわ』なんて……。ここならきっと、騒がしい人たちもいなくて、可愛い車を愛でつつお茶会のような活動をしているんだわ!」
周囲の在学生たちが「関わったら最後」と漂わせる視線、その不穏な空気に気づかない陽葵は、理想の自分に出会える予感に胸を弾ませ、その車と同じパステルカラーのテントへと足を踏み入れた。
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テントの中には、名門の雰囲気が似合う令嬢そのものな先輩学生が、たった一人、優雅に扇子を動かしながら座っていた。
「あら、体験ご希望かしら? では、まずはこちらに記帳をいただけますかしら」
陽葵は丁寧な字で『成瀬 陽葵・文学部1年』と記入した。それを見た桜色のリップの口元が、獲物を定めたように綻ぶ。
「陽葵さん、ですわね……。1つ伺ってもよろしくて? 貴女、マニュアル(MT)車は乗れて?」
「あ、はい! 両親に勧められてMT免許を取りました! クラッチ操作は……たぶん、大丈夫です!」
「素晴らしいわ。路面と車を敬うマナー。そうですわね……まずはこのシミュレーターで、貴女の『素養』を拝見させてくださいませ」
3枚の巨大モニタを備えた異様な装置。
教習所でみたシミュレーターなんかより仰々しい装置に思える。
陽葵がシートに座り操作を始めると、画面内は突然、深い轍のある砂利道へと変わった。
「キャッ! 滑る、どうしよう!」
パニックに陥った陽葵は、ブレーキどころか、あろうことかアクセルを底まで踏み抜き、反射的に電光石火のシフトアップを見せた。
彼女は手元のタブレットに転送されるログデータを、熱心に凝視していた。そこには、パニック状態にもかかわらず、一切の迷いなく100%開けられたアクセル開度グラフと、電光石火のシフトワークが刻まれている。コースというには憚れる砂利道を何周も走り回る。
「……ふふ。完璧ですわ、陽葵さん。貴女が唯一の『合格者』ですわ」
(……やっと見つけましたわ、私のドライバー)
彼女はパチンと優雅に扇子を閉じると、立ち上がって深々と一礼した。
腰まで届く透き通るような黒髪が、動作に合わせてシルクのように滑らかに流れる。顔を上げた一点の曇りもない澄み渡った瞳が陽葵を射抜いた。
その瞳は、彼女が背負う家柄の厳格さと、底知れない美しさ、そして獲物を決して逃さない執念を物語っていた。
「自己紹介が遅れましたわね。私は法学部3年の九条院麗華。この自動車部の部長を務めておりますの。ようこそ、我らが学び舎へ」
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「さあ、入部届という名の『契約書』にサインを。早速ですけれど、実技研修に参りますわね」
麗華は展示されていたピンクの車の運転席へ、流れるような動作で乗り込んだ。
「陽葵さん、助手席へ。こちらのキャンパスでは手狭ですので、お隣の国立北旺大学さんにガレージと整備もお願いしていますの」
麗華がコンソールのスタータースイッチを深く押し込む。
その瞬間、地響きのような太い排気音が周囲の空気を震わせ、地面が微かに揺れた。
「わあ、すごい! 頼もしい音ですね! 北海道の広い道を走るには、これくらい力強い音のほうが安心感があって素敵です!」
「……ええ。とても『安心』して踏める車ですわ」
「あの、先輩、このお車、なんて名前なんですか?」
「トヨタのヤリスですわ」
「ヤリス! 聞いたことあります」
「それはそれは……GR、ですけれど」
麗華の最後のつぶやきは、野太いアイドリングにかき消された。この時、陽葵はまだ知らなかった。
それが麗華の外交力でワークスチームから引き出されたベースマシンであることを。
「これ3ドアでおしゃれだし、お買い物にも良さそう!」
「ええ。予備のタイヤや重いパーツもたくさん積めますし、とても『お買い物』に向いた車ですわ。……しっかり掴まっていてくださいな」
ピンクのヤリスは桜華女子大の正門を滑り出し、目と鼻の先にある北門と呼ばれる入口から北旺大学の敷地へと吸い込まれる。
地下鉄の駅がすぐそばにあり、お洒落なベーカリーやカフェが点在するこの界隈の明るい街並み。しかし広大な北旺大のキャンパスに入り、有名なポプラ並木を横目にメインストリートを北上していくと、徐々に景色は一変する。
観光客も多い華やかな学部棟通りを通り過ぎ、農場や温室が広がるエリアを越え、工学部のさらに北側——。舗装されていた道はいつの間にか砂利混じりの土へと変わり、左右を鬱蒼とした原生林に挟まれた一本道に入った。
「あの……先輩? どんどん景色が暗くなっていくような……。本当に、大学の敷地内なんですか……?」
陽光が木々に遮られ、昼間とは思えない寒々しい空気が漂う。陽葵の声が不安に震える中、ヤリスの足元はゴツゴツとした岩のような衝撃を拾い始めた。
「ええ、ここからが北旺大の『裏の顔』。一般の方や軟弱な学生は立ち入りを遠慮していただいている聖域ですのよ」
原生林を抜けた先に突如現れたのは、廃屋寸前のトタン屋根のガレージ。周囲にはひっくり返った軽自動車や「鉄の残骸」が積み上がる伏魔殿――「北のダートの雄」が集う、国立北旺大学自動車部の心臓部だった。
陽葵の背筋に冷たいものが走ったその時だった。
バリバリという爆音と共に、塗装の剥げた白い怪物——三菱ランサーエボリューションIIIが、砂煙を上げて陽葵の目の前でスピンターンを極めて止まった。
「おっ!麗華! また新しい”素材”連れてきたんか!」
運転席から飛び出してきたのは、金髪を乱暴に結び、真っ黒なオイルの染みたツナギの肩をはだけさせた東村山紗季だった。
(ひっ……! な、何この人。怖い、怖すぎる……!)
陽葵は恐怖のあまり、ヤリスのシートに身を縮めた。
「コーチをお願いしています北旺大の東村山紗季さん。こう見えて文学部3年の方なの」
「『こう見えて』は余計や、麗華」
かっかっと笑いながら鋭いツッコミを入れた紗季に、陽葵は白目を剥いた。
「文学部!? 嘘だ、絶対どっかの武闘派だ! 不良だ!ヤンキーだ!生き延びられる気がしない!」
そんな陽葵の抗議にニヤニヤしながら麗華の横に立ち、彼女が持つタブレットの解析データを覗き込んで関心げな笑みを浮かべる。
「……ふ~ん、陽葵っていうんか。パニックで踏み抜くMT娘、 ええ”素材”やね。ちなみに、このピンクのヤリス、外装は大人しいけどな、中身はウチらが『マナー』を詰め込んだ全日本仕様の予備車やからな。自分、これに乗るんやで」
「えっ? この可愛いヤリスさんが、全日本……?」
何を言われてるんだか意味不明のまま陽葵は茫然と紗季を見上げる。
「よし、話は後や! ウチのエボは定員乗車OKやからな。麗華、陽葵、後ろ乗れ! 今から砂川まで、本物の『横向き』ってのを教えたるわ!」
「ええ、喜んで。……さあ陽葵さん、あちらの車へ。さっそくですが”マナー”の実践ですわよ」
「えっ、えっ!? 私の素敵なドライブは!? キャンパスに戻してぇー!」
有無を言わさぬプレッシャーに押され、陽葵は麗華と共にエボIIIの後部座席へと放り込まれた。ドォン! という爆発音のような排気音。
暴力的なエンジン音だが、紗季の外見と裏腹に運転はすべてがスムーズだった。
陽葵はその爆音中でつぶやく——「怖い。でも、嫌じゃない、あれれ?」
観光地としても有名な北旺大のメインストリートを白い怪物は原生林を猛然と脱出し、砂利の舞う戦場——砂川へと向かって、狂気の加速を始めた。
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桜華女子大自動車部の物語を、ぜひ最後まで見守ってください。




