北の王の次なる手
「馬鹿が……。
サマルの工作員に伝えろ。
わしが言った事以上の事はするな、何事もわしの指示に従え、とな。
余計な事をしたから、アッシリアに神の加護があるという噂が立ちおった」
ウラルトゥ(ビアインリ王国)のサルドゥリ2世が、工作員の取り纏め官を叱責していた。
彼が都市国家サマルを裏からコントロールしている。
篭絡要員を使って、次期国王クラムワと、その取り巻きを取り込んでいる。
工作員であるバグマシュティを使って、アッシリアの織物交易に楔を打ち込んだ。
それに対し、アッシュールは中継貿易都市を変え、通商路を新しく開拓する事で対処した。
思わぬ反撃だったが、サルドゥリ2世はその限界を察知する。
それは
「別に放っておいて構わない。
古来、便利だから『シリア門』を使って人々が行き交った。
放置しておけば、いつ盗賊に襲われるか不安で気が休まらない事、輸送量が小さくなる事から、元の交易路に戻る。
好きに足搔かせておけ」
という判断となる。
しかし、その指示をサマルが受け取る前に、クラムワが動いてしまった。
実態は、動くようにヤバが仕向けたのだ。
何度も動けば察知も出来るのだが、初回で「アッシリアが別の交易路を開拓している」と分かる筈がない。
ヤバは、実家の伝手を使って、あえてその情報を流したのである。
同様に情報を仕入れたサルドゥリ2世は、上記のように静観を決断。
一方のクラムワは、傭兵を使って妨害行動に出てしまった。
サルドゥリ2世は、ヤバと同じ罵倒をする。
「馬鹿王子めが」
と。
通商破壊とは、いつ襲われるか分からないからこそ、効果がある。
来ると分かっていたら、苦労しない。
それが分からん馬鹿王子め、と思っていたところ、襲撃を進言したのが自国の工作員バグマシュティだった事が判明。
それで取り纏め役を呼んで怒鳴りつけたのである。
ヤバの策は効果的だった。
アッシリアの隊商は、魔神と女神によって守られている。
この評判に、本来の山賊すら襲撃を躊躇してしまった。
そして、神が守る通商路なら、多少険しくても使うべき、そういう評判になってしまう。
つくづく、馬鹿王子と利口ぶった工作員が余計な事をしてくれたものである。
そう言いながらも、サルドゥリ2世はまだ余裕だった。
どうやら、中々潰し甲斐がある敵が出て来たようだ。
カルフ総督のプルという男、思った以上に出来る。
もう少し、念入りに潰してやらねば。
サルドゥリ2世は少し楽し気である。
巨体を揺らし、クククク……とくぐもった笑いをしながら、次の策を実行に移す。
アッシリア国内カルフ州、総督府。
総督夫人ヤバは謹慎を命じられていた。
いくら「好きにやっていい」と言われたとしても、総督の副官を強引に連れ出し、自身も勝手にフェニキアまで赴いたのはやり過ぎである。
便利な文明の利器が存在しない時代、旅は長期間に渡る。
総督夫人ともあろう者が、長期間留守にするなど以ての外。
更に男尊女卑の国アッシリアゆえに、女性が勝手に外交などしてはならないし、軍の指揮など「石打ち刑」ものだ。
だから指揮官として男性であるベル・ダンを連れ出したのであるが……。
「好きにしろ」と言った手前、クソ真面目な男ゆえに妻に対して厳罰は与えられなかったが、とりあえずしばらく大人しくしていろ、と謹慎を命じたのである。
帰国したヤバは、素直にそれに従う。
彼女は、夫の事を見直している。
彼女が帰国した時、プルは常備軍の編制を行っていた。
農繁期・農閑期問わずに戦える軍隊、それはヤバの頭にもあったが、口には出来なかった。
アッシリアという国の在り方を覆す事だから、流石に言えば激怒され、離婚される可能性もあったのだ。
しかし、プルは自ら改革する。
クソ真面目な男ゆえ、アッシリア法典を守り、その上で相続の問題点から「分割相続から外れる事で、破産を防ぐ」として長男・次男と、三男以下とを切り離して専任兵士を作ったのである。
そして、改革はそれだけに留まらない。
どこがどのような家族構成なのか、何番目の子供から兵士にして良いか、常備軍の為には知る必要がある。
そこでプルは、国王の許可を貰って土地台帳を作成する。
大規模な国勢調査を、カルフにおいて行う。
それは税収の安定化にも繋がった。
神聖国家にして軍事国家のアッシリアは、国民皆兵、税は「多い場所から多く取る」という単純明快な仕組みで運営されていた。
それに対し、プルの土地台帳は「この土地からはいくらの税を収められる、この土地は最低何人必要だ、この土地からは何が収穫出来る」という事細かな情報を記載する。
それによって、税収を土地評価によって固定化した。
「では、決められた税以上に収穫出来たなら?」
「それは君たちの収入にしろ」
こういう事で農民のやる気が倍増するという、思ってもいない効果に繋がる。
相続の共倒れ阻止をした常備軍編制と同様、プルは農民の指示をより受けるようになる。
そして、現在は駅伝制度の整備を進めていた。
河川の反乱だの、盗賊の発生だの、農家同士の諍いだの、問題は起こる。
以前はそれらを全て包括した上で
「収穫が多い土地からは多く税を取れ」
だったのだが、土地台帳制度にしたからにはそうはいかない。
情報を素早く仕入れ、対処する仕組みが必要となるのだ。
プルは、ヤバとの結婚当時は瘦せぎすで、顔色が悪かった。
しかし最近は、瘦せ型なのは変わらないが、通常体形になっている。
病的だった容姿は改まり、顔色も相当に良くなっていた。
プルはとにかくクソ真面目な男である。
ウラルトゥに圧迫され、領土拡大は止まり、権臣たちが国庫を食い者にする社会。
そこに下級貴族から総督に抜擢されたのは、彼が厳格な税務官僚だったからだ。
総督となった彼は、税の取り立てをしっかりと行う。
だが、税務をこなすにつれ、プルは砂地に水を撒くような虚しさに囚われるようになった。
いくら税を取っても、王は何も行動を起こさない。
灌漑も農地開発も都市建設も何もしない。
その上、祭事だといって臨時の貢納要求を連発する。
彼が真面目でなければ、王宮からの命令に従って、民から多くを取り立てただろう。
しかし、クソ真面目な男は、これ以上税の取り様が無いと分かる。
もう民に負担を強いれない。
農民とはいっても、戦争時は肩を並べて戦う兵士たちだ。
それを困窮させて良いものか!
総督府から王宮への貢納は、別に民に頼らずとも良い。
総督が自前で商売をして、そこで得た富を使っても問題はない。
クソ真面目な男は、その道を選んだ。
そして、胃を痛める程のストレスの中、民即ち兵士の生活安定と、王宮からの度重なる貢納要求に応える為の資金繰りを続けていた。
この時期、疫病も流行し、彼の前妻はそれで命を落とす。
疫病は内乱を呼び、幾つかの総督はウラルトゥの後ろ盾で反旗を翻した。
それを鎮めた最高司令官シャムシ・イルは、自分を讃える碑文をあちこちに建立し、その費用をプルたちに求める。
こんな状態のプルは、健康状態の悪化も手伝って、視野狭窄に陥ってしまった。
自分がどうにかして王宮の要求に応えながら、きちんと任地の統治も行う。
この頃には、均等相続に弊害が出るようになって来た。
しかし、この時期のプルには
「領土拡大の戦争を行うしかない、しかし我が王は何もしてくれない。
それでも我が王には忠誠を尽くさねばならない」
と、袋小路に迷い込む思考しか出来なかったのだ。
これが改善されたのが、後妻であるヤバを迎えた事である。
ヤバは、プルが制御出来るような女性ではなかった。
彼女は男尊女卑のアッシリアの枠内で、収入を大幅拡大する離れ技をやってのける。
この収入は、王宮の要求に十分応えてもお釣りが来るものであった。
プルの悩みが一つ消える。
自由奔放な、一回り以上年下の妻に翻弄されまくり、頭を抱える事もしばしばだった。
しかし、その頭痛は彼の知性を活性化させる刺激ともなる。
堅物なのは相変わらずだが、彼本来の明晰な知性が甦り、問題解決のアイデアが浮かんで来た。
それでも従来の彼であれば、その先に進む事を躊躇しただろう。
アッシリアの常識に囚われず、女性という蔑視を強行突破して事態を解決する妻。
それを見ている内に、プルの心の枷もどこかに溶けて無くなったようである。
彼は税制改革に取り掛かり、公平で安定した税収を目指す。
そして、土地を相続したは良いが、零細化して没落し、借金塗れで奴隷のような立場になった者たちをどうにかしようと思い立った。
そこに常備軍のアイデアが舞い込む。
そうしてとんとん拍子にアイデアが連なり、任地での政治改革・軍事改革が進んでいった。
ヤバがシドンから帰国して目にしたのは、改革が進み、以前よりも生き生きとした表情の領民と、相変わらず辛気臭いものの、覇気に満ちて精力的な夫の姿だった。
ヤバは
(これは、自分が余計な事を言って、夫を困らせるべきではないな)
と思い、プルの謹慎命令も素直に受け容れ、当分の間大人しい、貞淑な妻になろうと考える。
だが、そういうのは得てして、外的要因で中断させられる。
謹慎が解けても、ヤバは大人しくしていた。
そんな中、彼女は買い物用に手にした銀に違和感を感じた。
何か違う感じがする。
見た目ではよく分からないが、何かが違う。
こうした時、ヤバはそのままにしない。
違和感の正体を、自分の知識を総動員して探り当てようとする。
そして
「比重が違う!」
と気づいた。
見た目は一緒だが、大規模な国家間の決裁では、計量取引となる為、重量が違うのは致命的である。
(何者かが、また経済戦争を仕掛けて来た!)
ヤバはそう直感した。
以前の織物交易における楔打ち。
挟まった楔は都市国家サマルと馬鹿王子だったが、打ち込んだ者の正体は掴めなかった。
首謀者はヤバの情報操作に乗らず、静観を決め込んだからである。
その正体不明の首謀者が、再度仕掛けて来たようだ。
今度は、通貨を混乱させる、という手法で。
そして、ヤバは敵の正体に気づき始めた。
状況証拠でしかない。
それでも、アッシリアを敵視し、高度な冶金技術を持った国。
そして通貨混乱なんて、商業知識が無いと思いつかないような事をして来る相手。
当然、サマルの馬鹿王子なんかではない。
「ウラルトゥ国王、サルドゥリ2世……」
随分な大物が、ちまちまとアッシリアを混乱させる手を打って来ている。
ヤバは
「よろしいですわ。
馬鹿王子以上の強敵、相手として不足はありません。
全身全霊で抗って御覧にいれましょう」
そう決意し、夫の元に向かうのであった。




