通商路を巡る戦い
「アッシリアの隊商が、ハラブに向かっている、だと?
さては、中継商業都市をサマルから変えるつもりだな」
都市国家サマルでは、王太子クラムワが報告を受けていた。
そして笑う。
「無駄な事を。
ハラブの商人も結局は『シリア門』(ベラン峠)を通らねば、フェニキアやエジプトに向かう事は出来ん。
つまり、サマルを無視して交易など出来ない。
中抜きを二回されるだけの話だ」
散々馬鹿王子と、かつての婚約者ヤバから言われているクラムワだが、決して痴愚ではない。
彼は自分たちの都市国家の優位性を理解していた。
だから、相当な中抜きをしても、アッシリアが商売をするには自分たちを避けられないと高を括っている。
それゆえに、次の報告に衝撃を受けた。
「ハラブの隊商は、『シリア門』を通りません。
山道を抜けてフェニキアに向かっています」
「なんだと!!」
思考回路がお花畑で女好き、遊び好き、口先だけの男ではあっても、これが意味する事は即座に理解出来る。
アッシリアはサマルを省いた交易路の開拓を始めたのだ。
これが完成すると、極めてまずい。
サマルがアッシリア、ウラルトゥといった強国に対し、属国となっても独立を維持出来ていたのは、「シリア門」を抑える立地と、それを活かした中継貿易による富に因る。
それを無効化されたら、サマルは単なる一都市国家に墜ちる。
それは次期国王という自分の立場をも危うくするのだ。
「だ……だが、『シリア門』以外であの山脈を超えるとなると、盗賊の多発地帯を通る事になる。
隊商の荷馬車など、恰好の獲物となるだろう。
うん、あ……慌てる事は……ないな」
そうは言っているが、混乱している事が目に見えて分かる。
そこにクラムワの愛人……いや、最近は王太子妃に昇格したバグマシュティが口を挟んで来た。
「いっそ、盗賊の真似事をしてみませんか?」
「どういう事だ?」
ヒッタイトの末裔であるこの国では、女性も自由に発言出来る。
バグマシュティも政治を話す権利はあるのだが……この女性はウラルトゥから派遣された工作員であり、クラムワはそれに気づいていない。
「傭兵を盗賊に偽装し、隊商を襲わせるのです。
いつ襲撃するか分からない盗賊に頼るのではなく、毎回確実に襲うのです。
そうすれば、アッシリアもハラブも、到底割に合わないと判断して『シリア門』を使わせて欲しいと懇願してくるでしょう」
「うむ、そうだな。
何もせずに待っている事もないな。
それで行こう!」
こうしてサマルに雇われた者たちが、アッシリアの隊商の後を追う。
そして隊商を見つけた彼等は、その道にアジトを作って潜伏した。
今の隊商は商品しか持っていない。
しかし、帰路は売上の銀を持っているだろう。
どうせ襲って奪うなら、銀の方だ。
帰り道は、同じ道を通るのだから、無理して今襲撃する必要もないのだ。
「話には聞いていましたが、本当に女性が率いているのですね」
フェニキアのシドン市にて、アビ・バアルが出迎えてそう言った。
このアビ・バアルは、ハラブ市の商人自治組織における三巨頭の一人で、海商を手掛けている。
名前の「バアル」が示すように、バアル神の国フェニキア系の男で、この地にも出張所を持っていた。
「正直、織物を売って、代わりに杉を得る、傭兵たちへの報酬も払い、帰りの隊商を手配する。
私が来ないと、手続きが複雑になって、失敗するでしょうからね」
「そうですな。
今回が最初の取引。
最初が肝心です。
流石はサマルのヤバ様、商取引をよく分かっていらっしゃる」
商人は情報が命である。
彼等は、アッシリアという男尊女卑の軍事国家にあって、こんな商取引を思いつく「カルフ総督の妻」という女性について、あらゆる手段を使って調べていた。
そして、ハラブの商売仇である新興都市国家サマルの王族で、次期国王の元婚約者であった事まで知る事が出来た。
シドン市の商人の中には、サマルで彼女の会った事がある者もいる。
アビ・バアルはそうした商人からも聞き取りをして
「この女性なら、強引な事はして来ないし、安心して取引が出来る」
という結論に至ったのだ。
ヤバも、自分の素性が知られるのは時間の問題だったし、何より「夫の面子」以外で、知られて困る事もない。
相手の「自分たちは貴女の事はよく知っているのですよ」という、ちょっとしたマウント行為をいなし、
「サマル生まれなので、あの国の事はよく知っていますわ。
敵ならば恐ろしい者が、味方になれば頼もしい、そういう事もありますわね?
そう思いませんか?」
とニッコリ笑う。
アビ・バアルもそれ以上の駆け引きはやめて、大商人の顔に戻って取引を開始した。
彼は、アッシリアが求めるレバノン杉を、既に伐採して加工したものを購入し、帰路の隊商が持ち帰るだけの状態にしていた。
商人は手間がかかり過ぎる事を嫌う。
アッシリア兵が伐採すれば、サマルは文句を言えないというヤバの言葉だが、これだと作業をしたアッシリア兵に支払う賃金が発生する。
だったら自分たちでやってしまおう。
サマルの文句に対しては、自分たちはアッシリア軍であると騙れば、何も言えなくなるだろう。
「そうですか。
木材は切って、乾燥させ、適当な大きさに切り出して、始めて使い物になります。
その手間を全て受け持ってくれるのなら、こちらは助かります。
そちらとしても、素人に任せるのは嫌でしょうし、なにより支払いを減らせますからね」
「その通りです」
「しかし、支払い無しとはいきませんよ。
アッシリアの名前を使っているのです、使用料は支払ってもらいます」
「まあ、そんな所ですね。
ですが、アッシリアの兵を使って一から始めるより、安く上がるのは間違いありません」
「果たして、安く上がりますかね?」
「怖い怖い、お手柔らかにお願いします」
こういう事があるから、ヤバは自分が来ないと拙いと思ったのだ。
商取引に疎いアッシリア人男性だと、上手く丸め込まれたかもしれない。
(まあ、護衛の兵士が作業し終わるまで、留守にする事も出来ませんし。
手っ取り早く杉を持って帰れるなら、願ったりかなったりですわね。
スキタイ人に林業は、中々難しいでしょうし)
イレギュラーな事がありつつも、ヤバはシドンでの仕事をこなしていった。
「それでは、これにてお暇いたします」
ヤバはシドンの商人たちに挨拶する。
彼女は、自分が一々来なくても済むよう、代理人で全ての手続きが出来るよう、現場を見ながら手順を定め終えた。
この後は、彼女がこの地に来る事もないだろう。
そんな彼女に、アビ・バアルが近づいて来て耳打ちする。
「貴女の祖国サマルが、帰路を狙うという情報を得ました」
「雇い主は馬鹿王子ですか?」
アビ・バアルは苦笑いで肯定した。
「想定の範囲内ですわ」
そう笑うヤバに、
「怖い怖い、本当に貴女の笑顔の裏は、魔神のように思います」
「あら、失礼ですね。
ですが、悪の神というのは間違っていないかもしれません。
モートではなくパズスと、アッシリアでは言うのですよ」
と、こちらも黒い笑顔を向けた。
そして帰路、木材を曳き、銀を積んだ隊商の前に野盗が現れる。
「銀が欲しいのか?
木材か?
何が欲しい?」
隊商の長が問うが、賊は問答無用で襲い掛かって来た。
(返事が無いのが返事だな。
目的は品物よりも、この道が安全ではないとする事。
数人を除いて、惨たらしく殺すのだろう。
まったく、雇用主様の読み通りだな)
隊商の者は落ち着いていた。
こうなると、シドンで聞かされていたからだ。
そして、賊が突如倒れる。
槍や刀を持つ彼等の背後から、弓を持った騎兵が現れた。
「なんだこいつらは?」
そのアラム語の叫びが、彼等の正体を明かしていた。
アマヌス山脈に潜む盗賊が話す言語は、ヒッタイト語とは従兄弟のような関係のルウィ語である。
隊商の長の先程の問いかけも、ルウィ語で行われた。
賊に偽装した者たちは、下手なルウィ語だと正体がバレる為、無言を貫いていたのだ。
そんなアラム語を話す、サマルに雇われた者たちは、山地にも関わらず巧みに馬を操り、馬上から矢を放つ集団によって、逆に襲われていた。
やがて、矢が掠っただけの男が、口から泡を吹いて倒れる。
そして、青銅の仮面をつけた者が現れた。
その仮面は獅子の顔であり、背中には羽根飾り、そして腰から青銅で造られた尾を曳いている。
その尾は、サソリの毒針のようである。
「魔神……」
恐怖が広まった。
獅子面、4つの翼、サソリの尾を持つ、「熱病と死をもたらす魔神」パズス。
掠り傷の者が急に倒れるのも理解出来る。
そこにもう一人、いやもう一柱現れる。
「イシュタル……」
豊穣の女神イシュタルは、同時の戦いの神である。
ラピスラズリの青き衣に、金糸で八角星が刺繍されている。
背中には七本の矢筒がクロスされて背負わされている。
頭には複数の動物の角。
何よりも、顔は女性なのに長い髭をはやした、両性具有の姿。
地中海世界では「悪魔アスタロト」と恐れられる神がそこに居た。
まあ、ヤバが金に物を言わせて纏ったコスプレなのだが……。
それでも、パズスとイシュタルの降臨に、サマルの傭兵たちは心を折られる。
信心深い当時は、合理主義の化身である職業傭兵もこんなものだ。
多くはスキタイ騎兵の騎射の餌食となり、僅かな生き残りが這う這うの体で逃げていった。
自分たちがしようとした事を逆にやられたのである。
それは、ハラブの隊商と、その交易路は魔神と女神が守っているという恐怖が拡がる事である。
サマルの馬鹿王子がいくら金を積もうとも、この恐れを知れば、雇いに応じる者も減るだろう。
「奥方、こんな芝居は二度と御免です」
パズスの装束を外しながら、プルの副官であるベル・ダンが文句を言って来る。
ヤバも付け髭を取り、イシュタルの衣装を脱ぎながら
「付き合ってくれてありがとうございますね。
私ではパズスとしては迫力が足りなかったから。
まあ、一回やれば十分でしょう。
私たちの隊商を襲えば祟られるとなれば、他の盗賊すら二の足を踏むでしょうしね。
もうこんな装束を着る事は無いでしょう。
多分……」
そう言いながら衣装箱に装束を仕舞うヤバだが、彼女とて万能ではない。
また着る日が来る事を、彼女もまだ知らない。




