交易を巡る政治戦
メソポタミア世界は、中々過酷な地理をしている。
アッシリアやバビロニアは、チグリス川・ユーフラテス川の畔に栄えた国家である。
この場所から地中海沿岸都市に向かう場合、どうしても北周りとなってしまう。
仮に、真っ直ぐ西に向かったとしよう。
まず目にするのは、広大なアラビア半島の砂漠である。
岩砂漠のこの地は、水場を探す事が困難な上、隠れる場所が多い事を活かした盗賊が多発する。
そのアラビアの砂漠を突破すると、今度はアマヌス山脈という、2,000メートル級の急峻な山岳地帯が立ちはだかる。
砂漠を突破して水も食糧も尽きた隊商が、重い荷物を持ったまま、やはり盗賊の多いこの山岳地帯を抜けるのは現実的ではない。
従って、遠回りでも大河の両岸の狭い湿潤地帯を通り、北上してから西に進路を変え、アマヌス山脈の切れ目からレヴァントの狭い平地に抜けるのが安全だ。
そのアマヌス山脈の切れ目、歴史上「シリア門」と呼ばれるベラン峠、この手前に位置するのが都市国家サマルである。
サマルの王子クラムワは、この地理の優位性をよく知っていた。
自分たちがここで足止めをすれば、交易路が閉じられてしまう。
その優位性こそ、アッシリアやウラルトゥに圧を掛けられようとも、自立を維持出来る鍵である事も。
それゆえ彼は、心の底ではアッシリアもウラルトゥも恐れてはいない。
自分たちに手出しをしたら、交易路を破壊してやろう。
それでも自分たちを攻める勇気は無いだろう、そう考えていた。
……自分自身がサマルの政治的攻略の穴となっている事には、気づいてもいないのだが……。
クラムワは、今回の織物交易における中抜き・転売行為を軽く考えている。
自分の小遣い稼ぎと、愛人のご機嫌取り程度の意識だ。
アッシリアの儲けは減ったが、赤字にはなっていない。
中継貿易都市なら、これくらいやっても問題無いだろう。
古来、そうやって生きて来たのだし。
文句があるなら、ウラルトゥの軍を呼んで来るぞ、「シリア門」を封鎖してやるぞ。
こういう意識である。
馬鹿王子ではあるが、自分の強みは理解していて、何かあっても対処出来ると計算していた。
その計算が狂う。
アッシリアの担当者が、自分をよく知る人物だとは想像していなかったのだ。
「お呼び立てして申し訳ありません。
なにせアッシリアでは、女性が表に出る事を嫌っていまして」
ヤバは、カルフ総督府に商人を呼んでいた。
商人は
「いつもの事ですから、大した事ではありません」
と表情を変えずに返す。
アッシリアは男尊女卑の国である。
しかし、それゆえに夫が兵役中、留守を預かる女性が取引相手になるのは毎度の事だ。
商人は取引であれば、どんな傲慢な相手の元にも出向く。
ただ、この商人はそれ程愛想が良くない。
彼等は都市国家ハラブ(後のアレッポ)の商人なのだ。
ハラブは、ダマスカスと並び「人類史上最も長く人が住み続けた都市」の一つである。
紀元前三千年代、古バビロニアの時代から文書に登場する、シリアにおける中心都市だ。
ゆえに、アッシリア王からも敬意を払われる、歴史ある大都市と言えた。
そして、アッシリアには従わない都市である。
軍事的には弱く、勢力圏に組み込まれた事もあるが、その経済活動はアッシリアの掣肘を受けない。
現在この都市は、新ヒッタイト諸王国の一つ、ビト・アグシ王国領内に属するが、都市の君主たる国王はマティ・イルはお飾りに過ぎない。
この都市を実際に牛耳っているのは、商人自治組織である。
商人組合のような存在だ。
通商においては、カールムを通さないと取引が成功しない。
強権的なアッシリアとは相性が悪く、アッシリア人はハラブを「忠誠心の無い、信用のおけない都市」と嫌い、ハラブ商人はアッシリアを「商売の事を理解しない、チグリス川上流の狂犬」と馬鹿にしていた。
アッシリアとの商売はするが、決して大規模なものではなかった。
「まずはそちらをご覧下さい」
そう言って勧められた粘土板を見て、商人は驚く。
そこにはアラム語が刻まれていた。
商人たちは顔を見合わせて
「これは奥方様が書いたので?」
と尋ねる。
ヤバは
「そうですよ」
と軽く返し、詳細について説明を始めた。
「サマルからハラブに、織物交易の中継地を変えるとの事ですが、正気ですか?」
「私は正気ですよ」
「何故、今までそうしていないか、経緯をご存知ないのですか?」
「そんなの知ってますよ。
まずは道路が整備されていない上に、地形的に急峻。
それが為に盗賊が多い。
そして何より、アッシリアはハラブを信用していない。
最後のはどうにでもなりますが、問題は前2つですね」
「なるほど、理解をしていなさる。
その上で言って来たという事は、解決策があるという事ですか?」
「その通り!
よくぞ聞いてくれました!」
ヤバは満面の笑みで語り出す。
(あ、これは一通り話を全部聞かないと機嫌悪くなるタイプだ)
百戦錬磨の商人は、ヤバの性格を察し、説明を聞く事にした。
「まず道路と治安の問題ですが、それはアッシリア軍が護衛につきます。
野盗も、まさかアッシリア軍と戦おうとは思わないでしょ?」
「そりゃあ……そうです」
アッシリア兵の残忍さは周囲に聞こえている。
敵を捕らえ、拷問し、苦痛の声を天に届けるはアッシュール神への奉仕だと思っている。
処刑はアッシュール神への供物である。
捕まったら、生きて帰れない。
ハラブ人が軽蔑する、野蛮人のような行為。
「まあ、アッシリアの軍が隊商の護衛についたとしても、急峻な山道は大変ですよね。
でも、取扱う商品は織物だけです。
穀物の輸送に比べて、大分軽いものです。
荷馬車じゃなく、馬の背に乗せる方法でも運べます」
商人たちは考える。
そして首を横に振った。
「いや、ダメだ。
それでは旨味が足りない」
「アッシリアから織物を持って行き、中継貿易をする、そこまでは良い。
しかし、アッシリアに売る物が足りない。
大規模な隊商を組み、護衛の兵士までつける以上、往路だけでなく復路でも商売品を運びたい。
そういう事ですね?」
「……奥方様、貴女は何者ですか?
このアラム語といい、実に商売の事を理解している」
「私の正体はどうでも良いでしょう。
聞きたいのは、アッシリアに来る時は何を売れば良いか、ですよね?」
「はい」
「私たちは、杉の材木を求めます」
「え?」
交易路の前に立ちはだかるアマヌス山脈、その高さは思わぬ産物ももたらした。
地中海の湿った空気がぶつかり、冷やされ、雨となって降る。
そしてレバノン杉という、歴史上の超重要樹木が育つのだ。
これから作られた材木は、アッシリアでも重宝されている。
「私たちからは兵士が派遣されます。
その兵士を使って、サマル周辺の杉を伐採して下さい」
「他人の土地から樹木を奪うのですか?」
「はい。
あ、言い忘れてましたが、それは決して貴方たちの指示ではありませんよ。
アッシリアの兵士が、手持ち無沙汰で行う蛮行だとでも説明しておいて下さい」
「貴女は、自国の悪評を利用するのですね……」
「使える物は何でも使う、売れる物なら安く仕入れて高く売る。
それが商売ですからね」
(本当に、何者なんだ、この女性は……)
「こちらに戻る際は、銀を運んで来る事になります。
しかし、それは盗賊に狙ってくれと言っているようなもの。
我々はどうせ、銀を払って杉の木を買います。
だったら、アッシリアの織物を売った儲けで、杉を安く大量に買い、それを力仕事が得意な兵士に運ばせる、という事でどうですかね。
まあ、銀全部を使う事は無いですが、一旦我が国に持って来て、そこから支払うよりも手間が省けて良いでしょう?」
「その通りです……」
商人たちはヤバの発想に舌を巻いた。
だが、この取引は自分たち下っ端では決められない。
カールムの評議会にかけて、賛成を得なければならないだろう。
即決が売りの商人には珍しく、「持ち帰って検討する」と官僚のような事を言い残し、商人たちは粘土板のみを持ってハラブへの帰って行った。
「話は分かった」
ハラブの商人自治組織にて、重鎮が口を開く。
バル・ハダドという、経験豊富な老商人は、ヤバの手の速さについて語った。
「カルフ総督から、神殿に寄進があったという」
ハラブでは嵐の神「アダド」が信奉され、巨大な神殿が造られていた。
神殿もまた、ハラブの政治を動かし得る存在である。
ヤバは抜かりなく、そちらにも手を回していた。
「私としては、アッシリアの織物はよく売れるから、この申し出を受けても良いと思う」
アビ・バアルという、フェニキアに多くの親戚を持つ商人が賛意を示した。
この商人は船を有し、エジプトへの販路を持っている。
「アッシリアの魂胆は分かる。
サマルの中抜きが腹に据えかねたのだろう。
あの国の中抜きは、少々度が過ぎているからな」
アダド・ナディン・アヘという、アッシリア人と祖を同じくする商人が、ヤバの思惑を見抜いて話す。
今されている事は知らないが、サマルという都市国家は、決済通貨とも言える銀の重さを量る際、独自の分銅を使い、上手く自分たちが得をする仕組みを採っている。
このアダド・ナディン・アヘは、アッシリアとの取引をよくする為、中継商業都市サマルの欲深さも知っていた。
その中抜きが省かれるだけで、十分得になる申し出と言えた。
評議会での議論の結果
「まだ信用はならないが、アッシリアからの申し出を受ける」
と決まった。
その裏には
「男尊女卑の国だから、名前は知らないが、随分のこちらの仕事に精通した女性が仕切っている」
という事実があり、この女性とならビジネスパートナーとしてやっていけるのではないか、という期待があった。
相手が生粋のアッシリア人なら、こういう信用は勝ち取れなかっただろう。
ハラブでそう決まったのと前後して、ヤバは夫から詰められていた。
「勝手な事をするなと言っただろう!
お前は男の仕事にも関わる気か!」
商売の事ではない。
商業取引は、実際には女性がしている事を黙認されている。
だから、プルが怒っているのはそこではない。
「隊商にアッシリア軍を護衛につけるとか、誰の許可を得た?
軍をどうこうするのは、男の、しかも我々王宮に勤める者にのみ許された事。
お前如きが勝手な事を言うな!」
激怒する夫に、妻は平然とした顔で
「怒られついでに進言します。
軍もこの際改革しませんか。
腹案はあります。
そして、この案はウラルトゥとの戦いに役立つものですよ」
と言ってのけた。
夫婦喧嘩、というかこの後は妻の独壇場はまだ続く。
19時にも更新します。




