別に男性の領分を冒さなくても、これくらいの事は出来ましてよ
「おい、ヤバ!
お前一体何をした?」
月に一度の織物納入の日、プルは妻の肩を掴んでガクガク揺さぶる。
冷静なカルフ総督の彼が、信じられないものを見て同様している。
「やーめーてー」
激しい揺さぶりに目を回すヤバ。
落ち着きを取り戻したプルは、妻を解放すると、咳払いをして問う。
「お前にも伝えたように、男は農業、女は織物をするのが、主神が定めた仕事だ。
お前もそれをしてくれたから、私は安心していた」
「なにか、私の行動にご不快な事でもありましたか?」
「いや、無い。
無いのだが、とても信じられん。
なんだ、この織物の量は?」
「作った分ですが、何か?」
「魔術か何かを使ったのか?」
「そんな事出来ませんよ」
「じゃあ、この量は何だ?
1つ2つ多いなら、お前の織物技術が高いのだと納得も出来る。
だが、倍だぞ、倍!
とても人間業とは思えん!」
「倍じゃないですね、3倍に少し届かないくらいですね」
「そんな事はどうでも良い!
一体どんな魔術を使ったんだ!」
軍事国家アッシリアは、農業以外の産業も持っている。
それが織物産業だ。
羊毛を使ったアッシリアの織物は、質の良い繊維、鮮やかな色合い、緻密な幾何学模様や図案によって、オリエント世界における最高級ブランドであった。
アッシリアはこの織物を輸出し、銀を獲得していた。
アッシリアの古王国と言われている時代は、国家財政の大半を支えていたが、軍事国家化した中王国以降はその比率を低下させている。
それでも織物産業は、アッシリアの経済を支える重要なものなのだ。
アッシリア製のガウンは、女神イシュタルへの最高の献上品とされている。
出産出来るという生物学的特性により、女性が神事、特にアッシュール神に関わる事を禁じているアッシリアでも、豊穣の女神に対しては女性が神事を執り行っている。
更にこのガウンは、周辺の小国の王や遊牧民は手に入れる事をステータスとしていた。
よって、常に軍事行動のみではないアッシリアは、ヤバの故郷サマル等の有益な小国を支配下に収めた時はガウンを送り、アッシリアの属国である事を示させている。
織物は経済、宗教、外交における重要な物と言える。
その織物を作るのは女性の仕事だ。
女性軽視のアッシリアにおいて、家の中で内職的に出来る仕事として、力無き者に割り当てられた。
それが重要産業となっているのだが、やり方は古王国以来の旧態依然としたものであった。
ヒッタイト出身でアッシリアの常識からは外れている女性ヤバは、ここに手をつける。
「私は王都総督の後妻となったヤバと言います。
小国サマルより来たので、常識が足りないかと思いますので、どうか仲良くして、悪い所は教えて下さいませ」
ヤバはあえて「外国人の不慣れ」を利用して、プルの部下たちの家を訪ね歩く。
女性が勝手にそんな事をするのは不快なものだが、外国から来たという事と、何よりも「プル家の所有」を示す薄布から、部下たちは文句を言えない。
そうして部下たち……否、彼等の妻たちと知り合ったヤバは、次は彼女たちを集めて告げた。
「皆さんで協力して作業をしましょう!」
妻は家庭を出ないもの、織物の生産は家庭における内職、アッシリア人の意識はこうであった。
それに対しヤバは、労働力の集約と分業化を持ち込んだのである。
羊毛の洗浄、糸紡ぎ、染色、機織りといった全工程を一人、もしくは娘たち数名でするとなれば、作業効率は非常に悪い。
多少裕福な官吏は奴隷を買っているが、奴隷とて織物生産にのみ従事している訳ではない。
だったら同じ境遇の者たちが集まって、共同作業とすれば良い。
織物は各家で違ったデザインにしたり、コツがあったりする。
女性たちはオリジナルである事を誇っていた。
だから、ヤバに反対する女性も当然いた。
ヤバは無理強いはせず、とりあえず賛同してくれた20人程で簡易版「工場」を作る。
そこで各工程を専門に任せ、効率化したのである。
最初は戸惑っていた彼女たちも、次第にこの方が楽な事に気づいた。
オリジナルのものを創りたい、その意思にも応えて、担当をしばしば交代した。
交代は担当だけではない。
交代で休日も取るようにした。
替えが効かず、夫が見ているからサボる事も出来ない家庭内手工業と比べ、この方式だと気兼ねなく休息が出来る。
そしてリフレッシュして作業に挑む為、連続勤務に比べて生産性は上がった。
かくして大量に出来た織物を、ヤバは平等に分配する。
「そんな、総督夫人が多く受け取るのが筋です」
そう言って遠慮する女性たちに、ヤバは
「皆で作業したのですから、皆で分け合うのが当然ですよ。
私なんて、工程の見直しとか予定管理をしていたから、むしろ働いていない方。
私が少ないくらいで丁度良いのですが」
「そんな、恐れ多い」
結果として、平等分配となった。
「こんなに大量の織物、主人に怪しまれます。
魔術を使ったと疑われます」
女たちは恐れた。
アッシリア法典で「呪術や黒魔術を行った者は、死刑に処す」と定められている。
そういった事情も把握していた才女は、笑いながら
「貴女たちは魔術を使っていない。
私が言ったように作業をしただけ、ご主人にはそう伝えて下さい。
何かあっても、私のせいになるでしょう」
と言って安心させる。
かくして一部の総督の部下は、妻がいつもの倍の織物を生産した事を伝えられ、驚き慌て、魔術を疑った後に、元凶であるヤバの夫たるプルに訴えたのである。
そして多忙のプルも、妻に任せっきりだった織物の保管室を見て驚き、妻を呼んでパニックを起こしたまま問い詰めた、という次第であった。
「……というわけで、私がしたのは魔術ではないし、変わった事でもないのですよ」
ヤバがこの方法に到ったのは、ヒッタイトの知恵に因る。
ヒッタイトでは製鉄事業において、採掘、木炭の製造、精錬、鍛造の各工程に専門の職人集団を持ち、国が管理していた。
ヒッタイト帝国が失われた今、大規模にそういった職人集団を持ってはいないものの、古典文献を読み漁っていたヤバからしたら簡単にたどり着くやり方だったのだ。
「20人集めたら、そりゃ20人分出来るだろう。
だが、お前が持っているのは2人分。
部下の妻たちも同じくらい作ったようだ。
そうなると、20人で40人分の織物を作ったのか?」
「別に不思議は無いですよね?
軍隊に当てはめて考えて下さい。
兵士1人では敵兵1人か2人を倒すのがやっとです。
しかし20人の部隊になれば、やり方次第で100人の敵を倒せるのではないですか」
「それはそうだが……」
男性の組織を女性の組織に当てはめるのに、プルは抵抗があるようだ。
「織物は神に与えられた女の仕事。
糸紡ぎのみ、染色のみと分けて仕事をするのは、神への冒涜ではないのか?」
ようやく考え付いた反論に、ヤバは首を横に振って
「だから、交代で各工程を一通りやらせてます」
と返す。
「それでも、1日はどれか一つの作業に専念するのだろう?
それはおかしくないのか?」
「御主人様!」
ヤバの強めの口調に、一瞬怯むプル。
「必要なのは、女が効率の悪い作業に縛り付けられる事ですか?
それとも織物を大量に作る事ですか?」
「…………大量に作る事だ」
「ああ、良かった。
では私は、ご主人様の意思に背いた事はしていないって事ですね。
このまま、更に拡大させてやっていきますね。
今回は初めてって事で、皆さん慣れていませんでした。
慣れた後は、更に生産量が増すでしょうね」
「なに?
まだ増やせるというのか?」
「多分、いけますよ」
数学的に解説する。
ヤバもプルも知らない話、彼等より2600年も後のアダム・スミスという学者の「ピンの製造」で説いた分業の論理を当てはめてみる。
彼は、作業の熟練化で効率が倍になると説いた。
更に、全工程均一の難しさではなく、ある一工程のみ高難易度のものがあったとする。
そこに人員を割く事で、ボトルネックを解消し、引っ掛かりのないスムースな作業を実現出来るとした。
この場合最も時間が掛かる糸紡ぎを多めの人員でこなす事で、作業時間が短くなり、更に倍の作業効率となるとする。
ヤバは大体、20人の作業に対し、2人は休日とさせた。
よって
習熟による効率向上(×2)とボトルネック解消による時間の効率化(×2)を、18/20人で作業するなら、1人あたりの生産量は単独作業時に比べて約3.6倍となるのだ。
これは単純計算での事。
現在はまだ始めたばかりで、2.7倍程度の効率であった。
ヤバは直感的に、まだまだ伸びしろがあると見ていたし、それは正しいのである。
「…………よくやった」
「はい?
聞こえませんよ?」
「よくやった!
女を褒めるとろくな事にならんゆえ、滅多に無い言葉と思え!」
「はーい」
「その気の抜けた返事はやめろ!」
「まあまあ、国庫の収入を増やせるのですし、これくらいの馴れ馴れしさは許して下さいよ」
「おい、それは男の領分だ。
交易の事に口を挟むな。
それに、織物が重要な交易品である事をどこで知った?
また私が居ない時に、勝手に文書を見たのではあるまいな!」
ヤバは溜息を吐く。
「私は、祖国では交易関係の書記官もしていたのですよ。
アッシリアとの交易で、何を扱っていたのかくらい知っています。
その販売でどれくらいの銀と交換したかも」
「……そうだったな。
お前は前から知っていたんだったな」
(相変わらず侮れぬ女だ)
プルは、一回り年下の、二十歳にもなっていない女性にやり込められていた。
以前はアッシリアの常識をもって屈服させ、大人しい女にするか、ダメなら送り返そうかと考えていた。
結婚して一月になるが、全く実現出来ていない。
彼が言ったように、決して男性の職分には踏み込んで来ない。
なのに、自分の職の範囲内でとんでもない事をやってのける。
(私は化け物を妻にしたかもしれん)
プルは、幼さがまだ残る顔で、ニコニコ笑う妻を見ながらそう思う。
顔は確かにあどけない。
しかし、目の光が尋常ではない。
仕事の多さで心をすり減らしている自分に対し、覇気が強く、それでいて支配的でもない、なんとも表現しにくい目の光である。
彼は自分の変化に気づいていない。
彼は次第に、この才女に惹かれるようになっているのだ。
男尊女卑の気風ゆえ、そうだと決して認める事はない。
だが、俗にいう「奥さんの尻に敷かれる」のは、そう遠い未来ではないだろう。
明日、17時から更新します。
本日はここまにいたしとうございます。




