男尊女卑の国アッシリア
アッシリア、それは紀元前1950年頃には存在していた古い国である。
後世の地理でいえば、イラク北部に生まれたその国は、神聖国家でもあった。
建国当初、その権力者は「神アッシュールの総督」を名乗っていた。
それは今でも変わらず、アッシリア国王とは「アッシュール神に選ばれた者」の称号なのだ。
アッシリアは古代メソポタミアの中では、極めて暴力的なイメージの国である。
それはある意味仕方がない。
彼等はチグリス川、ユーフラテス川の上流に国を築き、肥沃な農地を有していた。
食糧生産量は極めて多い。
羊の放牧も盛んだ。
古王国と呼ばれた時代、彼らは小さな都市国家で、農業と毛織物を交易する素朴な国家であったのだ。
だが四方に開けた広大な肥沃な土地というは、攻められやすいという弱点と表裏一体なのだ。
実際バビロニア、ミタンニ、フリル、カッシート、更にはヒッタイトという強大な敵の支配を受けたりもした。
こうした歴史の末
「守り切るには強力な王権と軍隊が必要である」
という中王国時代を経て、
「攻められるくらいなら、攻めて行って防衛線を出来るだけ外側に持とう!」
という、某極東の島国が帝国主義という時代に持ったような思想を抱く新王国時代、つまり今に至る。
その未来の極東の某国とは、神事を利用したという事においても似ていた。
元々土地の神であったアッシュール神。
それはアッシリアがバビロニアを征服した時、「神々の王」マルドゥークとアッシュール神が同一視される事によって変化をした。
「境界を広げよ!」
つまり、アッシュール神は征服を命じる軍事神になったのだ。
アッシリアの征服は「聖戦」「神の秩序を世界に広げる正しい行為」とされる。
虐殺や捕虜の処刑は、アッシュール神への義務を果たした証たる行為となった。
王とはアッシュール神の意思を地上で代行する存在、大神官にして最強の将軍、死刑執行官なのだ。
こうした神聖国家かつ軍事国家においては、武器を持って国に奉仕する者が尊重される。
つまり、男性優位。
アッシリアは他のメソポタミア世界に見られない程の男尊女卑社会であった。
そんな国に、ヤバは嫁いで来たのである。
「私がカルフ総督のプルだ」
痩せて顔色の悪い男が、つまらなそうに自己紹介する。
ヤバの事をチラッと見ただけで、後は顔を合わせない。
「ヤバです。
縁あって貴方様の妻となります。
どうぞよろしくお願いいたします」
「縁ではないだろう?
お前の祖国サマルで、ウラルトゥの影響力が大きくなった。
だから均衡を保つ為に送られて来ただけだ。
そして、我が王はそれに興味を示さない。
そこで、妻を亡くしたばかりの私が、お前を預かる事になった。
それだけの事だ」
事務的な話し方である。
そこには愛情の欠片もない。
「では、私は単なる人質なのですか?
貴方様の子を産む事もないと?」
あえて挑発的に聞くヤバに、プルは険しい表情で向き直る。
「妻は妻だ。
お前は私の女となり、私の子を産む。
それだけの事だ。
余り私を苛立たせるような事を言うな!」
「これは失礼しました」
(とりあえず、嫁いだは良いけど、手もつけられないという事は無さそうね)
もし、人質のような立場であれば、ヤバは思っている事を一個も出来ない。
そうならない事を確認出来て良かった。
と、同時にこの神経質な夫が、何に苛立っているのか、興味を抱く。
「おい、それに近づくな」
「なになに、『祭りの為の馬を100頭を王宮に収めよ』……。
これは王様からの命令ですか?」
「女が政治文書を読むな!
今度このような事をしたらただでは済まない……ぞ……と……。
お前、字が読めるのか?」
怒りの表情から転じて、驚きの表情を浮かべるプル。
「読めて不思議は無いでしょう?
私はサマルでは王族でしたのよ」
「王族でも、だ。
お前の国のヒッタイト語と、我々のアッシリア語は文字からして違う。
王族だとしても、女が読めるのは精々、祖国の字くらいではないのか?
例えサマル……いや、ヒッタイトが女を要職に就けるとしてもだ」
プルも、ヒッタイトの社会がアッシリアとは違って、女性の立場が強い事を知っている。
ヒッタイトにおいて、王妃の立場は強い。
王が死んでも、王妃は終生その権力を維持出来るのだ。
王妃は、「王の配偶者」という称号ではなく、一個の官職名のようなものだ。
この地位の女性は、王を通さずに自前で外交が出来るし、自分の名前を刻んだ印章を持っている。
王家ではなく、民間であってもヒッタイトの女性は、財産や離婚に関する権利が法典で保証されている。
何よりヒッタイトの最高神・太陽女神は女神なのだ。
こうした社会ゆえ、ヤバのような女性が生まれる事もある。
彼女は才女であった。
だからアズル・バアル国王は、彼女を王妃として共同統治者にしたかったのだ。
軽妙で外面が良く人気だけは得られるクラムワと、実務派のヤバが結婚すれば、終身実務をこなしてくれる有能な王妃が生まれる。
次期国王がボンクラでも、国はやっていけるのだ。
プルは、新ヒッタイト諸王国出自のヤバが、男尊女卑のアッシリアには馴染まない程の活発な女性な事は想像していた。
だから初めにガツンとやって、自尊心をへし折ってやり、その後にアッシリア風を叩きこむつもりであった。
しかし、その程度では大人しくなりそうもない。
話を聞くと、この女性とんでもない。
「アッシリア語なら、外交をしていた父の書記官もしたので、読めますよ。
でも、サマルで日常的に使っているのはアラム語ですね。
あれは文字が書きやすいんで。
楔形文字は、速記に向いてません。
あとヒッタイト語なんて、今では文献読むくらいしか使ってませんよ。
でも、速記するならフェニキア文字も面白いと思うんですよね」
「……お前は何ヶ国語を使えるのだ?」
「それって、古語も入れてですか?
シュメール語は、読める事は読めるんですけど、文法が良く分からないので、それも入れます?」
「……もういい。
私に分かったのは、お前がとんでもなく腹立たしい女だと言う事だ」
アッシリアにおいて、才女は何の価値もない。
やるべき事をやってくれないなら、それは有害な女である。
頭が良いと、自分の権利を主張して、有害な女になりやすい。
プルは、自分の妻となった女が、思った以上に「有害な女」のように思えてならない。
「良いか!
女の仕事は、家庭を束ねる事。
豊穣女神に仕える事。
織物を作る事。
この3つのみだ。
他の事に口を出すな!
特に、私の仕事である政治には一切関わるな!
さっきのように、勝手に文章を読むな。
分かったな!
次に同じ事をしたら、追い返す」
「ほーい」
「なんだ、その返事は!」
プルは新妻が一々不快である。
外交絡みの婚姻でもあり、口では言ったが、簡単に返品するわけにもいかない。
この賢げな女を、いずれどうにかせめばなるまい。
だがヤバは、プルが思っているより、更に数段上の妻女である。
先程の文書チラ見だけで、この国の様々な内情を読んでしまったのだ。
求められているのは馬だけではない。
銀を数百タラント(1タラントは約30kg)や、神像の製作と奉納、供物としての羊など、そういう項目が多数並んでいた。
遠目だった為に項目は分からないが、同様の粘土板が多数あったようだ。
つまり、やたらと祭りが多い。
アッシリアが十分に豊かなら、王都カルフの総督である夫も、眉間に皺を寄せて書類(粘土板)を眺めてはいないだろう。
だがそうではない。
つまり、多過ぎる貢納要求に辟易しているのだ。
ヤバは才女だから、アッシリアの祭りや神殿への貢納が経済活動な事を理解している。
税とは違う形で、人民や貴族から銀や穀物を取り立て、ストックしておくのである。
ストックした富は、アッシリアの遠征等で必要な時に「借りられる」。
アッシリアの大神官と国王はイコールなので、借りた、返したは資金の管轄場所の移動に過ぎず、要は王が自由に使える資金が、祭政によって得られているのだ。
それで遠征が多いなら、納得がいく。
しかし現国王アッシュール・ニラリ5世は、歴代で最も遠征が少ない。
更に言えば、暴君のテンプレートとされる巨大建築事業、これもアッシュール・ニラリ5世はやっていない。
大規模に資金を使う事をしていない、にも関わらず祭りと貢納が多い。
どうしても必要なら、税を増やせば良いのに、それもしていない。
(使途不明な資金が発生している。
アッシリアの中には問題があるようね)
僅かな時間でヤバはそこまで読み取った。
サマルでもある程度の情報は得ていた為、夫の態度や書類で、色々と点と線が繋がっての推測ではあったが。
夫・プルはこれに対し、真摯に向き合っている。
どうもこの人は、クソ真面目な人間に見える。
自宅に公文書を持ち込んで仕事をしている。
総督ともあろう立場なら、王の暴政に付き合って、無茶な要求に自分の分を水増しして民に押し付ければ良いだろう。
だが、そんな事が出来ない人間だから、険しい表情で対策を考えている。
ヤバは
(自分が支えてあげよう)
と決意していた。
この夫との間に、まだ愛情は生まれていない。
しかしヤバには
(とりあえずは、私と私の家系に恥をかかせた、馬鹿王子を見返してやるわ。
あと、勝ち誇っていた篭絡美女のバグマシュティも、痛い目に遭わせてやりたい)
という復讐心がある。
その為には幸せな結婚と、結婚相手が馬鹿王子より優れた人物とする事を考えている。
幸せな結婚は、夫の神経が休まらない限り無いだろう。
だから、支えてあげたい。
しかし、男尊女卑のこの国で、女性が政治に関わる事は禁忌なようだ。
では、夫が望む役割をこなして信頼を勝ち取ろう。
だが、ただ従順なだけでは面白くない。
ひたすら夫の指示に従う妻では、男尊女卑傾向がそのままで変わらない。
私は夫にただ従順ではない、刺激的な女を目指そう。
夫の想像の上をいってやろう。
そんな事を考えながらだった為、つい返事がおかしなものになり、夫を不快にさせたようだ。
これは改めないとね。
こうして堅物の王都総督と、かつては外交・商業・財務といった国の政治に書記官として関わっていた女性との結婚生活が始まった。
妻の方は平然としていたが、夫の方は妻への印象が最悪である。
彼は義務的に子を作ったなら、後は遠ざけようかと考えてもいた。
そんなプルを早速驚かせる改革がなされる。
彼が命じたように、それは男の領分を侵してのものではない。
ヤバは「女性の仕事」で、プルの意表を衝くのであった。
19時にも更新します。




