新たな家族
アッシリア首都アッシュールにて。
「この度は私と息子の不和に対し、色々とご迷惑をかけてしまいました。
息子を説諭いただいたようで、有難く思います」
王宮に税を運んだついでに、プルは最高司令官シャムシ・イルに面会し、礼を述べていた。
実際には、シャムシ・イルの介入とは無関係に、彼は原理主義に陥っていた長男の目を覚まさせている。
しかし、あえて長男には不和が続いているよう見せかけ、他の貴族からの介入をさせるよう演技をさせた。
長男アッシュール・イルニが中央の権臣たちと繋がっていれば、彼等の情報を仕入れる事が出来る。
あちらは他州よりも圧倒的に富を生み出しているカルフ管区に干渉出来ると喜んでいるかもしれないが、それは逆に向こうの情報を知る事にも繋がるのだ。
「うむ、我々も卿たち父子の不和は気にしていたのだぞ」
シャムシ・イルは鷹揚に答える。
彼は、目の前のクソ真面目な男が演技をしていると思っていない。
ただ真面目なだけの男だから、そういう政治的な駆け引きは出来ないと見ていた。
それはプルを軽視し過ぎであろう。
彼は元来柔軟な思考が出来る男である。
彼等は財務に押し潰されそうになり、二進も三進もいかなくなって視野狭窄に陥っていた彼しか知らないからそう思ったのだが、その財務問題が解決した今、プルは「地方の王」たる総督らしい人物に成長しているのだ。
「これは些少ですが、お礼です。
どうか受け取って下さい」
「うむ、卿も貴族社会の在り様が分かって来たようだな」
そう言って手を差し出すシャムシ・イル。
その手のひらの上に、プルは小さな袋を置いた。
「なんだ?
これだけか?」
「中をお確かめ下さい」
不満そうなシャムシ・イルに、プルは中身を確認させる。
そこには黒い何かの実が入っていた。
「これは何か?」
「それは胡椒です」
「なんだと、胡椒!
あの貴重品か!」
既に胡椒は「黒い宝石」として、上流階級の中では知られる調味料であった。
入手困難な貴重品、それを使った料理はその者のステータスの高さを示すもの。
「いや、カルフ総督、このような物をくれるとはな!
卿の心意気、忘れぬぞ」
(これはわしの権威を示す良い材料になるわい)
下卑た笑いを浮かべるシャムシ・イル。
プルはその笑いに対し、手を前で組む礼を崩さないまま、愛想を返すでも、屈辱に顔を歪めるでもなく、平静な表情で過ごしていた。
そしてシャムシ・イルの邸宅を出た後で、素の表情になって本音を吐き捨てる。
「ふん、精々胡椒を有難がっておれば良いわ。
馬は軍事力や農耕生産力向上に繋がる。
銀や織物は経済力向上に使える。
奴隷や穀物もそうだ。
だが、胡椒は肉を美味く食べる以上の意味はない。
価値が無いとは言わんが、国力増強に寄与するものではない。
アレを有難がっている、即ち己の権勢しか頭に無い愚物よ」
胡椒を礼物に使う事を進言したのは、ヤバである。
織物の海外交易のついでで入手した高級品。
ヤバが義子アッシュール・イルニに世界の広さと、自分の意思を伝える料理に使ったのは、そのほんの一部である。
確かに肉の臭みを消したり貴重な調味料だが、質実剛健なプルが手放したくない物ではない。
使い過ぎると味が悪くなるのは証明済みだ。
ならば、出しても惜しくない胡椒を使って、介入したくて仕方ない権臣を懐柔出来るなら、それは有効利用と言えるだろう。
「おや、お久しぶりですな」
またアルバキ総督のアッシュール・シャル・ウスルが声を掛けて来た。
以前と違って、プルはこれを偶然の出会いとは考えていない。
「私を待ち構えていたのでしょう?
何か用ですか?」
と切り出す。
「まあまあ、立ち話で済ます用事ではないので。
どうです?
カルフに戻る前に、私の邸宅で食事でもしませんか。
相談したい事がありましてね」
こうして用事を済ませたプルは、自宅に長男を呼ぶ。
そして唐突に
「お前の結婚相手を決めた」
と告げた。
男尊女卑の国アッシリアの結婚で、自由恋愛などというものは存在しない。
父親が勝手に決めるのが当たり前である。
二つの家系が「契約」を結び、男性側が女性側の家族に「花嫁代金(結納金に相当する銀)」を支払い、女性を新たな家の「所有物」として迎え入れるものだ。
プルの再婚、つまりヤバとの結婚においては、花嫁代金はサマルの安全保障であった。
ウラルトゥに組み込まれつつあった都市国家サマルだが、アッシリアとの縁も切らさない為の措置であり、特に財貨を払う必要が無い双方に得な結婚だったのだ。
それにしても、事前に何の気配も無かった、唐突な婚約である。
アッシュール・イルニは、花嫁の顔がどうこう聞くような軟弱さは無かったが、それでも一体どんな相手かを知りたい。
しかし、総督でもあり、家長でもある父に、そんな些事を聞くわけにはいなかかった。
だが、プルの方から花嫁について話して来る。
「お前の妻となる女だがな……ちょっと訳アリでな……」
相手の女性の名前はバニトゥと言う。
アルバキ総督アッシュール・シャル・ウスルの娘で、現在15歳だ。
アッシュール・イルニより4歳年下で、丁度良い相手と言える。
だが……
「性格がな……どうも聞く限りな……ヤバと大変よく似ている」
アッシュール・イルニの表情が強張った。
聞けば聞く程、敵に回したくない女性である義母ヤバ。
どういう手段を使ったか誰も教えてくれないが、どうやら祖国の王子が使った傭兵部隊を一個壊滅させ、海賊や遊牧民を手懐けているという。
それと同じ?
女性は従順であるべきアッシリアで、そんな女性が居るのか?
アルバキ総督は育て方を間違ったのではないか?
唖然としているアッシュール・イルニを
(どうせ失礼な事考えているんだろうな)
と見切りつつ、当人であるヤバが夫に尋ねる。
「もう少し、詳しく教えていただけますでしょうか?
私に似ているというのは、銀梅花のような清楚な感じでしょうか?
それとも青睡蓮のような高貴な感じなのでしょうか?」
「よくも自分の事をそんな風に良く言えるな……。
いや、まあ顔も体つきも悪くはないが……。
美しいが、トゲも毒もある赤丁子だろう」
ぷっっとアッシュール・イルニが吹き出す。
丁子、スパイスで言えばクローブ。
その一種ワイルドタイムは、乾いた草地や草原などに自生するピンクから紅紫色の花である。
地面に広がりながら増えていく「匍匐植物」で、いつの間にか根を張り、生命力が極めて強い。
アッシリアではこの植物をハシュと呼ぶ。
ハシュには「毒性や強い刺激を持つ植物」という意味が込められている。
実にアッシリアから見たヤバを的確に表現していると言えよう。
「何か可笑しいようだが、息子よ。
お前の妻は同類だと言ったのだが、忘れたのか?」
声に出せず、何とも言えない笑いを抑えた表情だったアッシュール・イルニが、また真顔に戻った。
「で、そのアルバキ総督の御令嬢は、どのようにハシュなのですか?
具体的な話を聞いていませんが?」
「そうだな。
私は以前、このカルフで行っている織物の生産の効率化を、全ての貴族に話した。
ヤバは『聞いても出来るわけない』と見切っていて、実際そうだった。
その中で唯一成功したのが、アルバキ総督の領内なのだ。
これで何となく分かるのではないか?」
「私は、調整役がいないと楽な仕事で利益だけは欲しいと、誰もが我を張って収拾着かなくなると予想しました。
それを成し遂げたのですね。
素晴らしい。
ですが、それで毒草扱いは酷いじゃないですか」
「ヤバ、お前がもし、そういう我を張った女性たちを預けられたら、どうする?」
「色々やり方はありますが……」
「一番最後の手段を言ってくれ」
「一番反抗的な人を、もう殺してくれと懇願するまで追い詰めます。
そうすれば、他の人も恐れて従うようになります。
ですが、これは最後の手段ですよ」
「そうだろうな。
お前は、必要が無ければそこまで酷い手段は取らない。
必要だと感じたら、都市国家の経済破壊するくらいの事は実際にしたが……」
アッシュール・イルニの表情が、ドン引きしたものになっている。
「では、そのアルバキ総督御令嬢は……」
「やった。
無論、そこに到るまでに様々に手を尽くした後に、だ。
どうしても言う事を聞かない者を、見せしめに叩き潰したのだが、その相手が誰か分かるか?」
「いえ……」
「お前も調べてはいなかったようだな。
一番抵抗したのは、アルバキ総督夫人、つまり自分の母親だった」
伝統的な価値観に染まり切った権臣の娘であるアルバキ総督夫人。
ヤバの改革を
「この国の秩序を乱すもの」
と断じ、賛同を示す女性にも脅しを掛けて妨害した。
バニトゥはそんな母を説得したり、時には口論となったりして、工業化と効率化を進めようとしたが、叶わなかった。
そこでバニトゥは、母をボコボコに殴って動けなくした後、髪を切って市場に晒したのである。
子が父の所有物である女性にこんな事をしたら、大問題だ。
その上バニトゥは女性であり、刑罰は重くなる。
だがバニトゥは
「織物の効率化は、アルバキ総督が発した布告によるもの。
それに抵抗した以上、総督夫人であっても抗命で断罪されるものである。
私はいきなりこのような断罪をしていない。
何度も説得し、布告に従うよう促した。
だが、聞き入れなかった為、総督に代わって刑を執行した。
私が受けるべき罪は、女ながらに総督が行うべき事を代行した事のみ。
母に当たる女性を辱めた事には、一点の間違いも無し」
と言った後で
「死罪ならば甘んじて受ける」
と鎌剣を自分の首に当てた。
実際、代執行をする手続きは終えていて、総督アッシュール・シャル・ウスルが
「お前の母だろう、そんな事はするな」
と差し止めていた段階であった。
アッシュール・シャル・ウスルは悩み、織物生産の効率化に成功すれば罪一等を免じるが、ダメだった場合は処刑という判決を下す。
そして、自分の母にすら容赦しないバニトゥに、集められた女性たちは我を張る事もなく、彼女の人員調整に従ったのだった。
「はあ、確かに私そっくり……。
いやいや、私はそこまではしませんから」
夫と義子はその言葉を信じない。
そんな女性を妻とするアッシュール・イルニは、内心
(そんなの断ってくれ!)
と悲鳴を挙げていたが、
「アルバキ総督から、私の所しか嫁の貰い手が無くなってしまった。
どうか引き取って欲しいと、涙ながらに頼まれてしまってなあ……。
そういう訳だから、ヤバよ、頼んで良いか?」
ヤバは不安を感じながらも引き受ける。
だが、その不安は杞憂に終わった。
婚約が決まると、アッシュール・シャル・ウスルは
「正式な結婚はまだだが、それまでの間、面倒を見てくれ」
と早速娘を送って来た。
そして挨拶の席で
「あの改革は、ヤバ様が主導されたんですってね!
私、尊敬しています!
うちの石頭の母は、『ハッティの神を冒涜したやり方』なんて言ってましたけど、銀を稼げたら何でも良いですよね!」
そう言って、ヤバと意気投合したのである。
かつては男尊女卑原理主義者だった、カルフ総督長子アッシュール・イルニ。
外ではともかく、家内では妻に頭が上がらなくなるのに、そう時間は掛からなかった。
おまけ:
バニトゥの絵と1話のヤバの絵の比較ですが、アッシリア女性はスカーフを被っている違いがあります。
現在の中東にも通じるスタイルです。
暑いから、ではなく「どの家の所有か」を示すものです。
あと、バニトゥの影の意味については、その内分かるでしょう。




