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義母と長子の和解

 アッシュール・イルニは、父の私邸に足を踏み入れる。

 中からは赤子の泣き声が聞こえて来た。

(ああ、俺の弟か……)

 話は聞いていたが、以前は気に留めようともしなかった。

 会ってみようかな、そう思うくらいには彼の心は頑なさから解放されていた。


「ようこそおいで下さいました」

 下級官僚用の宿舎に住み、別居しているこの家の長男を、ヤバは出迎えた。

 だが、アッシュール・イルニにはまだ少しわだかまりがあるようで、入口にて

「この度は我々父子の事で助けてくれて感謝します」

 そう言って右手の指先を口に当て、そこから相手へ差し出すような動きをした。

 これは「私はあなたを敬い、神に祈りを捧げます」という事を示す。

 日本という国では、頭を下げる、に相当する作法だ。


「まあ、上がっていきなさい。

 ご主人様から長子殿が来る事は教えられていました。

 返礼の料理を作っていますので、それを食べて行って下さい」


 こういうのは礼法の範囲である。

 アッシュール・イルニは文句を言う事もなく、素直に従った。




 大麦の薄焼きパン「メルス」とバター、リーキ(ポロねぎ)を魚醤(シクトゥ)で和えた副菜に、羊肉ラム紅甜菜(ビーツ)をビールで煮込んだ料理が並ぶ。

挿絵(By みてみん)

 ご馳走ではあるが、贅沢品は使っていない。

 ヒッタイトの異国趣味も入っていない。

 よく知っている料理だ。

 アッシュール・イルニは緊張を解いて、その料理を頬張る。


(??

 ちょっと変わった味がする。

 悪くはないのだが)

 羊肉の煮込(トゥフ)の味に、微妙なアクセントがあった。

 ただそのアクセントにより、羊肉の微妙な獣臭さが消えている。

 何かを聞きたかったが、ヤバは何も言わず、アッシュール・イルニの食べるペースを乱さない。

 心地良い空間である。

 アッシュール・イルニは、来客用に漉して透明なビールを流し込む。

 時々聞こえる赤子の母を呼ぶ泣き声をBGMに、寛いだ夕食時間を終えた。


 そして食後、お互いリラックスしたタイミングでアッシュール・イルニはヤバに尋ねる。

「先程の羊肉の煮込(トゥフ)、少し違った感じの味がしたが、何を使ったのですか?」

 言葉使いからも刺々しさが抜けている。

 ヤバは微笑みながら

「コリアンダー、ミント、ディルといった香草と……確か胡椒(ピリピリ)とかいうものですね」

「それはもしかしたら、ハッティ(ヒッタイト)の料理ですか?」

 そうでもありますし、違うとも言えます。

 故郷では、ヒッタイトかどうか問わず、使っていました。

 それと、胡椒はヒッタイトの料理ではありません」

「では何なのですか?」

印度(メルッハ)から購入したものです」


 黒胡椒ブラックペッパーは、世界の文明の中でも最も古くから使われていた香辛料である。

 紀元前2000年頃の遺跡から、既に胡椒を摺った粒が見つかっている。

 この当時のインダス文明では、既にヒン、クミン、ウコン、マスタードといった香辛料が使われ、後々まで続くスパイス料理文化が始まっていた。

 そして、インダス文明の一歩外に出ると、ありふれた香辛料が莫大な価格で取引される商品に変わる。

 他の文明では、その希少さから裕福さを示すもの、または「胃を温め、毒を制する秘薬」として珍重された。

 季節風に乗った海上貿易で、インダスのスパイスはメソポタミア地域にももたらされる。

 アッシリアには、丁度この頃に入って来たようだった。


「メルッハとは、どの辺りになるのですか?

 よく分からないのですが」

「そうですね、このアッシリアを更に東に行き、エラム(イラン)を更に超えて行くと、大きな川(インダス川)にぶつかります。

 その川に沿って南下した地域に、メルッハの国々が在るそうです」

「はあ……」

「陸路を往けば果てしなく感じるでしょうが、海路なら案外往復しやすいと聞きました」

「貴女のような、色んな事を知っている人でも、知らない事があるのですね」

「そりゃそうです。

 私の知識なんて大した事ないのですよ」


 もしプルやベル・ダンが聞いたら

「はあ????」

 と言って振り返るような事を言ったのだが、付き合いの浅いアッシュール・イルニはそうかと頷く。


「世界は広いのだな。

 俺が知っている世界は、世界の中心アッシリアと、北のウラルトゥ、西のヒッタイト、南のバビロニア、東のエラムといった所だ。

 あと、エジプトという地も聞いた事があるし、レヴァントの平原にはシリアの地が在るとも。

 その外側にも国が在るとは、俺は想像もしていなかった」

「私が知っているのは、精々その辺りまでです。

 しかし聞く所によると、メルッハの更に先には宝石と薄くしなやかな糸からなる織物の国が在るそうですし、エジプトの南には黒き肌の民の国が、ヒッタイトの海の先にはアヒヤワという国が在るという伝承が残っています」

 これはそれぞれ中国(黄河文明)、ヌビア文明、ギリシャ(エーゲ海文明)の事である。

 この地域では、断片的な絹や玉の破片、黄金、ヒッタイトの言うアヒヤワ(ギリシャ)との抗争の跡などが伝え聞かれていた。

 ヤバも、更にその外側にも大陸が在ると聞いたら驚くだろう。

 今のアッシュール・イルニは、それと同じような衝撃を受けている。


「ところで長子殿、まだ少し腹に空きはありますか?」

 ヤバが尋ねる。

 男尊女卑とは、男が威張るような社会だが、そこでは男は弱みなど見せられない。

 当然だと言って、自らの大食を示す。

 次いで運ばれて来たのは、先程の羊肉の煮込(トゥフ)と同じものだった。


「??」

 首を傾げながら、再び料理を口にする。

「!!」

 今度は不味い。

 不味いと言う程ではないにしても、辛さと痺れる苦さとえぐみが舌に不快だ。

 この女は、嫌がらせでもしたいのか?


「ごめんなさいね。

 でも、私がしている事を説明したくて、あえて不味い料理を出しました。

 先程説明した香辛料を、大量に使ったのがこの料理です。

 私もよく分からないのですが、メルッハではこのような料理を食べているそうです。

 彼等には美味しいようですが、長子殿には不味かったですよね?」

「ああ」

 口直しのビールを飲みながら頷く。

「如何に外国の優れた物があっても、無闇やたらと使ってしまえば不快に思われてしまう。

 他国で美味い料理でも、アッシリアでは不味かったりする。

 そのままではいけないのです」

 アッシュール・イルニは黙って頷く。

「外国の物は、上手く使えば先程のように料理を豊かにします。

 しかし使いどころを誤れば、このような不快なものに変わります。

 私は、この不味い料理にはならないよう心掛けております。

 ご主人様にとって、丁度良い香辛料になろうと思っているのです」


(なるほどなあ)

 アッシュール・イルニは、この食事の意味が全部理解出来た。

 最初から今まで、全部計算づくで提供されたのだ。

 彼に世界の広さを認識させる。

 外国の物を上手く使う事、間違って使う事の差を教える。

 そして自分という人間を知って貰う。


(本当に、女の癖に小賢しい)

 そう思いつつも、全く不快ではなかった。

 彼女はこのアッシリアにとって、良い刺激になろうとしている。

 随分目立ってはいるが、それでも出過ぎないよう心掛けている。

 外国の、ヒッタイトの知恵をひけらかしてアッシリアを未開の国扱いするような女性ではない。

 父は、中々面白い女性を娶ったようだ。


「ヤバ殿だったな。

 貴女の年齢は幾つだ?

 若く見えるが、随分と色々な知識や知恵を持っておられる。

 まさか、父上より年上……という事はないですよな?」

「まさか~。

 まだ23歳ですよ」

「はえ?

 待て!

 俺、19歳!

 同年代なのか?」

「そうですよ、青二才のお坊ちゃん」

「おいおい、どうしてその年で、そんな知識を持っているんだ?」

「だって、私は10歳の時から書記官見習いとして、父の仕事を手伝っていましたからね。

 貴方とは年季が違うんですよ」

「うわあ……。

 俺、魔術で若作りしたハッティの魔女が、その手練手管で父上を誑かしたって思ってた」

「失礼ですね」

「いやいや、貴女のやった事を聞いて回ったけど、とても俺より4歳しか違わない、しかも女性がやれた事とは思えなかったし」

「だから、私の命を狙った、と?」

「は?」

「実行には移さなかったようで、感心します。

 ですが、州内の破落戸を集めようとしていたって話は、とっくに知ってますからね」

「あれは、父上がそういう手合いを常備軍に組み込んでいると知って、止めたのだがな……。

 ていうか、俺が貴女を排除しようとしていた事、知ってたのか?」

「この州で、私の耳に入らない事は無いんですよ」

 実際は、彼が同志だと思っているベル・ダンから、情報が流れているだけだが、ここはハッタリというのが大事である。


「……っていうか、父上、俺と大して歳の変わらない後妻を貰ったのかよ」

「外交ってものがありましてね」

「ええと、都市国家サマルと我が国との関係が切れないように、でしたっけ?

 事情があるのは知ってましたけど、それにしても、嫁いで来た時は二十歳前?」

「そうでしたねえ」

「それで、これだけの事をやった、と?」

「いや、大した事をした覚えはないのですけど……」

(父上、この人絶対年齢偽ってますよ……。

 そうでなければ、人生2回目かも……。

 どの道、俺では手も足も出ない……)


「もう降参だ。

 俺は二度と貴女を狙わない。

 狙う必要が無いと思ったし、狙ったら俺の方がやられかねない。

 貴女はきっと、俺よりもっと巧妙な手で、俺を陥れるだろうし」

「そんな事する気はありませんが、そう思うのならそうなのでしょうね」

「とりあえず、俺は降参する。

 どうか許して欲しい」

「いいですよ」

 ヤバは、プルに止められた事もあり、この未熟な青年を相手にしていなかった。

 だから遺恨な特に無い。

 両者は、プルを共に支えようと言って、協力し合う事を誓った。


 そろそろ宿舎に帰る時間だ。

 アッシュール・イルニは帰り際、生まれたばかりの弟との面会を欲する。

 ヤバの腕に抱かれてやって来た弟・ナバを見て、アッシュール・イルニは思わず微笑む。

 だが、一瞬脳裏に変なイメージが浮かんだ。

 遠い将来、この弟に殺されるのではないか、という妙な予感。

(そんな事がある筈がない。

 俺はもう、この弟を大事に育てようと思っているのだ。

 敵対はしないから、殺意を向けられる事もないだろう)


 人は未来を知らない。

 自分の運命を予測すら出来ていない。

 今の延長線上でしか、未来を夢見られない。

 この弟は、やがてアッシリアの王となる。

 同じく王となったアッシュール・イルニを脅かす存在になる。

 俗名ナバ、将来の名は「シャル・キン」、「忠実なる(シャル)」という意味である。

 このシャルキンは、一般的にはこの名前で呼ばれるようになる。

「サルゴン2世」と。

サルゴン2世の幼名は、創作です。

メソポタミアの記録は、即位前の名前とか無いので。

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― 新着の感想 ―
この話のラストを読んで意表を突かれました。ヤバとプルの子がまさか将来…………になるとはまったく思っていませんでした。そう来るのか。
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