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彼等は「海の民」

 それはヤバが少女時代、13~14歳頃の話である。

 彼女は、都市国家サマルから僅か5ベル(MKS単位では約50km)の先に海がある事を知った。

 そこには川とは違う膨大な水があり、その沿岸には人が住んでいる。

 ヤバは官庁の大人たちに尋ねた。

「あそこに住んでいる人たちは、我が国の住民ではないのですか?

 税金の台帳には、あの地域は入っていないのですが?」

 その言葉に、大人たちはしかめっ面になる。

「あいつらは人間じゃないんですぜ、お嬢さん」

「そうそう、理屈が通じない」

「大体、あそこに住んでいるわけじゃない。

 何かあればすぐどこかに行ってしまい、気づいたら違うのが住んでいる」

「先祖代々、あいつら『海の民』には触るな、見かけたら追い払え、人間だと思うなって言われてるんですよ」

挿絵(By みてみん)


 ヤバはそれだけでは納得しなかった。

 彼女は王族でもある父に尋ねるも、父も

「余り知ろうとは思わん」

 と口にする事さえも忌避する様子。

 それでも父は、

「興味があるなら、文献を読みなさい。

 我々の祖先が、如何にあの連中に苦しめられたかが記録されている」

 と、ヤバの知的好奇心を満たすだけの情報を与えた。


 そしてヒッタイトの古文書を読み、何となく理解する。

 彼等をヒッタイトでは「ルッカ族」「シェルデン族」そして「ピリシテ人」と呼んで記録していた。

 ヒッタイトとシリアの地で覇を競ったエジプト王国では、彼等を総称して「海の民」と呼ぶ。

 彼等についての記録は


『我が父よ、見てください。

 敵の船がやってきて、我が街を焼き払いました。

 彼らは邪悪なことを行いました。

 我が軍勢と戦車は全てヒッタイトの地にあり、船はルッカの地にあります。

 我が国は無防備なまま残されています。

 父よ、敵の七隻の船がやって来て、我々に多大な損害を与えたことを知ってください』

(ウガリット王がキプロス王アランシヤへの送った書簡)


『私は海へと急いだ。

 シキラの地の船が海上で私に戦いを挑んできた。

 私は海で戦い、敵の船を打ち破った。

 私はそれらを捕らえ、海上で火を放った』

(シュッピルリウマ2世の碑文)


 という争いや恐れを書いたものばかり。

「何故彼等はそのような事をするのか?」

 という、置かれた状況、思考パターン、目的、行動原理が分かるものは無い。

「もしかしたら、エジプトには有るのかしら?」

 と思いもしたが、その頃彼女は王太子の婚約者として選ばれ、日々の職務と並行して王妃としての礼儀作法も学ばねばならなくなり、次第に「海の民」に関する興味は薄れていった。




「うちの弟、結構やるなあ。

 今度会った時、頭を撫でてやらないと!」

 微妙に弟への認識がズレた状態ながら、ヤバは弟の調査報告に満足していた。

 嫁いでから既に5年が過ぎ、いい子いい子と頭を撫でてやる年頃でもない。

 大体、弟のパナムワの方が、ヤバより背が高くなっている。

 だが、しばらく会っていない姉の記憶では、弟はいつまでも彼女の後をくっついて歩いた、あるいは小生意気な事を言って困らせて来た、可愛い子供のままだった。


 それはさておき、パナムワが得た情報は以下のようなものである。

” これは全て、王太子クラムワの企みである。

 取り巻きたちの中にも「今は動かない方が良い、大人しくしていましょう」と言う者もいた。

 強引に王子が動いたものの、雇われる傭兵は居なかった。

 国王アズル・バアルも、国民に対し勝手な行動を禁じていた。

 頼める者が居なかった王子は、沿岸部の「海の民」に接触する。

 そして転売すれば大儲けが出来るアッシリアの織物の話をしたようだ。

 ここから先は想像も入る。

 王子は流石に

「自分の事はバラすな、アッシリアの織物が目的と悟られるな、転売は上手く隠れてやれ」

 と伝えたようだが、通訳の質が悪く

「アッシリア、織物、高い高い、売ったら大儲けヨ」

 程度しか理解させなかった。

 結果、彼等は堂々と盗品であるアッシリアの織物を売って、大儲けしている。”


 報告書を読みながら、ヤバは10年程前の記憶が蘇る。

「海の民」、ヒッタイトの末裔たるサマルの民から、人外の魔物、魔界の住人扱いされている者たち。

 話が通じず、交渉も出来ず、ただ暴れるだけの野蛮人、いや人間ではない存在。


「……って、馬鹿王子(クラムワ)とちゃんと交渉成功してるじゃないの!

 どこが交渉も出来ない人外なのよ!」

 ヤバは人知れずツッコミを入れる。

 更に言えば、盗品を売り捌いて生活の足しにしている。

 偏見を取って見てみれば、ちゃんとした人間ではないか。


「だったら、交渉でどうとでも出来るわね」


 だが、そこから先の交渉にヤバは出られない。

「お前、ナバを産んだばかりで何を言っている?」

 ナバとは先頃出産した彼等の子供である。

 産後のヤバが乳児を置いて、母親が国外で仕事すると言ったら、止めろと言う家族が大半かもしれない。

 その上、相手が「話が通じない野蛮人」と看做される連中なら、尚更であろう。


 アッシリアの海洋民族に対する意識も、ヒッタイトと大して変わらない。

 ヒッタイトがその歴史において、略奪・破壊に遭ったり、戦ったり、時に傭兵としたりという記憶から「得体の知れない連中」と後世に遺したのと違い、アッシリアの場合は内陸民ゆえの、異質な者への恐怖と警戒からであろう。

 大型の船に乗って通商をする者は理解出来るが、小舟に乗って魚を獲り、海に潜ったり泳いだりし、日に焼けたボロボロの肌と、潮でゴワゴワになった髪でやって来る者を見れば、魔物にしか見えないようだ。

 そんな「半魚人」と交渉など出来るのか?

 交渉して、何が得られるのか?

 未知なる者への差別感情は凄まじい。

 まあ、こういう場合は相手の方も内陸民を馬鹿にしていたりもするが。


 とにかく、自ら交渉する事を断固として阻止されたヤバは、赤子を抱きながら

「可愛い弟に頼るとするか」

 と呟く。

 彼女の中では、腕の中の赤子と大して変わらない扱いの弟だが、依頼というかほぼ命令を受けた弟の方は

「自分でやれよぉぉぉ!

 姉さんの方が能力高いだろぉぉぉぉ!!」

 とボヤきまくっていた。

 そこには可愛い、姉に逆らえない男子ではなく、一個の意思を持った少年がいるのだが。


 それでもパナムワは、ヤバの依頼をこなす。

 ヤバもただ丸投げするのではなく、裏で色々とお膳立てをしていた。

 やがてやって来たハラブ商人のアズル・バアルと合流すると、彼等はアナトリア半島南部の漁村に襲来する。

 そう、襲来。

 彼等はフェニキアの艦隊で漁村に乗りつけたのだ。


 すわ敵襲!

「海の民」たちは慌てる。

 海賊行為をしている以上、いつ襲われてもおかしくない。

 彼等は女子供を隠れ家である洞窟に逃がし、男は半裸のまま銛を持ったり、一部の者は甲冑を身に着けたりして戦闘態勢に入る。

 だが、沖合の艦隊からの呼びかけは

「交渉をしたい」

 であった。


「シドン市やティルス市がオラたちを雇う?

 信じられねえなあ」

 フェニキア商人からの申し出に、「海の民」たちは戸惑う。

 彼等は厳密には、ヒッタイトやエジプト、ミケーネ文明を荒した民ではない。

 何世代にも渡って入れ替わりが起こり、たまたま同じような生活と行動をしているだけの者である。

 はっきり言って、ただの武装漁民に過ぎない。

 砂漠において盗賊も立派な職業であるように、この海では海賊も単なる生活の一部に過ぎない。

 遊牧民が襲撃と略奪を経済活動としているように、都市文明や農耕文化とは相容れない思考をしている。

 そんな現代の「海の民」たちも、内陸の国家とは合わない、異なる世界の住民として距離を置いて生きているだけに、都市国家からの申し出をそのまま信じる事はせず、疑うだけであった。


「雇い料として、アッシリアの織物を渡し、その販売権を与えよう。

 こちらとしては、襲撃されて奪われるくらいなら、報酬として支払った方が良いという判断だ。

 君たちにしたら、もしかしたら護衛の兵士が乗り込んでいるかもしれない中、海賊行為をするよりも安全に商売が出来る。

 しかも、今後このように艦隊に襲われる事もなく、大手を振って生きられるのだ」

 そのように話す。

 サマルの馬鹿王子が流通を今でも干渉しているせいで、ハブル市はアナトリア半島に販路を持っていない。

 それなら、サマルを介さず「海の民」による密輸で販路を作ろう。

 商人は綺麗事ではやっていけない。

 サマルの人間であるパナムワに旨味は無いようだが、もしも流通の問題が解消し、アッシリアとサマルの関係改善が成った後は、この「海の民」の販売路を正式なものとして組み込めば良い。

 その時の担当がパナムワになる。

 今回の交渉をやり遂げれば、「海の民」にもハラブにもフェニキアにも顔が利くのは彼になるのだから。

 パナムワは

(そうなるのは、きっとクラムワ殿を完全排除した後だろうな……。

 姉上、結構容赦の無い性格だから、ここまで自分の邪魔をされたなら、故郷の同族と言えど許さないな。

 きっと姉上は、馬鹿王子を追放して僕を国王にする算段を立てているんだろうなあ……怖い怖い……)

 と悟っている。


 交渉は進められる。

「海の民」に対し出される提案では、このようなものがあった。

「我々フェニキアの都市国家は、今は海外に領土を拡げている。

 だから、君たちという人民が必要なのだ。

 拡大した領地には、君たちの住処を用意出来る。

 というか、我々だけでは維持出来ないから、君たちに任せざるを得ない」


 それでも彼等は半信半疑であった。

 一旦仲間と話し合うと言って、結論をすぐには出さない。

 それで十分。

 パナムワとアズル・バアルは、点在する漁村それぞれに使者を送り、必要があれば自ら出向いて交渉する。

 ヤバは2人に対し

「海に棲む魔物などと思わないように。

 彼等も欲しい物がある人間だ。

 交渉が出来ると信じて、相手を重んじて挑んで欲しい」

 と自らの知見を述べている。

 ヤバに対し、片や「嫁いだ癖に実家に迷惑を掛ける困った姉」と思い、片や「突拍子も無い提案をして来る、興味深くも油断ならない女性」と思っているが、「恐ろしく頭が切れる」という評価は共通していた。

 ヤバを信じてみた。


 その結果、一部の者はフェニキア各都市の海軍の傭兵となる事を承知し、他の者は

「仲間が居るから、フェニキアの商船は襲わない事にする。

 それだけで、確かに織物を卸してくれるんだろうな?」

 と、クラムワからの依頼を破棄するだけで商売の権利を得る道を選んだ。


 かくして馬鹿王子(クラムワ)は、2つ目の通商上の迂回路を作られ、自国の中継交易の担当者たちから突き上げを食らう事になるのだった。

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