男女のこだわりの違い
「えーっと、確かに粗悪な銀があるようだが、それの何が問題なんだ?」
ヤバから、何者かによって粗悪な銀が流通させられている事を知らされたプルの反応は鈍かった。
穀物は穀物、織物は織物、銀は銀。
質が悪いなら、安く扱われる。
銀が粗悪なら、支払いがその分多くなるだけ。
何の問題があるのか?
この鈍さは現物取引が主流の経済では、貨幣の質というものが理解されない事に因る。
お互いに交換する物を見て、納得する交換レートを決める場合、プルが言うように粗悪な銀でも問題は少ない。
「ちょっと傷物の織物だね、安くならない?」
「じゃあ、銀の重さはこれくらいで。
あ、ちょっと待った、その銀の質が悪いね。
少し上乗せしてもらわないと困るよ」
「分かった、じゃあ少し多めに出すよ。
でもまあ、傷物だからそれでも安く済んだから、問題ないよ」
こういう感覚で相対取引が行われる。
そしてアッシリアの男は、取引を女性に任せていた。
自分も必要に応じて取引を行うが、大体がこんな感じで鷹揚なのである。
自分が多少損をしても、農作物を多く作れば補填が効くと思っているから、気にしない。
自分が侮られていると分かれば激怒するが、そうでないなら
「商人なんて卑しい連中は、そうやってズルをしないと生きていけない可哀想な連中さ。
神の恵みたる穀物を作り、神の使命である戦争をする我々のような存在ではない」
と、むしろ相手を憐れむくらいである。
そんな感じだから、総督府の者も
「銀が含まれているのだから、問題無いだろう」
「取引が面倒になるのは確かだが、我々の富は穀物の生産量で計られるものだ」
「取引の面倒さくらい、我慢すれば良いだろう」
とこんな感じである。
(ダメだこりゃ)
ヤバは内心ボヤいた。
この件でアッシリアの男どもは、全く頼みにならない。
アッシリアに限らないかもしれない。
大規模取引をしない者には、ピンと来ない感覚なのだろう。
ヤバのこの危機感は、ヒッタイトの知恵ではなく、アラム人とのやり取りで培われたものである。
国家間の取引では、現物を確認しての、その場で価格決定なんて出来ない。
大量の穀物の取引で、中に腐ったものを入れられたとしても、全ての検品は困難だ。
最終納品の時点で、抜き打ち検査はするが、それでも限度がある。
従って、食用に耐える穀物が納品されているという信頼を元に取引がされる。
もしも腐った穀物が、許容範囲を超えて大量に納品された場合、信用を失って取引停止となる。
銀も同様だ。
貨幣というのは、物物交換の際の物品ごとの取引レートの複雑さを解消する為に作られた方便である。
貨幣が国家の信用をもって、原価に倍する価値を有する……というのはもっと後世の概念。
紀元前のメソポタミアにおいては、貴金属である銀が、銀自身の価値をもって交易の媒介になっていたに過ぎない。
だから、正確には銀は貨幣とは言えない。
銀は重さでもって取引される、貨幣のような媒体に過ぎない。
その銀に粗悪品が混ざるとなると、信用出来ない相手と看做され、取引停止とされるだろう。
国家単位の取引とは、そういうものである。
個人商人と現場で価格を決める取引とは違うものなのだ。
(これは男どもに頼っていられない。
この国のやり方に従っていたら、伸びて来た織物輸出に影響が出てしまう)
ヤバにしたら、単なる財務の問題ではない。
彼女が自前で動かせる軍事力である傭兵、この支払い対価が失われてしまう事にも繋がる。
例え銀を介さない交易に切り替えたとしても、護衛の兵士がいないと、さしもの「神の加護、魔神の祟り」という風説も効果を失うだろう。
そうなると、また「シリア門」を使った交易路に戻さざるを得ない。
ヤバの祖国である都市国家サマルが、また仲介貿易でアッシリアをコントロールしようとするだろう。
バランス感覚に優れた現王と違い、馬鹿王子ならウラルトゥの後ろ盾の元、暴利とも言える中抜きをするに違いない。
こうして交易の利も失ったアッシリアは、チグリス川上流の農業国家に転落するだろう。
「仕方ないわ。
女性たちを頼りましょう」
選択肢はそれしかない。
男尊女卑の国だから、ヤバが説得しても聞いてくれないし、権力を使って命令も出来ない。
だったら女性を使うしかない。
それでも彼女は、夫であるカルフ総督プルの承認を得てからでないと行動出来ない。
(既に前科一犯だしね、きちんと筋を通しましょうか)
交易に勝手に同行し、夫の副官を無理矢理連れ出し、一芝居打つという結構なやらかしをしているヤバは、独断専行はしない事にした。
「銀の質が悪いと、常備軍への支払い、駅伝の整理、今も土地台帳を作っている文官への給料が支払われなくなりますよ」
ヤバの言にプルは
「銀は銀だ、変わりない」
と素っ気ない。
ヤバは続けて
「粗悪な銀は、受取を拒否されますよ。
毎回毎回支払いの時期に、相手が銀を調べ、粗悪だから増やして欲しいと交渉して来ますよ」
「交渉に応じれば良い」
「相手が騙して来る事もありますよ。
ちょっとずる賢い人なら、相手の無知につけこんで、良質な銀でも粗悪銀だと言い張って、更なる要求をして来るでしょうね。
騙されない為にも、銀が本当に粗悪なのか、毎回調べないとなりませんね」
「……まあ、仕方ないのでは……」
プルは、旗色が悪くなって来たと感じ、言葉のキレがなくなる。
「常備軍、現在は千人から二千人に増やしたんでしたか。
総督立ち合いの元、その人数に対し確認作業を行うと?」
「…………」
「それならいっそ、信頼のおける銀だけが出回るようにしたら、手間が省けますよ」
「分かった。
お前に任せる。
軍を動かしたり、役人を私的な用事で使ったり、勝手に国外に出ない範囲で、好きにやれ」
「それを公文書にしてもらえませんか?」
「……随分と慎重だな。
何をする気だ?」
ヤバはここで自分の構想を説明する。
プルは頭を抱えながら
「分かった。
布告を出しておくし、総督の印章を預けるから、お前はあくまでも私の代理人として振舞え」
と答えた。
プルの頭脳は、破天荒であってもヤバのやり方が良いと理解したのだ。
ヤバも、以前の思考が硬直した夫ではなく、随分と柔軟で、かつ自分では出来ない事を出来る現在の夫に、尊敬と深い愛情を抱くようになっていた。
「……というわけです。
皆さんの銀を見抜く目、耳、指先が必要なのです」
集められたのは、カルフ総督管内で寡婦となっていたり、子供も成長して家庭内では「用済み」として尊敬されなくなった女性たちである。
色々と苦労をして来た。
特に生きていく上で、支払い等は鷹揚な男たちと違って、シビアにやって来た女性たちである。
彼女たちは公務員となり、給与を支払われ、立場が上がる、そう説明される。
長年男尊女卑のアッシリアで生きて来たから、半信半疑ではあったが、それでも取引用の銀が信用を失う事について、男性たちよりもハッキリと危機を感じたようだ。
彼女たちは総督代理ヤバの依頼を受諾し、銀チェック機関を立ち上げる。
銀の見方は様々である。
単純に目で見て、色合いの違いを見つける事。
秤に乗せて重さの違いを見つける事。
打ち鳴らしてみて、音の違いを聞き分ける事。
そして、一見して粗悪品と分かりにくい銀は試金石にこすりつけて見分ける。
これより遥か後年、鋳造貨幣を発明したリディア王国に因んで「リディアの石(Lydian Stone)」とも呼ばれる試金石だが、コインが発明される以前から銀のインゴットやリングの純度を確かめる為に経験的に使用されていた。
ヒッタイトの故地には、それに適した黒色頁岩があり、それを試金石として利用していた。
ヤバはそれをよく知っている。
またヒッタイトは、冶金技術に秀でた文明であった。
彼等は独自の技術で不純物を取り除いていた。
粗悪と判断された銀は、古来より伝わる灰吹き法や、食塩(塩化ナトリウム)を混ぜての溶融で分離する塩化精錬という方法で、純度の高い銀に造り直す。
こうしたチェック体制と、ヒッタイト由来の冶金技術導入で、アッシリアで流通する銀には粗悪品が混ざらないようになったのだ。
しばらく時間が経過する。
ウラルトゥの首都トゥシュパで、サルドゥリ2世はビト・アグシ国王マティ・イルと食事を共にしていた。
ビト・アグシもまた、新ヒッタイト諸王国の一つである。
サマルは近くにある「シリア門」を抑えた事で中継貿易国になったが、ビト・アグシは交易品に手を加えて付加価値をつけて輸出する加工貿易国となっていた。
そしてこの国は、鉱産資源の豊富なウラルトゥと積極的に手を組み、反アッシリア同盟シリア諸国を率いる盟主となっている。
ヤバが新たな中継貿易拠点として選んだハラブ市も、このビト・アグシ王国の領土内に在る。
まあ、ハラブは領土として、防衛の為の軍事としてビト・アグシ王国の傘下に収まっているが、歴史的に古いこの都市は王国を軽く見ているし、事実上国王ではなく商人自治組織が統治をしているのだが。
そんなビト・アグシ国王マティ・イルは、美女を使って篭絡したサマルの馬鹿王子より、余程信頼が置けるサルドゥリ2世の同志と言える。
その同志にサルドゥリ2世が尋ねた。
「貴殿の領内では、アッシリアの交易銀の粗悪品が見られないと言うのだな?」
「左様です」
聞かれた事に答えるだけではない。
マティ・イルは、他の地域でも粗悪銀が使われた形跡が無いと伝える。
「どうやら、わしの策が潰されたようだ。
忌々しい。
あの何事も大雑把なアッシリアにあって、カルフ総督ヤバとは余程の切れ者のようだな」
「それにしては、楽しそうに見えますが?」
「そう見えるか?
ふむ。
まあ、楽しい遊び相手が出来たとは思っておる」
「その遊び相手ですが、カルフ総督では無いかもしれませんぞ」
「なに?」
マティ・イルは、仮にもハラブ市を傘下に置く国王である。
そこで仕入れた情報をサルドゥリ2世に伝える。
「カルフ総督夫人ヤバという女です」
「女だと?
何かの間違いではないのか?
あの劣等農業国は男尊女卑の国だ。
女がそんな事を出来る筈がない」
「しかし、その女がハラブに隊商を引き連れて現れ、更には軍を使ってサマルの孺子の傭兵を叩きのめしたとの事」
「ふむ……」
サルドゥリ2世はワインを煽る。
「その女は何者だ?」
「余計な事を仕出かすサマルの孺子と同郷、つまり我々と同じく、『古えのヒッタイトの知恵』を引き継ぐ者です」
「そうか、ヒッタイトは女でも権力を持てた。
それならば納得だ」
サルドゥリ2世は、残ったワインを胃に流し込む。
しかし、酔っぱらった目はしていない。
「で、そんな女が何故、アッシリアなどに居る?」
「なんでも元はサマルの孺子と婚約者だったのが、婚約破棄されて国外追放され、それをカフル総督に拾われたとか……」
サルドゥリ2世は呆れて溜息を吐く。
「サマルの馬鹿王子に伝えよ。
何故、優秀な女を手放したのかとな。
その女が邪魔者になっている、その女について詳しい情報を寄越せ。
くれぐれも余計な事はするな、
『静かな運河の堤を突く者、自らの家を洪水に沈める』(藪をつついて蛇を出す)
が如き真似はするな、とな」
「分かりました。
これは工作員経由ではなく、我が国からの使者として詰問し、事を公にします」
「そうしてくれ。
貴殿は話が早くて助かる」
こうしてヤバがサルドゥリ2世の画策に気づいたのと同様に、サルドゥリ2世の方もヤバの存在を察知したのである。




