都市国家サマルからの追放
「ヤウディの娘、ヤバよ!
お前との婚約を解消し、お前を国外追放とする!」
ここは都市国家サマル。
物語から2700年後の地理では、トルコ南部のジンジルリという場所だ。
アナトリア半島を支配した「鉄と戦車の王国」ヒッタイト、その強国が衰退し崩壊した中で生まれた新ヒッタイト諸王国の一つが、サマルである。
アッシリア王国と同盟を結び、周辺国とも安定した外交関係を維持して来た都市国家だが、ここで「賢明な国」らしからぬ追放劇が展開されていた。
「クラムワ様、婚約解消は受け容れます。
しかし、国外追放は納得いきません。
この国は法と理で治めるもの。
その後継者たる貴方が理不尽では、国が成り立ちませんよ」
追放されると言われた娘・ヤバは、傍らに美女を抱いた男・クラムワに食ってかかる。
サマル王太子クラムワは、忌々しそうに
「お前のそういう理屈っぽい所が嫌いなのだ」
と吐き捨てる。
「は? 今一体何と?」
更に問い詰めるヤバの権幕に、クラムワの横に居た美女が怖がってみせる。
「お前はこのバグマシュティに、散々な嫌がらせをしたそうだな!
お前はバグマシュティの背後に何があるのか、分かっているのか?
バグマシュティは、大国ウラルトゥから送られて来た人質なのだ。
その大事な立場の女性に、お前という女は意地悪をして……」
「そんな事をした覚えがありませんが」
「いいや、した!
俺がしたと認定した以上、お前はしたんだ。
それとも何か?
俺が間違っているとでも言うのか?」
「はあ……」
ヤバは溜息を吐く。
賢明な彼女には、バカ王子がウラルトゥに篭絡された事が見えてしまった。
紀元前750年頃、オリエント世界には離れた所にあるエジプトと、メソポタミアの2つの大国があった。
アッシリア王国とビアインリ王国である。
もう一つ、伝統的な大国バビロニアも在る事は在るが、この国には問題があり、弱体化している。
いずれ語る事になるだろう。
ビアインリ王国はアッシリアからは「ウラルトゥ王国」と呼ばれている。
アララト山周辺の国だからであり、この後は基本的にはウラルトゥと呼ぶ事にする。
この時期、ウラルトゥは最盛期を迎えていた。
アルメニア高原の全域を領し、南はティグリス川、西はユーフラテス川の上流域にまで至る広大な領土を支配している。
英王サルドゥリ2世は、アッシリアのアッシュール・ダン3世やアッシュール・ニラリ5世に対し勝利を収め、アッシリアの北西領土を蚕食、サマルを含む地中海沿岸地域にまで伸張した。
その上でサルドゥリ2世は、武力に物を言わせるだけの粗暴な外交をしない。
新ヒッタイト諸王国に対しては、「対等に近い軍事同盟」を結んで取り込みを図る。
その証として、バグマシュティという美女が送られて来たのだが……
(どうやら、篭絡要員だったようね……)
ヤバは彼女の正体を看破する。
彼女が来る前から
「ウラルトゥの辺りは美女が多いと聞く!
どんな美女が来るんだろう!」
と馬鹿王子は浮かれていたのだが、送られて来たのは確かにエキゾチックな美女だった。
それでいて、
「私は、この国にては右も左も分からないような哀れな女です。
どうか皆様のお助けをいただきたく……」
と涙を流してみせたのだから、馬鹿王子の心が射抜かれるのも分からなくはない。
しかし、本来ヤバとの婚約は簡単には解消出来ないものなのだ。
ヤバもまた王族である。
ヒッタイト貴族の末裔である彼女の血統は、現国王アズル・バアルの一族とは、交代で国王を勤めて来た。
ヤバには弟がいるが、彼はまだ幼く、次期国王はクラムワに決まっている。
それゆえ、ヤバを王妃として両家の結束を強めたい思惑が、この婚約の背景にあった。
ヤバは将来の王妃となる事を告げられた後は、英才教育を施される。
古語であるシュメール語や、現代の盟主の国のアッシリア語、資料を読む際のヒッタイト語、商業用のアラム語、その他アッカド語、バビロニア語といった言語を覚え、それぞれの楔型文字を使い分ける。
ヒッタイト語では、自分たちの祖先たちの優れた国家制度を学習出来た。
都市国家が生き残る上で重要な交易や、外交業務にも携わる。
書記官としては女性ながら一級品の人材となったのだ。
そして、ヤバが優秀と評されれば評される程、クラムワの心は離れていった。
馬鹿王子ではあるが、彼とて単なる無能ではない。
神殿や庭園の設計は上手く、営業トークは相手を楽しませた。
芸術家肌で、遊び人だが、それ故に客受けは良かったのだ。
そして、薄々気づいてはいたが、事務や軍事、経済といった実務は大嫌い、それに関わる者からも逃げる傾向にある。
自然、クラムワの周囲には浮ついた男女が集まり、軽薄な会話に花が咲いていた。
困った事に、ヤバの方はそうしたチャラチャラした雰囲気が大嫌いなのである。
お互い趣味は全く合わない。
だが、それでもお互いの血筋ゆえに婚約は解消出来ない、そう思われていたのだ。
「王子、流石に婚約解消はおかしいです。
どうかヤバ様に謝って、前言撤回なさって下さい」
「そうです。
この事を外事担当官ヤウディ様、ヤバ様の御父上が知ったら、大事になりますそ」
そう言って諫める者たちもいたが、王子は我意を押し通そうとする。
こういう我がままな部分が「馬鹿王子」なのだ。
ヤバは溜息混じりにクラムワの方を見る。
王子の横のバグマシュティと目が合った。
一瞬、勝ち誇った笑顔が浮かぶ。
だが瞬時にそれを消し、泣きそうな表情で王子の腕にしがみついてみせた。
(あの女、大したタマだわ。
出来る女、悪女ね。
出来る女が本性を隠し、馬鹿女のフリをするのって、意外に精神的に苦痛なのよね。
私は絶対出来ない。
死んでもやりたくない。
なのにそれをやってのけてる。
流石はサルドゥリ王が送って来た、王族篭絡用の美人工作員だわ……)
ヤバは内心納得し、この状況がどうにもならない事を察知した。
この女一人で引き起こした事態ではないだろう。
確実に協力者が多数いる。
馬鹿王子の発言は、全ての支度が終わってからの、単なるパフォーマンスに過ぎない。
都市国家サマル取り込み工作は、王家の者を篭絡して終わる程度のものではいだろう。
もっと深く根を張らせている。
取返しがつかないものだ。
結局、宴席での追放劇は有耶無耶でグダグダとなって、終幕を見ずに解散となる。
ヤバにはその後の展開が読めた。
予想通り、ヤバと、病で臥せっていた父のヤウディの元に、アズル・バアル国王が訪ねて来た。
最初に
「我が馬鹿息子が申し訳ない。
ヤバ嬢の誇りを傷つけてしまい、釈明のしようがない」
と謝罪して来た。
ヤウディは憤懣やる方無い表情だが、国王に謝罪されては、それ以上の避難も出来ない。
国王は話を続ける。
「あの宴席の日、私がどこに居たかは知ってるだろう?
あの日、呼ばれていたウラルトゥの要塞では、貿易の規模拡大について話し合っていた。
私はアッシリアとの関係から、やんわりと断るつもりだった。
しかし、随員たちにはウラルトゥ派が多かった。
その者たちに押し切られる形で交易の拡大が決まり、帰ってみたらこの騒ぎ……」
「私も愚かでした。
クラムワ様とバグマシュティ嬢の事など見て見ぬふりをしていましたが、妨害すべきでしたね。
あそこからウラルトゥ派の拡大が始まったようですし」
ヤバの言に、国王も頷く。
ヤバも外交に携わる仕事もしていたし、国王に随行する資格があった。
しかし、王子主催の宴会があるから、婚約者として出席するよう言われ、留められた。
何やかや理由をつけられ、ウラルトゥ一辺倒でない者は、随員に選ばれなかったのだ。
ウラルトゥ派は、都市国家サマルの上層部に相当食いこんでいると見て良い。
汚染源が王子なら、それも仕方ないだろう。
「もうこうなっては、其方との婚約破棄を追認する他ない。
クラムワの背後にはウラルトゥがいる。
迂闊な事をすると、この都市国家が混乱して滅亡しかねない」
そう言った国王に、
「はいそうですね、で済ませるとお思いか?
国王、我が娘にはどう落とし前をつけるつもりか?」
と父ヤウディが、病床から静かながらも殺気を込めた圧を放つ。
「怖い空気を出しなさるな、ヤウディ殿。
その提案もしに来たのだ。
どうだ、ヤバ嬢、アッシリアに行かぬか?」
「アッシリアですか?」
国王は頷く。
「サマルは諸勢力の均衡の中で国を維持して来た。
良くも悪くも、クラムワのせいでウラルトゥとの関係が強くなった。
ならば、ヤバ嬢にはアッシリアに行って貰い、そちらとの関係も強めて欲しい」
「おい、馬鹿息子の親馬鹿国王!」
「口が悪いな。
まあ、言われても仕方がない」
「お前は、傷ついた我が娘を、外交の道具に利用しようと言うのか。
どこまでも身勝手な奴よ」
「国王とはそういうものだ……と一応言っておくぞ。
どうかね?
アッシリア第二の都カルフの総督で、プルという男がいる。
この程妻を亡くしたそうだ。
その後妻にならぬか?」
「おい、馬鹿国王!
王妃候補を、外国の一総督の、それも後妻だと?
我が一族を馬鹿にするのもいい加減にしろ!」
「行きますよ」
興奮する父に対し、ヤバは冷めた顔で返事をした。
「え?
行く?
どうしてだ?
自暴自棄を起こしてはいないよな?」
「嫌だなあ、父上、私がそんな可愛い女に見えます?」
「見えんな。
顔は親の贔屓目で実に可愛いのだが、性格は親の贔屓目込みでも、言い繕えん。
我々ヒッタイトの鋼鉄よりも強靭な性格をしている……」
世界最初の製鉄民族ヒッタイト、その最強金属よりも強いと言われるのは、果たして良い事なのか……。
「正直、この国に居ると、私の身が危ういのです。
私、バグマシュティ嬢とちらりと目を合わせたのです。
勝ち誇った表情でした。
ああいう女は、勝った後に容赦しません。
私の国外追放を馬鹿に言わせたのも、あの女でしょう。
となると、私がこの国に居る限り、馬鹿の権力を使って様々に危害を加えて来るのは予想出来ます。
だから、思惑通り国外追放されてやろうじゃないですか!」
こうしてヤバは、悔しさなのか寂しさなのか、布団を涙で濡らす父と、申し訳なさと安堵の気持ちが共存する国王に対し、アッシリア行きを告げたのである。
この事が歴史を大きく変えるのだが、その事をまだ誰も知らない。
この後、19時にも更新します。
勢力地図は、何となくで見て下さい。
画像生成が言う事聞いてくれないので。




