無表情な旦那様の秘密の日記を読んでしまった
「……ふぅ」
夜会を抜け出し、人気のない裏庭で一人溜め息をつく。
両親からいい加減そろそろ婚約者を探せと言われ、嫌々ながらも参加した夜会だったけれど、どうにもあのキラキラした空間は性に合わない。
何よりどの男性も、私になんか興味はないだろうし。
我が国では男性も女性も、煌びやかな金髪こそが至高とされている。
それに対し、私は地味な黒髪。
誰もこんな魅力のない女を、妻にしたいなんて思わないものね……。
「ふぅ……。おや? 先客か」
「――!」
その時だった。
一人の背の高い男性が、私の隣に現れた。
サラサラの金髪に、氷のように冷たい蒼い瞳。
そのクールで優美な佇まいは、物語に出てくる冷酷な魔王を彷彿とさせた。
こ、このお方は、筆頭侯爵家である、ベルクヴァイン家の嫡男の、アロイス様――!
「こ、これはアロイス様! わたくしはクラナッハ伯爵家のフィーネと申します」
咄嗟にカーテシーで自己紹介をする。
「…………ふむ、君は何故ここに」
「あ、そ、それが……」
何と説明しよう……。
いや、こういう時は、正直に言うのが一番だ。
変に言い訳をすると、却って恥をかきそうだし。
「お恥ずかしい話なのですが、どうにもああいった賑やかな空間は苦手でして……。ここに逃げて来たのです」
「ホウ、奇遇だな、俺もだ」
「え?」
まさか、アロイス様も――!
筆頭侯爵家の嫡男ともなれば、こういった夜会の空気には慣れているとばかり……。
「次から次に、ひっきりなしに女性から声を掛けられ、息をつく暇もない。堪らず逃げて来たよ」
あ、違った。
男性から見向きもされない私とは真逆で、アロイス様の場合は、女性からモテすぎて嫌気が差してるパターンだったわ。
まあ、名家のご子息でありながら、こんなに芸術的な容姿をされてるんだもの。
そりゃおモテになるわよね。
没落寸前の伯爵家の娘である私とは、人間としての格が違うわ……。
「……よかったらこの夜会が終わるまで、俺とここで暇潰しに付き合ってくれないか?」
「……!」
えっ!?
私なんかがアロイス様のお相手を――!?
いやいやいや、落ち着きなさいフィーネ。
あくまでアロイス様は、暇潰しのお相手を求めてらっしゃるだけなんだから。
「あ、はい、私なんかでよろしければ」
「うん、ありがとう」
こうして私とアロイス様は、夜会が終わるまで他愛もない会話をして時を過ごした。
私もアロイス様もあまり口数が多いほうではなく、アロイス様は終始無表情だったものの、何故か私は、この空間がとても心地良かった――。
とはいえ、小説みたいにここでアロイス様から、「俺と結婚してくれ」なんて告白されるはずもなく、時間がきたら私たちは、特に次に会う約束もせず、そっと夜会を後にしたのであった――。
――だが、その数日後。
「オ、オイ、フィーネ!? お前に結婚の申し込みがきたぞッ!」
「っ!?」
慌てた様子でお父様が、私の部屋に駆け込んできた。
そ、そんな!?
「お、お相手はどなたでしょうか?」
「うん、それがな――ベルクヴァイン侯爵家の嫡男の、アロイス様だ」
「――!!?」
えーーー!?!?!?
「ア、アロイス様、今日からよろしくお願いいたします」
あれから一ヶ月。
私とアロイス様の結婚準備は怒涛の勢いで進められ、私はベルクヴァイン家に単身嫁いできた。
夥しい数の使用人と共に、アロイス様自らが私を出迎えてくださった。
「うむ、疲れただろう。暫くは自室で休んでくれ」
アロイス様は先日夜会でお会いした時と同様、無表情で何を考えてらっしゃるのかまったく読めない。
今回のこの婚姻は、アロイス様のお父様である、ベルクヴァイン侯爵閣下からの打診らしい。
ベルクヴァイン閣下が、何故まったく取り柄のない私なんかを大事な一人息子の嫁に選んだのかは甚だ謎だけれど、一つだけ確かなのは、アロイス様にとってこの結婚は本意ではないということだ。
このまったく嬉しそうには見えないアロイス様の無表情が、それを物語っている。
嗚呼、本当に申し訳ないわ……!
いくらお父様からの命令とはいえ、私みたいな地味女と結婚させられてしまうなんて、アロイス様が不憫でならない……!
あ、そうだわ!
「あ、あの、アロイス様、ご両親はどちらに?」
私たちは結婚式も開かず、両家の顔合わせすらなくいきなり入籍してしまったので、私はまだ一度もアロイス様のご両親にお会いしていないのだ。
今日から義理の親子になるのだから、流石に挨拶くらいはしておかないと。
「ああ、両親は旅行中でな。いつ帰って来るのかは、俺でもわからないんだ」
「あ、さ、左様でございますか」
今日から嫁が来るというのに、旅行中???
益々ベルクヴァイン閣下のお考えが、私にはまったく理解できないわ……。
だが、アロイス様にとって私との結婚が本意ではないという予想は、どうやら当たっているようだった。
その証拠に私とアロイス様の寝室は別で、アロイス様に私と夫婦の関係を持とうという意思は見受けられなかった……。
夕食の時も同じテーブルこそ囲んでいるものの、アロイス様は例によって終始無表情だったし、私は一人悶々としながら、結婚生活の一日目を終えたのだった――。
「では、いってくる」
「い、いってらっしゃいませ」
そしてその翌朝。
朝食を手早く終えたアロイス様は、ご旅行中のベルクヴァイン閣下に代わって、領主のお仕事に出掛けられた。
私は一応妻として、アロイス様を玄関で見送る。
さてと、自由にしていていいとは言われているものの、これからどうしようかしら。
よし、まずはこの広大な邸宅の、全貌を把握するところから始めましょう。
私は屋敷の中を特に当てもなく、一人でぶらぶらと散歩することにした。
「にゃあん」
「――!」
暫く廊下を歩くと、目の前に首輪をつけた、真っ白な毛並みの良い猫が現れた。
前脚だけが黒くなっており、まるで靴下を履いてるみたいだ。
か、可愛い……!
この家で飼ってるペットかしら?
「あなた、お名前は何ていうの?」
「にゃあん」
猫ちゃんは私に背を向けると、トテトテと廊下の奥に歩いて行った。
「あ、待って」
私は猫ちゃんの後を追った。
「にゃん」
「……!」
猫ちゃんは突き当たりにあった豪奢な扉を器用に開け、中に入って行ってしまった。
まあ!
「猫ちゃん、ここ、勝手に入ってもいいの?」
恐る恐る中を窺う。
どうやらこの部屋は書斎のようだった。
無数の本棚にはびっしりと本が並べられており、奥には古びた机が一つ置かれている。
「にゃあん」
「あ」
猫ちゃんはその机に乗り、立て掛けられていたノートを前脚で引っ掛け、床に落としてしまった。
な、何てことを!?
「ダメよ猫ちゃん! 悪戯しちゃ!」
「にゃあん」
私は慌ててノートを拾う。
だがその際、ノートの開かれていたページの文字が目に入ってしまった。
そこにはこう書かれていた――。
10月10日
今日は遂に、彼女が俺の妻としてこの家にやって来た。
あまりの興奮に、昨日の夜はろくに眠れなかった……!
嗚呼、でも、久しぶりに会う彼女は、やはり女神のように美しく、可憐だったな……。
この国では金髪ばかりが持て囃されているが、俺は艶やかな黒髪こそが至高だと思っている!
先日の夜会で彼女と会った瞬間、俺は雷に打たれたような衝撃を受けた。
そこには俺の思い描いた、理想通りの女神がいたのだ――。
完全に一目惚れだった。
しかも二人で会話をしてみると、どうやら彼女は自己肯定感が低いタイプらしく、何かにつけて「私なんて」というワードを口にしていた。
そんなところも、俺の庇護欲をそそった――!!
「そんなことはないよ! 君はもっと、自分に自信を持っていいんだよ! 俺はこんなにも、君のことが大好きなんだからッ!」と喉元まで出かかったが、必死に堪えた。
家に帰るなり父さんに理想の女神に出逢った旨を告げ、彼女の実家に結婚の打診をしてもらった。
幸い俺の願いは叶い、彼女は俺の妻となってくれた。
よし!!
よしよしよし!!!!
嗚呼、神よ……!!
俺はあなたに、心から感謝します!!
両親も気を利かせ、夫婦水入らずで暮らせるようにと旅行に出掛けてくれた。
後は何とか両親が帰って来るまでに彼女に俺の想いを告げ、本当の夫婦になるだけ――!
……だが、果たして口下手な俺に、そんなことができるだろうか。
同じベッドで寝たら絶対緊張して挙動不審になってしまうから、寝室も別にしてしまったし……。
いや、弱気になってどうする俺!
俺は必ず、彼女に告白するんだ――!
だからもう少しだけ、どうか待っていてほしい。
「………………は?」
何、これ……???
日記みたいだけど、ももももしかしてこれ、アロイス様、の……!?
今日が10月11日だから、日付的にも昨日書かれたものだろう。
「は、はひゃあっ!?」
見てはいけないものを見てしまったという罪悪感と、あのアロイス様にこんなにも想われていたという事実に、変な悲鳴が出てしまった。
どどどどど、どうしよう……!!
これから私、アロイス様とどんな顔してお会いすれば……!!
「にゃん」
「あ!」
だが、そんな私の困惑はどこ吹く風で、猫ちゃんはさっさとこの部屋から出て行ってしまった。
「ま、待って!」
私はそそくさと日記を元の場所に戻し、猫ちゃんを追う。
「あら?」
だが、部屋から出ると猫ちゃんの姿は、煙のように消えていた。
そんな……!
広々とした廊下には隠れるような場所もないけど、いったいどこに行ったのかしら……。
「……ハァ」
まるで狐につままれたみたいだわ。
狐というよりは猫だけど。
「……一旦帰るか」
あまりの出来事に頭がパンクしそうだったので、思考を整理するためにも、自室に戻ることにした。
「ただいま」
「おおおおお、おかえりなさいませ!」
「?」
その日の夜。
お仕事から戻られたアロイス様を、妻として玄関で出迎える私。
ああもう!
昼間あんな日記を読んでしまっただけに、アロイス様のお顔を見たら、緊張で盛大にどもってしまった!
は、恥ずかしいいいいい!!!
「どうしたフィーネ? 顔が赤いぞ。熱でもあるんじゃないのか?」
「っ!?」
アロイス様がその彫刻のようにお美しいお顔を、私にグイと寄せてこられる。
ひゃ、ひゃあああああああああ!!!!
「な、何でもございません! あと、私は何も見ておりませんからッ!」
「? ……そうか」
ほぼ自白じゃない今の!!
ミステリー小説だったら、探偵から後々、「私は最初からあなたが怪しいと思っていました」って言われるパターンのやつだわ!
この後の二人での夕飯時も、私はずっと心臓がバクバクいっており、料理の味がまったくわからなかった――。
だが、入浴も済ませ、そろそろ寝ようかと自室でぼんやりしていた、その時――。
「フィーネ、少しいいだろうか?」
「……!」
ノック音と共に、扉の奥からアロイス様の渋いバリトンボイスが聞こえてきた。
こ、こんな時間に、いったい……!?
「あ、はい、どうぞ!」
私はドタバタと扉に駆け寄り、アロイス様を招き入れた。
「すまないな。もう寝るところだったか?」
「い、いえ、大丈夫です! 何か御用でしょうか?」
「ああ、実はフィーネに――大事な話があるんだ」
「――!」
この瞬間、常に無表情なアロイス様の瞳が、ギラリと光った気がした。
ま、まさか――!!
「フィーネ、俺は、君のことが――」
あ、ああ、やっぱり――!!
「君のことが、すすすすす、す……!」
「っ!?」
アロイス様のお顔が、見る見るうちに真っ赤に染まっていく。
アロイス様ッ!?!?
「すすす……! すーすーすー……! すすす……!」
モールス信号みたいになってますけど大丈夫ですか???
どこかにSOSを出してたりします???
「……クッ! やっぱりダメだ! ……すまない、やはり明日まで待ってもらってもいいだろうか」
「あ、は、はい、私は大丈夫、です」
「ではまたな。おやすみ」
「お、おやすみなさいませ」
アロイス様は早歩きで部屋から出て行くと、そっと扉を閉められた。
「ハ、ハアアァ……」
あまりの緊張に、思わずベッドに倒れ込む。
「……今、アロイス様、私に告白しようとした、のよね……?」
言葉にした途端、全身がカッと熱くなった。
「はひゃあああああああああああ」
私はベッドの上で、ドタバタとのたうち回った。
――結局朝までろくに眠れなかった。
「……では、いってくる」
「……い、いってらっしゃいませ」
そしてその翌朝。
今日もお仕事に出掛けられるアロイス様を、玄関で見送る私。
昨夜のこともあって、私たちの間には何とも気まずい空気が流れていた。
とはいえ、これでまた夜までは私一人。
昨日はアロイス様の日記を読んでしまったことでパニックになり、屋敷探索を中断してしまったので、気分転換がてら、昨日の続きから探索を再開しようかしら。
うん、そうね、それがいいわ。
私は「よし!」と一人で気合を入れて、長い廊下を歩き出した。
「にゃあん」
「――!」
が、昨日とまったく同じ場所で、例の白い猫ちゃんが現れた。
「猫ちゃん!」
やっぱり幻じゃなかったのね!
「にゃあん」
「あ、待って!」
そして猫ちゃんはまた、昨日の書斎に入って行ってしまった――。
「猫ちゃん、もしかして私を、書斎に誘ってるの?」
そっと書斎に入ると、猫ちゃんはまたしても机にちょこんと乗っていた。
ま、まさか――!
「にゃん」
「ああッ!」
そして案の定、アロイス様の日記を前脚で引っ掛け、床に落としてしまった。
わあああああああ!!!!
私の足元に落ちた日記は、とあるページが開かれていた。
見てはいけないとは思いつつも、どうしても私はそのページに書かれている文字から目が離せなかった。
そこにはこう書かれていた――。
10月11日
クソッ、俺の意気地なし!!
なんで素直に好きだって言えなかったんだ!?
何だよあの、「すすす……! すーすーすー……! すすす……!」ってッ!?
モールス信号かよッ!!!
俺はどこにSOSを出してたんだッ!?
彼女もメッチャ困惑してたし、これで嫌われたらどうしよう……。
ああもう、考えただけで寒気がしてきた……!
俺はもう、彼女なしの人生は考えられないんだ――。
――だからこそ、明日は絶対に告白を成功させねばならない。
だが、ヘタレな俺のことだ、きっと彼女を前にしたら、また緊張でモールスしてしまうに違いない。
そこで俺は考えた。
俺の彼女に対するこの気持ちを、ラブソングにして贈ればいいのだ――!
実はこの数日、ずっと歌詞は考えていた。
いい機会だから、ここに歌詞を書き記しておこう。
このオリジナルラブソングで明日こそは絶対彼女に、俺の想いを伝えるんだ――!
『君の瞳にKOIしちゃったゾイ』
KOIしちゃった(ウォウ)
KOIしちゃった(ワオ)
君の瞳にKOIしちゃったゾイ(チェケラ)
俺を見つめる君の目が(はーよいしょ)
俺のハートをWASIZUKAMI(フーフー)
君と一緒にいたいんだ(なんでー?)
それは君が好きだから(ひゅーひゅー)
KOIしちゃった(ウォウ)
KOIしちゃった(ワオ)
君の瞳にKOIしちゃったゾイ(チェケラ)
君の流れる黒髪が(はーどっこい)
俺のハートをKAKIMIDASU(ぎゅんぎゅん)
君と死ぬまで一緒にいたい(どしてー?)
君を永遠に愛してるから(お幸せにー)
「アロイス様??????」
どうしよう、アロイス様が完全に暴走モードに入ってしまわれたわ――!!
そもそもオリジナルラブソングで想いを伝えるっていう行為自体が、その、あれなのに……、歌詞の内容も、その、あれだし……。
しかもところどころ合いの手っぽいのも入ってるけど、これは誰が歌うの???
まさか一人二役???
……これはマズいことになったわ。
アロイス様のお気持ちは大変嬉しいのだけれど、流石にこれを目の前で熱唱されたら、私がいろんな意味で死んでしまう――!!
何とかアロイス様に、思い直してはいただけないかしら……。
「にゃあん」
「……!」
そんな私をガン無視して、また猫ちゃんはさっさと部屋から出て行ってしまった。
「猫ちゃん!」
が、私が猫ちゃんを追うと、今日も猫ちゃんは煙のように消えてしまっていたのだった――。
「ただいま」
「おーおおーおおお、おかえりなさいまっせッ!」
「???」
その日の夜。
例によってお仕事から戻られたアロイス様を玄関で出迎えたところ、あまりにテンパりすぎて、居酒屋の店員みたいになってしまった。
ひいいいいいいいいいいいいい!!!
「昨日からどうしたんだフィーネ? 明らかに様子が変だぞ」
「っ!?」
アロイス様が10秒以上直視したら目が潰れるんじゃないかというほどお美しいお顔を、私にグイと寄せてこられる。
ぬおおおおおおおおおおおおん!!!!
「な、何でもないんですッ! あと私は子どもの頃、オリジナルの少女漫画を描いていたことがありますッ!」
「っ!? そ、そうなのか。それは機会があったら、読んでみたいものだな」
「あ、でも、本当に拙いものなのでッ!」
嗚呼!!
アロイス様の歌詞を読んでしまった罪悪感から、思わず私も黒歴史を暴露してしまった……!!
でも今ので絶対、アロイス様に不信がられてしまったに違いないわ……!
最悪アロイス様の日記を読んでいるのが、バレてしまったかも……。
ああもう、だとしたら私は、どうしたら……。
そんなこんなで今日も入浴を終えた後、自室で一人悶々としていると――。
「フィーネ、いいかな? 昨日の続きなんだが」
「……!!」
ノック音と共に、扉の奥からアロイス様の渋いバリトンボイスが聞こえてきた。
キ、キタ!
遂にアロイス様のオリジナルラブソング熱唱タイムがきてしまったわ……!!
「あ、はい!」
私がバクバクする心臓を必死に抑えながら、そっと扉を開けると、そこには――。
――ギターを抱えたアロイス様が、凛と佇まれていた。
まさかの弾き語り??????
「あばばばばばばばばば」
「フィ、フィーネッ!?」
流石にこれは予想外だったので、脳が揺れて視界がクラクラしてきた。
「大丈夫か!? フィーネッ! フィーネッ!!」
「だ、大丈夫、です……。ちょっと気分が優れないだけなので……」
「そ、そうなのか……。そんな時に邪魔して悪かったな。今日はもう、ゆっくり休んでくれ」
「あ、はい、大変申し訳ございません」
「いや、いいんだ。おやすみ、フィーネ」
「お、おやすみなさい、アロイス様」
心配そうに去って行くアロイス様を尻目に私は扉を閉め、ベッドにドサッと倒れ込んだ。
「ああああああああああああああああああ」
もうもうもう!!
私のバカバカバカ!!
せっかくアロイス様が、私のために苦労して歌を作ってくださったのに……。
今になって、罪悪感で胸が押し潰されそうになってきた。
あの歌詞も、よく考えたら然程悪くない気がしてきたし……。
「……君の瞳にKOIしちゃったゾイ……チェケラ」
一人で天井を見つめながら、ボソッとそう呟いた。
「…………では、いってくる」
「…………いってらっしゃいませ」
そしてその翌朝。
今日も今日とてお仕事に出掛けられるアロイス様を、玄関で見送る私。
私たちの間に流れる空気は、完全にギクシャクしてしまっていた。
これは私のせいだ――。
半ば不可抗力だったとはいえ、私がアロイス様の日記を勝手に読んでしまったのが悪いのだ。
――まあ、そういう意味では、もう一人悪い人間――いや、猫がいるのだが。
私は静かな覚悟を秘めながら、今日もいつもの場所へと向かった。
「にゃあん」
「――!」
案の定、例の廊下で猫ちゃんが私を待っていた。
流石の私も確信した。
この猫ちゃんは、意図的に私にアロイス様の日記を読ませているのだ。
何て知能の高い猫だろう。
いや、本当に猫なのかしら……?
「にゃあん」
「……」
例によって猫ちゃんは書斎に入って行った。
ここで退き返せばいいとはわかっているものの、まるで甘い蜜に誘われる蝶のように、私の身体は書斎に引き込まれて行った――。
「にゃん」
「……」
私が書斎に入った途端、猫ちゃんはアロイス様の日記を床に落とした。
私の視線が、開かれたページに釘付けになる。
日記を拾うと、そこにはこう書かれていた――。
10月12日
今日も彼女に、俺の想いを伝えられなかった……。
まさか今日に限って、彼女の体調が悪くなってしまうなんて……。
いや、だが、冷静に考えてみれば、あれは体調が悪いという感じではなかった。
では何故、彼女は俺のことを避けるのか……?
……一つだけ仮説がある。
もしも昼間に彼女が、この日記を読んでいるのだとしたら……?
そう考えると、ここ数日の彼女の言動に、全て辻褄が合うのだ。
むしろそれしか答えがないような気さえしてきた。
――こうなったらもう、なりふり構っていられない。
明日はいっそ仕事は休んで、今度こそ昼間のうちに、俺の想いを伝えるんだ――!
「……なっ!?」
そ、そんな……!!
まさかアロイス様に、日記を読んでいたことがバレてしまったなんて……!!
いや、ある意味これは当然の帰結だわ。
あんなに不審な態度を取ってたら、そりゃいつかはバレるわよね……。
でも、日記には仕事を休むと書かれてるけど、アロイス様、仕事に行かれたわよね?
……気が変わったのかしら?
「――フィーネ」
「――!!」
その時だった。
背中から不意に聞こえた声に、私の心臓は危うく止まりかけた。
あ、あぁ……。
罪を暴かれた罪人のような気持ちで振り返ると、そこには――。
「……アロイス様」
真剣な表情のアロイス様が佇まれていた。
「お仕事に行かれたのではなかったのですか?」
「うん、それなんだが、忘れ物をしたので戻って来たんだ。そうしたら君が、この部屋に入って行くのが見えたものだから」
「……左様でございますか」
全てを観念した私は、手に持っていた日記を隠さず、胸の前でギュッと日記を抱きしめた。
「それは……」
「アロイス様、昨日は本当に申し訳ございませんでした。――どうかお聞かせください、アロイス様のお話を」
「――! フィーネ」
アロイス様は覚悟を宿した瞳をしながら、私の目の前に立たれた。
そして両手を私の両肩にそっと置き、私の目を真っ直ぐに見つめる。
「フィーネ、俺は君が――好きだ」
「……はい」
「あの夜会で会った時から、一目惚れだったんだ」
「はい」
ええ、存じております。
この日記に全部書かれてましたもの。
「君の艶やかなその黒い髪も、自己肯定感が低いところも、そして動揺すると意外と奇想天外な行動を取るところも、君を構成する全てが、俺は好きなんだ」
「……アロイス様」
嗚呼、でもやっぱり、こうして直接言われたほうが、何百倍も嬉しいわ――!
私の全身の細胞が、多幸感で打ち震えているのを感じる。
――これが、幸せというものなのね。
「ありがとうございます。――私もアロイス様のことを、お慕いしております」
「っ!? ほ、本当か!」
いつもは無表情なアロイス様のお顔が、ぱあっと太陽みたいに華やいだ。
ふふ、アロイス様って、そんなお顔もされるんですね。
アロイス様のことを知れば知るほど、もっと好きになりますわ――。
「ハハ、ありがとう、フィーネ! 一生大切にするからな!」
「はい、私もです、アロイス様」
私たちは互いの愛を確かめるように、強く抱き合った。
ああ、アロイス様の心臓、こんなにドキドキしてる……。
きっと私の心臓も同じくらい、高鳴ってるわね……。
「フッ、これはこれは、お安くないな」
「うふふ、夫婦水入らずにしたのは、成功だったみたいね」
「「――!!」」
その時だった。
聞きなれない声が、私の鼓膜を震わせた。
――そこには二人の男女が立っていた。
一人はお顔がアロイス様にそっくりな、渋い中年男性。
もう一人は艶のある黒髪が目を引く、妖艶な中年女性だった。
ま、まさか、このお二人は――!?
「父さん、母さん! もう旅行から帰って来たのかい?」
やっぱり!
このお二人が、私のお義父様とお義母様――!
「あ、あの! ご挨拶が遅れました! フィーネでございます!」
咄嗟にカーテシーで挨拶をする。
「ああ、気にしないでおくれ。私たちが勝手に家を出ていたのが悪いのだからね」
「その通りよフィーネちゃん。嗚呼、なんて可愛いのかしら。あなたみたいな子が娘になってくれて、私は嬉しいわ」
「っ!?」
お義母様にギュッと抱きしめられた。
ふおおおおおおおお!?!?
「む!? フィーネちゃん、何故君が、私の日記を持っているんだい!?」
「…………え?」
その時だった。
お義父様が私の持っている日記を指差しながら、わなわなと震え出した。
んんんんんん??????
今お義父様、何と仰いました??????
「日記? フィーネが大事そうに何か持っているなとは思っていたが、これ、父さんの日記だったのか」
アロイス様!?
だから私が日記を持っていても、あまりリアクションがなかったんですか!?
「……ああ、私が母さんと結婚した当初の心情を赤裸々に綴った日記だよ。いやあ、若気の至りとは恥ずかしいものだなぁ」
「うふふ、あの頃のあなたは、本当にシャイだったものね」
「あ、大変申し訳ございません。読むつもりはなかったのですが、ちょっとした事故で……」
あれ?
そういえば全ての元凶である猫ちゃんの姿が、いつの間にか消えている……。
「ああ、別に構わないよ、好きに読んでくれて。所詮過去のことだしね」
「はぁ」
私が言うのも何ですが、これを過去のことと笑い飛ばせるお義父様のメンタルは、なかなかになかなかですね……。
流石筆頭侯爵様。
このくらいのメンタルがないと、最上級貴族は務まらないのかもしれない。
パラパラとページをめくると、10月12日以降の日付にも、びっしりとお義母様への愛の言葉が綴られていた。
どうやらこれは本当に、お義父様の日記らしい。
私がじっくり先のページも見ていたら、もっと早くアロイス様の日記ではないって気付けたのに……。
それにしても、少なくとも結婚してから数日間は、お義父様とアロイス様はほとんど同じ行動を取られていたみたいね。
……流石実の親子。
女性の好みまで含めて、あまりにも似てらっしゃる。
血は争えないものなのね。
……でも。
「うふふ、フィーネちゃん、ベルクヴァイン家の男は愛が重いから、今のうちに覚悟しておいてね」
「――!」
依然として私に抱きついたままのお義母様が、ニッコリと微笑まれる。
今はこんなにも堂々とされているお義母様も、昔は私みたいに自己肯定感が低かったなんて……。
それだけお義父様から、長年に渡って溺愛されてこられたということなのですね……!
思わずアロイス様をチラリと窺うと――。
「フッ、そういうことだ。今後は遠慮なく愛を伝えていくから、そのつもりでいてくれよ」
「……!」
と、蕩けるような笑顔で言われたのだった。
はわわわわわ……!?
こ、こんな眩しい笑顔で毎日愛の言葉を囁かれたら、私の心臓はもつかしら……。
「それにしてもフィーネちゃん、どうしてフィーネちゃんは、私の日記を読もうと思ったんだい?」
お義父様にそう訊かれた。
ううん、ここは正直に言うのが一番よね。
「あの、それが、信じていただけないかもしれないんですが、白い猫ちゃんを追っていたらこのお部屋に入ってしまいまして。この日記を猫ちゃんが悪戯して落としたので、偶然中身を見てしまったんです」
「「「――!!」」」
「?」
三人が同時に、目を見開かれた。
え? 私変なこと言いました?
「……それは、前脚だけ黒い猫か?」
アロイス様に神妙な顔で訊かれる。
「ええ、そうです。てっきりこのお家で飼われているペットかと思っていたのですが……」
「うん、その通りだ。名前は『ソックス』。前脚の模様が、靴下みたいだからな」
ああ、なるほど。
でも、何故そんなお顔を……?
「フィーネにも紹介する。ついて来てくれ」
「あ、はい」
ツカツカと部屋から出て行かれるアロイス様の後を、私たちも追う。
歩いている間、三人ともずっと無言のままだった――。
「これがソックスだ」
「――!!」
アロイス様に連れて来られたのは、色とりどりの花が植えられた、大層立派な庭園だった。
その中心に、『ソックス』と掘られたお墓が立っていた。
あ、あぁ……。
「ソックスは俺が子どもの頃に、近所で拾ってきた猫でな。当時はまだソックスも子猫だったが、一人っ子だった俺にとっては兄弟同然の存在で、共に育ってきた」
「アロイス様……」
そうだったのですね……。
「……だが、去年天寿を全うしてな。今はここに眠っているというわけだ」
ソックスのお墓を見つめるアロイス様のお顔は、慈愛に満ち溢れていた。
アロイス様にとって、ソックスは本当に大切な家族だったのですね……。
「それがまさか、今になってフィーネの前に姿を現すとはな。この家の先輩として、挨拶しておきたかったのかもしれんな」
「ふふ、そうかもしれませんね」
お陰様で私は、随分ドキドキさせられましたけど。
まったく、悪戯好きな先輩ね。
「これからよろしくね、ソックス」
ソックスのお墓に手を合わせる私。
その瞬間、『にゃあん』というソックスの声が聞こえたような気がしたが、風の悪戯だったかもしれない。
拙作、『12歳の侯爵令息からプロポーズされたので、諦めさせるために到底達成できない条件を3つも出したら、6年後全部達成してきた!?』がcomic スピラ様より2025年10月16日に発売される『一途に溺愛されて、幸せを掴み取ってみせますわ!異世界アンソロジーコミック 11巻』に収録されています。
よろしければそちらもご高覧ください。⬇⬇(ページ下部のバナーから作品にとべます)